05
「ふう、大変な目に合ったな……」
廊下を歩いていたらしい教師の乱入によって、俺は救われた。今回ばかりは教師に感謝だな。俺の精神が崩壊する前に何とかなった。まあ、大変だったのには変わりないけども。
「なぜボクまで怒られる羽目になったんだ。おかしいだろう」
「いや、事の発端は先輩なんですけど……」
先輩があんなことを言い出さなければ、俺が叫んだりすることも無かっただろうに。
「まあいいや、それよりも天風、本の話をしようぜ。ほら、おすすめのやつ教えてくれるんだろ?」
「あ、うん、そうだね。騒がしくなっちゃってすっかり忘れてた」
「ふむ、その事だが、また今度にした方が良さそうだね」
「どうかしたんですか?」
「いやほら、時計を見てくれ」
「?」
俺たちは言われるがまま、壁に掛けられている時計に目を向ける。
「あー、そろそろ時間だな。天風、また今度で良いか?」
「うん、そうだね。私も楽しみでお弁当食べるの忘れちゃった」
天風は本が好きだからな、やっぱり他の人が好きな作品を読んでくれるのは嬉しいよな。
「じゃ、ボクは一足先に帰るとするよ。後は二人で楽しむと良い。あ、そうそう、ボクもたまには図書室に居るから、良ければ今度、君のおすすめの本を教えてくれ。たまには自分が手に取らないような作品も読んでみたい。じゃあ、そういう事で、また今度会おう」
「あ、はい」
やっぱりこの人一回の言葉が長いな。まあ、気まずい雰囲気が出来ないのは嬉しい事だけど、そのせいで要らないことまで話すのはなあ。良い人そうではあるんだけど……。
「あ」
「ん? どうしたの?」
「いや、あの人の名前聞くの忘れてたなって」
「そうだったの? 結構、馴染んでたように見えたけど……」
「多分それは、あの人のペースに巻き込まれてただけだと思うぞ」
俺にそんなコミュ力は無い。あったら今頃、交友関係で苦労してない。
「というかあの人の名前をだな……」
「あ、うん、何かごめん。私もうろ覚えなんだけど……」
「いや、それ大丈夫なのか?」
間違っててそのまま呼んだらどうすんだよ。俺もうそんな恥ずかしい思いしたくないんだけど。
「そうだ、ちょっと待ってて。確かこの辺に図書委員の名簿があったはずだから」
そう言うと天風は、貸し出し用カウンターの下を漁り始めた。
しばらくして、
「あったよ。ほらここ」
彼女の指差すところを見ると、「九十九白閖」という名前があった。
でもこれって、顔分からないから結局意味無くないか?
「なあ天風、ホントに名前これで合ってるのか?」
あの人の雰囲気と合わない様な可愛らしい名前だから、多少違和感がある。ザ・女の子みたいな名前と、あの先輩の顔が一致しない。
「うん、合ってるよ。二年生で貸し出し担当はあの人だけだから」
「そうなのか……」
「まあ、いつもは居ないんだけどね」
「普段は一人なのか?」
「うん。けど、誰も来ないからむしろ暇だよ」
それで良いのか図書委員。
「広報担当も居るんだけどね、ほら、図書だよりなんて誰も見ないから」
「ああ……」
確かに俺もあんまり見ないな。読みたい作品は基本買うし。
「で、でも、静かな方が好きだから、これも良いかなーって」
慌てて弁解しながら、幸せそうな笑みを浮かべる天風。ホントにそれで良さそうだ。
「ところで天風」
「ん? どうしたの? 昴流君」
「ここって、チャイム鳴らないのか?」
「あ……」
「もう予鈴の時間過ぎてるんだけど……」
「うん、鳴ら……ない……ね」
「…………走るか」
「うん……」
またこれかあ。しかも図書室って教室から遠いんだよ。
——間に合うかな……。
結果的に間に合った。けど、昼休みに居なかった男女二人が、全力疾走で時間ギリギリに教室に飛び込んでくるって……字面にしたらやばいな……。
いやほら、皆の目線も何だか痛かったし……突き刺さってたし……。
「お邪魔しまーす」
時間を少し飛ばした。さすがにあの時の心境は言葉に出来ない。
「いらっしゃい」
場所は、意外と俺の家から近かった天風の家。時間は放課後。状況は俺と天風二人きり。
今朝の、ゲームについての色々を話しに来た。
……親は居ないのか……?
ますます俺が来て良かったのか不安になる。
そもそも女子の家に上がったのはこれが初……いや、昔一回あったな。今では名前も覚えてないけど、俺には幼馴染が居た。確かそいつの家に行ったことがあった気がする。
——今何やってんだろ。
「私の部屋はこっちだよ」
「おう」
天風が部屋のノブを回す直前、
「あっ……」
「? どうした?」
「い、いや、何でもない。何でもないけど、ちょっと待ってて」
そう言うと、俺を残して部屋に入って良く天風。
——掃除か?
「なあ天風。部屋が汚いとかなら俺は気にしないぞ? なんなら掃除、手伝おうか?」
『い、いや、大丈夫……! 部屋が汚いとかじゃないから……!』
上ずった声で返事をする天風。
「そうなのか? じゃあ何で……」
『な、なんでもないの! 本当だから!』
「お、おう、そうか」
彼女の剣幕に押された。何かを必死に隠してるような……まあ、それなら俺が触れるべきじゃないか。大人しく待とう。
しばらく経って、ドアがゆっくり開いた。
「ど、どうぞっ!」
「お、お邪魔します……あれ?」
見ると、天風の服装が変わっていた。帰って来た時の制服ではなく、私服に。
俺はファッションに疎いから良く分からないんだが、ピンク色の、ワンピースで良いのだろうか。そんな感じのを着ている。
だから時間がかかったのか。いやでも、それにしては長すぎな気もするが……。
「どうしたの?」
「あ、いや、何でもない」
「そ、そっか……」
ん? 今なんかガッカリされたような……。
「じゃあ、早速だけどゲームやろっか」
「おう、そうだな」
それが目的だしな。
天風は、テーブルに置いてあるPCの電源を付けて、『プロプレ』のアイコンを選択する。
「あれ……」
「? どうした?」
「アップデート、だって。しばらく時間かかりそう……」
「あー、長い事やってなかったんだもんな」
それなら仕方ない。少しくらいなら待つか。
そう思って、何気なく部屋を見渡す。
……うっ、改めて女子の部屋に居ると自覚するな。なんか緊張する。
「あ、あんまり見ないで……」
「す、スマン。つい……」
気まずい雰囲気が流れたからここで切って良いか? 俺の精神が持たん。
アップデートが終わるまで時間は飛ばさせてもらうぞ。
ところで皆は99%の壁というものを知っているだろうか。
主にゲームのアップデートの際、なぜか最後の1%だけが、他と比べて極端に長い事がたまにある。それを俺は勝手に99%の壁と呼んでいる。
アップデートが始まって数分。
今、俺と天風はその99%の壁にぶち当たっていた。しかも特大の。
「長え……」
かれこれ十数分は待ってる気がする。
それまでスムーズに進んでいたはずのパーセンテージは、99%になった途端、ピタリと止まってしまった。一向に動く気配が無い。
「ど、どうしようか……」
「ん、んー待ってれば、なんとかなるんじゃないか? 俺もここまで長いのは初だけど」
なんとかなると言いつつ、わりかし不安だった。長すぎると、この気まずい雰囲気を延々と味わうことになる。それはさすがに御免だ。
「今日は止めよっか。全然進まないから、一日放置してみるよ。それでもだめだったらごめんね?」
「いや、進まないのは天風のせいじゃないって。こっちこそ、妹のわがままに付き合わせてごめんな」
「ううん、私は大丈夫。むしろ嬉しいよ。一緒に遊ぶ人が増えるんだもん」
「だと良いんだけどな」
果たして涼花が、地味女と呼んだ天風を受け入れるだろうか。
「どうしたの?」
「ああ、うん。俺の妹、ちょっと気難しくてな。果たして受け入れてもらえるかどうか、心配なんだよな」
気難しいというか、何考えてるか分からないというか。
さすがに地味女と呼んでたことまでは伝えないが、仲良くできるかは俺にもかかっているだろう。
「そっか、じゃあ頑張って歩み寄ってあげないとね」
すぐにそんな発想が出るあたり、ホントに良い奴だと思う。
「あ、ほら、アップデート終わったみたいだよ。長かったね」
「そうだな。とりあえず、データ見せてもらっていいか?」
「うん、ちょっと待ってね。今開くから」
天風は、マウスを操作してキャラクターのステータスを開く。
「——って強いな!?」
「え、うん。一時は時間も忘れてやってたからね」
天風は、一つ前のバージョンの最大レベルに到達していた。最近、最大レベルは更新されたが、装備も良いものが揃っている。
まあ、俺も妹から課せられた制約が無ければ、今頃レベルはそのくらい行ってたんだろうけど。涼花、ゲームに関しては頭悪いからな。敵いもしない相手に突撃しては吹き飛ばされている。
「俺たちまだ全然弱いんだよ。今、なぜか食虫植物みたいなやつに吹き飛ばされてるとこだ」
「あー、そんなのも居たね。確か私は一人で倒したよ? 今よりレベルが20くらい低い時に」
「え、アレ倒せるのか?」
「うん、攻撃パターンと弱点の見極め、あとは根気かな。数十分くらい」
マジか。まさか天風の口から根気とか言う単語が出ると思わなかったな。
というか、それは天風がすごいのか、俺たちが弱い敵に負け続けてるのかが分からないな。いや多分俺たちが弱い方だと思うけど。
「じゃ、じゃあ操作確認とかは大丈夫そうだな」
「え、そ、そうかな? 久しぶりだから怪しいよ」
そう言いながら天風は、フィールドを縦横無尽に走り回っている。
ホントにそれで怪しいんすか天風さん。俺の知らない操作までやってるじゃないですか……。
「と、とりあえずIDだけメモして今日は帰るよ」
何か自分が情けなく思えてきた。
俺が教えなきゃなーとか、少し手伝ってあげようかなーとか思ってた自分が恥ずかしくなってくる。
「そう? 操作の確認とかもうちょっとしたいんだけど……」
「い、いや、大丈夫だと思うぞ? 俺は帰るから、また今度やろうな」
「う、うん、また明日ね」
俺は開いてもらったステータス画面からIDだけメモすると、足早に天風の家を出る。
「俺だけレベル上げたら涼花怒るかな……」
あの状態で天風にフレンド申請するのは、さすがに恥ずかしい。
——まあ、事情を話せば良いか……。
とりあえず早めに帰宅してレベル上げだな。
「遅い! どこ行ってたの!?」
何だか既視感のある光景だった。
玄関に怒りの涼花が待ち構えていた。もちろん仁王立ちで。
「俺の自由だろうが」
「聞くのはあたしの自由でしょ。ほら、言って」
何だその理屈は。
「友達のとこだ。これで良いか」
「へえ、ホントに友達居るのね。てっきりずっと一人で、ラノベでも読んでるのかと思った」
というかこの間、天風と居るとこ見てたよな? その時もこの話したよな?
まあ、割と適格だけどな。天風と話すようになるまでそうだった。
「というかお前この間、人呼んでとか言ってたよな? 友達居ないと思ってたんなら、何でそんな事言ったんだよ。俺、精神的ダメージ受けたんだけど」
「知んない。その時の気分でしょ」
何だこいつ、動物かよ。本能で動いてるのかよ。
「で、その友達って? この間の地味女?」
またこいつ地味女って言いやがったな……。
「お前なあ、知りもしない相手の事を、そうやって呼ぶの止めろよな」
「良いから、話逸らさないで。誰なの」
「お前が想像してる奴だよ。あと、地味女とか言うな」
「何? 怒ってんの?」
意地の悪い笑みだ。胸糞悪い。
「怒ってねえ」
「怒ってんじゃん」
「怒ってねえって言ってんだろ!」
「ひう……!」
俺の怒声で涼花が縮こまってしまった。が、しかし、それでも俺の答えに満足しなかったのか、まだ突っかかってくる。
「な、何よそれ! 言い方ってもんがあるでしょ!?」
「だったらまずは自分の言葉を直せ! 地味女地味女って人の悪口言ってんじゃねえよ!」
「何よ! あたしの気も知らないで!」
「うるせえ! そんなん知るか!」
俺はエスパーなんかじゃねえ、ただの人間だ。人の考えなんて読めるわけがない。
「なっ……何てこと言うのよ! もう知らないっ!!」
それだけ言い残して涼花は、部屋へと駆け込んで行ってしまった。
「……ったく、なんなんだよ……」
俺は苛立ちながら頭をバリバリと掻いた。日頃の鬱憤を晴らせたはずなのに、モヤモヤする。胸の奥のつっかえが取れた気がしない。気持ち悪い。
「ゲーム……やる気起きねえ……」
けど天風と約束したし、やらないわけにはいかない。どうせ読む本も無いし、勉強のやる気は元から無い。それだったら俺の体裁のためにも、レベル上げが優先事項か。
俺は部屋に入ると、着替えもそこそこにPCを起動する。現れたタイトル画面には目もくれずにログインすると、装備を整えて街を出る。
「一人で戦う職業じゃないんだよな……」
俺の使っている職業は「精霊使い」。自然に住まう精霊を呼び出し、その属性や加護使って味方のサポートを得意とする、支援職だ。
自分で敵と戦いたいという妹に、半ば強制的に選ばされたとはいえ、もう少し、攻撃力のある職業を選べばよかった。
微々たる戦闘能力でチマチマと敵の体力を削ってく作業の虚しさが、俺の精神をすり減らしていく。
「しゃーねえ……やってやるさ……」
静かに闘志を燃やす。