04
天風との買い物も終わって家に着くと、玄関から得も言われぬオーラが漂っているのが見えた。俺には見えた。黒いのが見えた。
恐る恐るノブを回して家に入ると、玄関に妹様が仁王立ちしていた。
「誰、あの女」
正に鬼。桃太郎でも勝てないんじゃないかって程の迫力だ。玄関の段差のせいで俺より目線が高くなってるから余計に恐ろしい。
「誰の事だ」
とか言いつつ大体当たりはついてるわけだけども。
「本屋に居たでしょ。誰よ、あの地味女」
言い方にカチンとした。
良く知りもしない相手の事をそういう風に言うのはいけない。
「誰だって良いだろうが。お前には関係ねえよ」
そう言って横を通り抜けようとするが、伸びてきた涼花の腕に掴まれてそれを阻まれる。
「関係あるの。良いから言って。誰なの」
どんな関係だよ。面識ねえだろうが。
「ただの友達だ。これで満足か」
「へえ、ホントに?」
なんだその、あんた友達居たんだ、みたいな目は。
「あんた友達居たんだ」
言いやがったぞこいつ!?
「距離が近いようにに見えたけど……ホントに?」
「ホントだ。何もねえよ」
「そう。なら良いわ。……ったく、やってらんないっての……」
言うと、俺の手を離して何事かをブツブツと呟きながらリビングへ消えていった。
「? 何だったんだ一体……」
まあ、涼花の奇行はいつもの事なので気にはしないが、俺のプライベートにまで口出しするようになったか。末期だな。
俺は部屋に戻り、買ってきた本を読み始める。
「おすすめの本? 私の?」
それから数日、つい面白くなって早く本を読み過ぎてしまい、早々に読むものが無くなってしまった。
「ああ、読むもん無くなっちまってな。何かあったら教えてくれないか?」
この際だし、天風が読むような小説にも手を出してみたい。視野が広がったりもするだろうしな。そう思って、HR前に声を掛けることにした。
「うん、じゃあ、昼休みに図書室に来て。確か図書室に置いてあったはずだから」
「ん、分かった」
どんな本を読むのだろうか。
伝記とか、文芸作品とか、ポエムとか。まあ、文学少女って感じだから何でも読みそうな雰囲気してるよな。
「あ、そういえば、ゲームはどうなったの?」
「ゲーム?」
「この間言ってたでしょ? 妹がーって」
「ああ、言ってたな。確か、最近はやってないな。妹の機嫌が悪いらしい」
玄関で話したっきり会話は無いし、まあ、俺としてはこのまま話さなくなっても支障はないからどうでもいい事だが。
「まあ、もしかしたらやることになるかもだし、そのうち俺たちで一緒にやってみるか」
「うん、操作もうろ覚えだから、不安だもんね」
「無理そうなら止めても大丈夫だからな。無理強いはしない」
妹の都合に無理に付き合わせるつもりは毛頭ない。
「ううん、大丈夫。……それに、昴流君と一緒に、ゲームが……できるし……」
段々と言葉が尻すぼみになって、最後の方が聞こえなかった。重要な事だったら聞こえるように言うだろうし、追及は意味無いかな。
「そ、そうだ! 今日、うちに来ない? 忘れないうちに色々教えてもらいたいし……」
「良いのか?」
ちなみに、この「良いのか」には二つの意味がある。一つ目は、男の俺が、女子である天風の家にお邪魔していいのか。そして、放課後に用事は無いのか。
「うん! もうぜひ来てよ!」
「お、おう」
それを理解してなのかは分からないが、元気よく返事をする天風。むしろ元気過ぎるんじゃないかって程だ。
「じゃあ、昼休みに」
「おう、またあとで」
と言っても最近は休み時間も話すことが多いけどな。
何気に初めての図書室だった。
「結構広いんだな……」
ずらっと並んだ本の山と言うか、壁と言うか。俺が読まない本が滅茶苦茶、沢山ある。
もちろんラノベも揃ってる。人気どころばっかりだから、俺が知ってる作品も多い。まあ、読んでないやつの方が多いけど。
「あれ、天風は居ないのか……」
というか、他の生徒も居ない。貸し出し用のカウンターに、ハードカバーを読んでいる、ショートカットの女子生徒が一人座っているだけだった。恐らく図書委員だろう。
ちなみに何でショートカットなのに一瞬で性別が分かったかと言うと、この人、結構なサイズの胸なんだよな。本を読んでる腕に押しつぶされて、すごい強調されてる。目の毒だな。
胸元のバッジの色が赤だから二年生のはずだ。
「ん? どうしたんだい? 胸なんか見て」
その女子生徒が、目を上げずに話しかけてきた。
「え、あ、いや。何年生かなって……」
どこに目ついてんだこの先輩……。
「ふむ、そうか。てっきり君はボクの大きな胸を、痴漢的目線で見ていたものだとばかり思っていたよ」
「そ、そんな事しませんよ!」
「そうかい? ボクは覚悟していたのだがね。今ここには、君とボクしか居ないから、襲われたら抵抗しても無駄だ。押し倒されて口を塞がれて、ボクのこの大きな胸を——」
「——なんてこと言ってるんですか!?」
「まあ、そんなことはどうだって良いんだ」
「どうだってよくはないと思いますけど……」
「ヨミから話は聞いているよ。君は黄間昴流だね?」
「あ、無視するんですね……」
「彼女は今用事があって席を外しているよ。帰ってくるまで応対してくれと言われた。ああ、ちなみに普段、ボクはここには来ないんだが、何となくだ。何となくここに来たら君と出会えた、フフッ、ボクの第六感も捨てたもんじゃないね。君にこうして会えた」
この人はマイペースが過ぎるな……。多分、俺が話さなかったら延々と話し続けるんだろうな。
「ところでスバルはどんな本を読むんだい? ボクは良くホラーやミステリーを読むんだが、あんまりヨミが楽しそうに話をするもんだから少し興味が湧いてきたよ。ボクにもおすすめの本を教えてくれないか」
というかこの人何で最初から名前呼びなんだ……。いや、別に気にしないけども。
ふと、その先輩がハードカバーから目を上げて、
「どうしたんだい? 黙ってしまって」
「え? ああ、いや、ちょっと考え事を……」
「また胸を——」
「——見てません!」
「見るかい?」
「見ません!」
「ふむ、おかしいな。男子というものはこういうのが好きだと聞いたんだが……」
確かにドキッとするけど、するけども、それを口に出しちゃいけない気がする。
「仮にそうだったとしても、唐突にそんな事しないでください!」
「フフッ、冗談さ。さすがのボクもおいそれと人に胸を見せたりなんかしない」
「でしょうね……」
「おや、残念そうだね」
「そ、そんなことないです!」
そんなことない……と、思う。
いやまあ、ほら、この先輩美人なんだよ。美人にそんなこと言われたら誰だってペース乱されるだろ? そういう事だ。決して俺が邪な事を考えてたわけじゃない。信じろ。信じてくれ。
誰に言うでもなく言い訳をする俺。
「君は面白いね。心の中の声と見せかけて口に出すなんて」
「あれっ!?」
先輩は、ほんのわずかに赤く染まった頬に手を当てて、
「嬉しい事を言ってくれるじゃないか。美人だなんて、なかなか言われることなんか無いよ」
ああああぁぁぁぁ!!!!????
俺、恥ずかしい事、口に出してた!? 本人を目の前にして美人だとか、どんなチャラ男だよ!? 確かに思ってることだし、実際本当に美人だから嘘は言ってないし、だけど普通そういう事するか!?
「うぐぅおぉぉぉぉ……!!」
俺が何とも言えない羞恥心を感じて床に手をついていると、図書室の扉がガラガラと音を立てて開いた。
「お待たせ昴流君! ……ってあれ!? どうしたの!?」
良いタイミングなのか、悪いタイミングなのかは分からないが、とりあえず俺は、場の空気を変えるきっかけが見つかったことに安堵した。
「おう……天風……待ってたよ……おすすめの本を——」
「聞いてくれヨミ。スバルがボクの事を美人と言ってくれてね」
「ええっ!?」
「何てこと言ってるんですか!」
「事実だろう?」
「ぐっ……事実……です……けど……」
「本当なの昴流君!」
何で俺、天風から悪事を責められてるような雰囲気になってるの!?
「ほ、ほら、美人、じゃん?」
こうなったらやけくそだよもう! 良いよ! 今日ばかりは俺の精神崩壊しても良いよ!
「聞いたかい? ヨミ」
「き、聞きました! 羨ましいです!」
「だそうだスバル。ヨミにも言ってあげたらどうだ?」
「何で天風にまで言わないといけないんですか!?」
何で俺の事イジメるの!? 何がしたいの!?
「ふむ……君は酷い事をしている自覚はあるかい?」
「え?」
「乙女は皆、容姿を褒められるのは嬉しいものさ。少なくともボクはそう思ってる。それをする事を君は拒否した。あまり褒められることではないよ」
「そ、そうですね……」
うん、天風には悪い事をした。さすがに褒めるのを否定するのは良くないよな。さっき腹も括ったし、今更何を恐れると言うのか!
……ってああ、天風落ち込んで無いか? まずいな……。
「あ、天風、悪かった! ちょっとどうかしてたんだよ」
「うん……」
「許してくれ、な?」
「じゃ、じゃあ、私の事も褒めて?」
「お、おう、それくらいならやるぞ」
何だこの新手の羞恥プレイ。結構精神に来るぞ。仮に俺がドMだったとしても喜べないな……。
「昴流君……?」
「あ、ああ、スマン。あ、天風は、可愛いよ……」
「ありがとう……」
「それから?」
「ちょ、先輩は入って来ないでくださいよ!」
止めて! 俺のライフはもうゼロなの!
「え、えっと……優しいし、趣味も合いそうだし……」
「うん……」
「む、胸もデカいしなっ……!」
…………な、何言ってんだ俺!?
「スバル、さすがにそれは無いよ……」
「ああっ……! そんな冷めた目で見ないでください! ごめん! ごめんって! 謝るから! ホントにごめんって!」
明らかに俺のミスだった。
さすがに天風を褒めると言っても、他に言葉があっただろうに、何でよりにもよってそれが出たかなぁ!?
「昴流君、私の胸が目当てで今まで優しく……?」
「ち、違うぞ!? 誤解だ誤解!」
「ま、まあ、それでも良いけど……」
「ん? 何て言った——」
「いやー、良いものが取れたよ!」
「何で先輩はスマホ構えてるんですか!? まさか今の奴全部撮ってたんですか!?」
「ん? もちろんさ。こんなに面白いイベント、そうそう無いからね」
ホントに何やってんだよこの人!
「あんまり大きすぎても邪魔だと思ってたけど……昴流君が良いって言うなら良いかな……」
ああもう! 天風に至っては何かブツブツ言ってるし! どうすんだよこの状況!
そんな時、勢いよく図書室の扉が開き、
「うるさいぞお前ら! 何叫んでんだ!」
「「「すいませんでした!!!」」」
突然の教師の乱入に、全員そろって頭を下げることになった俺たちだった。