21
「子牛はユダヤ人の例えだ、馬車はユダヤ人を積んだ車のこと、市場は収容所のことだ。つまり、子牛のユダヤ人はアウシュビッツに運ばれていき、そこで処刑されるということだ。ドナドナはこれを歌っている。こっちの話は知ってるよね」
私と甲乙たけしは同時に顎を引いた。出雲さんは満足したように顎を落とし、
「君はこのユダヤ人の境遇を自分と重ねたわけだよね。なんて可哀想なユダヤ人。ユダヤ人に生まれたばかりにこんな仕打ち。俺だってこんな体に生まれてこなければ違った人生があったのに。まあ、こんなとこだろう」
甲乙たけしは出雲さんを睨みながら唇を強く噛んだ。
「だが、君とユダヤ人は全く違う、わかる?」甲乙たけしにマイクを向けるふざけた仕草で挑発した。
「お前が言ったとおり、俺の境遇はユダヤ人のそれとは違う。だけど、やられたことは同じだ!」語尾荒げに唾を吐く。
「やはり馬鹿は治らないんですねえ。頭も体も悪い。救いようが全くない」どこまで挑発的な態度を取る気だろう。しかしここは口を挟むところではない。私は黙って甲乙たけしと出雲さんに視線を走らせた。
コホンと咳をして空気を変えて、
「いいかい、ドナドナの意味を憶測として言うとしたなら、ユダヤ人は処刑されに行くんだつまり、殺される。バカな君は処刑されない。つまり、殺されない。究極の根本が間違ってる。このまま君が殺されるというなら同情の余地もある。しかし今の君には何もない。普通に生活ができ仕事もあり、そしてなにより好き勝手に動物を喰いまくっている。これで君はユダヤ人じゃないってことが分かったよね。話は変わるけど、恰好だけ気取っているエセムスリム君。もうそんなことはやめたまえ」
エセムスリム? よく分からないカタカナ語は初めて耳にする言葉だった。甲乙たけしは更に強く唇を噛んだためか、唇にうっすら血が滲んでいる。彼はこの言葉の意味を知ってるんだ。
ムスリムとは男のイスラム教徒をさす。エセとは似ているが本来は違う。という意味だと出雲さんは甲乙たけしのことを見ながら言った。更に、
「敬虔なイスラム教徒は豚肉は絶対に食べない。惨殺された動物の肉も食べない。君はその手で動物を惨殺し、肉を喰ったよね? 君は真逆に位置している。ていうか、まず土俵にも立っていない」一息つき、
「それじゃ、なぜ君が犬、猿、ロバを盗んだかっていうと……え、なに、うん、ははー、そうなんだなるほどねえ、だからといってもそれは許されることじゃないよね、そうでしょ」
甲乙たけしの向こう側、縛られている柱の向こうはトタン張りの壁だ。そこに目をやって独り言を言っている。急いでそっちを見た。が、遅し。既に出雲さんは甲乙たけしのことを穴が空くほどに凝視していた。
「おまえ、独り言を言うな気持ち悪い」甲乙たけしはぶるっと一つ震えた。
「失礼な。独り言なんか言ってませんよ。あなたの後ろに憑いてる動物たちと話しているんですよ。ほら、レオ君て犬、知ってるでしょ? 君が最初に食べた飼い犬の……」
「やめろ! 言うな! それ以上言うな。なんだよおまえどこで調べたんだよ! ふざけんなよ!」
「君が考えているようなことを実際にやったとしても、寿命は延びないってことだよ」
「……なんでそれを、い、いや、やってみなきゃ分からないじゃないか!」
「そもそも論だけどね、それの解釈、君間違ってる。時間の無駄だからちゃちゃっと言ってあげますね」
咳ばらいをし、まじまじと甲乙たけしの顔を否定的な眼差しで捉え、鼻から小さく息を吐いた。
「神が与え給うた寿命ってのがある。君のいうところのこれはユダヤ人のジョークの一つだ」
「ジョークなんかじゃない! 絶対だ」
「僕の話の腰を折るの、やめてくれない?」
甲乙たけしの後ろに目をやり、
「君が言うところの神がこの地上に最初に創造したのは、ロバだ」
そして神はロバにこう言ったそうだ。
『あなたにはロバという名前を与えよう。あなたは日の出から日の入りまで毎日背中に重い荷物を乗せ、運ぶだろう。あなたの知性は乏しく草を食べて生きる。あなたには五十年の寿命を与えよう』
それに対しロバは不服そうにこう言った。
『ちょっと待ってください。そのような状態で五十年も生きるのはあんまりです。私には二十年ほどの寿命で結構です』
神はロバの願いを叶えてあげた。神はそれを良しとした。
次に神が作ったのは、犬だ。
『あなたには犬という名前を与えよう。あなたは人間に雇われ、彼らの家を守り、人間の良き友となるだろう。あなたは人間が残した残飯を食べて生きる。あなたには二十五年の寿命を与えよう』
それに対し犬は不満げにこう言った。
『ちょっと待ってください。そのような状態で二十五年も生きるのはあんまりです。私には十年ほどの寿命で結構です』」
神は犬の願いを叶えてあげた。神はそれを良しとした。
次に神が作ったのは、猿だ。
『あなたには猿という名前をあげよう。あなたは一日中おバカさんのように木から木へ飛び移り、奇声を発して笑いものにされる。あなたには二十年の寿命を与えよう』
それに対し猿は困った顔をしてこう言った。
『ちょっと待ってください。そんなピエロのような存在として二十年も生き続けるのはあんまりです。私には十年ほどの寿命で結構です』
神は猿の願いを叶えてあげた。神はそれを良しとした。
そして、最後に神が作ったのが、アダムだ。
『あなたはアダムという名前の人間である。あなたは二歩足で歩き、この地上で最も賢い動物である。あなたはその知能を用いてすべての動物を治めるであろう。あなたには二十年の寿命を与えよう』
それに対しアダムは慌ててこう言った。
『ちょっと待ってください。そのような知能ある人間として生きていくのに二十年では少なすぎます。どうか私にロバが放棄した三十年、犬が放棄した十五年、猿が放棄した十年を私にください!』
「神は人間の願いを叶えてあげた。神はそれを良しとされた。つまり、
神が元々計画されたように最初の二十年は人間として生きる。その後、結婚してからの三十年は日の出から日の入りまでロバのように働かされ、その途中、子供ができてからの十五年は犬のように夜遅くまで家を守り、家族が食べ終わった後の冷えた飯を食べ、そして晩年の十年は猿のようにバカになって孫をあやす。
これが、君がロバ、犬、猿を盗んだ理由だ。その命を喰えばいいと思った。違うかい? 違わないよね。ここで頭の悪い君でも分かるように言ってあげると、つまり神は最初からそれぞれの寿命を決めていたわけだ。君がどんなに動物を喰って寿命を延ばそうとしてもそうはならないことが分かるだろう。それにどこにも、喰ったら寿命が延びるなんてそんなことは書いていない。君がムスリムを名乗るのは勝手だが、君は段階を踏まないで自己完結している。つまり、君のやっていることは無駄だってことだよ。
癌なんだってね? 残念だけど、動物を喰っても癌は治らない」
「おまえなんでそれを知ってるんだ。誰にも、お親父にだって言ってないのに」顔面を左右の肩にこすりつけるような仕草をし始め現実逃避をし始めた。
「だから、君の後ろの動物が怒り狂いながら君の足や頭に噛みついている。彼らが教えてくれてるんだけど。あ、君、僕のことを悪く言ったそうだね。インチキ占い師がどうのとか。これも君の後ろの動物が教えてくれた。で、僕、まだ怒ってるからさ、」
モデルのような歩き方で出雲さんは甲乙たけしの前までゆっくり歩き、真上から見下ろしてこう言った。
「いいことを教えてあげるよ」
「何がいいことだよ。俺の計画台無しにしやがって。お前がここから消えることがいいことだ!」
「君、あと三年と五日後に、死ぬよ」
私と甲乙たけしは同時に息を飲んだ。出雲さんに視線を向けたが、そこには無表情な顔、何もない虚を眺めるように甲乙たけしを見下ろしている出雲さんの姿があるだけだ。
「僕のものに手を出すとね、後悔してもどうしようもないことが起こるんだ。それと、無残にも殺されていった動物たちの敵。君は今日から死ぬ瞬間まで、訪れる死に恐怖を抱きながら生きるといい。その日の何時何分かまでかは教えない。その日になったらその瞬間まで苦しむことになる。俺は、それを、良しと、する」
* (参照)ユダヤ・ジョーク人生の塩味




