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「あのう、甲乙さん。向井さんと櫻井さんはどちらに行かれたんでしょうか」
二人ともどこにも見当たらない。さっきはそこのソファーに座っていたはずなのに、忽然と姿を消していた。
「二人は仮眠すると言って寮に戻ると出ていきましたよ」
「寮に戻るなんてそんなことできるんですか? 夜勤ですよね?」
寮に戻ることなんて、そんなことありえるのか。仮眠室があるとしたらここに併設されているか、それともそこのソファーかで休むかになるのがふつうだ。
「園長には内緒にしてくださいね。たまーにやるんですよ。深夜一時を過ぎたら特にやることもなくなるので。園内見回りが終わるとそろそろ二時も過ぎるんです。早朝当番も起き始める時間なので、早めに上がることもあるんです」
そうは言っても、外部の私たちが来ているっていうのにそんなことをするだろうか。向井さんも櫻井さんもそんなことしなさそうだけど。
「お疲れでしょう。さ、どうぞ」
アイスコーヒーをテーブルの前に置いてくれて、「お砂糖とミルクはご自由に」と、テーブルの真ん中に置いてある砂糖とミルクを指差した。そこには象の絵の描かれた陶器の入れ物の中に、たくさんの砂糖とミルクが入れてあった。
視線を甲乙さんに戻すと、パソコンを打ちながらアイスコーヒーを一口飲んでいた。
お砂糖とミルクをひとつずつ取ってアイスコーヒーの中に入れてかき混ぜる。
「それじゃ、いただきます」
そのアイスコーヒーに口をつけた。
十分もすると瞼が重くなってきた。コーヒーを飲んだのにおかしい。うとうとして力が入らなくなってきた。
「すみません、甲乙さん。私、なんだか眠くなってきてしまって。疲れてるのかなあ」
「……今日は長旅でしたからね。ご苦労様でした。遅くなりましたが、ああ、よかった」
「遅いって、何がですか」
「あなたがさっさと麦茶に口をつけていれば、全てが早くいったものを。予定がそこで狂いました。なのでコーヒーには多めに入れてあるんですよ。くく」
「ちょ……どういうこ……と、ですか」
「意識を保つのきついでしょう? 彼女もそうでした。彼女の場合は牛乳に混ぜましたが」
頭がぼーっとしてきて声が響いて聞こえるので耳に指をつっこんで頭を振ってみた。
「かなりきつめの睡眠薬なのでね、今は我慢できてもすぐに眠りの世界に入りますよ」
氷のように冷たい目で見下ろしていて、汚い笑いかたをした。今までとはまるで別人だ。杖をついて体を支えながら、私に手を伸ばしてきた。
「それじゃあ、行きましょうか」
腕を掴まれる瞬間までなんとか瞼を押し上げていたけれど、左右に大きく振られて首ががくんと揺れた直後、私の意識は真上に吸い上げられるように上っていった。
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体を揺さぶられていることに気づいたのはどのくらいの時間が経ってからだろうか。
体がひんやりとしている。そして頬には硬いもの。横たわっているんだ。
「____てください。____くださいよ」
後ろのほうから『起きてください』と声が聞こえた。手足の感覚を確かめれば、両手は後ろに、脚は揃えてきつく結ばれている感覚がある。この場合どうするか。それは……
目をうっすら開き、自分の前を確認する。意外と広い。左右にケージが積み重なって置かれているけれど、前のほうにスペースはある。そして、この部屋はうっすら獣の臭いがした。ケージの中には薄汚れた羽のようなものがこびりついていた。危ない。ここにいてはダメだ。鼓動が早くなった。
両目をしっかり開けたと同時に横たわっている体を前方へ力一杯投げ出し、二、三度転がった。後ろを向いた短い時間に誰がいるのかを瞬時に確認した。そこにはまさかの人がいた。
しっかりと距離をとり、私は今、お姉さん座りをしてその人物と対面している。なぜこの人が?
「……甲乙さん。なんで、どうして?」
目の前には額から血を流し、同じように腕を後ろで縛られた甲乙さんが脚を投げ出す形で壁に背を預けて顔には苦痛の色を浮かべて座っていた。
「すみません朝倉さん。こんなことになってしまって」
「あなたがアイスコーヒーに睡眠薬を混ぜたんでしょ? さっき言ってたじゃないですか! あなただったんでしょ? それなのになんでこんなことに」
私のアイスコーヒーに薬を入れたのは甲乙さんだ。あの冷たい目は覚えている。それなのに彼は今、顔に怪我をして、私と同じように縛られていた。
「騙されていたんです。私たちは騙されていたんですよ」
甲乙さんがおしりを引きずりながら寄ってきた。
「騙されていた? 誰にですか?」
もし騙されていたとしたら、向井さんか櫻井さんしかいない。そしてあの二人は事務所の中にはいなかった。
「私はあの二人に脅されていたんです。あなた方二人が来たら研究の邪魔になるって。だから、あなた方を眠らせて殺してしまおうと企んでいたんです」
「それならなぜ甲乙さんまでこんなことになってるんですか!」
「それは、ここの場所を知ってしまったからです。本当なら私は睡眠薬入りドリンクを飲ませて気を失わせるまでだったんです。でも、あなたはそれにひっかからなかったから、予定が変わったんです。あの二人は私にあなた方をここへ運んでくるように言いました。眠らせてしまって台車に乗せて運べば、足の悪い私にでもできることです。あなたが眠る前に私が言ったことばも彼等の指示です」
「そんなこと言ったって、ここはあなたが任されているところじゃないんですか?」
「私がですか? まさか。私は研究なんかそんな大それたことできませんよ。ここはあの二人が園長から任されていて、研究資料なんかを保管しているんです。それに、ここは坂を上らなければ来られない。私には無理です」
「あの二人が共謀してたってことですか」
「そうです。それで、ここの存在を知ってしまった私もろとも始末しようとしているんです」
「嘘。騙されてたの? ここはあなたが全部見てるって聞いたのに」
「考えてもみてください。私がここを持つ意味は全く無いし、研究者が自分の研究データを他人に託すと思いますか?」
「そこまで考えられなかった。あの二人はどこにいるんですか」
「事務所に。交代の時間なので事務所の中にいるはずです」
「甲乙さんがいないことに誰か気づいておかしいって思わないですか。そしたら見つけてくれるかも」
「それはないです。私もここまであなたを連れて来たとき、殴られて意識を無くしてるんですから。嘘をつかれて仲間はずれにされるのは慣れています」
スと目をそらした甲乙さんのことを不覚にも不憫に思ってしまった。
「そんなことより、今のうちに紐をほどきますから、後ろを向いてください」
「これ、けっこうきつく縛られてますけど」
私なら、ジャッキー仕込みの縄のほどきかたを思い出せば、時間はかかれど一人で取ることはできる。




