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☆ミ
男は千葉県の左らへんにある中堅どころの大学をそこそこの成績で卒業した。
農学部畜産学科。動物生態学の他に、森林野生動物の生態学をも学んできた。併せて、小動物などの飼養学から生態学までを学び、一通り動物のことに関しては理解してきたつもりだった。
動物が大好きな訳ではない。
特段好きでもなければ嫌いでもない。とりわけなんとも思ってもいなかったし、卒業したら自宅からわりと近い動物園か水族園などで社員として働きながら定年まで楽しく暮らして行けたらそれでいい。そう思っていた。
男の名は甲乙たけしという。
やや細身の体で髪の毛は短く刈り込まれている。人のよさそうな雰囲気なのは絶えず顔に笑みを張り付けているからだろう。甲乙たけしは老若男女構わずそこにいるだけでまわりに癒しを与える。そんな存在だった。
ただ、生まれ落ちたすぐ後で重い病に伏したこともあり、少しばかり足が悪い。
ひきずるような歩き方は子供の頃なれいじめの対象となっていたが、大学に入ってからはみな大人になった為か、はたまた大人ぶっている為か、甲乙たけしに対しては優しく接する傾向にあった。
そんな仲間たちに恵まれて、そこそこ楽しいキャンパスライフを送ってきた。
仲間たちは就活に苦しむ中、甲乙たけしはなんの不自由もなく動物園の内定を取ってきた。
給料だっていいわけではない。
大学新卒でも高卒でもスタート金額は変わらない。仲間たちは一般企業に就職が決まり、初任給だって甲乙たけしよりはるかにいい。
しかし誰もが甲乙たけしの決めたことに対し、批判的な言い方はしなかった。
腹のなかでは皆、『あいつは足が悪いから一般企業にいないほうがいいのかもしれない。ほら、営業なんかは無理だろう。走れないんだから。きっと居づらいだろう』と、余計な心配をしていた。
仲間たちがそう思っていることくらい当の甲乙たけしは感づいていたが、あえて言ってこない仲間たちに何を言うわけでもなく、いつも通りにこにこしながらやり過ごしていた。
卒業旅行にはフランス、イタリアなどヨーロッパ巡りを企てていた。
甲乙たけしも少なからずその話に混ざっていたので、初めての海外旅行に心浮き立て、ガイドブックを買って行って仲間たちとああでもないこうでもないと夢膨らませ、付箋なぞつけて妄想トリップを楽しんでいた。
スーツケースも買わなければならないし、その前にパスポートも取得しなければならない。ヨーロッパはビザがいるのかすら分からない。お金はいつ両替するのか。現地でするものなのか、日本でしていった方がレイトがいいのか、はたまた機内での買い物は円が使えるのか。尽きぬ不安は噴水のように沸いては消え、沸いては消えを繰り返す。
やることがたくさんだ。と、楽しいやることの多さに気持ちが弾んでいた。
四年生にもなれば年明けはもう講義もさほどない。大学へ行くことも少なくなり、必然的に連絡はメールや電話で取り合うことになる。
お正月のお年玉でスーツケースを買い、パスポートも十年間有効のものを取得した。あとは行く日にちが決まれば必用なものを買い揃えればいいだけになった。
旅行の予定は三月の始め。
しかし二月の頭に入っても誰からも連絡がこない。メールを送ってもなかなか返信が来なかった。電話をしても次の日にかかってきたりする。
「もう二月になってるけど早めにチケットを取らないとダメなんじゃないのか」と話を振ってもあやふやにされた。決まったら連絡をすると言っていたのを信じていたが、二月の半ばになっても連絡は来なかった。
俺が足が悪いから、杖がないとちゃんと歩けないから邪魔なんだ。もしかしたら一緒にいるのが嫌なのかもしれない。
だから俺に言えないんでいるんだ。みんなの邪魔にはなりたくない。
そんなことを思いながら時は三月になり、結局その後、誰とも連絡がつかず音信不通となった。
卒業式にも出席しなかった。
自ら連絡を取ろうともしなく、誰にも会うことなく、三月は終わって行った。卒業式に出席しなかったら誰か気にかけて連絡をくれるかもしれないと思ったが、それもまた妄想に終わった。
三月の末で自分の気持ちに区切りをつけて、新しい人生を歩みだした。
時は過ぎ夏になる前、仲良くなった動物園の仕事仲間にSNSを紹介され登録したところ、電話番号検索で大学の仲間が『友人かもしれない』リストに入り込んできた。
ついぞ口許が緩み、懐かしさに昔のことなど忘れ、思わず開いてしまったのが悪かった。
そこには甲乙たけし以外の皆の集合写真がトップページに載せられていた。
背景はどこかヨーロピアン調。
自分抜きで卒業旅行に行ったということだ。
信じたくなかったので、今の今まで、きっとなにか都合がつかなくなったんだ。と、思いこんでいた。
心臓がこんなに痛くなったのは初めてのことだった。
紹介されたSNSは申し訳ないけどできないと理由もちゃんと言って謝った。
甲乙たけしはもう誰とも友達にはならないと、心に誓った瞬間だった。




