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『美味しい』


「そんなことしない。血を飲むなんてそんなこと、したくない」


『私と共に……』


 高宮さんだ。私の中に高宮さんがいる。頭を抱えた。首を振った。舌うちが聞こえた。なんで? だってさっきまで私、誰かと一緒にいた。


『まだ意識があるのか。まあ、それもあと少し。さあ、アノヒトの携帯電話、探そう。それをどこか遠くに捨てなくちゃ。誰にも気づかれないところに持っていかなくちゃ。あれが見つかったら困る。私、困る。困る。困る』


「携帯電話が……どこにあるの」


『この森の中にある。私一人じゃ探せない。だって、私には物が触れない。あなたがいないと探せない。ねえ、助けてくれるんでしょう? あなた、あの電話のありか、知っているんでしょう? 見たんでしょう?』


 森の中の風景が目の前にモノクロの写真としてはじき出された。足は無意識にもずるずると森の中へ向かう。木の枝を踏んだ音が耳の奥の方で聞こえた。

 下に目をやればそこには私の足が映っている。自分の意識とはうらはらな行動に、抵抗するもむなしいほどに効かない。


『あれさえ見つければ、私は彼に連絡ができるの。そうしたら彼の居場所も分かるはず』


「どこにあるの……電話」


『……思い出せない。でもここよ。この森の中。ここのどこかにある』


「……苦しい」首を抑えた。呼吸が苦しい。


『その苦しみももう少しでなくなる。その苦しみは一体化する前にあなたの体が抵抗している証拠。私は受け入れているからすぐに楽になる』


「ふざけるな。誰が一体化なんてするか! 絶対……し……」


『早く中へ。ああ、そう、ここここ、覚えがあるわ。この森、このあたり、私、歩いた』


 手を、指を指した場所には枯草が山のようになっていて、私はそこへしゃがみこんで穴を掘り始めた。



周りには誰もいないんじゃないかって思うほど静かで、掘っている音さえ聞こえない。

 何十分、いや、何時間か堀り進めたところで指先に固いものが当たった。


『これだ』


 不気味なほどにいやらしい声が自分の口から発せられていることに鳥肌がたつ。


 とき

 反射的に体が飛び跳ね、後ろに飛ばされ木に背中を勢いよくぶつけた。


『っちちちち違う! これじゃない。なんでこれがここに! 待て、いや、違うおまえは。だってそんなはずない。だって私は』


 土の中から出てきたのは黒いスマートフォン。しかしそれは望んでいるものじゃない。この電話じゃない。だってこれは……これはあの女の……


「………………さん」


 背後から声が聞こえ、咄嗟にに振り返ると、そこには薄汚れた制服を着て、おしりまである茶髪の髪を揺らしながら女が下を向いてじっと佇んでいた。


『ふざけるな。おまえ、なんでここに』


「……あなた……間違……てるよ」


『おまえじゃない。おまえの事なんか呼んでない! くそ! 私の彼氏を……返せ!!!!!』


 突風が吹く。周りの木々を巻き込んで竜巻のように巻いた風は迷わず目の前にいる女を突き刺した。

「だから、あなた間違ってる」


 そう言った女に突き刺さったはずの木々は体をすりぬけ、柔らかく地面に溶けた。顔を上げた。


 「これ以上その人を傷つけないで。電話、返して。もう、そろそろ、いいでしょう」


 ヌルリと両腕を前に伸ばし、一歩、一歩、確かめるように歩く足元はおぼつかない。


 女の制服はびりびりに破かれ、黒ずんだ肌が見え隠れしている。髪は油ぎっていて顔にべったりと張り付いている。反してその顔は凹凸のしっかりとした綺麗な顔立ちをしていた。


 しかし彼女に生気は無い。とうの昔にあちら側の住人になっている。この世ならざるものの雰囲気に支配されていた。


「ぜんぶ、わたしに、かえして、もうここにいたくない。あなたをまっていた。だから、」


 最後まで言い切る間にみるみるうちに黒い煙を足元から上らせ、目は真っ白に変わった。


『消えるのはおまえだ。私はこの女の体を乗っ取っている。おまえは手出しできない』


「かえして、すべてを、もとに、もどして。じゃないと、わたしとかれは」


 足を止め、ギギギと上を仰ぎ見る。呪文を唱えるようにして口元を動かし、指を小刻みに震わせている。


 『その電話を早く捨てろ。遠くへ!!』


 頭の中に声が響く。土だらけの私の手の中には穴を掘って取り出したスマートフォンがいつの間にか握られている。きしむ腕を曲げながら画面を見たら、ヒビだらけで使い物にもならないものだった。


「捨てないで! 捨てちゃダメ。上。上に、そこにもあるから」


 高宮さんの声に混ざり、違う人の声も混ざる。

 私の視界は相変わらずモノクロだけど、ざざっと時おりカラーになりはじめた。



『うるさい! 捨てろ!』


 いやだ、捨てない。捨てちゃダメなんだ。

 見上げた視線の先、緑に茂る草々が覆い被さるように光を遮っていた。


『みるな!』


 乗っ取られるわけにはいかない。

 草々の合間にちらりと見えた透明の袋。揺れる木々の音に混ざりながら、上のほうにくくりつけられている袋が目に入った。猫になった気分だ。遠く小さく揺れる袋に焦点が合った途端、ズームしたように目の前に大きくそれが現れた。


 白いスマートフォンだ。ところどころ黒ずんでいるのは血のあとだろうか。喉が鳴った。


 あれだ。あの電話が探し求めているものだ。

 木登りは得意分野だ。それこそジャッキーのビデオでなん十回も見て覚えた。

 足の親指と人差し指を開いて掴むように登る。竹登りの時はそれだけど、木だって同じようなもんだ。通用するはずだ。


『登るな!』


 また頭の中に入り込んできた高宮さんの声に耳の奥がきんきんする。耳を押さえた。が、片方の手は動かない。


「……い、出雲さん」


 そうだ。私のすぐ近くには出雲さんがいるはずだ。乗っ取られるわけにはいかない。

「僕がいることにやっと気づいた? 遅いよね」耳に届く出雲さんの声。体が何かに弾かれた。目の前がカラーになる。

「見つけました!」

「知ってる。じゃ、ジャッキーのビデオで修得してきた技を惜しげなく発揮して取ってきてくれるかな?」

「出雲さんどこですか? 見当たらないんですけど」

「あれ? 君まだ気づいてないの? 僕の本体はもちろん君の側にはいないよ。僕はこの森には入れないからね。でも、君の中に僕がいる」


 またしても意味不明な回答に、嫌な予感がして心臓が止まりそうになった。


 ホウレンソウに当てはめれば、


 報告、きつい報告だと思った。

 連絡、いらない連絡だと思った。

 相談、しても仕方ないと思った。だってすでに私の体の中に……たぶんその意味は……


「泣きそうなんですけど。あれ、ほんとの出来事だったんですか。あの時聞こえた舌打ちは出雲さんのものだったんですか。私、半分乗っ取られそうになってた時、出雲さんの血……… 泣きそうなんですけど、もう無理。怖いです。やだよ。ぺっぺっ。あぁぁぁ、唾しか出てこないですぅぅぅ」


「くだらないことしないでいいから。それも計算の内だ。それにたいしたことじゃない。僕の血液が君の中に入ってそろそろ循環するころじゃないかな。だから君はやっと僕を思い出したってわけさ。高宮くんは馬鹿だったね。彼女は血液を飲むのが趣味だったから、君と言う肉体を手に入れたらまずは懐かしの血液の味を欲したんだろうね。でも相手が悪かった」


 くすっと笑う出雲さんは私から遠く離れていて、そして更には森の入り口ぎりぎりのところに立っていて、どういうわけか一歩も入って来ないつもりだっていうのがひしひしと伝わってくる。


 やはり私だけが森の中にいる。


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