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高宮さんはじっと私たちのやり取りを聞いている。
「出雲さん、高宮さんはこれからもしかして自分の体を自分で探しに行くことになるんでしょうか」
「そう」
「じゃあ、うちに入れないのもこの家になにか仕掛けがあるってことなんでしょうか」
「そう。ここはもう彼女のうちじゃない。彼女の住んでいたうちだと思っているけど、もう誰も住んでいないし、あそこは前に依頼されたことがあってね、僕が手を打ってあるの。だからどんな霊でも入ることはできないんだよね」
「それならなんで早く言ってあげなかったんですか。そしたら彼女はもっと早く気づいたのに。彼女はこのうちで自分の部屋に忘れ物をしていると思い込んでいるんじゃないんですか」
「それは違う。ただ、認めたくないだけだ。それにその電話には彼氏の秘密も入ってる。でも、それ、もうないよ。行くべき場所に行っちゃってるし」
「どこに行ったんですか」
出雲さんは高宮さんを見て人差し指を上に向けて、
「行くべき場所」
上を見上げている高宮さんの周りには黒いもやが近づいていて、
「高宮君、その黒いもやに飲み込まれたら君は二度と上には行けない。ずっとこの地にとどまって次のターゲットを見つけるまで逃れられない。君みたいなのはそれでいいかもしれないけどね」
またさらっとひどいことを言う。
「僕はその手伝いをすることができる。でも君お金ないよね。死んでるし。僕、ボランティアはしない主義なんだよね」
いったいどっちのことだろう。行くべき所へ行かせるのかそれとも彷徨わせるのか。
それにしてもこんな時にまでお金の話とは……。
『私の周りにまとわりついているものは自分でも分かっている。でも、そんなものに乗っ取られる私じゃない。その女の体。私がそいつの中に入って思い残していることをする。あれを探し出してどこか遠くへ隠さないとならない』
私の体を乗っ取ろうとしているのは分かった。でも速やかにやめてもらいたい。絶対嫌だ。
「それが未練を断ち切るすべてのことってことか。ふーん、そう。でも君も分からない人だね。朝倉君は無理。僕の所有物には手出しさせないよ。これ以上僕に逆らうようならめんどくさいから君はしかるべきところに送るけど、それでもいい?」
黙った高宮さんは歯ぎしりをぎりぎりとした。私には分からないけれど高宮さんは自分の行き先がどうなっているのか分かっている。
『分かった』
「よし。じゃ、その彼氏のところに行こうか」
戸惑いを見せる高宮さんに、
「もう全て分かっちゃってるから。隠しても無理。さあ、そこに連れて行ってくれたまえ。そしてすべてを終わりにしよう」
二人にしかわからない会話に耳を傾けていても何も掴みとれないけど、今の会話から察して、高宮さんは何かを知っていて、それを隠している。で、すでにその隠し事を出雲さんは知っていてなお言わずに導かせようとしている。絶対楽しんでる。
この先、何が起こるのか分からない。気を引き締めると同時に唾を飲んだ。
「この高宮君、もしかしたら使えるかもしれないな」
「どういうことですか?」
「あとでわかる」
にっと横に引っ張った唇は薄く伸ばされ、いたずらをたくらむ子供のような顔に見えて、私には嫌な予感しかしなかった。
『この女の体が手に入れば私はやり直せるんだ』
突如、耳の奥に貼り付いた声が頭の中でこだましていて、頭をおもいきり振って声を弾き飛ばそうとした。
『私と一体化しよう。私と共に一緒になろう……』
「やめて……」そんなことしたくない。無理無理無理。絶対に無理。どこから入ってくるのこのことば。
『そうすればあの悪夢からも解放されるよ。あなたいつも泣きながら起きるじゃない。それともさよならできる。私たちきっとうまくいく』
「いかない!」あんたなんかとは違う! なんでそんなことまで知っているのか、私の頭の中に入ってきているのか、はたまた読んでるのか。怖い。
『我慢しないで、手を伸ばして。そうすれば楽になる』
「ふざけんな! 私の悩みは高宮さんのとは違う! ぜんぜん違うし!」
『さあ、早く』
徐々に体から力が抜けて、一度カクンと頭が前に落ちた。
瞬時、視界が歪み、腐敗臭に包み込まれた。
魚と肉が腐って生ごみと交わったような、甘く嫌な臭いが体から臭ってきた。
頭を上げると視界はモノクロの世界。音もなく色もない。感覚も無い。
誰もいない灰色の世界に一人取り残されている。そんな感じだ。
「やっとひとつになれた」
自分の口から発せられてるのが高宮さんの声だということに気がついたけど、焦る感覚の前に思考はシャットアウトされた。
「さあ、これで見つけられる。アノヒトの物、捜し出せる。あなたのこの体があれば私の思い残していることができる。そしてこの体を私に委ねたら、私はまだまだ生きられるんだ」
擦るような歩き方で前に手を伸ばし、進む。
耳に届く音はかさついた葉の掠れる音。
記憶を呼び起こさせる。
土は湿っていて、血を吸い取ったようなシミが点々と染みついている。臭いが感じ取れるようになってきた。でもこの血の臭い、どこかで嗅いだことがある。
懐かしい臭いに甘く溶けた肉の記憶。
口に入れた瞬間に血が溶けてなくなった。そうだ、私は血を飲んだ。生温かくて甘くて癖になる味だったのを覚えている。
舌舐めずりをした。喉を鳴らした。生唾を飲んだ。
ワイングラスに注いだ。それを冷やして飲んだけど、やはり温かい方がおいしかったという記憶がある。鼻に抜ける血の後味はブルーチーズの味に酷似していたのを思い出した。
待って、違う。そうじゃない。
私はそんなものは飲んだこともないし、飲みたいとも感じていない。飲んでもいない。
だって、それは私の記憶じゃなくて……幻覚。幻想でしかないし、母も父もそんなことを言っていた。私がその話をしたら必ず悲しそうな顔をして『それは幻覚だ、幻聴だ、おまえは何も見ていないし聞いていないよ』と言った。だから、私は見えない、聞こえないとそう思うことにした。
見えてるんでしょう?
本当は見えてるって言いたかったんでしょう?
いや、違う。
血の味はとてもやみつきになるよ。でも、時間が経ったものはダメ。ぬめりが出てきてしまう。
だから私はなるべく時間が経たないうちにすべてを飲み込もうとした。
喉を掻っ切って、あふれる血をこぼさず飲むために傷口に唇を押し当てた。
そう、こういう風に。
目の前にいる人に噛みついた。
舌うちをする音が聞こえたけど、構わずに血を吸った。




