ICUの猫
ナースをやっている友人からある話を聞いた。
譫妄状態になっている患者は猫の幻覚を見るのだと言う。
譫妄患者のメッカであるところのICU勤務の同僚に聞いても、幻覚で見るのは猫か人。猫の代わりに犬だったり猿だったりはしない。
人か猫。
一つの例外もないのだと言う話だ。
それを聞いた時、この話がかなり本質に切り込んだものだろうと直感しながらも、それがなぜなのかはわからなかった。
友人のナースが勤務してるのは結構な大都市の病院なので、地域的文化的偏りは無視していい。
人の流入がほとんどない田舎の村じゃないんだから、譫妄状態で人か猫しか幻覚を見ないということは地域的なものではなく普遍的なものであると言える。
例外がないのだから。
昔、エジプトで猫の神様がどうのこうのと言うのも無視していい。
そこで詰まった。
だから、なんなんだ? と。
んん? 譫妄状態で見る幻覚は人か猫。
人の方は死神だろう。
ICUで譫妄状態になるってことはかなりの重篤患者であろう。
現代であるから生きて帰ってこれる患者も多いが、昔ならそのままお亡くなりになる方が多かっただろう。
そんな時に人の幻覚が見えるもんだから、後付けで死神の意味付けされただけだろう。
しかし、猫がわからん。
なんで猫なんだろう・
一つでも例外があれば、猫じゃなくて犬だったりしたら、その人の好みだねえ、で終わる話だけど、例外はないのだ。
猫、人、人、猫、猫で、人で、人で、猫。
唐突に思い至る。
人と猫は同じなんじゃないのか。
なぜかは知らねど、譫妄状態の脳は人と猫を区別してないんじゃないか?
通常の脳であれば人と猫は違うカテゴリーに入れて区別しているけど、譫妄状態になってしまうと、なぜか人と猫を同じカテゴリーに入れてしまうのだろう。
では、それはなぜだろう?
こういう話を聞いたことはないだろうか?
飼い猫がなにもない空中をじっと見つめている時がある。
猫は人には見えない幽霊でも見ているんじゃないだろうか。
それをふまえて、ここからがなんの根拠もない超暴論だ。
ただの妄言と言ってもいい。
この世の生けとし生けるもののなかで、人と猫だけが幽霊を見る。
この世の無数の生き物のなかで、ただ人と猫だけが幽霊を見る。
だから、譫妄状態の脳は人と猫を区別しない。
同じものとして扱う。
そう、なんの根拠もないし、検証もできない妄言である。
ではあるが、とりあえずこの妄言を是をして話を進めてみよう。
人の脳の深いところ、理性が及ばないところでは人と猫は区別されない、同じものとして扱われる。
たまに、学校で飼っていたうさぎが惨殺されたというニュースが流れることがある。
うさぎなら、まだいい。
脳は違う生き物として認識している。
しかし猫が惨殺された場合には違う意味を持ってくる。
脳の深いところでは人と猫が区別されないのだから、猫が殺された地域では潜在的な殺人鬼が存在していることになる。
しかも猫が殺されて騒ぎになったにも関わらず、犯人が捕まっていないのに事態が沈静化した場合にはもっとまずいことになる。
猫だから死体を放置して騒ぎになったけれど、獲物が猫から人に移行したから死体を始末するようになって騒ぎにならなくなっただけ。
つまりその地域にはシリアルキラーが潜伏している可能性がある。
猫が殺された時は、注意されたい。
それは快楽殺人鬼の兆しである。
ここでまた一つの気づきを得る。
昔から化け猫というものがよくわからなかった。
その存在にしっくりこないものを感じていた。
それが氷解した。
人のなかに戯れに猫を殺す人がいるならば、猫のなかにも戯れで人を殺す猫もいるだろう。
そういう猫が化けるのだ。
化け猫とは快楽殺人猫であったのだ。
とても納得できる、しっくりくる。
わかって見れば、とても簡単な話だ。
期せずして前の話と合わせてわんにゃん話になってしまった。
ではまたなにかネタがあれば。
え?
まだ脳が人と猫を区別してないことまでしか言ってない?
なぜ譫妄状態で猫を見るかの説明がまだだ?
それはこっちから見えるんだから、猫からだって見えるんだろう。
化け猫が、快楽殺人猫が、譫妄状態の患者をいつ死ぬか、いま死ぬか、じっと見つめて待っている。
だから、見えるのだろう。