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停滞の賢者  作者: 楯川けんいち
精霊の増えた日常編
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12話 賢者の温泉7

 ――――そして場面は冒頭、賢者と呼ばれる男の魂の一言へと戻る。



 ***

 

 

「――――温泉に行こう!!」


 僕は立ち上がると、朝食後の一服を楽しんでいた面々へと言い放った。

 

 さあ、早く、すぐさま、直ちに行こう。

 温泉が、僕らを待っているんだ……!

 

 もう、逸る気持ちが抑えられないほどに……僕の心は温泉へと向いていたのだった。

 朝起きたときから僕は、ふやけて溶けてしまうくらいに今日は温泉を堪能してやろうと強く意気込んでいたのだ。

 今もぐっと拳を握り、目を閉じ天を仰ぐことで溢れそうになる感情を体の内に(とど)めていた。

 

 ……だが、いつまでたっても誰からの反応も返ってこない。

 

 ん? と訝しんだ僕は、目を開いた。

 

 ――そこにあったのは、呆れと驚きと感動だった。

 

 呆れは、ウェルティナとアイラ。

 驚きは、クレア。

 感動は、なんと――フィアルテ。

 

「……賢者、わたし温泉はじめて……!」


 ふすんと鼻息を荒くして、けれど静かにフィアルテは興奮を伝えてきた。

 なぜならそう……彼女もまた、風呂好き側の存在だからだ。

 

 彼女ははじめて我が家の風呂に入ったときから、日々の風呂を欠かしたことがない。

 精霊に垢がでるわけでもないので、ただ単純に嗜好として入浴を楽しんでいた。

 だが、それは言い換えれば……ひどく純粋な風呂好きと言えるのだ。


 そして、まだ彼女は我が家とファルシウェンの王宮の二か所しか風呂を知らない。まあ、まだ彼女は生後一年未満だから、経験としては相応以上かもしれないが……。


「ああ、そうだな。入ればわかるけれど……温泉は至高だぞ、フィアルテ」


「……楽しみ……!!」


 ガシッと、僕たちは手を取り合った。

 

 すると、先ほどまでフィアルテの様子にあっけにとられていたクレアが、僕に問いかける。

 その彼女の顔は、今は打って変わって引き締まっていた。

 

 ……なにやら目が据わっているように見えるのは、気のせいだろうか。


「……師匠。それは、ここ三日の師匠の外出と関係があるのですか?」


 ここしばらく、それこそ出会ったとき以来だと思われるほど……クレアは鋭い雰囲気を発していた。

 その雰囲気に呑まれるように、僕は言葉を返した。


「あ、ああ」


 すると彼女は、ニコリと笑う。


「では師匠……最初から全部、隅から隅まで、余すところなく、話してください」


 ね、師匠――と小首を傾げた彼女は、とても可愛らしかった。

 つぶらな青い瞳に、暗闇が巣くってさえいなければ……。

 

 おかしいな……こう『温泉ですか!? 行きましょう、師匠!!』というような反応を想像していたのだけれど……。

 

「さあ、腰を下ろしてください師匠。まだ朝です、時間はたっぷりあります」


 そう言って促す彼女に、僕は頬が引きつっていた。

 

 どうしてこうなったんだ…………。

 僕はただ、温泉に浸かりたいだけなのに。

 

「……クレア、怒ってるけど嬉しそう?」


「乙女心は複雑なのよ、フィアルテ。……あいつは、ただの自業自得だけど」


「こうして見ると、ウェルティナ様の苦労もわかりますね……」


「でしょう? あいつはデリカシーも学習能力も皆無なんだから」


「……早く、温泉」



 何やら話し込んでいる外野を余所に、僕はクレアと向かい合うと……ドワーフの里でのことを洗いざらい()かせられたのだった。

 

 

 ***

 

 

「まったく……師匠、内緒にして驚かせてくれようとしたのはわかりました。でも! これからは私も連れていくか、ちゃんと教えてください!! …………心配で、不安だったんですからね……」


 すべてを聞き終えたクレアは、ぷんすかとした態度で僕にそう言ってくる。

 また、いつからか彼女の頬は赤く染まっていた。


 しかしそうか……そんなに心配をかけてしまっていたか。

 これからは、きちんと危ないことはしていないと言わないとな。

 

 僕が納得の頷きを繰り返していると……ウェルティナがどうしようもないものを見るような目で、こちらを見つめていた。


「……ほんと、あんたって」


 そしてフルフルと、ウェルティナは首を振る。


「まあ、賢者様ですからね……」


 はあ――と珍しく、アイラは溜息を()いていた。

 

 うーん、サプライズはどうにも不評なようだ……。以後は気を付けよう。


 すると、そっぽを向いていたクレアが、はにかむようにしながら僕に顔を向ける。

 

「でも……私たちのために待っていてくれたのは、嬉しかったです。師匠」


 そしてそう言うと、僕へとやわらかな笑顔を見せた。

 

 なぜだか僕はそれだけで、予期せぬ足止めへの不満など何処かに消えてしまうのだった。



 

 だが、その傍らにいたフィアルテは――


「……温泉」


 長いお預けを食らったためにガックリと肩を落として――悲しげな顔を僕たちに向けていたのだった……。





温泉、浸かれなかった……。作者もお預け食らった気分です。


どうぞこれからも拙作をよろしくお願いします。

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