3話 賢者の試練
――現在、なんとも言えない寒々しさが僕の背すじに走っていた。
僕がいるのは、クレアとフィアルテが修行を行っている滝壺がよく見える、少し川から離れた場所。
僅かに開けているその場所は魔法で均され、ゆったりとしたウッドチェアとテーブルまで設置されている。
テーブルについているのは僕とアイラ。
ウェルティナは僕の肩に乗って、足をプラプラと揺らしている。
テーブルに対して斜に向けた椅子に、僕は深く腰掛けていた。
…………じー。
魔の森を含めて、僕たちのいる大陸というのは年間を通じて温暖の差が穏やかな場所だ。
雨も適度に降るので干ばつに喘ぐこともない。また、降り続けて洪水になることもほとんどない。
ゆえに人はもちろんのこと、ほとんどの生き物が求める十分以上の環境と言えるだろう。
さらに季節の移り変わりに関しては、二か月弱の短い春と秋、四か月から五か月ほどの夏と冬がゆったりと入れ替わる。
真夏でも陽炎が燃えるような暑さにはならないし、カラッとした日差しの洗濯物が捗るものだ。
真冬でも泉に氷が張るような寒さにはならないし、寝起きの床の冷たさに心臓が跳ねることもないものだ。
ここで、少し話は変わるが……。
この大陸全土においては、常緑樹も落葉樹もありふれている。
僕としては、春と夏にだけ葉を茂らせていればいい落葉樹は羨ましく感じる。
……生の半分を、休眠に充てられるということに。
――以前、ウェルティナにそう零したら「あんた頭でも打ったの?」と呆れられるでもなく心配されてしまった……。
……まあ、そんな関係のない話は置いておこう。
しかし、魔の森というのは常識がまず通じないところだ。
…………じーー。
例の一つで言うなら、――魔の森に生える落葉樹は大変な働き者となる。
秋に入り、葉を落して終わり。とはならずに、また新芽が現れるのだ。
空気にも土にも、水にも。濃密な魔力が充溢しているがために。
それらによって葉を落とす木々も、年に二度も葉を茂らせたとしても採算がとれてしまうという結論を下すことになったのだろう。
……採算がとれるだけが、理由ではないが。
またそうなると木の根が大量に吸い上げるだろう土の養分にしても、弱肉強食な世界に生きる魔獣たちの血肉が、年がら年中と絶えず染み込むことで供給され続けている。
それゆえに魔の森の植生は、――本来の在り方などかなぐり捨てたように――狂い乱れている。
春を象徴する花であっても、ここではそれが咲いているから春だと言えるわけでないのだ。
…………じーーーー。
今僕は川を挟んだ向こう側で、――冬に入って久しいと言うのに――未だに咲き誇っている薄紫色の花畑を見ていた。
その花は本来、秋口に見られるものだ。
しかし、ここは魔の森。多少の寒さなど無視して咲いている。
さらに言えば、秋口に咲いたものを第一世代とすると、それらの種が芽吹いた第二世代、下手をすれば三世代目までというように世代交代させながら……。
なぜ植物がここまで忙しなく、生き急ぐようにしているのかには、きちんとした理由がある。
魔の森の植物というのは、すべて必然的にあくが強くなる。
――静かにして苛烈な、生存競争によって。
物言わぬそれらにも、互いに押しも押されぬ生存競争があるのだ。
そのなかで生き残るために、木々や花々も必死なのだろう。
……ただ、魔の森における必死はそこらの比ではないというのが問題なのだが。
まあしかし、考え方を変えてみれば……。
――生き物というのは、必死になればここまでできるということでもあるのだろう。
…………じーーーーーー。
……ああ。
…………もう、目を背けてはいられないようだ……。
背に注がれているさめざめとした視線こそ、僕の悪寒の原因だった。
その視線の主は、クレアへの忠誠心が振り切っているメイド、アイラ。
そのアイラが……もはや視線で僕の背中を射抜くどころか、物理的にナイフを僕の背に突き立てそうなほどに、鬼気を溢れさせていた。
人間味のない、ひんやりとした顔つきをしたまま。
その状態のアイラから、今の僕は物理的にも精神的にも相対しないようにしていたのだ。そのためにそっぽを向いて、そこらの草木に無理やり意識の焦点を合わせていたのだが……どうやら煙に巻くことなど、もう許されないらしい……。
だが、一つ言い訳させてもらえるなら――
――このメイド、怖い……。
視線をもろに浴びているわけでもないはずの、僕の肩に座るウェルティナですら小刻みに震えているのだ……。
……もう、メイドが出していいような気配ではなかった。
エリウセリア皇国の城にいたメイドさんと、同じ職種とはとても思えない。
しかし、弟子が試練に立ち向かっているというのに、師匠である僕がメイドの鬼気に屈するわけにはいかない。
僕は体の向きを変えると、怒れるアイラへと向き直った。
それと同じくして、ウェルティナが恐る恐るにアイラへと言葉をかける。
「ね、ねえ、アイラ? か、顔が固まってるわよ、大丈夫かしら……?」
普段はにこやかなアイラが感情をむき出しにする事柄と言えば、ただ一つ。
――クレアに関わること、それしかありはしないのだ。
「大丈夫では、ありません……ウェルティナ様」
そこでアイラは言葉を区切ると、僕の方を向いた。
先ほどの無言の抗議の長さに比例したように……彼女の口は、堰を切ったように言葉を吐き出した。
「このところの殿下は、もう見ていられませんっ……。すでに始めてから一月となるというのに、達成の兆しも見えず……殿下は、ひどく憔悴しております……! 賢者様っ、『滝を凍らせる』という修行に一体なんの意味があるのですか……!?」
紺色の髪を振り乱しながら、アイラは僕へと訴えかけた。
彼女は、誰よりもクレアを案じているだろう。
しかし、誰よりもクレアを信じたいのもまた、彼女なのだと思う。
クレアの輝きを、誰よりも長く見てきたのは、他でもないアイラなのだから。
ここでやめさせれば……クレアの輝きが鈍ってしまうのではないか、そんな恐れだって抱いているのではないだろうか……。
その証拠に、アイラの目には憂いと恐れが映っている。
けれど僕は、この修行をやめさせるつもりはないのだ。
……僕だって、好きで弟子を泣かせているわけではない。
だがクレアは、この試練を乗り越えなければならない。
「……意味は、ある。こんなこと、意味もなしにやらせるわけがないだろう?」
目を合わせて、はっきりと僕はアイラの抗議を突っぱねた。
「なら、なぜっ。どのような意味が……!?」
僕は、首を振る。
「今はまだ……問題そのものを言葉にするわけにはいかないな」
するとアイラは、僕のローブの裾を右手で握ると間近からしっとりと濡れた目で見つめてくる。
「ただ、一つ言えるがあるとすれば……。クレアは今一度、自分の力というものを知るべき時なんだ」
僕が言いきると、アイラは俯いた。
しかし、次の瞬間に両手で僕の胸倉をつかむと、――その細腕のどこに、という力で――揺さぶってきた!
「だから! 殿下は! 一度! 挫折! するべき! だとでも! 言うの! ですか!?」
僕の頭が、ガックンガックンと振り回される。
く、首が痛い。
視界もグワングワンとあらぬ方向に行っては戻り、戻っては行った。
だがそれでも、アイラの動きに合わせて――。
……彼女の目の端から、光るものが散っているのが見て取れてしまった。
「いたい、いたい! ア、アイラ、ちょ、誤解、誤解だっ!!」
いつ、僕が挫折させるなんて言った!?
「……誤解、ですか?」
僕を両手で掴んだままに、アイラは動きを止めた。
「ク、クレアがなぜ今立ち止まってしまっているのか……。それはクレアが、自分の力の定義を見誤っているからだ。彼女が気づきさえすれば、この試練は初日にだって突破できるものだ」
僕が息のしづらさに顔を顰めながら言うと、ようやくアイラが解放してくれる。
彼女の目に溜まっていたものも、どうやら引いたようだ。
しかし未だに怪訝な様子で、アイラは僕を見る。
「それなら助言でもなんでも、殿下にして差し上げればよろしいのではないですか……?」
なぜそうしない、と言外に言いたいのがありありと感じる。
それができるなら、とうにしているが……。
「こればかりは……僕がどうにかできるものではないんだ。それにできても、やってはいけない」
なあ、ウェルティナ――と、アイラの剣幕に縮こまって助けてくれなかった薄情な相棒に話をふる。
まあ僕でもできればそうしただろうから、ウェルティナを責めようとは思わないけれど。
「……ええ、そうね。これはクレアたちの問題だものね」
クレアとそれに付き合うフィアルテの方を見ながら、ウェルティナは静かに言った。
「そういえば……いつもならウェルティナ様も『鬼畜師匠ね』と賢者様を諫めるところだと思っていましたが……。今回は賢者様の味方、なのでしょうか?」
アイラの言葉に、ウェルティナはうーんと唸る。
「やり方は、やっぱり強引だと思うわ。でもこれは、クレアにとって必要なことだとも思うの。…………毎回毎回、弟子の心を折りにかかる鬼畜な師匠だとも思うけれどね」
ウェルティナ……それは味方してるのか非難しているのか、どっちなんだ……。
僕は溜息を一つ吐くと、クレアたちのほうを見た。
ちょうど、また魔法を放って落ち込むクレアを、フィアルテが慰めているところだった。
それを眺めながら、今回はどれだけ時間がかかろうと気長に待たなければならない……という思いを固くする。
――――そうでなければ、意味がない。
さて、彼女はいつ気づくのだろうか。
これからも拙作をよろしくお願いします。




