表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
停滞の賢者  作者: 楯川けんいち
囚われの精霊編
39/76

9話 弟子の寒気

クレア視点です。

 私の手は、血で真っ赤に染まっていた。

 

 いや、手だけではない。

 視線をそのまま下に向ければ、至る所が赤黒くなった神官服が視界に入る。

 

 私が怪我をしたわけではない。

 しかし、それなり量の血を浴びていた。

 

 足元やその周りに積もった雪は、血を(すす)って鮮やかな緋色から薄紅色のグラデーションを見せている。

 

 私は、視界を正面に戻す。

 

 山の裾野は、初めて見たときの白銀の景色から一転していた。

 所々の雪がひっくり返されて、茶色の地面が見えている。

 雪も真っ白に無垢なものではなく、黒や褐色に汚れたものが多い。


 ――そして、山のように積み上げられた、おびただしい数の魔獣の死体。

 

 辺りには、きつく血の匂いが立ちこめていた。

 

 その光景に、私は寒気を覚える。

 

 実際の寒さはないはずなのに、恐ろしさが背筋を冷やす。

 服がさらに汚れることもかまわず、寒さを遠ざけてくれているはずの大事な、とても大事なワッペンがある懐の上に、手を置く。

 

 そうしているだけで、恐怖も遠ざけてくれるような気がする。

 

 そのときだった。

 

 

 ――――――ふわあぁっ!

 

 

 もう、何度目かになる魔力の波動が走り抜けていった。

 それは穏やかに、しかし確かに広がっていく。

 一定の周期でそれは起こっている。

 

 ……その後に起こることも、毎回同じだ。

 

 様々な獣の声と、大量の生き物が地を蹴る音が聞こえてくる。

 また、地響きが次第に大きくなっていく。

 

 そして、雪を巻き上げながら迫る魔獣の一団の姿が見えてきた。

 

 だが次の瞬間、その先頭の魔獣たちは壁にぶつかったように潰れる。

 後続も吹き飛ばされたり、一刀両断にされたりしていく。

 

 それを行っているのは、二体の精霊だ。

 

 それほど時間をかけずに、あの魔獣の一団は壊滅するだろう。

 今までがそうだった。

 

 そこまで考えたとき、私はボーっと立ち尽くしていることに気付く。


 ……私は、私の仕事をしなければ。

 

 私は屈み込んだ。

 そして手に持った無骨な刃物を、目の前にある肉に突き立てる。

 

 私は肉を()きながら、事の始まりを思い出していた。

 

 

 ***

 

 

 師匠が言った言葉に、私は思考を止めていた。

 

「解体、ですか?」


 横でアイラが、師匠に問う。

 

「そうだ。僕は魔法の制御で数刻は動けない。防衛については僕も障壁を張るけれど、ウェルティナとベーチェルに頼みたい。そして、クレアとアイラには魔獣の肉を回収してもらいたい」


 目の前に座る師匠は、全員を見まわして言った。

 

「クレアも防衛にしなくていいの? いい実戦訓練になるんじゃないかしら」


 ウェルティナが師匠の肩に座りながら確認する。

 私はそこでようやく、意識が戻ってきた。

 

 実戦訓練……。

 師匠の元にきてどれほど成長できたのか、確認したいと思わなくもない。

 少し心が揺れる。

 

「うーん、ダメだろう。物量が多すぎる。それにクレアは攻撃に向いているわけでもない」


 しかし、師匠が一刀に切り捨てた。

 

 ……まあ、私の得意属性は聖と水なのだから。

 仕方ないのだろう。

 

「なら、久しぶりに暴れましょうか。ねえ、ベーチェル?」


「よーし、ウェルティナ姉さん。ぼく、がんばるよー」

 

 ウェルティナとベーチェルはハイタッチしながらやる気を見せている。

 

「で、だ。さっき言ったように、アイラには魔獣の解体をしてもらいたい。クレアはそれの手伝いだな」


 解体は、実のところ私にはあまり経験がない。

 冒険者時代でも大体はマイクが、時折にアイラが行っていた。

 

 みんなが私にさせようとしなかったというのもあるが、なによりの問題は私の体力と筋力不足だった。

 なにせ、硬い筋を切り続けるには私は非力だったのだ。

 刃物を固く握りしめ続けるのも、走り回るのとは違う疲れがある。

 

 だから数回しか経験がなかった。

 

 でも、なぜ肉を回収するのだろうか。


「師匠、なぜ肉を? もったいないからですか?」


 私が聞くと、師匠は口角を上げた。

 

「もちろんそれもあるけれど、これはクレアのためでもある」


 私のため?

 

「ここらへんは、アイシクルバイソンやチリ―エルク、フローズンタイガーなどの魔獣が生息している。クレアは、アイシクルバイソンのベーコンがお気に入りだったよな? 最近どんどんと在庫が減ってきたから、近いうちに補充しようかと思ってたんだ。あと、チリ―エルクの肉は煮込むと美味いんだ……ぜひ、夕食に食べたいね」


 それは、とても魅力的です!

 

 でも……。

 師匠、私を食いしん坊だと思ってませんか?

 

 ……否定できないかも、しれないけど。

 それは、師匠が悪いのです!

 

 私が食いしん坊になっているのは、師匠の責任です……!!

 美味しいものを、食べさせ過ぎるから……。

 

 こんな理不尽なことを、言えるわけもなく。

 私は顔を抑えて、額を机にくっつけた。

 

「あれ? クレア?」

 

「あんたね、ストレートでない言い方はできないの?」


「なにが? よく食べるのは良いことだと思うけど」


「それよ、それを言い直しなさい! まったく、クレアは年頃の女の子なのよ! デリカシーがないんだから」


 チラリと見ると、ウェルティナが師匠の耳をぐいぐい引っ張っていた。

 

「相変わらずー、仲がいいねー」


 そこに、ベーチェルがのほほんと言った。

 私は気になって、訊く。

 

「ベーチェルが知った頃から、あの様子なのか?」


「うんー、そうだね。賢者とウェルティナ姉さんは昔からああだよー」


 なるほど。

 

「殿下、どうしたのですか? 難しい顔をしてますが」


 アイラが私の顔をのぞき込む。

 そんな顔をしていただろうか……。

 

 頬を揉むようにして、顔を戻す。

 

「それで、師匠! 私たちは具体的にどうすればいいのですか?」


 ようやくウェルティナから解放された師匠が、答える。

 

「ああ、僕の張った障壁の内側で作業してほしい。魔獣は本当に大量にくるだろうから、解体できるだけでいいよ。あとはウェルティナが回収するから、時間のあるときにやろう」


「わかりました!」


 私は大きく返事をした。

 

 

 ***

 

 

 それから、もう一刻ほどが経つ。


 その後、師匠は障壁を張り、探知の魔法を唱えた。

 今はその制御を続けている。

 

 ウェルティナとベーチェルは、目の前で嬉々として魔法の乱舞を繰り広げている。

 

 私の横では、アイラが動いていた。

 アイラは今も魔獣の皮を剥ぎ、内臓を切り出している。

 

 その動作は洗練され、流れるようだ。

 実はこの刃物は師匠に渡されたもので、切れ味が鈍らない魔法の道具だ。

 

 しかし、彼女のその目は虚ろだった。

 

 ……たぶん、私も似たような目をしているだろう。


 師匠の言う『大量』を見誤っていた。

 普通の町なら今頃更地になっているだろう。

 それくらいの規模だ。 


 また今の私は、ファルシウェン王都に構えている肉屋――王宮にも肉を卸している――を涙なくして称えることができない。


 ――――解体・精肉というのは、これほどの重労働だったのだな。


 そしてなにより、これは精神が参ってしまう。

 

 血の匂いというのは、なによりも人が反応してしまうものだろう。

 そして、生肉特有の匂い。

 

 匂いだけでこれなのに……。

 感じる生暖かさと目に入るものに、本能的に不快になる。

 

 耐性のない者は、まず吐くだろう……。

 そもそも作業すらできないかもしれない。

 

 

 だが、食べるためには必ず必要なことだ。

 

 

 いつも誰かがやっていることで、私たちはそれを知っていないだけなのだ。

 

 それは、悪いことではないかもしれない。

 しかし、正しいとは言えるだろうか。

 

 食べるためとはいえ、命を奪いさらにその身を切り刻むことを、手放しで良しとしていいのだろうか。

 

 それは、罪ではないだろう。

 人は、生き物は、何かを食べなければ生きてゆけない。

 それは間違いのない事実だ。

 食べることを罪としてしまうことは、命を否定することに他ならない。

 

 だから、私たちは受け止めて、考えて、抱えなければならないのではないか。

 その重みを。

 

 そうでなければ私たちは、無意識に命を奪い続けていることになってしまう。

 それは、とても恐ろしいことなのではないだろうか――――。

 

 そのとき、私の手の甲に温かなものが落ちた。

 同じ温かさのものが、頬を流れていくのを感じる。

 

 私は、ゆっくりと立ち上がった。

 

 雪が舞い落ちる空を見上げる。

 風が吹き付けるが、やはり冷たさは感じない。


 先ほどと同じように、師匠のワッペンがある懐の上に、手を置く。


 服の上からでも、刺繍の凹凸がわかる。


 そしてその下に、確かに脈打つ、私の鼓動があった。

 

 



 

エルクというのは、英語でユーラシア大陸のヘラジカのことです。

ヘラジカは巨大生物です。

場所によっては『森の王』と言われています。

カッコイイ称号ですよね。

……ただ交通事故で、毎年数百人の被害があります。


また、今話はちょっとスプラッタだったかもしれません。

いや、流血表現はないからスプラッタではないかも?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ