7話 賢者の仕立、そして北の大陸
「「寒い!!」」
クレアとアイラが同時に叫んだ。
地面には、雪が積もっていた。
それも脛の半ばほどまで。
今も雪は、しんしんと降り続けている。
目の前には――視界はおぼろげではあるが――峻厳な山並みが見える。
その裾野に、僕たちはいた。
見渡す限りは、ほぼ白色で塗りつぶされている。
まばらに生える木だけが、白の世界の異物だった。
吹きすさぶ風は、まるで肌を刺すように冷たい。
そしてその風音が、耳に聞こえるただ一つの音だった。
そこにあるものすべてが、人の存在を拒んでいた。
そう、ここは北の大陸。
僕たちは、その厳しい大地にやってきた。
***
「さ、寒い。こ、こんなに寒いなんて……予想外だ……」
「ほ、本当ですね、殿下……。これほどの寒さは、初めて、です……」
それはそうだろう。
なにせ、もう秋になろうかといっても、僕たちがいた大陸は温暖だ。
そこからいきなり寒冷の土地にやってきたのだから、実際以上の寒さを感じるのは当たり前だろう。
そう、僕たちはいつもの通り――と言っていいのか――転移魔法によってこの地にきた。
もちろん所要時間は一分もない。
話が終わった後、一刻ほど後に僕たちは転移した。
実は、準備することなどそれほどなかったのだ。
障壁は常時張ってあるから戸締りはいらないし、そもそもやろうと思えばいつでも行き来できるのだから。
着替えなどの荷物ですら、ウェルティナに預けているので手ぶらだ。
旅好きの人間には、羨ましがられるのか憤慨されるのか、どちらだろうか……?
また人前に転移しないように、この何にもない自然の真ん中を転移先にした。
ファルシウェン王国では見れないだろう絶景だ。
しかしそんな余裕は、クレアたちにはないようだった。
やる気満々の様子だったクレアも、この寒さには敵わなかったらしい。
それでも、クレアとアイラはかなりの厚着だ。
クレアは、もこもことした恰好が愛らしい。
アイラは……うん、メイド服だった。
生地は厚手になっているし、スカートの中は素足ではないし、コートも着ている。
しかし、メイド服だ。
コートですらメイド服の一部に見える……。
そういえば……アイラがメイド服以外の恰好をしているのを見たことがない……。
だが、僕はそれ以上先の思考を止めた。
……触れてはならないものが、世にはあるのだ。
「……仕方ないさ、こういう所なんだよ。北の大陸っていうのは」
「そうそうー、それにほとんど何にもないんだよー。だから雪に突っ込まないようにねー、すれすれを飛ぶのが楽しいんだよ」
精霊は、寒いとか暑いといったことで活動に支障をきたさない。
だからそういった感覚には無頓着だ。
「たしかに、人がいる土地はとても少ないな」
ベーチェルの言葉の前半部分に対して返す。
後半は無視だ。
「ねえ、呑気におしゃべりしているとクレアとアイラが凍えちゃうわよ」
すると、ウェルティナが震える二人を指して言った。
「し、師匠は、さ、寒くないのですか!?」
クレアが歯を鳴らしながら聞く。
「ああ、僕のローブは寒さを遠ざける魔法も付与されているから」
あと十数個ほど、いろいろな魔法がかかっているが。
「えっ……」
クレアは、まるで信じていたものに裏切られたかのような、悲し気な表情になる。
目から光が消えかかっていた。
そこまでのことだったろうか……。
「大丈夫、クレアたちのことも考えているよ。まあ、最初くらいは肌でこの寒さを知ってほしかったんだ」
そう言って頭をポンポンと叩くと、クレアの目に光が戻った。
「はい!」
元気な返事に、思わず口角が上がった。
そのままクレアから目を外して、辺りを見回す。
「そうだな、あそこらへんでいいか」
少し離れた場所の、平らな地面を探し出した。
そして魔法を唱える。
「≪建造≫」
滑らかな灰色の石による立方体がそそり立った。
その大きさは、僕の家の風呂小屋より大きい。
そして僕たちから見て真正面には、人が通れるだけの縦の穴が開いている。
「とりあえず、アレのなかに入ろう」
***
穴の部分には、引き戸の扉があった。
その先には、また引き戸。
それを抜けてようやく、建物の中に入ることができる。
内側は光源がないので、真っ暗だ。
「≪灯火≫」
魔法を唱えると、天上近くに一抱えほどの光の玉が現れる。
それによって、中は明るく照らされた。
中は区切りの一つもない、大きな一つの部屋になっていた。
要するに、建物はただの箱なのだ。
部屋は上下左右同じ材質によってできていて、継ぎ目が見当たらない。
魔法でつくると、そういう現実味のないものができる。
「≪加熱≫」
さらに、冷え切った室内を壁や床ごと温める。
もちろん暑すぎない適温に。
「さて、と。ウェルティナ、適当な机と椅子を出してくれ」
「わかったわ」
ウェルティナは、うーんと眉間にしわを寄せて考えた後、長机と長椅子を取り出した。
それらは木製だったので、灰色の石材に囲まれたこの部屋では温かみを感じる。
僕は座り、対面の席を示して言った。
「クレアたちも座ってくれ」
……。
反応がない。
「……こんなしっかりした建物が、魔法ひとつでできるのだなあ」
「……いえ……おそらく賢者様としては、これでも手を抜いているのだと思います」
「……これほど建材を出せるだけでも、十分すごいのだが」
「……ええ、これだけの石材を一度に生成できるだけでも、すごいことです」
「……ファルシウェンの王宮建設時、最大の障害は石材の輸送だったそうだ」
「……王宮でも城でも、一瞬で建てられそうですね」
二人は虚ろな目で、部屋の中を眺めていた。
「アイラ―、もしもしー」
「クレア、しっかりしなさい」
精霊たちがそれぞれの頬をペシペシと叩く。
「おーい、二人とも」
「はっ! 師匠、なにか言いましたか?」
「はっ! 賢者様、なにか御用ですか?」
ああ、正気に戻ったようだ
「そっちに座ってくれ」
***
まずクレアたちは必要のない上着を脱いだ。
そしてクレアたちが着席して、僕は話を切り出す。
「実はクレアたちにも、防寒のための魔道具を用意してある」
僕は懐から、二つのワッペンを取り出し、机に置く。
ワッペンには、細やかな刺繍がされていた
しかし、その刺繍が表す模様は何なのか、よくわからない。
「これは持つ者に対して、もろもろの防寒に関する恩恵を与えるワッペンだ」
冷風をそらす、水が滲みない、熱を逃がさない、等々。
「師匠、そんな便利なものがあるのですか?」
「効果に対して随分と小さいものですね?」
クレアとアイラがそう聞いてくる。
う、答えづらい……。
「それはね、クレア。刺繍によって魔法陣を縫い込んでるの。不器用な誰かさんがなにを思ったのか、昔チクチクと針仕事をして作ったものなのよ。だからほら、見た目は汚い刺繍でしょう? 魔術的には問題ないけど」
「へええー、賢者ってばそんなことしてたのかー」
…………精霊って、やつは。
「「師匠(賢者様)の手作りなのですか!?」」
クレアとアイラが驚いて僕を見る。
僕はしぶしぶと答えた。
「……そうだ、昔僕が作ったものだ。刺繍なら、小さく手軽なものが作れるかもしれないと思ったんだ」
「嬉しいです! 一生大切にします!!」
へっ?
「いや、あげるとは……」
言っていない――と僕は、続けられなかった。
クレアが、ウルウルとした目で僕を見つめていた。
両手でワッペンを胸元に握りしめ、瞳が絶対に手放さないと言っているような気がした。
そして、クレアに向けて半ばまで伸ばした僕の腕。
そこだけ見れば、僕がクレアをいじめているような構図だった。
なぜだ。
なぜ、ありもしない罪の罪悪感を感じるんだ……!
しばしの間、その膠着状態は続いた。
……僕は白旗を揚げた。
「……わかった……それはクレアにあげよう」
「ありがとうございます、師匠!」
クレアは満面の笑みを浮かべた。
そのままクレアは、ニコニコとワッペンを見ている。
うん、喜んでくれたようで僕は嬉しいよ?
……でもこの複雑な気持ちは、なんだろうか。
「ふふふ、賢者様は刺繍が苦手ですか。そうですか、うふふふ」
アイラはアイラで、先ほどからなにやら笑みを浮かべている。
それに、「メイドの勝ちです」「初白星です」などと言って一層口角が上がる。
アイラは、うふふニヨニヨと相好を崩している。
……なにこのメイド、怖い。
だが、針仕事が苦手であるのは事実だ。
このワッペンも、僕の刺繍では使ってる素材の性能を引き出し切れていない。
費用対効果の考えられていない代物になってしまった。
しかも、いくつかの魔法陣を縫い込むことが限界。
要するに失敗作なのだ。
防寒程度のことが精一杯では、僕が考えた本来の用途には利用できない。
……それに見た目が悪いのも、否定できない。
僕に、芸術家の才能はないのだ。
はあ。
何に対してか、ため息が漏れた。
書くまで、ワッペンなんて出てこなかったんだけどな……




