1話 賢者の眠気
麗らかな昼下がり。
ウッドデッキで揺りいすに深く腰掛けながら、僕は迫りくる睡魔と戦っていた。
まるで自分というものが世界に溶けてしまうような心地だった。
その魅力に、抗うことなどできはしないと理解している。
だが、僕はそれでもその無謀な戦いに赴かなければならなかった。
なぜ、な……ら……。
……。
…。
***
「師匠ー、終わりました! ……師匠?」
「あんたってやつは、何寝てんのよ!」
いたたっ!
耳に激痛が走る。
「! ウェルティナ、いきなり何てことするんだ!?」
目を開けると、ウェルティナがいつの間にかいた。
傍らには苦笑気味のクレアもいる。
そして、ウェルティナが僕の耳を引っ張っていた。
のびるから! ちぎれるから!
僕は彼女の手を振りほどく。
「弟子に修行させといて、あんたは優雅に昼寝かしら…? このくされ師匠!」
「くされ……。寝ていたのは悪かったけど、そこまで言われることか……!?」
「器用に座ったまま、気持ちよさげに寝入っている師匠なんて……弟子から見たらどうなのかしら?」
ぐっ。
……途中までは頑張っていたんだけどなぁ。
いつ寝入ってしまったのか、まるで憶えていない。
「ま、まあこの陽気だから、師匠がそうなってしまってもしょうがないことなのだろう。ウェルティナ」
クレアの言葉に、ウェルティナがやれやれというような仕草をとる。
「はあ、弟子にここまで気遣われる師匠ってどうなのよ?」
それは……ダメだな。
「……すまなかったな、クレア。睡魔に負ける惰弱な師匠で……」
だからここは、良くできた弟子へ誠意を見せるのが一番だろう。
「師匠、謝らないでください! それに師匠は、絶対に惰弱なんてことはありませんよ!!」
なんて良い子なのだろうか……!
僕は無意識に、彼女の頭に手を伸ばしていた。
「し、師匠……?」
「いや……僕は幸せ者だな、と思ってね」
ウェルティナが「はあ、まいどこの師弟は……」とこぼす傍ら、僕はなぜか顔を赤くしたクレアを撫でた。
「ひと段落したのでしたら、休憩に致しませんか?」
すると、アイラがお茶のセットを乗せたお盆を持ってやってきた。
僕は手を下ろし、答える。
「ああ、眠気覚ましにもちょうどいいかな。ウェルティナ、いつもの出してくれ」
「はいはい」
少し残念そうな顔をしたクレアがさっと退くと、ウェルティナがもう恒例となったテーブルセットを虚空から出した。
そこにテキパキとアイラが用意を始めた。
***
時々吹く風に、冷たいものを感じることもある今日このごろ。
僕たちは机を囲っていた。
ウェルティナとクレア、アイラがそれぞれ楽しそうに話をしている。
その光景を眺めながら、僕は思い耽っていた。――――
前に『穏やかな』日常を願ってから、もう五か月。
クレアたちがここにきてからは四か月が経った。
僕の『穏やか』はどこかへ消え去っていた。
ここ最近は、昨日と今日ではまず違うことが起こっている。
それで今のところ、悲しいことも辛いこともない。
なかなかに楽しいといえる日々を送っている。
しかしそう、クレアたちは進み続けているのだ。
それにつられるように僕は、『なにもしない』とはできなくなった。
停滞は破られた。
止まり滞ることはできなくなったから、『穏やか』ではなくなった。
そして進めば、おそらく何かが起こる。
それは、楽しいことや嬉しいことかもしれない。
または、悲しいことや辛いことかもしれない。
けれど僕は、今をそれなりに気に入っている。
だから今だけは、何が起こったとしても受け止めよう。
この日々を、素晴らしいものだったと、いつか言えるように。
――――ふと気づくと、目の前にクレアの顔があった。
「師匠、師匠! 聞いていますか、師匠?」
どうやら、考え事にのめりこみ過ぎたようだ。
「なんだい、クレア?」
「いえ、師匠がなんだか……とても悲しそうだったので……」
ああ、そうか――。
「なんでも、ないさ。少し考え事をしていただけだ」
クレアは、「なら、いいのですが」と心配げに言った。
こちらをチラリと見たウェルティナが声をかけ、クレアは会話にもどった。
クレアは結構、鋭いのかもしれない。
――僕は、おそらく悲しんでいるのだ。
なぜならそう、いつかこの日々は過ぎ去るだろうから。
それは変えようのない、絶対の事実だ。
そして、僕はまた停滞し、『穏やかな』日常に戻るのだろう。
この日々の、何かしらの代償を得た上で。
僕は、そのとき、何を思うのだろうか。
一陣の風が吹き、柔らかな木漏れ日を揺らす。
僕にはもう、ひとかけらの眠気もなくなっていた。
もっと、軽くしようとしたのです。
でも賢者に平穏を語らせると重たくなったのです。




