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 季節は一巡する。

 北の大地はまだ春も遠く、雪解けの気配はない。

「昨日雪が凄かったでしょう?雪に埋まった町もあったらしいわよ」

「聞いた聞いた。雪の重みで壊れた橋もあるんですって。こっちは酷い事にならなくて良かったわよねぇ」

 食堂で席に着いていると、修道女の話し声が耳に入る。

 聞くともなしに聞きながら、赤く染めた布を三枚重ねて蛇腹に折っていった。理想としては五枚ほど重ねたいところだが、調達出来そうにはない。

 中央を紐できつく結び、折り重なるそれを一枚一枚開いていく。

 そして開き切った布の花は美しく――出来ているわけがなかった。ひらは少なく繊細感ゼロ。なよなよとした頼りない花になってしまった。

 緑に塗った枯れ枝を花にくっつける。これだけでは寂しいので、葉っぱも作ってくっつけた。これで布の造花の完成である。

 その出来栄えに微妙な気持ちになるが、仕方あるまい。今はこれしかないのだ。

「花ですか?」

「うん。これから外に出たいんだけど、いい?」

「いいですけど、どちらに?」

「雪が積もっている所」

 その大雑把な言い回しに、アリアンナは怪訝そうにしながらも頷いた。


 この修道院のある町は、北方地域の中でも比較的大きい。

 それでも中央寄りの修道院から町を出るまでに、十五分程度しかかからない。

 雪掻きを終えた道を進んで町から出ると、途端にそこは一面の雪景色へと姿を変える。人の踏み入った形跡もなく、大地を覆う滑らかな白銀はあまりに美しい。今から差そうとしているこの造花が、余計に悲惨に思えた。

「アリアンナはそこを絶対に動かないでね」

 強く言い置いてから、雪原に足を踏み入れた。途端に足がずぶりと深く沈んでいく。早く進まなくては、身動きが取れなくなってしまいそうだ。

 えっちらおっちらと進み、適当な所で造花を雪に指した。そしてアリアンナの所まで引き返す。

 アリアンナは不思議そうに私と造花を交互に見た。


「何をなさっているんですか?」

「風流ってやつよ」

「フウリュウ?」

 やはり伝わらないか。それも仕方がない。

 雪に差した赤い造花は発色が良いとは言えず、壮大な白銀色の中でただのごみの塊と化していた。

 あまりに不恰好で、あまりにみすぼらしい。

「……ねえアリアンナ。ずっとここにいたい」

「それはいけません」

 アリアンナはきっぱりと言い放つ。彼女はここでは誰よりも親身になってくれる。だけど私がこの場所を望む事だけは許してくれない。

 ハサミを取り上げ、ナイフを取り上げ、ただひとつの道だけを歩ませようとする。


 今日、この日に、グランツが迎えに来るという未来を。


 アリアンナが長衣のポケットから一通の封筒を出す。静かに告げた。

「グランツ様からのお手紙です」

 受け取る事など出来なかった。しかし無言で拒んでもアリアンナは諦めてはくれない。

「受け取らないのでしたら読み上げます」

「ダメ」

「でしたら自分で読んでください」

「嫌」

「マシェリー様」

 強く窘められても拒絶を続ける。

 造花を取りに行こうとしたところ、背後でかさかさと紙の擦れる音を聞いた。

「やめてよ!」

 アリアンナは制止も構わず手紙を開いた。

 その目が文字を追う。私の体は金縛りにあったように動かなくなった。目は手紙に釘付けになる。

 アリアンナがゆっくりと視線を上げた。澄んだ瞳で私を捉え、口を開く。

「もうすぐ全てが終わる。エスキオラ家に降りかかった汚名を――どこいくつもりですか!」


 全てを聞き終える前に走り出した。アリアンナの声が追ってくる。

 どこに行く?そんなもの決まっている。

 町に入り角を何度も曲がって走り抜けた。道は滑りやすくなっていたため、何度か転んで手をつく。長衣の裾はすっかり泥で汚れてしまっていた。

 民家の壁に寄り掛かり、息を整える。耳をそばだてて追ってくる足音を探った。どうやらまけたようだ。彼女は今頃町中を探し回っているだろう。

 裏通りを通りながら、修道院への道を取って返した。

 修道院に併設された礼拝堂の中には、大人一人屈んで通れる程度の高さしかない小さな扉がある。その向こうにあるのは、洗礼のために使う特別なハサミと、切った髪を乗せるための小さな台だ。

 本来はそれを使用して洗礼が行われる。

 修道院に一年もいたのだ。その情報を得ていないはずがない。私はそれを使って、今日、洗礼を行うのだ。

 グランツがこの町に来る前に。


 アリアンナが応援を呼んでいる可能性もあるため少し様子を見ていたが、修道院からは慌ただしい気配は伝わってこなかった。一人で捜しているのだろうか。アリアンナに限ってそんな効率の悪い事をするのだろうか。

 不思議に思っていると、答えはすぐに分かった。

 参拝時間であるために民衆に開かれた礼拝堂の門を抜けると、その先にはアリアンナの姿があった。

 彼女は私の姿を認めるなり、ぎらりと怒りを閃かす。

「マシェリー様の考えている事くらい分かります。一年も一緒にいましたから」

 腰に手を当て、礼拝堂の扉を塞ぐように立った。

「ここは絶対に通しません」

 私は小さく笑った。何もかもお見通しか。


「だけどアリアンナ。約束の一年は経ったわ」

「しかし今日という日はまだ終わっていません」

「あなたも聞いたでしょう?橋が落ちたって。ふふっ。今頃立ち往生しているかもしれないわね」

 アリアンナに懸念の色がよぎった。

 横をすり抜けて中に入ろうとしたけれど、長衣を掴んで引き留められる。気の強い双眸が真っ直ぐに私を捉えた。

「仮にグランツ様の身に何かあったのだとしても、待たない理由にはなりません。よって黙認する事は出来ません。どうか思い留まってください。それに院長もお認めにならないと思います」

「じゃあ髪を切るだけにするわ。どうせ聖職者が立ち会わなければ儀式は行えないんだし」

「分かっているなら今やる必要もありませんよね」

「止める必要だってないでしょ」

「止めます。絶対に留まらせてみせます」

 睨み付けても、アリアンナは一歩も引かずに睨み返してくる。

 それがある人物と被った。

 張った気が解け、視線が勝手に逃げる。緩んだ隙間に彼女は言葉を捻じ込んでくる。


「グランツ様は私の恩人です。混血というだけで酷い扱いを受けて逃げ出した私を助けてくださり、ここまで導いてくださいました。ですからあの方には幸せになってほしいと思っています。

 だけど私は、グランツ様とは関係なくあなたにも幸せになってほしい。これが一年間、あなたを見てきた私の願いです」

 力強い声に嘘偽りは見当たらず、彼女は真実それを心から願っているようだった。

 私は薄ら笑う。

 アリアンナがグランツの味方につけばつくほど理解する。彼が如何にあちら側につくべき資格を持った人間なのか。

 悪役の私と相容れるはずない。

「グランツの元へ行って、私が幸せになれるとでも?私の親を見殺しにしたのよ?」

「マシェリー様がグランツ様を拒絶する理由は、本当にそれですか?」

 アリアンナは私を引き寄せて畳み掛ける。

「自分を待っている人を切り捨てないでください。立てない時は寄り掛かって休めばいい。きっとグランツ様はそれを望んでいるはずです。

 どうか今日一日だけ待ってください。お願いします」

 光に当てられて、眩暈を覚えそうになった。震える足に力を入れて、笑みを作る。口元が変に歪んだのを感じた。

「いいわよ。どうせ私がここから出る事なんてないんだから」



 ステンドグラスを通して、月明かりが礼拝堂に差し込む。

 御神体の前に膝をつき、手を組んで祈る姿勢を取りながら呪いの言葉を神に向ける。

 日付は変わろうとしているにも拘わらず、グランツは現れなかった。アリアンナは今でも彼を信じて、門の前で待ち続けている。

 どうせ変えられない運命なら、期待する意味もない。

 私は悪役なのだ。

 生まれた時から定められた、ヒロインを引き立てるためだけに存在する。

 あの漫画に悪役が救われる描写はなかった。完全なる破滅で幕を閉じたのだ。


――あなたが正しかったのね


 ヒロインを認める、ただその言葉だけを残して。

 悪がどうして正義に抗えようか。グランツは来ない。それこそが何よりの証明だ。

 傍らに置いていたハサミを取った。

 洗礼は地上の穢れを纏った髪を切り、神に浄化してもらう事で完了する。

 髪を切れば、悪役という因果も浄化されるのだろうか。

 馬鹿馬鹿しい事を考えながら、ベールを取ろうとした。

 背後の扉が重い音を立てる。停滞していた空気が動いた。

 私以外の誰もいないその場所で、音は反響し、礼拝堂に満ちる。余韻が消えるのも待たずに声が響いた。


「マシェリー!」

 神聖な場所に踏み入れる者のそれとは思えない、性急で荒々しい足音が近付いてくる。

 ええい。シカトだシカト。もう日付は変わったのだ。

 しかし乱入者はハサミを奪い取った。私は聞こえよがしに舌打ちを打つ。

「参拝時間はとっくに終わっていましてよ。早くお帰りになったら?」

 冷ややかに突き放して振り返り、言葉を失った。

 一年振りに見た彼は、記憶よりも随分老け込んだように思えた。常に清潔に保たれていた身形も、今や酷い有り様だ。ここまでの旅路が無茶を通してきたものだとすぐに知れた。

 眉根を寄せたら、グランツは焦ったように服の皺を伸ばして髪を無理に整えようとした。しかし代り映えはしない。

「すまない。気が急いて、すっかり忘れていた」

 思わず顔を顰める。そういう事を言いたいのではない。字がまともに書けなくなるほどの怪我をした人間が、何を無茶なんかしているのだという話だ。

 叱りつけてやりたかったけれど、調子に乗らせるだけなので黙するに限る。

「会いたかった。ずっと」

 膝をついた彼が手を取ろうとするので、素早く後ろに回した。彼がキズつくのを見るのも一年振りだ。一瞬だけ言葉に詰まった。


「……もう夜も遅いんだから、宿へ行ったらどう?」

「そうはいかない。君が私の元に来ると言ってくれるまではここを離れない」

「そう。それなら私が去ります。ご機嫌よう」

 立ち上がって速やかに去ろうと試みるも手を取られた。簡単に振り払える強さだったにも関わらず、そう出来なかった。

 私の手だって随分冷えているのに、なおも分かるほどにグランツの手は冷たい。

「全てが終われば、私の妻になってくれるという約束のはずだ」

「そんな約束いつ交わしたかしら。契約書はお持ちなの?」

「君が今まで髪を切らずにいた事がその証にはならないか?」

 ベールを取られる。一年間伸ばしたままの髪が、月明かりに落ちた。

 グランツは眩しそうに目を細め、別の感情を乗せる。柔らかく、それでいて閉塞的で、一途なものだ。

 私の手を両手で握り込み、まるで祈るように胸にそれ引き寄せる。


「愛しているんだ、マシェリー。ずっと昔から、君だけを思い続けてきた」

 ご神体の背負う月光によって、彼の表情はよく見えた。

 私が幼い頃から見てきたはずの、頼りになる幼馴染みのお兄さんの顔はどこにもない。どこまでも、真剣に、真摯に、目の前の女に恋い焦がれる男の顔だ。

「私と共に生きてほしい。この先も、ずっと」

 その思いはこの一年でより強固なものになっているように感じる。

 だけど心からマシェリー・エスキオラを望む男に、私はキズつけるためだけの言葉を向ける。

「嫌よ。あなたはお父様やお母様を見殺しにしたもの」

 彼の瞳から、表情から、悔恨が噴き出した。唇を噛み締め、私の手を握る力を強める。

 そのままそれを額に当てる姿は、神への懺悔に見えた。


「私の力不足だった。……すまない」

 重苦しい声だ。いくつもの感情が混じり合い、圧縮され、鉛玉よりも重い重量を持って落とされる。

 立ち上がったグランツの腕が私を抱き寄せた。きつく抱き締めてくる彼から震えが伝わってくる。

 どちらかと言えばそれは、私のためではなく、彼が立ち続けるためのものだったに違いない。自己嫌悪と悔しさで崩れ落ちそうになる足を、私という支えをもってどうにか立っている。

 この一年――いや、ここに至るまでの長い時間。

 彼が何を果たし、何を思い、何を犠牲にしたかなど私は知らない。いつだって穏やかに私と接し、手紙の中でさえ、私を恋う以外の弱音は語らなかった。


「……お父様は暗殺の首謀者じゃないわ」

「知っている」

「エリシアの誘拐なんてしていない」

「それも知っている。アルバトラ公爵によって罪をなすりつけられのだと証明された。君達一家にかけられた汚名は、やっとそそぐ事が出来たんだ」

 グランツの手が私の頬を覆う。当たる肌は酷くかさついており、頬にこすれて痛かった。

 そこで初めて気が付いた。彼の指が欠けている事に。これでは満足に字を書けないのも当然だ。

 失ったものを彼は語らない。

 お前の所為でなくしたのだと責めればいいのに。

 もしくは恩着せがましく言えばいいのに。

 彼はそれをしないのだ。

 一年前と同様に、ただただ切実に望むのはひとつだけ。


「マシェリー。私の妻になってくれ」

「嫌よ」

「それならせめて、私と共に来てくれないか。ここはあまりにも遠すぎる。私は君の顔を毎日でも見たいんだ」

「嫌!あなたとは行きたくない!」

「それほど私を赦せない?」

 仄暗さの増した笑みは自嘲を含んでいた。

 声が喉につっかえる。否定は言葉にならなかった。

 グランツは己を責める。自分が力不足だったためだと。その必要は、ないというのに。

 唇が震えた。

 目を逸らし続けていた事が、ただの記号にしてばらばらに撒いていたものが、急速に目の前で組み立てられていった。

 底の見えない崖下から、暗闇が、手を伸ばす。

 それは肉の腐りかけた手であり、血濡れた手でもあった。


 恨んでいるのは、エリシアでもグランツでもなかった。

 エスキオラ家に全ての罪をなすりつけたアルバトラ公爵でさえない。

 一番許せないのは、自分自身だ。

 グランツはきっと私以上に私の運命を変えようとしてくれていた。

 だけど私は何をした。流れる運命を指をくわえて見ていただけだ。

 記憶をもってしても運命を変えられなかった自分が許せない。

 父の王弟への思いを聞いて運命を変えられた気になっていた自分が、許せない。

 もしもの話は、幼少時代にまで遡る。

 私が動けば何か変えられたかもしれない。もっとお父様やお母様と真剣に話し合えば良かったのかもしれない。賢しらに理解を示さず、静観しなければ良かったのかもしれない。

 機会ならいくつもあった。その全てを見て見ぬ振りをしていた。

 漫画の記憶が蘇った事は、最後に与えられたチャンスだったのだ。だけど手元に下りてきた攻略本を、私は何一つ活用出来なかった。


 向き合うのが怖かったのだ。

 両親が死んだのは自分の所為でもあるのだと、その事実からひたすら目を逸らしていた。

 だって後になって考えても、無意味じゃないか。もう全て終わってしまった後なのだ。

 喉が震える。吐き出した声も、滑稽なほど震えていた。


「もういいじゃない。疲れたの。純血だとか混血だとか。ヒロインだとか悪役だとか」

 ずっと、割り切る事で心の平静を保ってきたのだ。

 割り切らなくては耐えられなかった。

 前世の記憶も、現世との価値観の違いも、貴族社会の理不尽さも。

 好きな人が、手の届かない場所に行ってしまった事も。

 だから結末さえ、割り切るつもりだった。私は所詮悪役だから、こんな運命をたどったのだと。

 グランツがここに来なければ、やはりそうなる運命だったのだと、ひとつの証明になると思った。


「もう何も見たくないの。お願いだから私に構わないで。王都になんて戻りたくない」

 修道院の安寧とした生活を手放したくない。

 罪の意識を神への憎しみに変えて、祈りの時間に罵倒しながら過ごしていたい。

 院長が聞けば卒倒しかねない邪な心を、しかしグランツはあっさりと認めた。

「分かった」

 随分と簡単に投げ返されたものに、望んでおきながら困惑した。もっと追いすがるものだと思っていた。勝手な失望に自己嫌悪する。

 グランツを押しのけようとしたけれど、逆に引き寄せられた。

「マシェリーが望むならそうしよう。だけどここは遠すぎる。マキウス家の領地ではだめかい?王都に比べればこの町にも近い。アリアンナにだって頻繁にとはいかないが会いに行ける。仲良くなったんだろう?」

「あの、え?」


 思わず顔を上げた。

 月明かりの中で見る柔らかく浮かべた微笑みは、これまで散々私を甘やかしてきたものだ。

 どんな我儘も聞き入れてくれた。振り回しても嫌な顔ひとつせず、むしろ楽しそうに遊んでくれた。街に連れ出してくれた。

 この青白い光の中では分からないけれど、私を見つめるのは今もランプに火を灯したような、穏やかな色なのだろう。

 グランツの手が私の後頭部に回った。広い胸に顔を押し付けられた。視界は真っ暗に染まる。

「マシェリーがこれまでどんなに頑張っていたか知っている。逃げてもいい。目を逸らしてもいい。だけど逃げ場所は、私の元にしてほしい。何も見たくないのなら、私を使ってほしい。私が君の目を覆ってあげるから」


 彼の服もまた冷えていたけれど、体温と鼓動は確かに感じた。

 背中に腕が回る。壊れ物を扱うように大切に、それでいて手から滑り落ちないように強く。

 体が震えた。胸から競り上がってきた感情が、喉を通り、目の裏にたどりつく。


 今、支えているのは、どちらだろう。


 寄り掛かっているのは、どちらだろう。


「私は何も頑張っていない」

「頑張ったよ」

「状況を悪くさせただけ」

「マシェリーがいなければ、混血の生徒達への扱いはもっと酷いものになっていた」

 否定しても否定しても、グランツは肯定をくれた。

 頑なな心を解そうとする甘言に、喩えこの一時だけだとしても傾きそうになる。

「何で、そんなに甘いのよ」

 目を固く閉じて零すまいとしているのに、無様に震えた自分の声が、情けなさと惨めさを助長させた。

 それでもグランツは、私のどんな醜い部分さえ包み込んで甘やかす。

「君が大切だからだよ」


 執念深い人だ。何故そこまで私に執着出来るのかが分からない。

 愚かで、浅はかなマシェリー・エスキオラ。

 私はこんな自分が世界で一番嫌いだというのに。

 彼は耳元で囁くのだ。優しく優しく、蜂蜜にも似たしっとりとした甘さを多分に含んだ声音で。


「愛してるよ、マシェリー。世界で一番」


 唇を噛みしめる。俄かに温かくなっていく胸に顔を押し付けた。


 外の世界が怖い。

 未来が怖い。

 愚者の自分がたどった過去と向き合うのが、怖い。

 修道院という、世間から切り離され、王都からも遠いこの場所なら、逃げられると思った。

 耳を塞ぎ、目を覆ったなら、何も知らないでいられると思った。


 だけどグランツがいてくれるなら――


 躊躇いがちに手を伸ばす。

 抱きしめ返す事は出来ない。彼の手を取る勇気もない。


 だから私は、グランツの服をそっと握った。


 

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