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11話から3話連続投稿しています。

 

 送られた修道院は、王都からは離れた北方ののどかな場所にあった。

 建物は芸術性を重視していた王都のものと比べれば質素だが、その分地域に根付いた親しみと温かみに満ちている。

「よく来たわね。長旅で疲れたでしょう」

 修道院の院長は慈愛の笑みを湛えた。修道院の雰囲気にとてもふさわしい人である。私は伸ばした背筋でお辞儀をする。

「これからお世話になります。マシェリー……エスキオラと申します」

 先祖が王より賜った領地の名である『エヴァンス』は、もう名乗れない。それでも滑らせそうになり、自嘲の笑みがこぼれた。

 私をここまで送り届けた兵士を見送り、改めて院長に向き直った。

「洗礼は今日中に受けられるものなのですか?」

「いけません!!」

 突然声が割って入った。

 今の今まで院長の後ろにいた、私とそう年の変わらない浅黒い肌の少女が、赤毛を揺らして捲し立てる。

「マシェリー様は一年、俗世におられなくてはいけない身のはずです!」

 鼻息の荒さに思わず一歩引いた。

 この子は私の事情を知っているのか。それとも修道院全体に広がっているのだろうか。顔を顰めたら、少女は慌てて背筋を伸ばした。


「突然失礼しました。修道女見習いのアリアンナと申します。このたびマシェリー様と同室になりお世話をさせていただく事になりました」

 お辞儀はきっかり十五度。しかし私はもう恭しくしされる立場にはない。

 苦々しく思いつつ、少女の様子に疑問を覚えた。少女の瞳には責任感が燃えており、責務を全うしようという意気込みが見て取れた。初めてのお使いを果たそうとする子供の如く純粋なやる気である。

 見張り役だという事は分かった。しかし一体何だというんだ。

 互いにじっと目を合わせながら、一方はめらめら、一方は戸惑いの空気を纏うこの奇妙な構図は、院長の咳払いで薄らいだ。

「マシェリーさんは一時預かりとしてこの修道院で生活してもらいます。もちろん、生活は修道女達と同じです。朝と夜に祈りを捧げ、神に代わって人々に施しを与えます。アリアンナ。部屋に案内してあげなさい」

「あ、はい。マシェリー様、こちらです」

 鞄を取ろうとするので、力を入れてそれを阻止した。如何なる反応を返すか観察していると、彼女もまた力を入れて奪おうとする。しばしの攻防を続けていたら、院長がまたもや咳払いをした。仕方なしにアリアンナに鞄を任せる。


「私は逃げる気なんてないのだから、肩の力を抜いていいのよ」

 修道院の廊下は、エスキオラ邸のそれよりも狭い。二人横に並べる程度の広さを窮屈に感じている自分に気付き、そっと息をついた。

 横を歩いているアリアンナがこちらを窺ってくる気配があった。そっと視線を向けると、目が合った彼女は困った顔をする。

「逃げないけど、洗礼は受けるつもりですよね」

「そうね。確かご神体の前で髪を切ればいいのよね?」

「ダメですからね。一年間は絶対」

「ここの人はみんな私の事情を知っているの?」

「ここに来る事になった経緯は知っていますが、グランツ様とお交わしになった約束までは知られていません」

「……あなたは知っているのね」

「世話係ですから」

 アリアンナは胸を張る。抱く使命はそこまで誇らしい事なのだろうか。

 かくして、私とアリアンナの攻防は幕を開けた。



 *****



 朝の祈りの時間、みんなが手を組んで瞑目し祈りを捧げている間に髪にハサミを入れようとしたら、すかさずアリアンナに止められた。

「マシェリー様!今はお祈りの時間です!」

「じゃあ終わったらいいのね」

「そうですね。外で、私が、切りますから、それまでお待ちください」

「ご神体の前で切って、ついでに投げつけたいのだけど」

「罰当たりも甚だしいですよ!!」

「アリアンナ!マシェリー!静かになさい!!」

 私達は揃って首を竦める。

 祈りの時間が終わり、ぞろぞろと礼拝堂を後にする一行の最後尾について事を済ませようとしたが、当然アリアンナに阻止された。


 髪を切りたがる私と、阻むアリアンナ。

 私が来て数週経った頃には、既に習慣とも言えるやり取りが生まれていた。

 アリアンナの隙をついて何度もセルフ洗礼に挑み続けていると、ついにハサミにさえ触らせてもらえなくなった。

 手元にあるのはレターナイフだけだ。これも金属製だから、磨けば切れ味は良くなるだろうか。

 自室のベッドに腰掛けてレターナイフを見つめながらそんな画策していた夜、アリアンナが一通の手紙を差し出してきた。

 瞬間的に心が冷える。

 宛名には流麗な字で私の名前が綴られ、裏を返すと差出人である、グランツ・マキウスの名が書かれている。


 三日に一度、欠かさず届けられる、グランツからの手紙。

 レターナイフを放り投げて手紙を受け取る。

 封を切らないままろうそくにくべた。火は封筒に燃え移り、黒が侵食して食べ尽くす。見る影もないそれを冷えた心で見つめた。

 手紙の末路を、差出人である本人はおそらく知っているだろう。アリアンナは院長に私の報告を毎日行っているし、院長だってグランツに定期的に手紙を送っている。

 しかし手紙は、そんな事など知らないとばかりに三日に一度必ず届き、夜寝る前にアリアンナから渡される。

 そのアリアンナは燃える手紙を悲しそうに見つめるばかりで決して咎める事はない。

 息をつくと、部屋の唯一の明かりであるろうそくが揺れた。頼りないその明かりは、いつか見た誰かさんの寂しげな瞳のようだった。

 だから手を伸ばして、指先で揉み消した。

 月も雲に隠れてしまった夜は、一瞬にして暗闇になる。

 その暗闇の中で、危ない事をするなとアリアンナに怒鳴りつけられた。



 修道院の奉仕活動には、貧困層への食事の施しも含まれる。週に一度、スープとパンを配るのだ。

 仮が付くとはいえ修道女見習い扱いの私も、例に漏れずこの奉仕活動に参加する。

 私はパンを配る係で、パンを詰めた籠を腕に下げて来訪者を迎え撃つ。

 はずなのだけど。

 施しを求め訪れる人間は数いるものの、なかなか私の方にはやって来ない。他は大盛況なのに。

 一時間近くやっているにも拘わらず、捌けたのはふたつみっつ。籠にはまだ多くのパンが入っている。

 残念な事にこれは今回ばかりではない。毎回毎回そうなのだ。

 アリアンナ曰く、私の顔は綺麗だから近寄り難いのだそうだ。その綺麗な顔が無表情だと、凄味のようなものが出てしまうらしい。

 おかげで修道院に併設されている孤児院の子供達にも不人気だ。生意気盛りの男の子も恐れて注意を聞いてくれる。修道女や修道士が子供に手を焼いた時の呪文は、専ら「言う事を聞かないとマシェリーを連れてくるよ」だ。酷過ぎる。母親譲りの自慢の顔がなまはげ扱いされるなど、あっていい事だろうか。


「これ……お願いします」

 同じくパンを配っていた修道女に籠を渡した。やめて!そんな同情混じりの目で私を見ないで!

 結局今日も他の人に押し付けて、仕事を求めてふらふらする。いつも私に貼りついているアリアンナだが、こういった施しの時間は私から離れて裏方に回っていた。

 その理由が彼女の浅黒い肌にあると気付くのは容易い。

 私は礼拝堂を見やりはしたものの、そこに行く事はしなかった。


 

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