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確かにどこかで聞いた話だなぁとはたまーに思っていましたよ。
一部の貴族の主義だったり、取り巻く環境だったり、国のあり方だったり。
まさかこんな事になるとは思うわけがないじゃない。
だけど自分が隠し持っている秘密を鑑みて、思い込みを改めるべきだったのだ。
有り得ないと思われる事でも、現実には起こり得るのだと。
私、マシェリー・エヴァンス・エスキオラは、前世の記憶を持つ。
そしてこの世界において私は、前世で読んだ少女漫画の、所謂ライバル役である。
つまり、ハッピーエンドのために使い捨てられる踏み台なのだ!
*****
「おみそ汁飲みたい……」
朝食を前に密かに溜息をつく。
パンにサラダにスープ。味付けは毎日変えられてはいるものの、たまにはお米の出る食事をしたい。つやつやの白米に濃いめのおみそ汁。そして出し巻き卵は欠かせない。食べたいよぉ。
などとぼやいても、この国の人間に伝わるはずもない。
だってこれは、私が前世で過ごした国のものなのだから。
木造建築一戸建て。親の実家でちょっと古い。主であるおじいちゃんおばあちゃんは朝は和食派のため、たまにはパンを食べたいと訴えながらも、ご飯とおみそ汁から始まる毎日。
何だか無性に懐かしくなって、一層おみそ汁が恋しくなった。
唐突だが私には前世の記憶がある。
何をバカなとおっしゃるだろうそうだろう。私が一番信じられない。しかし実際あるのだから受け入れるしかあるまい。
ちなみに今の両親は私に前世の記憶がある事を知らない。いや、理解していないと言った方が正しいか。
この国には生まれ変わりという概念が根本的に存在しないのだ。
魂が尽きた時、悪人だろうが善人だろうが、人はもれなく神の御使いとなる。循環するシステムはないのである。
説明しようとしたが上手く出来なかったため、諦めてそのままにしてある。
匙で音を立てずちまちまスープを飲む。なんかもうスープでいいから、茶碗に入れて呷りたい。
やってしまったら大顰蹙を買う事請け合いだ。父の注意は怖くないが、母の放つ冷気に当たるのは御免被りたい。
大人しく粛々とスープを飲む。
こんな歯痒い思いをするのは今に始まった事ではない。しかし最近、頻度が増えている気がする。
おそらく前世の夢を見る回数が増えた事も起因しているのだろう。では何故その回数が増えたのか。おそらく答えは誰も知らない。
「マシェリー。手が止まっているようだが、どうかしたのかい?」
「シナンのスープは飲めるようになったと思ったけれど、まだ飲めないの?飲めないのであれば無理せず残しなさい」
シナン豆のスープは少し辛めの味付けだ。幼い頃は非常に辛く感じた。しかし私ももう十六歳。この程度はむしろ心地良い。
「いいえ。少しかん……がえごとをしてました……」
ひぇ~。お母様が眉を顰めた。
食事中に考え事をするなとお小言を頂戴した。
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馬車の窓から立派な建物が見える。
あれこそ、中流階級から上流階級の子息子女まで通う学校、クインシード王立学校だ。
歴史はさほど古くはない。ここ十数年の間に開設された学校だ。義務教育というわけではないが、通う生徒は少なくない。人脈も広がるため利点も多い。
しかし一方で、ちょっと面倒な規則に付き合わなければならない事もある。
馬車を降りるなり途端に北風が吹きすさぶ。
寒い寒いと肩をすぼめたい気持ちを抑えて、背筋を伸ばした。うちの教育ママは、寒かろうが暑かろうが痛かろうが背筋を曲げる事を嫌うのだ。まあ寒いのは嫌いじゃないからいいんだけどね。
季節の中で一番好きなのは冬だ。雪には毎年心が躍らされる。遊んでも楽しい、眺めても楽しい、蜂蜜をかけて食べてもおいしい。ちなみに最後のやつは口外無用。
踏み固められて滑りやすくなった雪に足を取られたら負けゲームを密かにやっていると、声をかけられた。
「ご機嫌よう、マシェリー」
友人のミナルゼと早速顔を合わせる。その後にもう一人、オリビアと会い、三人で教室に向かった。これが学校における私の基本構成である。
歩みに合わせて生徒が次々と道を開けた。人の割れた廊下を颯爽と進む。
表向きは平等を謳うクインシード王立学校ではあるものの、当然のように階級による暗黙のルールが存在する。親の立場はそのまま子の立場なのだ。
しかし一部の貴族にとって、階級以上に差別対象となる生徒がいる。
「見て、あれ。まるで老婆ね」
「本当。あんな人が……」
廊下の端によって友人と談笑する女子生徒を見るなり、ミナルゼとオリビアが眉を顰めた。
対象である少女は、老人ならともかくこの国では珍しい白銀の髪を持っている。確か北の民族の象徴ではなかっただろうか。
少女の名はエリシア・ルノアール。中途入学した、なんと王弟殿下の娘だ。
汚らわしいものでも見る眼差しをする友人達に口では同意しながら、私は彼女をそっと見つめた。
この国には、移民やその血の混ざった人間を差別する層がいる。
純血主義。
王国イストランゼは移民受け入れている一方で、純血に執拗に拘る人間がいた。
アルバトラ公爵家を筆頭に一部の貴族がその思想を掲げており、我がエスキオラ伯爵家もそのひとつだ。
私も子供の頃から言い聞かせられてきたが、前世の記憶のためにその考え方には同調出来なかった。前世でいた国はハーフには比較的寛容だったのだ。
しかしこの国では子供といえども、正直に口にしてしまえば純血主義のお貴族様から「お前の教育はどうなってんだ」と親までも白い目で見られる心の狭さである。
それに親だってどう反応するか分かったものではない。以前純血主義を否定した発言をうっかりこぼした使用人が、即日解雇になったのだ。
魚も棲めない泉には触れないに限る。
ところがある日、泉にひとつの石が投げられた。
突然現れた王弟殿下の娘、エリシアの存在だ。
彼女の登場はよく覚えている。
とある大きな舞踏会で、鮮やかな青いドレスで飾られた彼女が王弟によって紹介されたのである。
その紹介ときたら、「花が綺麗だから摘んできたよ」ぐらいの軽さだった。
王弟は国内外問わずふらふら旅しており、未婚のはずだった。会合だって一人でふらっと現れて忽然と消えている事が多いのに、珍しく女性を、しかも十六歳という若い、そのうえ明らかにこの国の人間ではない少女を連れているため何事かと思いきや、娘というオチ。
会場からざわめきが消え、美しい音楽だけが流れるあの光景は、実にシュールだった。
とにもかくにもエリシアの登場は貴族社会を震撼させた。そりゃそうだ。仕えるべき王家に混血が現れたのだから。
彼女の存在を知った時の父や母の不機嫌っぷりたるや。使用人と一緒になって、戦々恐々としたものだ。
件の令嬢が中途入学してきた時にはびっくりしたなぁ。純血主義のリトル貴族達が殺気立って恐ろしかった。
とはいえ。
すれ違ったエリシアを振り返りたい衝動を抑え、うっとりと白銀の髪を思い描く。
彼女を見かける度に思うのだ。
積もった雪にそうするように、美しい髪に赤い花を添えてみたい。
彼女を見かけて幾日も経たない間に、花を象った赤い髪飾りを購入していた。今も大切に箱にしまって、引き出しに保管してある。
本当なら今すぐにでも渡したい。むしろ差したい。どこが一番映えるかなぁ。
実行する時を日々妄想している。が、現実は厳しい。彼女が混血故に、話しかけるのも困難だ。
話しかけてみろ。親も周囲もいい顔はしない。
うちが純血主義でなければと何度歯痒い思いをした事か。
友人二人に怪しまれないよう極力追わないようにしていたものの、彼女の髪は強制的に私の視線を奪ってしまう。なんと恐ろしい魔力を秘めた御髪だろうか。見つめていたい。
髪ばかりに目がいっていた私は、まだ気付く事はなかった。
白銀の髪を揺らす彼女こそが、前世で読んだ漫画のヒロインなのだと。
そして定められた、私の運命を。