ハジマリの任務・02
午前八時半。作戦室には室長である荻野の前に幻厄塔対策室に所属する研究員、その護衛達が整列していた。その数、荻野を含め15名。四十、五十に見える酒臭を漂わせた酔っぱらいの男性から、まだ小学生程に見える男子、煙草を加えた気が強そうに見える女性まで、年齢層、性別問わずさまざまな人間がそこに並んでいる。立川と蔵部も例外ではなくそこに居る。荻野は軽く咳払いをしてから「おはよう諸君」と話を切り出した。立川の横で黒髪をオールバックにした白髪交じりの赤顔酔っぱらいオヤジが「なーにが諸君だ」と小さく呟いた。横にいた少年が「シッ!!」と人差し指を口に当てる。
「キミたちも知っているだろうが、本日より難航していた北海地方を支配している幻厄塔の破壊作戦を遂行する。先日我が幻厄塔対策室武器開発部が作成したカノン砲を持ってしても壁に穴を開けることすら叶わなかった。今回は内部より塔の構造を探る。メンバーは先に通達している通りだ。通達されてない者たちは通常勤務にあたってくれ。以上。質問はあるか?」
荻野は真剣な表情のまま一旦そう言葉を切ると目の前のメンバーをその赤い切れ長の瞳で見据える。手は上がらず、全員が全員思い思いの表情を荻野に向けた。ただ一人、立川だけはただぼうっと何もない空間を見つめている。荻野はそれを見て誰にも気づかれないように心の中でため息を吐いた。
「質問がないなら解散、今日も一日――『お国のために』、ね」
その言葉を皮切りに、各々(おのおの)自分の持ち場へと移動を開始する。作戦室に残る者、スポーツタオル片手に訓練所へ向かう者。立川と蔵部はその流れに逆らって荻野の元へと歩いて行く。荻野はそれに気づいたのか、先ほどの真剣そうに見える表情を崩し、すがすがしいほどの笑顔を二人に向ける。それを見た二人は視線だけを動かし目を合せた。
「荻野室長、もしかして通達したのは私と蔵部さんだけだというオチじゃありませんよね?」
困り笑いしている立川を横目に、文書を見ていた荻野が「そんなわけないだろ」と笑顔を崩さないまま呆れたような声を出した。
「ほら、妙ちゃんもいるし」
「いやいやいや! 市川さんは戦力にはならないと思いますよ! さすがに護衛が蔵部さんだけで不安定な塔内で戦闘を行うのは――」
「その発言、私がそんなに信用できませんか立川先生」
「いや、そうではなく――」
ややこしくなりそうな会話に割り込むように、赤毛に白いメッシュが入った中肉中背の目つきもガラも悪い青年が「まぁお前も女だからって立川は言いてえんだよ」と驚いたような表情をしている立川の肩を強く引っ張った。金色の瞳が彼の目を鋭く射抜くように見据える。
「……誰でしたっけ?」
立川の発言に、男は一瞬固まったように思えたがすぐにチョークスリーパーの態勢に入る。蔵部と荻野は小さくため息をつきつつそれを傍観し、互いに目配せをしたようだった。
「誰でしたっけじゃねえよこのヘタレ眼鏡!!」
「すっ!すみません!この頃物忘れが激しくて……年ですかね……」
「テメエ俺と同い年だろうが!!」
ひたすら謝る立川と、その発言にツッコミを入れる赤毛白メッシュの青年。青年の発言によると立川と彼は同い年らしく、話を聞いているとどうやら彼らは知り合いのようだった。その青年の後ろから、凛とした、それでいてどこか無機質な声がかけられる。
「ますたー、それ以上は生命維持に関わりマス。腕を解いてあげてクダサイ」
赤色の帽子と同色のワンピースに身を包んだ白い透き通った髪の少女が、上目遣いで立川の首に腕を回している青年を見つめている。その少女を視界に入れた荻野は「やあ、久しぶりだねノアちゃん。如月清一郎の世話は大変でしょう」といつも通りの爽やかな笑顔を見せた。それに答えるように一礼したノアと呼ばれたアクアブルーの瞳を持つ少女は「清一郎坊ちゃまのお世話をするのは我が使命ですカラ」と小さく笑った。清一郎と呼ばれた青年は彼女に「坊ちゃまやめろってんだろ!」と怒鳴る。
その怒鳴り声を聞いたノアは満面の笑みを浮かべ、「しつれいしまシタ、ますたー」と深々と頭を下げる。それを見て気が萎えたのか清一郎は「マスターでもねえ」とそっぽを向きながら立川の首から腕を解いた。そしてそのまま彼に向かい人差し指をビシッと突きつける。
「忘れないようメモでもして覚えとけ。俺は如月清一郎。こっちの馬鹿正直娘は対イリューゲル兵器Noah-X0024、通称ノアだ。次忘れたらさっきみてぇなのじゃすまねぇからな!」
その名乗りに合わせてノアが立川に向かい小さく礼をして、「私はノア。ますたーの護衛をしているヒューマノイド、デス。ますたーは貴方に忘れられたのが余程ショックだったのでショウ。すぐにお止めできず申し訳ありまセン」と立川に握手を求めるように左手を伸ばした。立川は戸惑いながらもそれを受ける。すぐに清一郎の「誰がショック受けてるだ! 俺はコイツの物覚えの悪さに腹立ててんだよ! 一応幼馴染だろうが!!」と怒鳴り声を上げる。
◇
幼馴染。その響きに、私は少しだけ――ほんの少しだけ頭の中の何かを揺さぶられる。揺れる視界の中で私がとらえたのは、聖母のような笑みを浮かべる市川さんの姿だった。それをかき消すかのように、目の前の青年は「わかったな!」と私に向かい声を張り上げた。
「如月清一郎とノアちゃんは塔の周辺に発生するイリューゲルの排除が主な任務だ。いざと言うときの逃げ道確保、それと俺たちが塔内に侵入しているときに外部イリューゲルに何らかの変化があるかを調べてもらう。幻厄塔の状態とイリューゲルの強さ、数は関係する――というのが今のところ通説だからね」
「つまり目の前の敵ぶっ倒せばいいんだろ?」
相変わらず野蛮だね、と室長は呆れを示したが、清一郎と呼ばれた私の幼馴染であるらしい青年は「チマチマやるのは性に合わねぇんだよ、そこのヘタレクソメガネと違ってな」といちいち引っかかるような物言いをする。だが、私には彼に関する記憶はない。私はあの部屋に閉じ込められていたのだから。
それはずっとだったか?
いつから?
いつまで?
何故?
小学校は?
中学校は?
言葉は誰に教わった?
何故私は――
『先生は考えすぎなんですよ』
市川さんの声が私の思考をかき消した。濁流のように押し寄せてくる違和感はその声と共に消滅する。ああ、そうだ。そんなに難しく考えなくても――私には如月清一郎という幼馴染がいたのかもしれない。彼自身がそう言っているのだから、きっとそうだ。私の記憶などあてにはならないのだから。それに彼女も言っている。私は考えすぎる傾向にあると。
「……では、今回の任務のメンバーは室長と立川先生、私、彼らということですか」
蔵部さんのまとめに、荻野室長は「そうだね」と同意した。如月清一郎というらしい彼と行動を共にするのは少しだけ不安だが、荻野室長が決めたのならそれは覆ることがないものだ。私がどうこう言って変わる、ということはありえない。
「立川、顔色悪いけど大丈夫?」
荻野室長が赤い瞳でこちらを覗き込む。ああ、だめだ、深く考えては。また他の人に迷惑をかけてしまう。早くいつものようにふるまわなくては――そう思っても言葉は口から出てこず、ただ頷いただけだった。自分がどのような表情をしているのかもわからない。荻野室長は小さくため息を吐いてから私から目を逸らし、「如月清一郎、ノアちゃんの調整は大丈夫なの?」と彼に話しかける。彼は少々苦い顔をして「お前が調整早めに終わらせろって言ったんだろうが――かなり無茶はしたが、課題だった射撃精度と索敵範囲は向上しているはずだ。なんならそっちのお嬢さんとやりあってもいいんだぜ?」と蔵部さんを横目で見据えた。
「蔵部さんにヒューマノイドとやりあえ、と言うんですか?」
彼の言葉に割って入るように声を絞り出す。私が彼らの割って入るのは予想外だったのか、如月清一郎は少しだけ眉を顰めた。当の蔵部さんも同じような表情でこちらを見つめる。笑顔なのは市川さんと荻野室長だけだ。
「化け物相手には化け物が釣り合うだろ」
金色の鋭い瞳が逸れることなく私の目を見つめる。――私は今どういう目をしているのだろうか。これと同じ目をしているのだろうか。それを自分で認識した時、口が勝手に動いていた。
「――撤回してください」
「あ?」
すぐに目の前の彼から声が飛んでくる。両耳についた金色のピアスが動きに合わせて小さく揺れた。蔵部さんは彼から私を庇うように前に立ったが、それを押しのけ声を発する。
「彼女は人間です。今の発言を撤回してください」
「化け物は化け物だろうがよ、撤回しようがねぇ。それをやったのはお前だろ? 頭に身体能力向上させるチップ埋め込んでよ。実際うちのノアより強いんじゃねェか? 人間の強さは軽々超えてんだろ」
蔵部さんの視線が下を向き、私も言葉に詰まる。何も返すことができなかった。それは確かに事実であり、彼女をこの幻厄塔対策室に引き入れたのは私なのだから、なにも言い返すことができなくて当然だ。
それを聞いた荻野室長が「――あのねぇ、大事な任務前にそんなことは俺がさせないから。怪我したり破損したりしたらどうするの? 探索任務遅らせるの? 馬鹿じゃないの? 俺の立場悪くなるだろ? ただでさえ人手が足りないんだよ。あと如月清一郎、その口の悪さなんとかしなよ。立川もこんな安い茶番みたいな挑発に乗らないの」、と私と彼を諭しながら引き離すように両手で遠ざけた。如月清一郎は不機嫌そうに舌打ちして目を逸らす。私は私で「すみません」と荻野室長に頭を下げる。如月清一郎の代わりにはノアと呼ばれたヒューマノイドが頭を下げていた。
「全く、先が思いやられるよ。――メンバー編成ミスったかな」
愚痴のように言葉を吐き出した荻野室長は咳払いを一つすると、「文書には書いたけど探索開始は午後六時。逢魔時だ。それまで武具の調整、特に美咲ちゃんは訓練所で身体能力の調整を終わらせておくように。立川は通信機四つ分の調整をお願い」といつもの笑顔に戻る。
「了解しました。では、私は訓練所に。立川先生、ついてきてもらえますか。貴方の力なら四時間もあれば通信機の調整くらい終わるでしょう。先にこちらに付き合ってください」
そう言って踵を返し作戦室の出口に向かい、私の返事を待たずに黒い長い髪を揺らしながら歩いていく蔵部さんを慌てて追いかける。廊下に出てしばらくしたところでようやく追いついて、「待ってください、蔵部さん!」と息を切らしながら彼女の肩を掴んだ。その肩が小さく震えていることに今更気づく。表情は見えない。化け物と言われた悲しみだろうか、と察する前に「――すみません」と声が出る。
「なぜ貴方が謝るのですか?」
私の謝罪に対するほぼ反射的に返した言葉だったのだろう、彼女は口元を軽く押さえる。廊下で立ち止まっている私たちの横を多くの研究員たちが通り過ぎていく。何故謝るのか、それは明白だ。私が貴女を巻き込んでしまったから。私が彼女を化け物にしてしまったから。イリューゲルを倒すためとはいえ、上の命令通りに――自分とそう年が変わらない少女を化け物に変えてしまったから。
「ああ、なるほど。……先生は何か勘違いをしています」
表情の変化はなく、無表情の――少しだけ気難しそうな表情のまま、蔵部さんは言葉を発した。彼女は聡い人だ。昔から聡い人だった。私の沈黙から私の思いを悟ることなどたやすいことなのだろう。私の横ではいつものように市川さんがニコニコと笑みを浮かべている。まるで私たち二人を見守っているかのように。
「私は怒っているんですよ――あんなヒューマノイドと同等に扱われたことに」
彼女は怒りに体を震わせながら低く「あの男――何が『化け物相手には化け物が釣り合うだろ』なんでしょうか……? 先生は私があんなプログラムでしかない屑鉄に負けるとお思いですか……?」と声を絞り出す。
「――えっ?」
私の思考からかなりずれた発言に思わずそう声を出してしまう。彼女は少しだけため息を吐いた後で「ま、それは冗談だとしてもです」と言葉を紡いだ。本当に冗談なのだろうか。彼女は冗談を言わない人だと思っていたが、その認識を改める必要があるらしい。
「ああ、勘違いしていると思ったのは本当です。私は後悔していません。この力があるから私はここに居られるのですから」
右手に掴んでいた鞄から五キロのダンベルを取り出し、力を入れている素振りを見せず利き手じゃないはずの左手で粉砕する。これが彼女に私が宿した能力であり、筋力、跳躍力、走力を含む全身体能力のリミッターを外した結果だった。
落ちたダンベルだったものをヒールで踏みつぶして砕く。力のコントロールはできている。できているが――本当に彼女の精神は壊れていないのだろうか? 本当に、人類を救うためとはいえ人間を兵器に仕立て上げるような真似を――
彼女はその破片を集めて透明な袋に入れた後、「あ」と思い出したように付け加える。
「『彼女は人間です』ってやつ、――私は……その、嬉しいですけど変な奴って思われるのでやめた方がいいですよ」
「やめませんよ」
思考が始まる前に言葉が出ている。最近こういうことが多いと思いつつ、そのまま言葉を続けた。彼女は怪訝そうな表情をしていたが、次の私の言葉で表情を変えずに踵を返して訓練所に向かいカツカツとハイヒールを鳴らして廊下の向こうへと消えてしまった。
廊下には、私の「貴女がどんなに強くても――私には化け物ではなく優しい人間に見えますよ」という発言と、市川さんの笑みだけが行き場を失ったようにとどまっていた。