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幻厄遊戯  作者: ごんすけ
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ハジマリの任務・01

 夜が来て、朝が来る。そしてまた夜が来て、朝が来る。それは至極当然な自然の摂理で、私たちが住むこの世界も例外ではない。朝と夜が繰り返され、私たちの生が刻まれていく。それは至極当たり前のことで、不変な時間の流れ。どうあがいてもそれから逃れる術はなく。過去には戻れないし、未来には行けない。過ちは覆せないし、これから起こることを予測することすらできない。


 そんな世界に、今日も目覚めた。


『先生! 起きてください! 今日もいい天気ですよ!』


 いつも通り彼女の声で目覚める。ベッドの左横のチェスト上にある目覚まし時計は午前六時を指している。朝礼にはまだまだ時間があるにもかかわらず、彼女はいつも通り高校の制服であるらしい紺色のブレザーとチェックのスカートを着て、――長めの前髪をとめる白いバックルバレッタ。セミロングの黒髪は窓から入ってくる風に揺れ、赤い瞳は楽しげにこちらを見つめていました。


「……おはようございます、市川さん」


『おはようございます! 今日は幻厄塔探索の日ですね! ついにイリューゲル殲滅への第一歩を人類は踏み出すわけですね!? 私、わくわくしてきました!』


 はたしてそうなのでしょうか、と私は彼女の言葉を否定します。確かに所謂魔イリューゲルの湧き出る元凶である幻厄塔を知ることは人類がイリューゲルに立ち向かう第一歩になるのでは、とは私も最初思いましたが――急すぎる気がしました。まだチップによる人間の強化に着手したばかりで、それが発現するには多少の時間がかかる。万が一発現できたとしても脳に埋め込んだチップが正常に作用する保証はなく、精神が歪んでしまう例もある。そういった現状であり、幻厄塔の様子が不安定だと知っていながら何故探索をしようと荻野室長は言ったのか。


 元々彼自身は自分の足で動く人間ではない。私や蔵部さん、他の研究員をそれぞれ適所で利用し戦果を上げるタイプの人間。根っからの指揮官タイプの人間だ。そんな彼が自ら幻厄塔探索に行くと言いだし、自分で言うのもなんだが明らかに探索・戦闘に不向きな私を連れていくと言いだした。彼女の能力が必要だとしても今までの彼なら私の能力の発現まで待ったはずだ。それができない理由はやはり――それでは間に合わなくなった、ということだろうか。


『先生?』


「……あ、すみません。とにかく――今日は足手まといにならないようにしなければ」


『そうですね!死なないように頑張りましょうね!!』


 本当、一言多いところは誰に似たのか――。だが、彼女の言っていることはその通りだ。死なないように――死なないように?


 響いたのは扉をたたく音。その声にハッとして「ちょっと待ってください!」と叫んでから先程まで着ていた服を脱ぎすて、用意していた服を着て白衣を羽織る。軽く寝癖を直してから扉を開けると、蔵部さんがいつもの――本人曰く緊張した面持ちでそこに立っていた。


「……立川先生。朝早く失礼します。勤務時間外に申し訳ありません」


 彼女の声色は真剣なものだ。とはいっても彼女はいつも真剣だが――今日の雰囲気はやはり初めての探索任務で緊張しているのかいつも以上に固いものがある。


「いえ、それは大丈夫なのですが……珍しいですね、蔵部さんがこんなに朝早く私の部屋を訪ねてくるのは」


 蔵部さんは少しだけ私の部屋を眺めた後、「相変わらず殺風景な部屋ですね」と呆れたような声が返ってくる。そして、「散らかっているよりはいいですが」と言葉が付け加えられた。言われて私も部屋を見渡す。備え付けのベッド、同じく白いチェスト、その上には小型の電気スタンド。小さな本棚には数冊の技術書。壁際に備え付けられたクローゼットには同じ型の白衣が数着。部屋の中央には白い背の低いテーブル。これもこの部屋に元々あったものだ。私の私物は一切ない。昔から私は物を持つ、ということをしなかった気がする。昔のことは殆どおぼろげで、曖昧なものだ。そのくせ余計なことばかり覚えている。


『先生、美咲ちゃんの用件を聞いてあげなければ!』


「あ……そうでした。蔵部さん、用件は――」


 慌てて蔵部さんに向き直ると、彼女は驚いたようにこちらを振り向いた。いきなり声をかけたのがまずかったのか、それとも聞いてはいけなかったのか――。


「……用件と言いますか、今日任務に行く前に訓練所に付き合ってほしいのです。やはり第三者の指導は必要ですから」


 なんだそんなことですか――とほっと胸をなでおろす。別に彼女を怖がっているわけではないし苦手なわけでもないのだが、怒らせてはいないだろうか、不快な思いをさせていないだろうか、ということばかりが不安になる。


「……あと、先生の様子を見に来たんです。昨日は彼女とよく話していたみたいですから」


 ああ、やはり。彼女は私を心配してくれている。市川さんに引っ張られることが多い私を心配して、朝から理由をつけてこうして訪ねてきてくれたのでしょう。私が市川さんに心を許しすぎていることを気にかけてくれている――と考えるのは考えすぎなのでしょうか。まあ、彼女にとって私は狂人なのでしょうから、そこまで近づく必要はないように思えますが。


「……では、朝礼後に訓練所でお待ちしています。できればお一人で――二人で話したいことがあるので」


『おお!これは美咲ちゃんから愛の告白をされるフラグ!』


 そんなフラグはありません。そう私が思考している間も彼女は楽しそうに蔵部さんの周りをふわふわと漂います。彼女は私が考えていることは全てわかるようで、こちらを見つめてにこにこしている。別に嫌なわけではないし、会話する時には便利だが――私には彼女に話しかける癖が染みついてしまっているのでほとんど意味のないものになってしまっている。言っておくが私は彼女が考えていることは何一つわからない。


「……わかりました、市川さんにもついてこないように言い聞かせますので」


「そうしてくれるとありがたいです」


 彼女はそう言うと少しだけ私の目を見つめた後、「……泣いていたんですか」と小さく問いかけた。不思議に思い鏡を見ると、目がかなり充血しており顔色もよくない自分の姿が目に入る。これでは泣いていたと思われても仕方ない。昨日も今朝も泣いた記憶はないのですが。


「いえ……なんでしょうかね、花粉症でしょうか」

「……花なんてもうどこにもありませんけどね」


 いつも通り返ってくるのは辛辣な言葉ばかり。彼女はこういうところで損をしていると思ってしまう。私に対してだけならまだいいのですが、同僚や他上司にまでこの調子だと友人関係が――と、そこは私が言えることではないのですが。


「あはは……そうでした……」


 カーテンを開け、窓から身を乗り出すと見える空は青く雲一つない晴天で――思わず市川さんが言っていたように「いい天気ですね」と言ってしまいそうになる。窓から乗り出した体を部屋の中へと戻すと、灰色にひどく淀んだ空と枯れた草木、禍々しい黒い霧をまとった塔が姿を見せる。この建物内には荻野室長がその能力により作り出した結界が張られている。イリューゲルを寄せ付けず、中の人間を正常に保つ作用がある結界だ。これを考えるたびに私は、自分がどれだけ壊れているか自覚する。この結界がなければとっくに彼女と二人の世界に閉じこもってしまうだろう。この嫌でも現実を見せつけられる感覚は、今の私には必要なものだった。


「……たまに、本当にたまにですが」


 蔵部さんはそう言うと私と同じように窓から上半身を乗り出して外を見つめる。そして、「たまに」を何度も強調してから「貴方と同じ世界が視れたら、と思います」と小さく呟いた。その表情はこちらからは見えず、いつもの無表情か、それとも他の表情をしているのか――それさえも彼女の声からは判別ができなかった。


「では、朝早くから失礼しました。また朝礼で会いましょう」


 彼女はそう言うと俊敏にドアの前に立ち、静かにそれを開けて出ていく。廊下に反響するハイヒールの音だけがいつまでも耳の奥に焼き付いていた。


『美咲ちゃん照れてましたね!』


 ニコニコ笑いながら話しかけてくる市川さんに、「照れ……?」と先程の彼女の言葉を思い返したが、どこに照れる要素があるのかもよくわからず――しいて言うなら蔵部さんの発言の意図すら私にはあまりよくわからなかった。何故【私と同じ世界を視れたら】などと言ったのか。数分ほど考えてから、「貴方と話したいんですかね?」と結論を出したが、市川さんは彼女にしてはとても珍しい微妙そうな表情をして『えー……』と冷たい声を出した。


 何故そんな表情をするのかと問いかけても『まあ先生だもんね、仕方ありませんよねー』としか返ってこず。仕方がないので、次に会った時にでも発言の意図を聞いてみようとしたが、それを思考した瞬間に市川さんに『ハイヒールの踵で踏まれたくないなら辞めた方がいいと思いますよ』と言われてしまい、それだけはやめておこう、と心に誓いました。

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