むかえにきた
ヨーコがポスターに載せるために作ったメールアドレスに一通のメールが届いた。
『はじめまして。柳沼と申します。ポスターを見てメールをしました。一週間前に逃げ出したうちの子猫だと思うので、確認させてもらえませんか? ご都合のよい日を教えて下さい』
ヨーコはファラオをちらっと見てため息をついた。いよいよ別れが来てしまった。
「あーあ。ファラオとはお別れかあ」
「なう?」
ファラオは目を大きく開いて驚いたような表情を浮かべた。まったく猫らしくない猫だ。
「せっかくだから、猫、飼おうかなあ、でも、ファラオみたいに楽しい子に出会えるかな」
ヨーコは携帯電話を操作してスケジュールの確認をする。今週は特に際立って面倒な仕事も入っていない。
その旨をヤギヌマにメールすると、翌日の夕方に会おうということになった。
待ち合わせは近くの公園だ。
ヨーコは仕事を終えて家に帰ると、不安に思いながらもファラオをキャリーバックに入れた。
ファラオは落ち着かない様子でたびたび「なあん」とか「なおう」と寂しそうに鳴く。
公園は夕方になると子供も家に帰ったようで、静かなものだった。
待ち合わせの時間まであと十分ほどある。
湿度がぐっと上がったようで少しのびすぎた雑草がヨーコの足元を濡らす。
ヨーコは木の風合いを生かしたベンチに、キャリーバックのファラオを下ろす。そして隣に腰かけた。
ぼんやりと誰もいない遊具や、敷地内に生えている木を眺める。
これほど可愛く愛嬌のある子猫を失ったとしたら、きっとヤギヌマさんはショックだったのだろう。
(だけど、私も、まだ飼い始めたばかりだけれど、どうしてか執着している……本当に不思議な子)
「なあーん」
ファラオが何かを察したかのように優しく鳴いた。
時間ちょうどにヤギヌマらしき人物は現れた。背は女性にしては高い。細身だが骨格が大きい人という印象だ。長い前髪を真ん中わけにしていて、どこか胡散臭い雰囲気がする。少なくとも普通の会社員と言った感じではなかった。
「あなたがトラウラさん、ですか?」
ヨーコはうなずいて立ち上がった。
「ヤギヌマさんですか?」
「はい。はじめまして」
話し方もどこかぎこちなく、おかしなイントネーションに聞こえた。
「ああ、ジョセフィーヌ!」
ヤギヌマはキャリーバックを見つけ、ファラオの方へ駆けつけた。ヨーコはヤギヌマを遮った。
「ちょっと待って下さい、この猫があなたのだという証拠はなにかありますか」
「ええっと、写真があります」
ヤギヌマの差し出した写真をヨーコは覗き込んだ。
確かにファラオによく似た子猫が写っている。
しかし、ヨーコはどこかひっかかりを感じていた。ファラオの方へ目を向ける。
(ジョセフィーヌ……)
ファラオはキャリーバックの奥の方へ行ってしまい、姿が良く見えない。怯えているようにも見える。
(やっぱりファラオはジョセフィーヌという感じがしない)
ヨーコはヤギヌマの方を見て、言った。
「警察には届出はしましたか」
ヤギヌマはびくりと反応した。怪しい。
「ええと、して、ない、です」
しどろもどろなヤギヌマを見て、ヨーコは咄嗟にキャリーバックの持ち手に手を添えた。
「猫違いでは?」
「え?」
ヨーコはヤギヌマの反応を見て、確信した。ファラオはジョセフィーヌではないと。
「ジョセフィーヌって女性の名前ですよね、この子は男の子だから」
「そんな、子猫の性別は区別つけにくいでしょう?」
「そうですね。もう一つ気になることがあるんです」
ヤギヌマは険しい表情になった。ヨーコは続ける。
「この子を見て何か気づくことはありませんか?」
「え?」
ヤギヌマはまじまじとファラオを見る。
ファラオはシャーっと威嚇した。
「い、威嚇されてたってそんなに長い事一緒にいたわけではないし」
「違います。気づきませんか。普通、子猫はこんなに早く大きくならないのに、あなたはひとつも疑いもしなかった」
「そんな、誤差の範囲じゃ……」
「警察か、獣医に行ってみますか? 写真と実物を比べてもらえばすぐにわかると思いますけど」
素人には分かりにくい個体の識別方法があることをヨーコは知っている。同じならばそれはそれでいいのだが、ヨーコはどうにもヤギヌマという人物のことが胡散臭く感じているのだ。
「ええっと、私の勘違いだったみたいね。ごめんなさい」
ヤギヌマは慌てて会釈をすると、公園の外に走り去ってしまった。
「変な人」
呟いてからやはりな、とヨーコは納得した。
「なあん」
ファラオの声が公園に静かに響いた。