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歓楽街の隅に位置する裏小路を少し行くと、雰囲気からして他のビル群から浮きまくっている建物が見えた。一見、イタリア民家風に見えるが、カーテンは閉まっているし、何の商売をしている店か分からない。薄汚れた白い壁が、不気味さを際立たせている。
喫茶店の跡地なのか、それとも雑貨屋もどきなのか。
表の出入口付近に『言魂』と書かれた立て看板が立っている。
抵抗せずここまで付いてきた俺をサングラス越しに満足そうに見て、おじいさんは黒マントの胸元をまさぐった。内側にポケットでもあるのだろう。マントなんて着たことないけど、けっこう便利なんだな。
「今、鍵を開けるからね」
おじいさんの手が、ピカピカに磨かれた金色の鍵を鍵穴に差すと、きしむ音と共に分厚い木製扉が開いた。薄暗い店の中から、古い紙の匂いが漂ってくる。
「さあ、ここへ座って。お茶を淹れるから」
おじいさんに促され、俺は店の中央に置かれた丸テーブルのイスに座った。一度に五~六人ほどが座れるイスが用意されている。この店には、丸テーブルひとつしか、客のくつろぎスペースは無いらしい。
おじいさんが店の奥にあるカウンターに入ると、店内は明るくなった。店内の照明器機はカウンター側からしか使用できないんだろう。
「今日は店を休んで本当に良かった。瑞希ちゃんの予言通りじゃ」
「はい?」
「いや、何でもない、こっちの話じゃよ」
ミズキのヨゲン?一体何のことだろう。
おじいさんの独り言を気にしつつ、俺はイスに座ったまま店内を見渡した。外からは想像できなかったが、わりと綺麗に片付いている。雑貨屋、なのかな。
壁に沿って並べられたショーケースの中には、メルヘンチックなストラップやキラキラした指輪、エスニック系雑貨が行儀よく並んでいる。
雑貨を売るだけでなく、占いもやっているのだろうか。いま俺が座ってるテーブル席の上に、デカイ水晶玉が紫色の布製クッションに支えられながら鎮座している。
おじいさんがお茶の用意をしてくれている奥のカウンターには調理場があるっぽい。冷蔵庫が見える。なんだかいい匂いが漂ってきた。お茶以外にも何かを作ってくれているらしい。
不思議なことに、ここにいると落ち着く。
どうしてこんなところに来てしまったのか、考えてもよく分からないし、他人と関わるのなんてしばらくゴメンだと思ってたけど、なんというか、久しぶりに自分の生活をしてるって感じがする。
家にいる生活にもすっかり慣れて、俺はこのまま一生引きこもりライフを続けてくんだろなぁと思ってた。部屋でまったりゲームをしたり、好きな時間にご飯を食べて、アニメに癒されたりして。
そんな気楽で自由な生活は、どこかしら後ろめたい気持ちがあった。
母さんに心配をかけているかもしれない。やるべきことをしていない俺は社会のゴミなんじゃないかって、心のどこかで感じずにはいられなくて、そのうち、ただ生きていることにも罪悪感を覚えるようになってた。死んだ方が、周りに迷惑をかけずに済むんじゃないだろうか。学校に行かない中学生なんて、誰からも必要とされない。そのうち、世間から忘れ去られる存在に違いない、って……。
でも、ここにいると、そんなことを考えずに済んだ。
もちろん、おじいさんが怪しいことに変わりはないけど、「ここにいてもいいよ」と、百パーセントそう言われてるように感じて、心の底からホッとした。
以前の……普通に学校へ行っていた頃の俺は、こんな感情を抱くことすら無かっただろう。
「お待たせしたのぅ。食べるかね?」
思考を中断させたのは、おじいさんの声だった。
テーブルには出来立てのオムライスと淹れたての紅茶が運ばれてくる。
「何やら物思いにふけっておったようじゃの」
「はい、ちょっとだけ」
「若い人は退屈しなさそうでワシは羨ましいのぅ。悩みが多いのはいいことじゃて。苦しみや悲しみの記憶はいつか実を結び、必ず君の糧になる」
「そうなんですか?」
苦笑する俺に、おじいさんはオムライスを勧めた。
「まあ、とりあえず食べなさい。昼もとっくに過ぎとる。腹が減ったじゃろう?」
「はい」
たしかに。
スマホで時間を確認する。もう、十五時か。今頃、マミさんの握手会が始まってるんだろうなぁ。
「その変装、外しなさいな。食べづらいじゃろう」
初対面の人にご飯を作ってもらったことに少々戸惑った、なんて言えず、俺は思いきってニット帽とネックウォーマー、サングラスを外した。変装のせいでムシムシしていた顔と上半身が、ウソのように軽くなる。
「ふぅ」
思わずため息をついてしまった。変装も楽じゃないな。
おじいさんは朗らかに笑い、
「やはり、君は綺麗な目をしておるなぁ。サングラスをするなんてもったいない。帰りはそのまま帰りなさい」
と、俺の真っ正面の席に座った。テーブル中央の水晶玉を挟んで、俺とおじいさんは向かい合う形になる。
おじいさんは紅茶しか飲まないそうで、オムライスは俺の分だけだった。
一人で食べるなんて何だか申し訳ないなという思いと、なぜここまでしてくれるのだろうという疑問と、意外な部分を誉められたことの照れくささを抱え、俺はスプーンを手にした。
「いただきます」
変装のことには触れず、食べることで場を濁す。こういう時、何を話したらいいか分からない。
黙々(もくもく)と食べるつもりだったのに、おじいさんお手製オムライスは俺の舌を瞬間でうならせた。
「うまい……!」
すぐに崩れそうで崩れないふっくら卵。パサつき過ぎず、ほどよくしっとりしたチキンライス。トマトソースの絶妙な酸味が鼻孔をくすぐり、食欲を増進させる。こんなに美味しいオムライス、食べたことない!
「ほっほっほっ、口に合ったようでなによりじゃ。そうそう」
おじいさんは嬉しそうな声で懐から何かを取り出し、俺の方に差し出す。それは、おじいさんの名刺だった。当然かもしれないが、店名も印刷されている。
「見ての通り、ワシはこの店の主での。末森とでも呼んでおくれ」
「末森さん、ですか」
名刺なんて初めてもらった。
「君の名前を訊いてもいいかな?」
「あっ、はい。望月永音です。望む月で望月、永音は永遠の永に音と書きます」
食べるのをやめ、俺は姿勢を正す。
「永音君、か。永遠に続く音……。純粋そうな君によく似合う良い名前だね」
「そんな風に言われたの初めてです」
照れる俺に、おじいさんは前のめりの姿勢を取り、言った。
「永音君。こうして君に出会えたのも何かの縁。よければ、今日、ここで何か買っていかんかね」
う。やっぱりそう来たか!
だよな、タダでご飯食べさせてくれる他人なんているわけないよな。
「はい、それはいいんですけど」
買い物うんぬんより、俺は引っ掛かることがあった。
「末森さんが俺に声をかけたのって、ただの偶然ですか?さっき、予言がどうとかって言ってませんでしたか?」
「ほっほっほっ。永音君にはかなわんなぁ。ワシもうっかりしておったわ」
話してくれる気になったのか、末森さんはテーブル上の水晶玉を片手でペチンと一回叩き、イタズラ好きの少年のような口調で、
「この店には、魔法使い見習いの女の子がおってなぁ。彼女に出会ったのは最近なんじゃが、その子が、ワシと君の出会いを予言してくれたんじゃよ。
それも、ただの出会いではない。君が言魂使いだと、彼女は言ったんじゃ」
「えっ?」




