4 たとえ道に美少年が落ちていても
貴重な水が確保できる場所を発見したので、そこにいくつか折った小枝を突き立てて拠点とすることにした。できればこの近くに寝床を確保したいものである。山小屋って自分で立てられるのかなぁ。丸太の切り出しとかは……さすがにこの体では無理だろうな。
あくまで体感だけれど、現在の時刻は昼を少し過ぎたあたりのように思う。前の世界と同じ法則が通用するのかは分からないが。
できれば日が沈むまでに今日の寝床を確保したい。大きな樹の下のうねった根っこの辺りとか良さそうな気がするけれど、あまりに開け放たれていると獣に襲われる危険性があるし、あまりにも絡み合ってると日当たりが悪くて虫がたくさんいそうだ。安定性を気にしなければ樹の上に登って寝るという手段もあるが、そんなレベルの高い傭兵のような真似事を生まれて間もない私ができるとは思えない。
小枝を手に川に沿って下流のほうへと歩く。上流は滝つぼだからね。あんな崖を登れるはずがない。「ファイトオオオオーッ!」「イッパアアアツ!」って、叫んでくれる相方が居ても怪しいものだ。
川の中には魚が泳いでいるのが見える。いつの日かあれを焼き魚にして食べるのが現在のささやかな願いだ。たんぱく質が欲しい。
眺めていると、昔高原に友達と遊びに行った時に食べた釣りたてのヤマメを思い出す。本当に美味しかったんだぁ。やべ、涎が出てきたよ。
小石を踏みしめながら歩くと、再び森が深くなってきた。大きな岩をよじ登るようにしてあがる。
そんな私の前に『それ』は突然現れた。
「死体!?」
土にまみれた小柄な人物がそこには横たわっている。こちらに背を向けているので顔は分からない。しかし、黒い髪に黒いマント、濃紺のズボンに木の靴を履いたその人物は、私よりも三十センチほど背が高そうだが、明らかに子供の体型だった。
もしかするとまだ息があるかもしれないと駆け寄ろうとして、一瞬怖気づいたように足がすくむ。
もし、死体だったらトラウマになりはしないだろうか。生きていても、味方とは限らないし……なによりも何かのフラグが立ちかねない。
けれど、このまま見捨てるのも寝覚めが悪そうだ。幸いかどうかわからないが意識がなさそうなので、とりあえず震える足を叱咤激励しながら近づき、そっと覗き込む。
土気色の顔をしているが、口元に手をやると息がかかった。まだ……生きている!
どこか大きな怪我を負っているのだろうか?
そっと体をひっくり返せば、大小さまざまな切り傷が現れた。服に縫いこまれた金糸の刺繍は血液で黒く変色し、もはや何の模様をかたどったものなのか分からない。その隙間からは血まみれの皮膚がのぞいていた。
致命傷になりそうな傷は見当たらないけれど……すいません。スプラッタは苦手です。血は大丈夫だし、マウスの解剖実験なんかやっていた記憶もあったりするので、その辺の度胸は据わっていると思っていたけれど、目の前に居る人が死ぬとか勘弁して欲しい。
大体、小学生くらいの子供をここまで切り刻むとかどうなのよ。クーデターでも起こったんですか? そしてこの子は王族か何かですか? それとも犯罪者ですか? それにしたって失血死させなきゃならないくらい悪いことなんてあるのだろうか。
そんなことを考えながらもテキパキと体を検分していく。最初に確認したとおり、頚動脈や腎臓付近、大腿骨付近などに致命傷となる大きな傷はないが、マントをめくったら背中に右上から左下にかけて大きな切り傷が現れた。袈裟切りでもされないかぎりこんな傷はつかなさそうなのだが。治癒してもこの傷は消えないだろうなぁ。
それも生きていればの話か。
この世界の医療技術がどこまで進んでいるのかわからないが、こんな森の中で泥にまみれた傷をそのままにしていれば、遅かれ早かれ膿んで大変なことになるだろう。何か使えるものはないかと周りを見渡せば、少しはなれたところにウエストポーチのようなものが転がっていた。
中を開けると私と同じく白紙の本が1冊と綺麗に折りたたまれた白いハンカチ、小さな水筒のようなものと、高そうな金色の懐中時計、銀色のコインが入った財布が入っていた。ウエストポーチは焦げ茶色の皮製で結構しっかりした作りになっている。小さな水筒のようなものを開けると、ツンとした薬草の匂いが漂ってきた。
苦そうですね!
それが第一印象である。青汁も裸足で逃げ出すであろう濃い緑から茶色の液体だ。
私の勘が「これは回復薬である」と告げている……しかし、うっかり間違ってこの少年に止めを刺すわけにはいかない。となると鑑定スキルレベル1の私が取れる行動は1つしかないわけで。
「くっ!」
水筒に指を突っ込んで少々とろみのある薬草エキスっぽいものを付着させると、恐る恐る舌を出して舐めてみた。ぐほっ!!
不味い。ええ、ひたすら不味い。苦いんだか酸っぱいんだか甘いんだかハッキリさせてくださいとお願いしたくなるくらいに不味かった。しかし、体を張った鑑定スキルのおかげで脳裏にこのアイテムについての説明が現れる。
『傷薬=切り傷、刺し傷、火傷にもよく効く薬。くれぐれも口にしないよう、塗ってご使用ください』
これほどこの鑑定方法を呪ったことはない。のんびりミニオレンジアを食べてる場合じゃないよ。死ぬ気でスキルのレベルアップが必要だよ!
まあ、多少腹立たしいながらもこれが薬であることが分かったので、私はウエストポーチの中身を全て出して川へ向かった。ポーチは皮製なので、川に突っ込むと綺麗な水がたっぷりと確保できる容器となる。それを運んで少年の傷口の汚れを洗い落とし、ハンカチで拭ってから薬をつけた。
この薬、においと味は最悪であるが、その効果は自分でもビックリするほどで、小さな傷ならたちまち消えてしまうほどである。正直ちょっと分けて欲しいなぁと思ったが、少年に付けるだけでも足りないので諦めなければなるまい。欲張りません。切羽詰ってないからね。
順番に薬をつけ、最後に少年をうつ伏せにして背中に薬を塗ると、彼の口からうめき声のようなものが漏れた。悪いことをしているわけでもないのに、思わずビクッと肩をすくめてしまう。もしかすると、体の回復に伴って意識が浮上してきたのかもしれない。
慌てて彼の荷物をかき集め、ぐしょ濡れのポーチの横に置いた。ポーチは逆さにして干している。
「ん……」
そうこうしているうちに少年は意識を取り戻したらしい。私は慌ててその場を離れた。
慌てすぎて空の水筒持ったままでしたが!
決して火事場泥棒じゃありません。金目のものはもらってません。空っぽの水筒だけですよ。治療費と思ってください。ごめんなさい、すいません。でも、出て行く勇気がないんです。おまけに何かのフラグっぽい気がして怖いんです。
私が近くの茂みの中で気配を消しながらプルプルと震えていると、少年は無言のまま起き上がった。彼は傷が消えていることに驚きつつも、何かにおびえる風でも無く近くにあった荷物に手を伸ばした。どうやら追われているわけではないらしい。
「▽*+=?&%」
それから何事か呟き、白紙の本に手を置く。本が淡い赤色の光で包まれたと思ったとたん、あっという間にぐしょ濡れのポーチやハンカチを綺麗に乾かしてしまった。
何! 魔法が存在するのか!!
初魔法に心がときめかないわけがない。しかも、乾燥魔法だ。速乾、しかも乾燥機いらず! 呪文はよく聞き取れなかったけれど、あとでやってみよう。