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向日葵テロリスト

掲載日:2012/08/13

真昼の雨、で書いた帽子屋と仲野がなんだか好きになってしまったので、彼らの話を。

 揺れる、黄色。

 太陽に顔を向け、炎天下でもまっすぐに背を伸ばし、けなげに、けなげに。

 大量の向日葵が、夏の町にあふれる。

「……クソうぜぇ」

 好きだった女が向日葵を好きだと言った。

 手に入らなかった女だから、それか向日葵を見るたびにあの健康そうな花びらの陰でにやにやと笑っているような気がしてならない。

「被害妄想だ、阿呆」

 あほう、とやわらかく語尾を伸ばして、帽子屋がにやりと厭らしく唇を横に引く。嘲笑、という文字がこれほど似合う奴もまたお目にかかったことがない。

「うるさい、俺は決めた」

「なにをだ、お前の低脳な脳みそでいい考えが思い浮かぶとは思えないがな」

「うるせぇ、オトコオンナ」

「失礼だな、お前。目玉はどこについてんだ」

 超、がつくほどのストレートな黒髪を、帽子屋は後ろで一本にくくっている。ほどいたら結構な長さがあるのかもしれない、しばっている状態で肩甲骨を軽く超しているのだから。

 いつでも全身黒尽くめで、白い肌をしている帽子屋は鋭く尖った釣り目をしている。薄い唇も、鼻筋の通った涼しい顔も、どこから見てもお綺麗なオスだ。百人が見て百人が彼女を男と間違うだろう。名前をけして名乗らない彼女は、その職業から周りに帽子屋と呼ばれている。

「決めたんだ」

「言ってみろよ、女でも取り戻すのか」

「そんな恰好悪いことができるかよ」

 好きだった女は幼馴染みの男に取られた。いや、彼女が彼を好きだったというのだから、取ったも取られたもない、元々仲野が眼中にも入れてもらえていなかっただけの話であって。

「色恋沙汰に恰好良いも格好悪いもないと思うがな、最終的に手に入れたモン勝ちだろ」

「最終的ってなんだよ、妊娠でもさせて責任取るって形で結婚でもしたらいいのか」

「結婚なんて紙の上の誓約、逃げられたら意味ないだろうが。欲しかったら奪って、渡したくなかったら殺せばいいのさ。死ねば誰の手にも入らないだろ」

「帽子屋、お前、怖い。って、殺したら俺の手にも入らなくなるだろうが」

「好きな女なんだったら死体だって責任持って愛せよ」

「腐るだろ、無理だろ、お前まともじゃないだろ」

 死体愛好家の気持ちはまるで分からない。

 抱くなら体温のあるのがいい。

 反応だってあるのがいい。

 抱き寄せたら首に手を回してくれるようなのがいい。

 くちづけたら身悶えて逃げ出しそうなのがいい、白い肌を赤く染めて、深く深くくちづけたなら肌に紅い花を残すような、そんな。

「おい仲野、鼻の下伸びてるぞ」

「え、マジで」

「下種な妄想してたんだろ、女でも犯すことを心に決めたのか」

「……帽子屋、お前本当に性別女? 俺、本気で疑問」

「パンツ脱いでやろうか」

「要らない、お前が全裸でも俺勃起させる自信ない」

 失礼な奴だな、と帽子屋が鼻を鳴らす。しかしその唇の端はうっすらと笑っていて、帽子屋とは帽子屋以外の何者でもなく、男だの女だのの範囲に納まるものではないのだろう、と仲野は勝手に決め付けた。

「勃起不全とかじゃないんだろ?」

「性欲上等」

「で?」

「で? ああ、そう、俺はこの町の向日葵をすべて伐採することに決めた!」

「おお、夏休みの自由研究みたいなもんだな」

「例えがおかしい」

「頑張れ」

「うん、手伝え」

 忙しいから嫌だよ、と眉間にしわを寄せる帽子屋の手には現在六十五巻まで出ている長編マンガが。

「お前俺の部屋でマンガ読んでるばっかじゃんかよ」

「仲野の部屋は適温でクーラー効いてるから好きなんだよ」

「仕事しろよ帽子屋」

「お前の部屋にいないときは大抵仕事してるから気にすんな」

 いいから車貸せよ、と仲野が帽子屋の手からマンガを取り上げる。百八十センチの身長がある仲野と、ぴったり同じ視線で帽子屋が恨めしそうな顔をするがすぐに元の静かな表情に戻った。

「仕事用のバンなんか貸せるかよ、向日葵犯人にされたくないわ」

「共犯になってくれるだけでいいって」

「どうしてお前のためにそんな阿呆なことに付き合わないといけないんだよ」

 そもそも向日葵に八つ当たりしたって好きな女がこの世から消えるわけでもあるまいに、という帽子屋の低い嫌味を、仲野の耳は素通りさせる。


 決行は真夜中。二時も近い暗闇の中。

 結局帽子屋がどこからか軽トラを借りてきてくれた。一ダースの軍手と、草刈り用のホームセンターで買えるような鎌と。助手席に乗り込んだ仲野に、紙袋へ入れたそれらが渡される。

「すげぇ」

「お前、言いだしっぺの癖に本気でなんにも用意してなかったのか」

 帽子屋が咥えタバコでエンジンをかけた。クーラーはほとんど効かないから、と窓が全開になっている。月明かりの中でも随分古そうなトラックと見て取れた。

「大体仲野、お前のセンチメンタルさはどうにかした方がいい」

「ロマンチストなだけだ」

「好きな女を思い出すからって理由で町中の向日葵根こそぎにしようとしてるバカがなに言うか」

「やっぱバカ?」

「ものすごくバカ」

 タバコの煙が窓からの風でぐしゃぐしゃにかき混ぜられる。お互いの声も風に邪魔をされるので、自然と大きくなる。

「そっかバカか、いやー、照れる」

「褒めてねぇっつの、バカ」

 青く白い外灯が涼しくはない夏の夜を照らしている。

 向日葵を伐採する。この目に入らなくする。あのけなげな黄色を目にするたびに、自分のものにならなかった女を思い出すから。 

 だけど。

 本当は自分の目でも潰せばいいのだ。

 向日葵を見たくないのなら。記憶に封をすればいいのだ。彼女を思い出さないように。

 向日葵が憎いんじゃない。

 自分を選ばなかった彼女が恨めしいんじゃない。

 幼馴染みの男が悪いんじゃない。

 腹が立つのは、彼女に想いを告げることもできなかった自分。今更言ってどうなるだろう、彼女を困らせるだけだ。幼馴染みを居心地悪くさせるだけだ。いつか完全に想いを昇華させ、結婚して子供が生まれてその子供が成人して自分達も中年を通り越して、初老に足を突っ込みかけたくらいのときに酒でも飲みながら、いや実は昔お前の子と好きだったんだよ、なんて笑い話をするのが許されるくらいで。

 だけど自分はきっと言わない。

 どんなに時間が経っても、彼女に好きだったとは告げない。

 死んでからも墓場の中で抱き続けて抱き潰して絶対に外へは漏らさない。つまらない、自分自身のプライドのために。手に入らなかった女に、報われない想いを抱いていただなんて誰にも知られたくないから。

「……だっせぇ、」

 自分自身が。

 一番。

 向日葵なんてものに八つ当たりして茶化すしかないこの恋心が。

 痛くて、苦しい。

「おい」

「な、んだよ」

「向日葵さ、ぶった切ったらどうすんだよ」

「え、っと、どうするか」

 考えてなかったのかよ、と前を向いたままの帽子屋が笑う。ラジオもついていない車内で、窓から流れ込むエンジンの音だとかそんなものだけが耳に届く。 

 月は大きい。

 群青の光を放ち、周囲の雲を縁だけ浮き上がらせて照らす。

 夜の空も本当は雲が浮いていて、星が光り、月が昇り、賑やかなのだ。ただ、暗いので誰もその賑やかさに目を向けないだけであって。

「考えてないのか、仲野らしい」

「バカにしてんのかよ」

「バカになら最初からしてる、燃やそうぜ」

「……燃やす?」

 向日葵を。

 燃やす?

「あれ、ほら種がすっげぇ油分だろ? よく燃えると思うんだけど」

「どこで燃やすんだよ」

「川原でいいじゃん、ヤバかったら水ぶっ掛けて逃げようぜ」

 遠くに赤信号。誰もいなくても、きちんと働き続けるお利巧な機械。近くに淡い光を放つ自動販売機。

「……燃やす、か」

 お前の恋心も一緒に昇華させちまえよ、なんて帽子屋は口が裂けても言わないことは分かっているから、仲野は薄く笑って頷く。そういうのもいいよな、と。

 だけどライターとかない、なんて言い出す前に、帽子屋が足元からビニール袋を左手でひょいとつかんで仲野に押し付けた。

 なんだと思って見てみれば、チャッカマンと新聞紙で。

「……お前、本気で用意いいのな」

「仲野がボンクラなだけだ。今度お前の酒奢りで」

「金ない」

「作れ。お前の身体で払われても困る」

 本当にこれって女なのかよ、と呆れながらも、仲野の口からはありがとうの言葉がこぼれた。小さく。帽子屋の耳に届かなければいいとでも思っているくらいの。

 それで結局帽子屋が「よく燃えそうな枯れた、もしくは枯れかけた向日葵」ばかりを仲野に伐採させ、それを荷台にどんどん積んで川原で燃やさせた時は、太陽も昇りかけるんじゃないかと思わせるような白々しい朝四時になっていた。

 一ダースも使わないだろうと思っていた軍手も、仲野が五枚と帽子屋が二枚を使い、それも一緒に川で燃やす。

「……降参、向日葵多すぎ」

 それでもちょっとしたキャンプファイヤーくらいの小山ができた向日葵の残骸は、パチパチと爆ぜてゆっくりと燃えていく。

「水分あるから燃えにくいのな」

「……っていうか、帽子屋。枯れた向日葵ばっかの処理じゃねぇか、俺は町の清掃美化に務めただけのような気がしてきたぞ」

「今更気付くなよ、やっぱバカだ」

「なんだよ、マジでか!」

「せっかく咲いてる綺麗なのを殺してどうする、お前医学生だろ? 女は憎いから美人なのも老いてるのも関係なく殺しちゃいましょ、ってやんねぇだろ?」

「どんな問題とすり替えてんだよ、意味分かんねぇ、意味ない、女嫌いじゃない」

「あたしも眠いんだよ、バカ男のセンチメンタルにつき合わさせられて睡眠時間削ってんだよ、ど阿呆」

「あー、女抱きてぇ」

「お前、襲ったりすんなよ」

「お前じゃ勃起しねぇー」

 くく、と喉の奥が鳴る。

 ゆっくりと燃え始めたと思っていた向日葵は、なんだか黒い煙を上げているだけでいつの間にか火を消していた。

「帰るか」

「どうすんだよ、向日葵」

「あたしの知ったこっちゃねぇ。寝る。帰る。眠い、死ねる」

「そんなお前の運転で帰るのか!」

「軽トラで仮眠取ってから帰りゃいいだろうが」

「俺もか」

「お前は歩いて帰れ」

 服がどろどろで煙臭せぇ、と帽子屋が眉を寄せる。さっさと歩き出して、背を向けたまま仲野に片手だけ上げて見せた。仕方ないので、仲野はその後を追いかける。

「おい、……悪かったな」

 背を向けたままでもはっきりと聞こえるくらいきっちりと鼻を鳴らし、帽子屋が空を仰ぐ。

「残念だったな、向日葵はまだ町に溢れていてお前の恋心は浄化もしてない、せいぜい報われない恋を抱いてめそめそしとけ」

 背中を蹴飛ばしてやろうかと仲野は走り出す体勢になったが、結局笑っただけ出て何もしなかった。

 空が白んでくる。

 朝がくる。

 夜が明ける。

 報われない恋も、いつか終わる。わだかまりは溶け、心の棘は消える。その、はず。

「俺もトラックで寝かせろ」

 声をかけたら、また帽子屋が背を向けたまま右手だけ上げた。言葉はない。なので了解なのだろう、勝手にそう決め付けて、仲野は砂利の川原を歩き出す。

 言葉にもならなかった恋を、まだ心に痛みとして突き刺したまま。

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