クトゥク人の話
あなたはクトゥク人を見たことがあるだろうか?「クトゥク」とはトルコ語で「小さい」を意味するらしい。要するに小人のことだ。いつでもどこからか私達を見ていて、たまに姿を見せるという。数年前まで私はそれを信じるどころか名前すら聞いたことがなかった。はじめてその名前を聞いたのはある親友の話からだった。彼はクトゥク人を見たというのだ。彼の語った話はこういうものだった
それは、信号が赤から青に変わるのを待つ間の一瞬の出来事だったそうだ。どこからか騒がしい音が聞こえて、その友人は音のする方向に目を向けた。しかし、辺りには風で舞い落ちてくる落ち葉しか見えない。だが、その音はどんどん近付いてきてとうとう耳元まで来た。その時、彼は見たのだ。それは目の前を通り過ぎていく落ち葉の中で酒を飲みながら踊っていたらしい。その姿はまるでよく神社に祭られている七福神のようだったという。それはほんの一瞬のことだったらしいのだが、彼は確かに見たというのだ。それ以来彼は一度もクトゥク人を見ていないそうなのだが今でも信じている。
私は全く信じられなかった。彼は別に嘘をつくような人間ではないし、数年前言ったことも冗談か何かだと思っていたのだ。彼はそれから私と会うたびにその話をしてくるようになった。私はそれでも全く取り合わなかった。しかし、最近その状況が変わったのだ。実は私もクトゥク人を見たのだ。それは、私が週末に故郷に帰っていた時のことである。
私の出身の村は東京に比べたらまだまだ田舎で辺りを見回しても高層ビル一つないところだった。いちよ、チェーン店やスーパーもところどころにあるが町というよりは村と言った方が近かった。そんな畑や田んぼしかないところだが、両親はここから離れるのを嫌った。私はそんな両親に年に数回会いに来るのだ。その日も両親の家に向かうところだった。カラスが一羽、道端の少し背の高くなった草むらをつつき回していた。別段と不思議でもなんでもない光景だったのだが、私は何かに引っ張られるようにカラスの方に近づいていった。珍しいことにカラスは人が近づいてもなかなか逃げようとしなかった。やたらと草むらをつつき回している。私は手ごろな石を選んでそのカラスに向かって投げた。するとその石はカラスに当たった。カラスはさすがに身の危険を感じたらしく、しぶしぶといった感じでどこかに飛び去って行った。私はカラスが何をつつき回していたのかがぜん興味がわき、カラスがつついていた辺りを探してみた。だが、結局何も見つかることはなく骨折り損のくたびれ儲けと土にまみれた服だけを持って私は両親の家に行くこととなったのだ。
両親との団らんをしているうちに外があかね色に染まってきたので私は帰ることとした。私は自分の家に帰る支度をして両親に別れを告げて外に出る。するとどうだろう。さっきまできれいに晴れていたはずの空に突然黒い雲が現れ出し、一分後には雨が強い風と共に暴れ出し、太陽は厚い雲に覆われまるで急に夜になったような雰囲気だった。前も見えず、強い風にあおられ立っているのもやっとだった。幸い次の日は休日で仕事もなかったので、両親の勧めもあり、私はその日両親の家に泊まることとなった。
嵐は深夜になってもいっこうにやむ気配を見せず、私は昔使っていた畳部屋の中で雨や風の音に耳をそばだてながら横になっていた。だが、外のごう音のせいだろうか。全く寝付けなかったのだ。目がさえて暗闇でもよくものが見えるようになっていた。私はどうやったら眠れるのだろうと思いふと天井を見上げた。その時だった。天井から何かが降ってくるのが見えたのだ。それは私が寝ている布団の横に落ちた。私は雨漏りでもしていては大変だ、と思いその場所を起き上がってよく見てみた。すると、14個の赤く光る目が見えた。よく目を凝らしてみると、七個の影がうごめいてるのが見えた。それは私の親指ぐらいの大きさであった。その時、私は友人の話を思い出したのだ。こいつらが例のクトゥク人ではないかと。そう思っていると、どこからか声が聞こえてきた。
「失礼つかまつります。今日はわしの命を助けていただきありがとうございました。」
その声は、しわがれ声で何か雰囲気を和ませるような声だった。私はしばらくボーッとしていた。すると、またどこからか声が聞こえてきた。
「このご恩は決して返せるものではございませぬが、少しでも返したく、ここに参ったしだいでございます。」
私はその声が目の前のクトゥク人から発せられていることにようやく気がついた。
「き、君たちは何ものなんだい・・・?」
私は思わずそう聞いていた。彼等はそれを聞いて慌てたように言った。
「失礼つかまつりました。私共は今日あなた様にカラスと言うあの恐ろしいけだものから命をお救いいただいた衆でございます。何分見ての通り、私共はこのように体が小さいのでございましてよくあのようなものに狙われるのです。今日はほんとに死ぬところでしたがこのようにあなた様にお救いいただき感謝しきれないほどでございます。」
私はそれを聞いてようやく彼等が何をしに来たのかを知った。だが、その小さい体で彼等に何ができるのだろうと少し興味がわいたのだ。
「じゃあ、君たちはその御恩返しとやらで何ができるんだい?」
すると、彼等はがやがやと言った。
「わしらはあなた様の願いを一つだけかなえることができますぞ。何でも言ってくだされ。」
私はその時、ばかげていると思った。彼等はその体で何でもできると言うのだ。カラスに襲われて命からがら逃げた彼等が何でもできると言うのだ。もう、笑うしかなかった。だが、その笑いをこらえて、私は言った。
「じゃあ、一生、生活に困らないようにしてくれ。」
私はその時、彼らにはどうせ出来ないだろうと思っていたのだ。だが、私がそう言った瞬間、彼らの姿はかき消えていた。気がつくとあれだけうるさかった嵐も過ぎ去っていた。まるで何事もなかったかのようにシーンと静まり返った空気の中に虫の音だけがほんのりと流れてくる。私はさっきまでのことはすべて夢だったのではないかと思った。そう思うと、本当にさっきまでの出来事が夢だったような気がして、私はなぜか安堵をおぼえ、そのまま、まどろみの中に落ちていった。
次の朝、私は久しぶりの母の手料理を堪能し帰途についた。道は昨日の雨で泥沼化していた。ただ、その道を歩くたびに昨日の夜の出来事が蘇り、本当にあれは夢だったのだろうか、という思いが私の頭の中を巡った。その思いを私はばかばかしいの一言で打ち消す。だが、それでも頭からは振り払えなかった。途中、少しぶらぶらとどこかの駅で寄り道をしながら住みなれた町の一角にある古ぼけたアパートに帰った。もうその時には、空も暗くなっていた。
私はあまり外食は好むたちじゃなかったから家で夕食の準備をすることにした。そんな時のことだった。玄関の方からドアをドンドンと叩く音が聞こえてきた。私のアパートにはチャイムがついていたはずなのだが、確かにドアをたたく音は聞こえたのだ。私は料理を始めた手を止めて玄関のほうに歩いて行った。その時の私はどう仕様もない怒りを感じていた。それは、料理を途中で中断された怒りかもしれないし、チャイムを鳴らさずにドアを叩いている無法者に対しての怒りかもしれないし、もしかしたら何か別の原因があったのかもしれない。ただ私は、その怒りにまかせて不用心にもドアの先にいるであろう誰かを確認もせずに思いっきりドアを開けた。ドアの先には誰もいなかった。見えたのはアパートのやはり古ぼけたベランダとその先にある闇に包まれた町の姿だけだった。私はさっきまでの怒りの理由も忘れてその光景にしばらく見入ってしまった。まるで、初めて見たような光景だった。いつも、目の前にあったはずなのに。その時、私は夕食作りの途中だったことを思い出して家の中に入ろうとした。さっきまでの怒りなどどこかに言ってしまったようだった。だが、家の前で私はあるものを目にしたのだ。それは少し古ぼけた箱だった。少しかすんでいるが贈り物と書いてあるのが分かった。そのわきには私の名前が書いてあった。送り主の名前は書いてない。私はその箱を振ってみた。何か堅いものが入ってるらしくがたごとと中から音が聞こえてくる。私はふたを開けてみた。中には大きな小判が入っていた。その箱にぎりぎり入るぐらいの金色に光る小判が。教科書でしかお目にかからないと思っていた。慌ててふたをもう一回見る。確かに自分の名前が刻まれている。だが、私には送り主に見覚えはなかった。その夜、私は夕食をすまして送り主のことを考えながら眠りについた。
それからというもの、私の家には五週間、毎週末に小判の入った箱が届けられようになった。私は送り主も分からないままその小判を質屋に持って行くことにした。最初、店員もいぶかしんでいたが結局その小判は1枚10万円という値段となって返ってきた。後で見てみるとなんでも、その質屋は新聞に小判のことで大きく取り上げられ一時は「徳川家の遺産」とまで言われていたらしい。別に名乗りでる気もなかった。私の興味はその時は別の方に偏っていたからだ。私はあらゆる対策を試みてその金貨の送り主を探すことを決めていた。そして、ちょうど金貨が送られ始めてから5週間目にその「犯人」から手紙をもらうこととなったのだ。それは、気付かないうちに玄関に置いてあった。その内容はだいたいこのようなものだった。
「恩返しについて、準備が整いましたのでこうして書簡にあらためましてごあいさつとさせていただきとうございます。あなたの願いである、『一生、生活に困らない』というものは少々御恩返しには到底なしえないと思いまして、恐れながら私達の見解によってとても幸福な人生を送ってもらおうという所存でございます。先日までは乏しいながらも金を送らせていただきました。」
だいたいと言うのは字がとても小さく虫眼鏡で確認したのだが字が崩れすぎていてあまりに内容が読みづらかったからだ。ただ、そこで私はクトゥク人と言う存在を否応なしに認めなければならなかった。なぜならその後、私は会社で順調というよりは恐ろしいほどのスピードで出世し、1年で社長にまで登りつめ、さらに、どんな事業を打ち出そうと必ず成功したちまち巨万の富を得ることになったからだ。
そう言えば、最近クトゥク人を見たと言っていた例の友人に会う機会があったのだ。私はそこで、この体験談を話した。すると、彼はこう言ったのだ。
調べたんだが、七福神って言うのはヨーロッパにある七人の小人の伝説が元になっている話もあるらしいぜ、と。
どうも、はじめまして。この作品は学校で出させてもらいました。これからも、学校で出したショートショート出してくので見てもらえるとうれしいです