王太子の心の声がうるさい
王宮の一室。
心地よい昼下がりの陽光が差し込む部屋で、
私は静かに紅茶をすすっていた。
私の目の前に座っているのは、
この国の王太子であり、
私の婚約者でもあるシギベルト殿下だ。
「……エルネスタ。来週の建国記念パーティーだが、君のドレスの色は決まったのか」
低く、冷ややかで、一切の感情を排した声。
切れ上がった青い瞳は、まるで氷の刃のようだ。
社交界では『氷壁の王子』と恐れられ、
私との婚約も「ただの政略結婚」と噂されている。
だが。
(ああああああああああああ!!!!!)
……始まった。
彼の口は完全に閉じている。
しかし、私の頭の中には、
鼓膜を震わせんばかりの爆音が響き渡っていた。
(エルナ!! 今日の髪型も最高に可愛いよエルナ!!!)
(ハーフアップ!! 天才か!? 誰が編んだの!? 侍女長!? あとで個人的にボーナスを弾ませてくれ!!!)
(ていうか紅茶飲む姿すら美の女神ヴィーナスじゃん……無理、尊い、生きててよかった……!)
私は、ぴくりとも表情を動かさない。
手元のお茶菓子をエレガントに口へ運ぶ。
いつからか、私には彼の『心の声』が丸聞こえになっていた。
最初は耳を疑ったけれど、今ではもう慣れっこだ。
「ええ、シギベルト殿下。殿下の瞳の色に合わせて、薄いサファイアブルーのドレスを仕立てておりますわ」
私が淑女の微笑みを浮かべて答えると、
シギベルト殿下はフン、と鼻を鳴らした。
「そうか。まあ、王太子の婚約者として、最低限の体裁は保ってもらわねば困るからな」
表の顔は、相変わらず冷徹そのもの。
だが、脳内は違った。
(サ、サファイアブルー……ッ!!!!)
(俺の色!! 俺の色に染まってくれるってこと!?)
(おいおいおい待て、心臓がもたん。来週まで俺の命が持つか!?)
(ドレス姿のエルナを見たら、その場で嬉しさのあまり気絶して夜会を台無しにする自信があるぞ!!!)
うるさい。
とにかく、心の声の声量が大きすぎる。
「殿下にお気に召していただけるよう、全力を尽くします」
「……勝手にしろ。私は結果しか見ない」
(好きーーーーーーーっ!!!!)
(そのちょっと困ったように微笑む顔も好き!!!)
(今すぐ抱きしめて『俺だけのエンジェルになってくれ』って叫びたい!!!)
(でもそんなことしたらエルナに嫌われるから、今日も俺は鉄の理性を保つんだ……偉いぞシギベルト、耐えろシギベルト……!)
必死に理性を保とうとしているようだが、
本音の語彙力が完全に崩壊している。
私は笑いをこらえるのに必死だった。
◆
「では、次の議題だ。当日のエスコートの段取りだが――」
シギベルト殿下が書類に目を落とした、その時だった。
カチャ、と小さな音が響く。
私の背後に控えていた見習い侍女の女の子が、
緊張のあまり、おかわりの入ったティーポットを倒しかけてしまったのだ。
「あ、うあ……っ! 申し訳ございません……!」
真っ青になる侍女。
テーブルの端へ、熱い紅茶がじわじわと広がっていく。
シギベルト殿下の視線が、スッと侍女へ向けられた。
その冷たい眼差しに、見習い侍女は完全にすくみ上がっている。
「……下がれ。王宮の給仕としては不合格だな」
冷酷な、突き放すような言葉。
周囲の空気が一瞬で凍りつく。
(おのれえええええええええ茶葉ァァァァァァッ!!!)
しかし、私の脳内には雄叫びが響いていた。
(何してくれとんじゃワレェェェ!!!)
(そっちはエルナの座ってる方だぞ!!!)
(もし万が一、一滴でも熱い紅茶がエルナの国宝級に綺麗な肌にかかったらどうするつもりだ!!!)
(俺のエルナは世界一デリケートなんだぞ!!!)
(……あ、でも、あの侍女、まだ入ったばかりの子か。緊張してたんだな。うん、まぁ怪我がなくてよかったけど、エルナの安全第一だから今回は厳しく言っておこう。あとで部屋に戻ったら、あのサボり魔の侍従長を説教だな)
厳しい言葉とは裏腹に、
心の中では侍女の背景を察して、意外と冷静に対処を考えている。
本当に、この人は損な性格をしていると思う。
私はハンカチを取り出し、
広がってきた紅茶をさっと拭いた。
「殿下、彼女も悪気があったわけではありませんわ。どうか、私に免じてお許しいただけないでしょうか?」
私がそう提案すると、
シギベルト殿下は眉をひそめ、不機嫌そうに私を見た。
「……君がそう言うなら、今回は不問に処そう。おい、早く片付けろ」
「は、はいっ! 失礼いたします!」
侍女がホッとした表情で部屋を飛び出していく。
部屋に、再び二人きりの沈黙が訪れた。
(はぁぁぁぁぁぁぁぁぁん、エルナ優しすぎ……聖女……?)
(不手際を起こした使用人まで庇うなんて、我が婚約者は天使を通り越して女神だったか)
(それに比べて俺のこの態度はどうだ? 冷たすぎないか? 嫌われてない?)
(本当は『エルナが拭かなくていいよ、俺が拭くから!』ってハンカチ奪い取りたかったのに!! どうしていつも高圧的な態度になっちゃうんだ俺のバカ!!)
シギベルト殿下は、片手で顔を覆った。
周囲からは「深く思考を巡らせているポーズ」だと思われているが、
実際はただの自己嫌悪だ。
私は、そっと新しいクッキーの皿を彼の前に差し出した。
「殿下、こちら我が家の料理人が作ったものです。甘さ控えめで、殿下の口にも合うかと」
シギベルト殿下は、覆っていた手をどけ、
クッキーをじっと見つめた。
「……私は甘いものは好まないと言ったはずだが」
「あら、そうでしたかしら?」
知っている。
彼は大の甘党だ。
いつも「王太子たるもの、隙を見せてはならない」という理由で、
周囲には辛党のフリをしている。
(き、きたあああああ!!! エルナの手作り(の手配した)クッキー!!!)
(これ、前にお茶会で俺が『美味い』ってボソッと言ったやつじゃん!!)
(覚えててくれたの!? 俺のために用意してくれたの!?)
(好き!!! 結婚して!!! 今すぐ婚姻届にサインして国境を越えよう!!!)
シギベルト殿下は、相変わらずの無表情で、
手袋をはめた指先でクッキーを1つつまんだ。
そして、上品に口へ運ぶ。
「……ふん。まぁ、及第点だな」
(美味いーーーーーーーーーーーッッッッ!!!)
(脳が溶ける!! 美味すぎて全細胞が歓喜のダンスを踊っている!!!)
(実家の料理人に国家予算並みの褒賞金をあげたいレベル!!!)
ピシッと背筋を伸ばしたまま、
脳内でダンスを踊っている婚約者を前に、
私はついに耐えきれなくなってクスリと笑ってしまった。
「何がおかしい、エルネスタ」
シギベルト殿下が、怪訝そうに私を見る。
「いいえ。殿下が、とても美味しそうに召し上がるので」
「私はただ、及第点だと言っただけだ」
(バレた!? 嘘だろ、俺のポーカーフェイス完璧だったはずなのに!!)
(でもエルナが笑ってくれたからオールオッケー!!! 国民全員にクッキー配りたいくらい幸せ!!!)
冷徹な氷の王子の、うるさすぎる脳内。
世間の誰も知らない彼の本音を聞きながら、
私は「来週の夜会は、どんな面白い心の声が聞けるかしら」と、今から少しだけ楽しみに思うのだった。
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