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第七話 幼馴染

 

 そして六歳の夏の終わり、ヒロに幼馴染ができた。

 正確には、向こうからやってきた。

 その日、ガリウスが商談の相手を屋敷に招いていた。

 同じルーデン市内で宝石の加工と販売を営む商家、アルバ家の主人だった。

 アルバ家のことはヒロも名前くらいは知っていた。


 ローレン商会と取引のある、ルーデン市でも指折りの商家だ。

 玄関先で大人たちが挨拶をしている間、ヒロは書斎で本を読んでいた。


 コンコン、と扉をノックする音がした。

 「はい」

 「ヒロ様、失礼します」

 入ってきたのはマリアだった。

 その後ろに、見慣れない顔があった。


 「アルバ様のお嬢さんがいらしていて……ヒロ様と同い年とのことで、ご挨拶をと思いまして」

 マリアが少し困ったような顔で言った。

 少女は書斎の入口に立って、ヒロの方をじっと見ていた。

 年の頃は確かに同じくらい。

 亜麻色の髪をふたつに結んで、薄い緑色のワンピースを着ている。

 目は大きくて、明るい茶色だ。

 そして今、その目がヒロの顔よりも、部屋の壁一面に並んだ本棚を圧倒的な興味で見つめていた。


 「……本、いっぱい」

 少女がぽつりと言った。

 「うん」

 ヒロが答えると、少女はようやくヒロの顔に視線を戻した。

 「全部読んだの?」

 「ほとんどは」


 少女は目をぱちぱちとさせた。

 それから、にこっと笑った。

 「すごい。私、本好きなのに全然読めなくて。難しい字が多くて」

 「どんな本が好き?」


 「お話の本。冒険のやつとか、魔法使いが出てくるやつとか」

 「そっちはあまりないけど、魔物の生態書とか、冒険者ギルドの報告集ならある」

 少女はまた目をぱちぱちさせた。

 「……報告集?」


 「冒険者が魔物を倒したときの記録。どんな魔物が出てきて、どう倒したかが書いてある。読む?」

 少女は少しの間考えて、それから「読む」と頷いた。


 マリアが「ご挨拶は……」と小声で言ったが、もう遅かった。

 ヒロは棚から一冊を引き抜いて、床に座り込んだ。

 少女もそれに倣うように、当然のようにヒロの隣に座った。

 マリアは少しだけ呆れたような顔をして、でも口元に笑みを残しながら扉を閉めて去っていった。


 「名前、なんていうの」

 しばらく本を覗き込んでいた少女が聞いた。

 「ヒロ。ローレンのヒロ」

 「私はセナ。アルバのセナ」


 少女——セナはそう言って、また本に目を落とした。

 ページには、フォレストウルフと呼ばれる魔物の生態が図と共に書かれていた。

 「これ、こんなに大きいの?」

 セナが図の脇に書かれた体長を指差した。

 「成体で体高が人間の肩くらいまであるらしい。群れで行動するから一対一ならともかく、複数に囲まれると冒険者でも危ない」


 「冒険者って強いのに?」

 「冒険者にも等級がある。ギルドランクでEからSまで。フォレストウルフの群れはCランク相当だから、D以下の冒険者が遭遇したら逃げる一択になる」

 セナはへえ、と言いながらページをめくった。

 「ヒロって、なんでこんな本ばっかり読んでるの?」


 「知りたいから」

 「何を?」

 「強くなるために、まず敵のことを知っておきたい」


 セナがヒロの顔を見た。

 「強くなって、どうするの?」

 ヒロは少し考えてから、答えた。

 「人を助けられるようになりたい」

 セナはしばらくヒロの顔を見ていた。

 それから、ふんふんと頷いた。


 「いいと思う」

 「そう?」

 「うん。私、そういうの好き」

 セナは迷いなくそう言って、また本に視線を戻した。


 ヒロは少し意外に思いながら、同じように本に目を落とした。

 (さっぱりした子だな)

 変に驚いたり、馬鹿にしたり、難しい顔をしたりしない。

 ただ「いいと思う」と言った。

 それだけだった。


 ヒロは少しだけ、その横顔を見た。

 亜麻色の髪が、夏の終わりの光を受けて、薄く輝いていた。


 それからセナは、父親のアルバ家主人がローレン商会に来るたびに、一緒に屋敷を訪れるようになった。


 最初は月に一度だったが、気づけば週に一度になっていた。

 ガリウスとアルバが商談をしている間、ヒロとセナは書斎か庭にいた。


 「ヒロ、これどういう意味?」

 セナは難しい字に当たると、必ずヒロに聞いた。

 「魔力収束、って意味。魔法を使う直前に、回路の中の魔力を一点に集中させること」

 「じゃあこれは?」


 「魔法陣の起動条件。この図の中央に魔力を流し込んだとき、周囲の術式が連動して動き始める仕組み」

 「なんで知ってるの、そんなに」

 「読んだから」

 「読めば全部わかるの?」

 「読むだけでは完全にはわからない。でも読まなければ始まらない」


 セナはうーん、と唸って、また本に向かった。

 ヒロは隣でそれを見ながら、内心で少しだけ笑っていた。

 セナが本を読むときのスピードは遅い。

 難しい言葉に当たるたびに止まるし、図の意味を理解するのも時間がかかる。


 でも、一度わかったことは絶対に忘れない。

 「ヒロ、前に話してた火魔法のあれって」

 「燃焼持続の仕組みのこと?」

 「そう! あれもう一回教えて」

 「前回説明したのと同じでいい?」

 「うん。もう一回聞くと、もっとちゃんとわかる気がして」


 ヒロは少しだけ驚いた。

 復習のために何度も聞く、というのは、実は相当に頭を使う行為だ。

 セナは読むのは遅いが、記憶の定着には人一倍こだわっていた。

 (なかなか、侮れない)

 ヒロはそう思いながら、もう一度説明を始めた。


 庭での鍛錬も、セナが来た日は一緒にやるようになった。

 といっても、セナが望んだわけではない。

 最初はヒロがいつも通り走り始めたのを見て、セナが「私もやる」と言い出したのだ。


 「鍛錬だよ。遊びじゃないけど」

 「わかった」

 「走ってから腕立て伏せと体幹もやるけど」

 「わかった」

 セナは迷いなく頷いた。

 そして実際にやり始めると、音を上げなかった。


 走る距離についてこれなくなっても、歩きながらでも続けた。

 腕立て伏せが一回もできなくても、腕を曲げようとする動作をやめなかった。

 「……なんで、そんなに続けるの」

 ヒロが聞くと、セナは少し息を切らしながら答えた。


 「できないから、やめるのは嫌い」

 「できないうちにやめたら、もったいないでしょ」

 それだけ言って、また前を向いた。

 (この子は、そういう子なんだ)

 ヒロはセナの背中を見ながら、静かにそう思った。


 読むのは遅いが諦めない。

 体力がないが続ける。

 できないことに向き合って、やめない。

 (俺と、少し似ている部分があるな)

 前世でずっとそうしてきた自分と、重なるところがあった。


 「セナ、腕の位置はこうした方がいい」

 「こう?」

 「もう少し肩を落として」

 「……こう?」

 「そう」

 セナはそれを聞いて、また腕立て伏せに挑戦した。


 今度は膝をついたままだったが、ちゃんと一回だけ下がって上がった。

 「できた!」

 「できた」

 セナは振り返って、満面の笑みを向けてきた。

 ヒロはその笑顔に、少し目を逸らした。

 (まぶしいな、なんか)

 そう内心で思いながら、「次は二回」と言って立ち上がった。


 七歳になった春、ヒロは書斎の本棚を改めて眺めた。

 冊数は気づけば六十冊を超えていた。

 魔法理論はひと通り押さえた。

 属性別の特性も、魔物の生態も、ハーレシアの地理も、冒険者ギルドの仕組みも、ひと通り頭に入っている。

 スキルは——

  【身体強化 Lv.18】

  【成長 Lv.6】

  成長スキル 現在倍率:13.5倍


 着実に上がっていた。

 七歳の体でできる限りの鍛錬を、毎日続けた結果だ。

 使用人たちはヒロを見るたびに「ヒロ様は本当に立派になられて」と言った。

 ガリウスは商談の相手に「うちの息子は賢い」と自慢するようになっていた。


 エリナは時々、夜に書斎をのぞいて、読書中のヒロの頭をそっと撫でた。

 「無理しちゃダメよ」

 「してないよ」

 「子供は遊ぶのも大事なのよ」

 「セナと遊んでる」

 エリナは少し笑った。


 「それは遊びじゃなくて鍛錬よ、絶対に」

 ヒロは何も言わずに本のページをめくった。

 エリナはため息をついて、それでも嬉しそうに部屋を出ていった。


 七歳の秋、セナとふたりで庭のベンチに並んで座っていたとき、セナが唐突に言った。

 「ねえ、来年の儀式のこと、考えてる?」

 「考えてる」

 「どんな属性が出ると思う? ヒロは」

 「わからない」

 「わからないの? あんなに魔法の本読んでるのに?」


 「属性は本で読んでもわからない。実際に調べないとわからないから」

 セナはふうん、と言いながら足をぶらぶらさせた。

 「私は火だといいな。かっこいいから」

 「使いやすいのは風らしい。制御の自由度が高いから」


 「でも火の方がかっこいいじゃない」

 「そうかな」

 「かっこいいよ絶対。ヒロは何がいいの?」

 ヒロは少しだけ考えた。

 「強くなれるなら、なんでもいい」

 セナはまたふうん、と言った。

 「ヒロらしいね」

 「そう?」

 「うん。ヒロって、かっこいいかどうかより、役に立つかどうかで考えるから」

 「そういう考え方だから?」

 「そういう考え方だから」

 セナはにこっと笑った。


 「でも私は、ヒロのその考え方がいいと思ってる」

 ヒロは少しだけ黙った。

 「……ありがとう」

 「どういたしまして」

 セナはあっさりとそう言って、また足をぶらぶらさせ始めた。


 秋の風が、ふたりの間を通り抜けた。

 ヒロは空を見上げた。

 晴れた、青い空だった。

 (あと一年で、判定の儀か)


 どんな結果が出るのかはわからない。

 でも今まで積み重ねてきたことは、確かにある。


 本で読んだことは全て頭に入っている。

 体は鍛え続けている。

 スキルは上がり続けている。

 あとは——儀式の日を待つだけだ。

 「ヒロ、明日も走る?」

 セナが聞いた。

 「走る」

 「一緒にやる」

 「ついてこれるの?」

 「ついてくから」


 セナはきっぱりとそう言って、ベンチから降りた。

 ヒロもそれに続いて立ち上がった。

 ふたりで並んで、屋敷の庭を歩き始めた。

 ハーレシアの秋の空は、どこまでも高く澄んでいた。


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