第六話 魔法の本
五歳の誕生日を迎えた朝、ヒロは父のガリウスに頼み込んだ。
「魔法の本が読みたい」
「魔法の本?」
「理論書。魔法がどういう仕組みで動いているか書いてある本」
ガリウスは少しの間、息子の顔を眺めた。
五歳の子供が、魔法理論書を読みたいと言っている。
普通であれば首を傾けるところだが、ガリウスはもうヒロの「普通ではなさ」に慣れていた。
「……何冊か揃えてやろう。ただし読んでわからなくても、父さんには聞くなよ。魔法のことはさっぱりわからんから」
「わかった。ありがとう」
三日後、ガリウスが街の書店から抱えて帰ってきたのは、大小合わせて七冊の本だった。
魔法概論、属性魔法の基礎、魔力回路の仕組み、魔法陣入門。
どれも子供向けではなく、大人が読む実用書だった。
エリナが「読めるの?」と心配そうに言ったが、ヒロはすでにその場で一冊目を開いていた。
ハーレシアにおける魔法の仕組みは、おおよそこうだった。
人の体内には「魔力回路」と呼ばれる経路が張り巡らされており、そこを流れる魔力を外部に放出することで、様々な現象を引き起こす。
魔力の属性は大きく六つに分類される。
火、水、風、土、光、闇。
属性によって使える魔法の系統が変わり、複数の属性を持つ者は様々な魔法を組み合わせて使える。
魔力の量は個人差が大きく、生まれつきの素質に加えて、日々の鍛錬でもある程度は増やすことができる。
ただし限界値はほぼ生まれつき決まっており、どれほど鍛錬を積んでも、素質のない者が素質のある者を超えることは難しい。
(仕組みはわかった。でも、使えるかどうかは別の話だな)
ヒロは本を閉じて、天井を見上げた。
一冊目を読み終えたのは、受け取った翌日の夕方だった。
前世での読書習慣と、三十二年分の語彙力があれば、難解な理論書も読むのにそれほど時間はかからない。
わからない用語は書き出して、次の本で照らし合わせる。
それを繰り返せば、だいたいのことは把握できた。
(次は属性ごとの特性を頭に入れよう。戦いに使うなら、攻撃と防御と回復、それぞれどの属性が向いているかを知っておく必要がある)
ヒロはまた次の本を引き寄せた。
窓の外では、夕暮れの空が橙色に染まっていた。
ヒロが魔法の勉強に没頭しているという話は、あっという間に屋敷中に広まった。
「昨日も夜遅くまで本を読んでいたそうですよ」
「理論書を七冊全部読んだって本当ですか」
「先週、ガリウス様がまた新しい本を十冊買ってきたとか……」
使用人たちがひそひそと話し合っている声を、ヒロは廊下を歩きながら何度も耳にした。
特に気にしてはいなかった。
勉強しているのは事実だし、別に隠すことでもない。
ただ、使用人たちの自分を見る目が、以前よりも少し違うことはわかった。
「ヒロ様、今日は何の本を読んでいたんですか?」
マリアがある日、好奇心を抑えきれない顔で聞いてきた。
「魔法陣の構造について」
「まあ……難しくないですか?」
「難しい。でも面白い」
「どんなところが面白いんですか?」
ヒロは少し考えた。
「魔法陣って、魔法を安定させるための設計図みたいなものなんだ。体内の魔力回路を外部に書き出して、誰でも再現できる形にしたもの。魔法が使えない人でも、正確な魔法陣と十分な魔力があれば、理論上は高位の魔法を使えるらしい」
マリアはぽかんとした顔をしてから、くすりと笑った。
「……すごいですね、ヒロ様。私、そんなこと考えたこともなかったです」
「使えれば使えるで、仕組みは知らなくてもいいもんね」
「でもヒロ様は、仕組みから知りたいんですね」
「知らないより知っている方がいい。使えるようになってから困るより、今のうちに頭に入れておく方が合理的だから」
マリアはまた笑って、「本当に変わったお方ですね」と言いながら洗濯物を抱えて歩いて行った。
ヒロはその背中を見送って、また書斎に戻った。
六歳になる頃には、ヒロの書斎には本が三十冊を超えていた。
魔法理論だけでなく、ハーレシアの歴史、魔物の生態、地理、戦記物。
読める本は片端から読んだ。
魔物の生態については、特に念入りに調べた。
案内人が言っていた魔王の復活は、今この時代においても続いている問題だ。
ヒロが転生してきた現在も、ハーレシアの辺境では魔物の活性化が続いており、冒険者ギルドが対応に追われているという話を商人のガリウスから何度か聞いていた。
(強くなる必要がある。そのためにも、敵のことを知っておかなければ)
魔物の弱点属性、行動パターン、群れを成すものと単独で動くもの。
本に書かれていることを頭に入れながら、ヒロは庭での鍛錬も続けていた。
【身体強化 Lv.12】
【成長 Lv.5】
成長スキル 現在倍率:11.0倍
スキルのレベルは着実に上がっていた。
六歳の体でできることには限界があるが、意識的に動かし続けた積み重ねが、数字に出ていた。
走る。
体幹を鍛える。
バランスを取る練習をする。
どれも子供の遊びの延長線上に見えるが、ヒロの中では全てが訓練だった。
「ヒロ様は本を読むときも走るときも、同じ顔をしていますね」
マリアがまたそんなことを言った。
「どんな顔?」
「真剣な顔、というか……どこか遠くを見ているような顔、とでも言えばいいのか」
ヒロは少し考えた。
「先のことを考えながらやってるから、かもしれない」
「先のこと?」
「うん。今これをやっていると、あとでこれができるようになる、ってこと考えながら」
マリアは少しの間黙ってから、やわらかく微笑んだ。
「……ヒロ様は、本当にしっかりしていますね」
ヒロは照れるでもなく、ただ「そうかな」と言って走り出した。




