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第二話 転生

 英雄が次に気づいたとき、自分はどこかに立っていた。

 足元を見ると、地面があるようなないような、白く靄のかかった空間だった。


 上を見ても同じ。

 右を向いても左を向いても、どこまでも続く白い世界。


 光源はどこにもないのに、全体がほんのりと明るい。

 夢の中のような、どこか現実感のない場所だった。

 英雄は自分の手を見た。

 ちゃんとある。


 スーツも着ている。

 体の感覚は、さっきまでとは違って普通に戻っていた。

 痛みもない。

 (……死んだのか、俺)

 割とあっさりとした実感と共に、英雄はそう思った。


 「目が覚めましたか」

 その声は、突然聞こえた。

 英雄が振り返ると、いつの間にかそこに人影があった。


 白い衣をまとった、性別のはっきりしない人物だった。

 顔は穏やかで、年齢も読み取れない。

 ただ、その立ち姿から漂う静けさには、不思議な安心感があった。

 英雄は警戒するより先に、「あなたは誰ですか」と口から出ていた。


 「案内人と申します」

 その存在は、静かに言った。

 「魂が新たな場所へと向かう際に、橋渡しをする者です。結城英雄さん、あなたの旅立ちに際して、いくつかご説明することがございます」


 英雄はしばらく黙って、案内人の顔を見た。

 「……俺は死にましたか」

 「はい」

 「女の子は?」

 「無事です。擦り傷ひとつなく、助かりました。あなたが庇ったおかげです」


 英雄は静かに息を吐いた。

 「それならよかった」

 本当に、それだけで十分だった。

 案内人は少しだけ表情を和らげてから、続けた。

 「本題に入らせていただいてもよろしいでしょうか」

 「どうぞ」


 「あなたの魂には、いくつかの選択肢があります。このまま消えることもできますし、あるいは別の世界で生まれ直すこともできます」

 「別の世界、というのは?」


 「異世界転生、という言葉をご存知ですか」

 英雄は少し考えた。

 「知ってます。小説でよく読むやつですね」

 案内人がわずかに表情を崩した。


 「……ご存知でしたか」

 「まあ、知識として。実際に体験することになるとは思いませんでしたが」


 異世界の説明は、思ったよりも詳しかった。

 案内人が語るその世界の名は「ハーレシア」といった。

 「魔法が存在する世界です」

 案内人は落ち着いた声で語り始めた。


 「人は生まれつき、あるいは鍛錬によってスキルを習得し、そのスキルによって人生の在り方が大きく変わります。戦士、魔法使い、商人、農夫……さまざまな生き方がある世界です」


 「魔法使いや戦士が普通にいる世界なんですね」

 「はい。剣と魔法が共存する世界とお考えください。ただ現在、その世界は大きな脅威に直面しています」

 「脅威?」

 「魔王の復活です」

 英雄は少し眉を上げた。


 「魔王……」

 「三百年に一度、大地の深くから這い出すと言われる魔の存在です。現在は復活の兆しがあり、各地で魔物の活性化が報告されています。


人々は恐怖の中で生活しており、世界は不安定な状況にあります」

 なかなかシリアスな世界だ、と英雄は思った。


 「そしてあなたには、その世界で新たな生を受けていただくことが可能です」

 案内人が続ける。


 「あなたは命を懸けて子供を庇った。その行いに対して、私どもとしても相応の配慮をしたいと考えています。転生先の環境を整えることができます。裕福な貴族家に生まれることも、強い加護を持って生まれることも、魔王とは無縁の平和な地域で安穏と暮らすことも——選択肢として用意できます」


 英雄はしばらく黙って聞いていた。

 裕福な環境。

 平和な暮らし。

 安穏とした人生。

 悪くない、とは思う。

 前の人生では何も成し遂げられないまま三十二歳で終わった。


 今度くらいは楽に生きてもいいんじゃないか、という声が頭のどこかで囁く。

 英雄はその声を、静かに押しやった。

 「……少し、考えさせてください」


 目を閉じると、記憶が流れてきた。

 幼い頃の自分。

 テレビの前で正座して、ヒーローが変身するシーンに釘付けになっていた自分。

 「俺もああなりたい」と思っていた、あの頃の気持ち。


 公園でひとり走り込みをしていた中学生の自分。

 格闘技ジムでボコボコにされて、布団の中で悔しくて泣いた夜。

 消防士の訓練で足を痛めた日。

 警察学校の廊下を、荷物を持って歩いた朝。

 どれも、うまくいかなかった記憶ばかりだ。

 でも、英雄には覚えていることがある。


 どの瞬間も、自分は「諦めたくない」と思っていた。

 強くなりたかったのは、自分が強くなりたいからじゃない。


 誰かが危険な目に遭ったとき、自分がそこに立っていたかったから。

 誰かを守れる人間になりたかったから。

 ずっとそれだけを、三十二年間抱えてきた。

 そして今日、最後の最後で、ようやくそれが少しだけできた。


 あの子を助けられた。

 英雄はゆっくりと目を開けた。

 案内人を真っすぐに見た。


 「やっぱり、人を助ける生き方をしたいです」

 案内人は静かに聞いていた。

 「平和な暮らしは」

 「魅力的だとは思います。でも俺には向いていない」

 英雄はきっぱりと言った。


 「前の人生でも、結局最後まで諦められなかったんですよ、ヒーローへの憧れを。異世界に行っても、きっと同じになる。それなら最初から、その道を選びたい」

 沈黙があった。


 案内人はじっと英雄の顔を見ていた。

 やがて、静かに頷いた。


 「……わかりました。では、望む能力はありますか」

 英雄は迷わなかった。

 「ヒーローになれる力が欲しいです」


 しかし案内人の表情が、わずかに曇った。

 「……実は、ここで一点だけ正直にお伝えしなければならないことがございます」


 「なんですか」

 「ハーレシアには数多くのスキルが存在します。剣術、魔法、治癒、索敵——様々なスキルが体系化されています」


 「はい」

 「しかし、『ヒーロー』というスキルは——存在しないのです」

 英雄は少し黙った。

 「……そうなんですか」


 「はい。ヒーローとは状態ではなく、生き方そのものです。スキルとして定義されてはいない。故に、私があなたに与えられるものは限られてしまいます」

 英雄は腕を組んで考えた。


 「与えられるものは、どんなものですか?」

 「二つです」

 案内人はそう言って、指を二本立てた。

 「ひとつは、身体強化のスキル。あなたの肉体の基礎能力——筋力、速さ、耐久性——を底上げするスキルです。これ単体では特別強いわけではありませんが、確実な土台になります」


 「もうひとつは?」

 「成長のスキルです」

 英雄は首を傾けた。

 「成長……」

 「経験を積むことで、通常の人間より遥かに速いペースでスキルや能力が伸びるという特性です。限界も、通常より高い。努力した分だけ、人よりも大きく成長できる」

 英雄はその言葉を、頭の中でゆっくりと繰り返した。

 「……つまり、チートなし、ってことですよね。最初は弱い」


 「はい。それに転生直後は赤子です。スキルがあっても、最初は何もできません」


 「でも続けていけば、どこまでも伸びていける」

 「可能性としては、そうです。ただし、努力しなければ成長はしません。また、ハーレシアは今、危険な世界です。弱いうちは、魔物一匹にも命の危険があるでしょう」


 英雄は少しの間、沈黙した。

 それから、口の端をわずかに持ち上げた。

 「俺、前の人生でずっと思ってたんですよ」


 「‥何をですか?」

 「才能がなくても、諦めなければいつか届くんじゃないかって。結果的には届かなかったけど……でも、諦めるという選択肢だけは取らなかった自信はある」

 英雄は案内人を見た。


 「その二つのスキル、もらいます。身体強化と成長。それで十分です」

 案内人がゆっくりと瞬きをした。

 「本当によろしいのですか。もっと楽に生きる方法もありますが」


 「いいです。俺、もともと要領よくないんで。遠回りの方が、性に合ってるかもしれない」

 英雄は少し笑った。


 「でも一回諦めてヒーローの夢を捨てたつもりが、結局最後まで引きずってたんだから、今度はちゃんと向き合いたい。変なこだわりですけど」


 案内人は、しばらく英雄の顔を見つめていた。

 そして、ゆっくりと微笑んだ。

 先ほどよりも、ずっと柔らかい表情で。


 「……変なこだわりでは、ないと思います」

 「そうですかね」

 「あなたは三十二年間、その想いを手放さなかった。それはとても、強いことです」


 英雄は少し照れたように、視線を外した。

 「強いとは言えないですよ。なんにもなれないまま終わったんだから」

 「でも、今日。あなたはあの子を助けた」

 英雄は黙った。


 「誰かを守りたいという想いが、今日あなたの足を動かした。それは確かな事実です」

 英雄は、その言葉を胸の中でしばらく転がした。


 「……ありがとうございます」

 やがて、静かにそう言った。

 「ではあなたに、スキル『身体強化』とスキル『成長』を付与します」


 案内人が告げた。

 「グランディアでの——失礼、ハーレシアでのご活躍を、お祈りしております。英雄さん」


 「英雄って名前も、なんか出来すぎですよね」

 英雄は苦笑した。

 「ヒーローが好きで、名前が英雄で、異世界に転生するとか。小説だったら読者に設定盛りすぎって言われそうだ」


 「素敵な名前だと思いますよ。あなたにとても、よく似合っている」

 英雄はそれには答えなかった。

 ただ、目を閉じた。


 「――行ってきます」

 「はい。いってらっしゃいませ」

 白い世界が、静かに揺れた。

 英雄の体が、光の中に溶けていくような感覚があった。


 体が軽くなる。

 意識が広がっていく。

 そして。

 (今度は、絶対にヒーローになる)

 そう思ったところで、英雄の意識は一度、完全に落ちた。


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