表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/17

第十話 家族の優しさ

 「食欲はあるか」

 ガリウスが聞いた。


 「……少し」

 「そうか。エリナが今日、お前の好きな肉の煮込みを作ってる。一緒に食べよう」


 それだけ言って、ガリウスは立ち上がった。

 ヒロは少しの間だけ俯いて、それからゆっくりと立ち上がった。


 食堂に入ると、エリナが振り返った。

 何かを言おうとして、でも何も言わずに、ただヒロを強く抱きしめた。

 ヒロは最初は固まっていたが、やがてその温かさに、力を抜いた。


 「色々、つらかったわね」

 エリナが静かに言った。

 「頑張ってたこと、全部知ってる。毎晩遅くまで本読んでたこと、雨の日も走ってたこと、全部見てた」


 「……うん」

 「結果がどうであっても、あなたのそういうところが、お母さんは好きよ」

 ヒロは返事をしなかった。


 ただ、少しだけ、エリナの腕に力を返した。

 その夜の肉の煮込みは、いつもと同じ味がした。

 温かくて、やわらかくて、優しい味だった。

 ヒロは久しぶりに、ちゃんと食べた。


 しかし屋敷の外の世界は、家の中ほど優しくはなかった。

 それをヒロが実感したのは、判定の儀から一週間が経った頃のことだった。

 ガリウスに連れられて、街の市場に出かけた日のことだ。

 市場は賑やかだった。


 野菜や肉を売る声、子供たちの笑い声、荷車の車輪が石畳を転がる音。

 しかしヒロが歩くと、いくつかの視線が向いてきた。

 明らかに不自然な視線だった。

 ヒロと目が合うと、さっと逸らされる。

 でもその直後、小声でひそひそとする気配がする。


 「ローレン家のご子息よ」

 「ああ、判定で適性なしが出た子か」

 「信じられないわね。商人の家の子供でも、普通は何か出るのに」

 「ちょっと、聞こえたらどうするの」


 声を潜めているつもりだろうが、ヒロには聞こえていた。

 ガリウスも聞こえているはずだった。

 しかし父親は表情を変えずに、ヒロの隣を歩き続けた。


 「気にするな」

 小声でそう言ってくれた。

 でもヒロは、気にするなと言われた言葉よりも、視線の刺さる感触の方が、ずっと残った。

 (適性なしは、この世界ではそういう目で見られる存在なんだ)


 頭では知っていた。

 本にも書いてあった。

 魔法適性なしは極めて稀であり、社会的な役割において著しく不利になる場合がある、と。

 でも、実際に体で感じると、全然違った。


 それからは、外に出るたびに似たようなことが起きた。

 街で顔見知りに会うと、以前と明らかに態度が変わっていた。

 ガリウスの知人が挨拶してきても、ヒロに向ける目が違う。


 かつては「ガリウス様のご子息ですか、賢そうなお子さんですね」と言っていた人が、今は曖昧に笑うだけだった。


 あるいは、露骨に視線を合わせなかった。

 子供たちの反応は、もっとはっきりしていた。


 街の路地で同じ年頃の子供とすれ違ったとき、相手がこちらを見てから、連れの友人に耳打ちをした。

 何を言っているかは聞こえなかった。

 でも、その後に向けられた目の意味は、わかった。

 (珍しいものを見る目だ)


 あるいは、そこにいてはいけない場所にいる何かを見る目。

 ヒロは黙って前を向いて、歩き続けた。

 前世でも、こういう目に慣れようとしたことがある。

 警察学校を辞めたときだ。

 落伍者を見るような目を、何度か向けられた。

 でも前世よりもこれは、もっと直接的だった。


 前世では自分の失敗が原因だったが、今回は生まれつきのことだ。

 何もしていないのに、何かを失敗したわけでもないのに、ただ存在しているだけで、そういう目を向けられる。

 (理不尽だな、と思う反面)

 (これがこの世界のルールなんだとも思う)


 ヒロはそれを、静かに受け取った。

 そしてセナとの交流も少しずつ変わっていった。

 判定の儀から二週間が経った頃、セナからの訪問が途絶えた。


 以前は週に一度は屋敷に来ていたのに、その週は来なかった。

 次の週も来なかった。

 ヒロは最初、四属性持ちが判明して忙しくなったのだろうと思っていた。


 王立学園からの招待状が届いているはずだし、準備で手が回らないのかもしれない。

 しかし三週間が経った頃、マリアが少し気まずそうな顔で言った。


 「ヒロ様……アルバ家のセナお嬢様なんですが」

 「何かあった?」

 「その……先日、アルバ様がガリウス様のところに来られて。セナお嬢様との交流について、少し……話があったそうで」


 ヒロは静かにマリアの顔を見た。

 「どんな話?」

 マリアは少し迷ってから、答えた。

 「セナお嬢様は王立学園の特別クラスに入られます。それに伴って、今後の交友関係を……整理したいという話が」


 「整理」

 「はい……。適性のある者とない者では、今後の歩む道が大きく異なるので。娘の将来のためにも、と」

 ヒロは少しの間、黙っていた。

 「つまり、仲良くするなってことかな‥」


 マリアは答えなかった。

 その沈黙が、答えだった。


 その翌日、セナが一人でローレン家の門をくぐってきた。

 こっそり来た、という雰囲気だった。

 いつものように書斎の扉をノックして、「ヒロ、いる?」と声をかけてきた。


 「いる」

 「入っていい?」

 「いいよ」

 扉が開いて、セナが入ってきた。

 亜麻色の髪が少し乱れていた。

 走ってきたのかもしれない。


 セナはヒロの顔を見て、少しだけ唇を噛んだ。

 「聞いた?」

 「だいたいは」

 「……ごめん」

 「セナが謝ることじゃない」

 「でも」

 「お父さんの判断でしょ。セナが決めたことじゃない」


 セナはぎゅっと手を握った。

 「私、ヒロのことを避けるつもりなんてない。お父さんには何度も言った。でも……」

 「四属性持ちが判明したセナの交友関係に、適性なしが混じっていたら都合が悪い、ってこと?」


 セナは、何も言わなかった。

 その沈黙が、そうだという意味だった。

 ヒロは少し笑った。

 笑うつもりはなかったが、なんとなく口の端が上がってしまった。


 「仕方ないよ」

 「仕方なくない」

 「この世界のルールがそういうものだから」

 「ルールがおかしい」

 セナの声が、少し震えた。


 「ヒロは何も悪くない。あんなに勉強して、あんなに頑張って、それで適性なしって言われて、それだけで避けられるなんておかしい」

 「おかしくても、そういう世界だから」

 「……ヒロは怒らないの」


 ヒロは少し考えた。

 「少し怒ってるかも」

 「じゃあ」

 「でも怒っても変わらないことに、エネルギーを使うのはもったいない」


 セナはヒロをじっと見た。

 その目が、泣きそうに揺れていた。

 ヒロは目を逸らした。

 セナに泣かれると、自分も泣きそうになるとわかっていたから。


 「王立学園、頑張って」

 ヒロは静かに言った。

 「四属性持ちなんだから、絶対すごくなれる。俺なんかと一緒にいるより、ちゃんとした環境で勉強した方がいい」


 「ヒロと一緒にいることが無駄だなんて思ったことない」

 「そういう意味じゃない」

 「同じことでしょ」

 「……セナ」


 ヒロはセナの顔を、真っすぐに見た。

 「お前のことを応援してる。本当に。だから行ってほしい。それだけだ」

 セナは唇を噛んだまま、しばらくヒロを見ていた。


 やがて目を伏せて、小さな声で言った。

 「……絶対に、また会いに来る」

 「来なくていい」

 「来る」

 「来なくて」

 「来るから」


 セナはそう言い切って、振り返って書斎を出た。

 扉が閉まった。

 廊下を歩く足音が遠ざかって、やがて消えた。

 ヒロはしばらく、閉まった扉を見つめていた。


 窓から差し込む光が、本棚の背表紙を照らしていた。

 六十冊以上の本が、変わらずそこに並んでいた。

 (また、ひとつ)


 ヒロは静かに目を閉じた。

 また、ひとつ閉じた気がした。

 前世でも何度もあった。


 届きそうで届かなくて、開きそうで開かなくて。

 それでも立ち上がってきた。

 今回も、立ち上がらなければいけないとわかっている。


 頭では、わかっている。

 でも今夜だけは、まだそれでいいと思った。

 ヒロは椅子に深く腰を沈めて、窓の外の空を見た。

 夕暮れが近づいて、青が少しずつ橙に変わっていく空だった。

 (それでも、やるしかない)


 声に出さなかったが、唇が動いた。

 魔法がなくても。

 偏見の目を向けられても。

 大切な幼馴染と疎遠になっても。

 自分には、身体強化がある。

 成長スキルがある。


 三年間積み上げてきた知識がある。

 そして、前世から引き継いできた、諦めない記憶がある。

 (ヒーローになれなかった男が、また一から始めるだけだ)

 ヒロは目を開けた。

 本棚に手を伸ばした。


 引き抜いたのは、冒険者ギルドの報告集だった。

 魔法を使わない戦士の戦闘記録が載っている一冊だ。

 以前も読んだことがある。

 でも今は、以前とは違う目で読める気がした。

 ページを開いた。


 文字が、今度はちゃんと頭に入ってきた。

 窓の外で、夕暮れの空がゆっくりと色を変えていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ