77. 残された者 (のこされたもの)
集結――最終日。
夜明けを越え、陽が滲み始めたのに、
二人が待つ“あの一人”は、まだ姿を見せなかった。
王都冒険者学校の正門前。
モネロは落ち着かない様子で、
低い塀を指先で、トン、トンと叩きながら、
何度も周囲を見回す。
その様子に、ついにアイラが耐えきれず口を開いた。
「ねえ、モネロ。なんでそんなにそわそわしてるの?」
返ってきたのは、即座の反論。
「は? アイラだって同じだろ?」
その言葉に、
さっきまで足踏みしていたアイラは、
気まずそうに口角を上げて笑った。
「へへ···私も、ね···」
しばし沈黙。
やがて、恐る恐る言う。
「···どうしよう。本当に···来るよね?」
昨日までは胸を張って
『信じる』と言っていたアイラだったが、
期限が迫ると、焦りが顔に滲んだ。
その時。
別の試験場から戻ってきた冒険者たちが、
次々と校内へ入っていくのが見えた。
一気に周囲が賑わい、
あちこちから安堵の声が上がる。
「皆さん、ご無事でしたか!」
聞き覚えのある、どこか浮ついた口調。
『真夜中の歌』。
そのリーダー、リビエンが遠くから手を振り、近づいてくる。
そして、
リビエンの後ろを並んで歩く二人。
青いリボンの少女、ピナ。
赤いリボンの少女、ピア。
三人とも戦闘の痕跡など見当たらないほど、
きちんと整った身なりだった。
その姿に、アイラは挨拶を返す。
「ご無事で。リビエンさん」
リビエンはいつものように、明るい笑顔で答えた。
「もちろんですよ!
このリビエンが一緒なら、いつだって無事ですとも」
そして、双子の姉妹へ視線を移す。
「ねえ、そうでしょう? お嬢さんたち」
ピナが愚痴るように、語尾を伸ばした。
「はい、はい。
あまりに無事すぎて···退屈なくらいでした」
面倒くさそうに手をひらひら振って、言葉を流すピナ。
リビエンの視線が、
アイラとモネロの背後をなぞる。
「···あれ? 一人、二人···うーん···三人じゃないですね?」
そして、意地の悪い笑みで付け足した。
「まさか、ロイネルさんが···お亡くなりに?」
瞬間、アイラの眉がぴくりと上がる。
「何言ってるんですか!
ライネルが死ぬわけないでしょ!
それにロイネルじゃなくて、ライネルです!」
わざとだ。絶対に。
モネロは軽く目を逸らし、
アイラは両手に力を込めて怒りを押し殺した。
リビエンは笑い混じりで返す。
「ははは。心配してるだけですよ。
ロイネルさんが無事なら何よりです」
そして首を少し傾け、
辺りを見回した。
「それで···どちらに?
僕を驚かせようと隠れてるわけじゃ···ないですよね?」
その問いに、
モネロが一歩前へ出て、落ち着いて言った。
「ライネルは···今、ここにいない」
一瞬、リビエンの瞳がわずかに揺れた。
「···この三日間で、何があったんです?」
その問いに、アイラはしばらく答えを迷い、
慎重に口を開く。
「正確なことは···まだ言いづらいです。
ちょっと···問題が起きて···」
声がだんだん小さくなる。
最後は、届かないほどに掠れた。
その時。
遠くで、ヴゥンと響く拡声魔法。
学校全体を覆うように声が広がる。
『まもなく、試験終了に伴う人員確認を行います。
試験に参加した全冒険者は、指定の場所へ集結してください。』
明瞭な声が校内に響き渡った。
リビエンは顔を向け、
静かにアイラへ視線を送る。
「集合の時間ですね。
一緒に行きましょう」
だがアイラは首を振る。
「···まだ、待たなきゃ」
その答えに、リビエンは目を細めた。
「···そうですか。
とにかく、何事もないといいですね」
短く会釈を残し、
リビエンは二人の横を静かに通り過ぎた。
その後ろを歩いていた双子も立ち止まり、
アイラとモネロへ軽く手を振る。
けれどアイラは、
俯いたまま返せず、ただ立ち尽くした。
隣にいたモネロが、控えめに言う。
「···俺、ちょっと中を見てくる」
「うん」
短い返事。
アイラは顔を上げない。
モネロはそれ以上言わず、静かに去った。
人々が三々五々、門を通り過ぎていく。
アイラは“もしかして”を捨てきれず、
その中を必死に探す。
見慣れた顔。
覚えのある背中。
どこかにいないか。
瞳は止めどなく揺れていた。
両手をきゅっと握り、
独り言みたいに心の中で繰り返す。
信じてる。
信じなきゃいけない。
でも···
その信頼が間違っていないってことを、
一日に何度も確かめたくなる。
「···ライネル。
ねえ、どこにいるの···」
校内は騒がしかった。
確認手続きが進み、
名前が呼ばれるたびに誰かが返事をし、誰かが席を探す。
一方で、
校門の外は、時間が経つほど静かになっていった。
太陽は傾き、
光はじわじわと灰色に染まっていく。
背伸びして遠い通りを見ていたアイラは、
いつの間にか、その場にしゃがみ込んでいた。
(···もう少し。
ほんの少しだけ待とう)
その気持ちで踏ん張っていたのだろうか。
やがて、
頭がゆっくり落ちて、
ぱち、ぱち···
眠気が襲ってきた。
「···アイラ。もう帰ろう」
モネロの言葉に、
少女の表情がさらに暗くなる。
「···うん」
短い返事。
だがその声は、
今まで保ってきた感情が消えていく音みたいだった。
長く待ち続けた足取り。
その重さは、引きずられるように進んだ。
その時。
二人の前に、見覚えのある人物が現れた。
昨日、図書館で会った男。
ヘレニアの直属副官、ペトロ。
彼はアイラの顔を見るなり、
一目で察した。
何かが···思い通りにならなかったのだと。
「···アイラ様?」
だがアイラには、
返す力すら残っていなかった。
彼女に残ったのは、
燃え盛る感情が消えたあとに残る、ひと握りの灰だけ。
そうして、
言葉もなくすれ違おうとする二人。
ペトロは静かに振り返り、
その背中を見送った。
しばらくして。
彼の口から、低く零れた言葉。
「ヘレニア様が···お二人をお呼びです」
その言葉に、
二人の足が止まる。
ゆっくり、
モネロが振り向いた。
「···俺たちを?」
「はい。今すぐご案内します。
ついてきてください」
ペトロの案内で、
二人は黙って歩き出した。
廊下にはまだ試験終了の慌ただしさが残り、
すれ違う者たちは皆、それぞれの話に夢中だった。
だが三人の間には、
妙なほど静寂だけが漂っていた。
モネロは何度も口を開きかけてはやめ、
結局、一言も言えないまま。
アイラは顔を上げることすらなかった。
目的地は、
冒険者学校内――ヘレニアの執務室。
コン、コン、コン。
「ヘレニア様。私です、ペトロ。
お探しの二人をお連れしました」
扉が静かに開き、
二人は中へ足を踏み入れる。
ペトロは扉を閉め、少し退いて、
二人を室内の一角――茶を飲むスペースへ案内した。
小さなテーブルとソファ。
温かな茶の香りが、淡く立ち上っている。
ヘレニアが静かに言った。
「二人とも···来てくれてありがとう」
モネロが頷いて答える。
「いえ」
だが、
アイラは俯いたまま、口を開かない。
その沈黙に、ヘレニアも一度だけ目を細めた。
そして、慎重に声をかける。
「アイラ。
まだ戻らない仲間のことで心が痛むのは、よく分かる」
声には、
これまで見てきた強さとは違う温度が混じっていた。
「でも、あまり思い詰めないでほしい。
学校側も、表向きではないが内部では彼を探している。
腕の立つ者で捜索隊も組んだ···長くはかからない」
しかしアイラは何も言わず、
視線を落としたまま座っていた。
慰めすら染み込まない、
凍りついた感情がそこにあった。
その時。
モネロが、恐る恐る口を開く。
「···俺たち···これからどうなるんですか」
「···このまま、終わりなんですか?」
言葉の端に、
不安と喪失が同時に滲んでいた。
ヘレニアは一度息を整え、静かに言う。
「ちょうど···その話をするつもりだった」
そして続けた。
「正直に言えば···
ライネルが今日中に戻るのが、一番綺麗な結末だった」
「でも···現実は違った」
目を閉じ、短く息を吐いてから、
きっぱりと言い切る。
「今回の件は···明確に学校側の責任だ」
「だから、お前たち二人に限っては、
学校として『入学』を許可することに最終決定した」
モネロの目が丸くなる。
「本当ですか?」
ヘレニアは頷いた。
「もちろん、他の生徒に余計な噂が立たないように、
適切に手は打つ」
「特例は可能な限り静かに処理する。心配はいらない」
だがアイラは、唇を固く結んだまま、
やはり顔を上げない。
「それが···何になるんですか」
小さな声。
それでも、この部屋では誰より大きく響いた。
モネロが驚いて顔を向ける。
「···アイラ、何言って――」
ヘレニアは深く息を吸い、
さらに慎重な声で言った。
「それから、あの少年――ライネルは。
後になってでも発見できたら、
いつでもお前たちのチームへ『合流』させる条件も付けた」
「どうだ。ここまでなら···受け入れられるだろう?」
その言葉に――
ぽた。
ぽた。
アイラの瞳から、
温まった涙が静かに落ちた。
小さな肩が震え、
やがて、ゆっくり頷く。
その様子にヘレニアは頷き返し、言った。
「よし。じゃあ一旦···そういう形で整理しよう」
「二人は『特別推薦』で入学確定。
二次試験は免除だ」
「残りの期間は、十分に休んで整えること」
ヘレニアは黙って立ち上がった。
静かな時間。
冷めていく茶の香りだけが、部屋に残る。
そして――
二人は、
言葉もなく、それぞれの方向へ静かに散った。
ヘレニアは窓辺へ歩み寄る。
黄昏が差す空の下、
窓の外の街は次第に暗くなっていた。
けれどそこには、街なりの秩序とリズムがある。
灯りが一つ、また一つ点き、
店じまいの音が響き、
子どもたちは親の手を握って家路を急ぐ。
すべてが平穏だった。
だがヘレニアの目に映る世界は、
少しずつ、ひび割れていく。
彼女はその景色を黙って見下ろし、
小さく呟いた。
「···学校としても、あの少年の身柄確保は重要だ」
「いずれ人類の敵になるのか、
それとも味方になるのか···
まだ誰にも分からない」
目つきが、ゆっくり鋭くなる。
「そして···
学内にも魔族側の協力者がいるのは、ほぼ確実」
「いろいろと···しばらくは厄介になりそうだな」
短いが重い息が漏れた。
視線はなおも窓の外に留まり、
表情には
人としての憂いと、
指導者としての判断が交差していた。
そうして――
長くも短かった一日が、
沈んでいく。
結局、ライネルは···戻れなかった。




