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73. 謁見 (えっけん)

目の前が見えない、真っ暗な空間。

濃い闇の中、どこが上でどこが下かさえ判別できなかった。


ライネルはゆっくりと目を開けた。

どこだか分からないここ。馴染みがあるようで、同時に見知らぬ――不安だけが残る感覚。


「···また、夢か」


その瞬間、

一本の蝋燭が赤い炎を上げて灯った。小さいが確かな光が、闇を少しずつ押し退けていく。


静寂を裂いて、声がした。


「おい、ガキ。こっちだ」


どこか懐かしくも、耳障りな言い回し。

ライネルは音のする方へ、慎重に歩み寄った。


「だ···誰···?」


「誰って、俺に決まってるだろ。青二才」


その声、その口調。

ライネルの目が大きく見開かれた。


目の前に立つ男。

濃い黒髪、引き締まった体格。見た目は人間に近い。だが額から突き出た二本の角が、彼が人ではないと告げていた。


「あなたは···」


ライネルは反射的に後ずさる。


「···オルタ···? どうして···」


その名を口にした瞬間、

奇妙な存在は口元を歪めて笑った。


「やっぱり···忘れてなかったか。ははは···」


ライネルの視線が鋭く変わる。

身体に力が入り、警戒するように姿勢を立て直した。


「ここは···どこです?」

「なぜ俺が、あなたのいる空間にいるんですか」


オルタは腕を組み、ゆっくり頷いた。


黒髪を掻き乱すように頭を掻いたその存在は、説明が面倒だと言わんばかりに肩をすくめ、だらしなく笑った。


だがすぐに、何かを説くように、

口調がゆっくりと柔らかく変わる。


「いいか、青二才。

ここはお前の魂の深いところであり···同時に俺の場所でもある」


「···何だと?」


ライネルは眉をひそめた。

あり得ない。嘘だと決めつけ、鋭く睨み返す。


「はぁ···まったく。

やっぱり話が通じねえな」


その存在は鉄格子みたいな構造の前まで寄り、

手をひょいと乗せて、簡単だと言うように投げた。


「なあ···この扉、開けてくれねえ?」


「······嫌です。

あなたが何をするか分からない」


ライネルの断固たる拒否。

だが存在は鼻で笑い、声を低くした。


「お前···仲間が全員死んでから開けるつもりか?」


「何を···

仲間がどうして死ぬ···?」


その言葉に、

奇妙な存在は頭を反らし、笑い出した。


「あははははは!!

本当に何も知らなかったのか?

こんな間抜けが俺の器に選ばれるとは···

愚かな人間ども、どこまで無謀になれるんだ?」


その瞬間、

闇に覆われた空間の片隅に、鏡がぼんやり浮かび上がった。


ライネルは反射的に顔を向ける。


そして鏡の中には、倒れた二人。

その身体から、青白い煙がゆっくりと流れ出していた。


それは魂。

誰が見ても、命が抜けていく証だった。


ライネルの指先が震える。

強い不吉さが胸を押し潰した。


「見えるだろ? あいつら···お前の仲間だろ?」

「命がもう残ってねえ。

少しでも遅れりゃ、魂は完全に消える。

その次は···アンデッドになるだろうな」


「何だと···?」


震える声で問い返すライネルに、

オルタはゆっくり、だが明確に続けた。


「今お前らがいるのは『周辺界』だ」


「···周辺界?」


「そうだ。

普通の人間なら、踏み入れた瞬間に意識が侵されて、生命力を少しずつ削られる。

お前は知らなかっただろうが、あそこは存在そのものが蝕まれる領域だ」


オルタは鼻で笑い、言葉を重ねる。


「そんな危ねえ場所に、

お前みたいな未熟者が足を踏み入れるなんて――

自殺と変わらねえ」


ライネルの唇が固く結ばれる。

オルタはその隙を逃さない。


「あのアンデッドども···

わざと時間を稼ぐんだ。急いで殺さねえ。

むしろゆっくり、苦しませながら命を吸い取って、

生体をアンデッドに変えるのが目的だからな」


「······!」


「中途半端な抵抗に意味はねえ。

小手先じゃ結局、干からびた死体が残るだけだ」


ライネルは壁に背を預け、息を整える。

だが言葉が出ない。


そんな彼を見て、オルタは誘惑するように囁いた。


「この扉を開けろ。

そうすりゃ、俺が一瞬で終わらせてやる」


しばし沈黙。


しかし次の瞬間、

オルタの口調が変わった。


「···だが」


彼は鋭く顎を上げ、

ライネルを真正面から見据える。


「馬鹿だな」


「お前みたいな青二才が、

力もまともに扱えねえくせに、何を守れる?」


オルタは鉄格子の向こうへ手を伸ばし、言い放つ。


「仲間をアンデッドに捧げるなら、好きにしろ。

背を向けろ。この扉に背を向けて消えろ」


「···それがお前の選択ならな」


ライネルは黙って立ち尽くし、

凍りついた視線で鏡の中を見つめた。


苦しげな呻き。

弱っていく呼吸。

そして煙みたいに立ち上がる、魂の光。


『···今決めなければ、

もう二度と取り戻せない』


ライネルは、ついに決断した。


鉄格子の前へ歩み寄り、

自分と彼を隔てる壁に手を置いた。


その瞬間、壁面のどこかに小さな亀裂が走った。


『隙間···』


薄く、小さな裂け目。


『隙間···』


もう一つの亀裂が、壁を這うように広がっていく。


『隙間······』


そしてついに、

壁が裂けるように割れ、その奥から眩い青い光が漏れ出した。境界が引き裂かれる。


「···は」


奇妙な存在、オルタは

長い待ち時間の果てに、狂気じみた笑みを浮かべた。


「くくく···そうだ、そうだ。

賢い選択だ。じゃあ選手交代だ!」


扉が開いた。


部屋を満たす青白い、爆発的な魔力。


「うはははは···やっと···!」


彼がゆっくりと一歩踏み出す。


「久しぶりに···外へまともに出られる!!」


その瞬間、

黒い霧の中から、竜の形をした巨大な骸骨が唸りながら突進してきた。


「ちょうどいい。身体を慣らすか」


オルタは片腕をまっすぐ伸ばす。


ぶおおおおおおおおおお!!!


圧倒的な魔力が空間を押し潰す。


瞬く間に立ち上がる暗黒の鎖と炎が、

二体の骸骨竜を一点へと集束させ――


そして、


ドン!!!!


無残に砕けた骨片が宙へ散った。


その時。

魔法の痕跡が消えた隙間から、彼の視界に赤いマントのシルエットが映った。


「···!」


一瞬。

オルタの視線が、その女に止まる。


彼女もまた、こちらを見ている――そう感じた瞬間、


彼は笑った。

強い気配。退かない眼差し。


『こいつ、ちょっと強そうだな』


ほどなくして、

彼は彼女に詰め寄り、攻防を交わす。


魔力がぶつかり、

嵐が渦巻く。

一歩も退かぬ応酬の中で、彼はこの肉体と力に

少しずつ馴染んでいった。


だが――


ドン!!!


突如弾けた爆音とともに、

脇腹を叩き潰すような衝撃。


「ぐっ···何だ···?」


身体が弾かれ、地面を転がる。

顔を上げた瞬間、目に入ったのは――


「···マッドドラゴン?

どこから湧いてきやがった」


ぬかるんだ地面の上で、

怪物は唸り、彼を睨みつけていた。


「いいねぇ···

脱獄祝いにまとめて相手してやる」


再び身を沈め、

攻撃態勢へ入ろうとした、その時。


ちくり、と短い痛み。


「···!」


手首の奥に走る異質な感覚。

瞬間、内側から赤い火花が弾けた。


「くそ···これは···!」


唇を噛み、手首を掴む。

痛みを堪えて抑え込もうとしたが、赤い光はさらに強く――

内側から破裂するみたいに、ぼん、と魔力を吐き出した。


「クレセリア···!」


叫ぶように吐いた名。

その名と同時に、彼の身体は赤い光に包まれ、

形が歪むように縮み、消えていく。


「ああああああ!」


悲鳴とともに爆ぜる、

強烈な赤い閃光。

巨大な光の筋が空間を覆い、音も形も

その中へ吸い込まれていった。


光がゆっくり沈み、

閃光が薄れていく頃。


そこに銀髪の少年が、

意識を失って倒れていた。


そして彼に近づく、赤髪の女。

刃の立つ剣を手に、無表情で――

少年の息の根を止めるために剣を振り上げる。


刃が落ちる直前。


少年を包む魔力の欠片が、再び揺らめき光り――


少年の肉体は、

そのまま消えるように別の空間へ転移した。



二日後。


白んだ光が病室の窓の隙間から差し込む頃、

少年はゆっくり目を開けた。


「···う、頭が···」


鈍い頭痛。

何かに強く殴られたみたいに、意識はまだ薄い霧の中だった。


少年は身体を起こし、

周囲を見回す。


「···モネロ···無事だったんだな···」


向かいのベッドに横たわる仲間、

モネロが穏やかな呼吸をしているのを確かめ、少年の顔に安堵が滲む。


だが、すぐに浮かぶもう一つの名。


ライネル。


視線が病室を隅々まで探す。

しかしどこにも、あの見慣れた顔はなかった。


「···ライネル···?」


心臓がどん、と落ちる。

全身の痛みは残ったままでも、

少年の脚は本能的にベッドを降りた。


たたっ、たたっ、


薄暗く揺れる廊下を、足音が走り出す。


片手で脇腹を押さえ、

廊下の左右の扉を

一つずつ、

一つずつ開け放つ。


「···お願い···

どこかに···いて···」


ベッドに横たわる見知らぬ者たち。

包帯を巻いて眠る別の冒険者たち。


だが

少年が探す存在は、どこにもいない。


「···ライネル···」


その名を最後に、

少年の膝が、ふっと折れた。


崩れるように廊下の床へ、

どさりと座り込む。


髪が垂れ、

指先が震え、

胸が締め付けられていく。


その時――


こつ。

こつ。

こつ······


廊下の奥。

静寂を割って響く、規則正しい靴音。


少年の瞳が、

その音に反応するようにゆっくり振り向いた。


赤いシルエット。


闇を裂いて近づく、強烈な色。

冷えた眼差しと、整った深紅の軍服。


ヘレニア。


廊下の端で、

彼女が静かに、そしてゆっくり姿を現していた。


ヘレニアは静かに膝を折り、

床に座り込むアイラと視線を合わせる。


「···誰を探している」


断固として揺れない口調。

その目に同情も慰めもない。

あるのは“確信”だけだった。


アイラはその瞬間、感じた。

この女は何かを知っている。


「···仲間が···

ライネルがいないんです···」


しばし沈黙したヘレニア。

そしてごく小さく頷き、呟いた。


「···銀髪の少年のことか」


その言葉に、

アイラの目がはっと見開かれる。


「···やっぱり···あなたは知ってるんですね!

お願いです、教えてください。

あの子、ライネルに···何が起きたんですか?」


ヘレニアは黙って手を差し出し、

アイラを立たせた。


「···立て。

少し話をしよう」


アイラは何かに引かれるように、

彼女の後をついて歩き始めた。


学校の中心部、

外部者立入禁止区域。


扉が開き、二人が入った先は――


ヘレニアの個人書斎。


整った書架と分厚い帳簿。

その中央のテーブルで、二人は向かい合って座る。


しばらくして、

ヘレニアは何かを取り出し、アイラの前へ静かに置いた。


とん。


一枚の書類。

黄色い印章の押された報告書。


「···ライネル。

あの少年について、お前はどこまで知っている」


疑いと警戒を含んだ声。

そしてテーブルの上、アイラの前に広げられた文書。


簡単な身元。

今まで共に解決してきた依頼。

そしてアルゼンの推薦状。


「···この書類のうち、

本物はどこまでだ」


ヘレニアの質問は鋭く、容赦がなかった。


アイラは口を開けない。

答えようとしても、喉が詰まって言葉にならない。


「···なぜ答えられない?

もしかして――

お前ですら、あの子のことを知らないのか」


ヘレニアの視線がアイラを貫いた。

机の向こうから、無言の圧が静かに覆いかぶさる。


アイラは目を逸らした。

瞳は揺れ、ヘレニアの目を避けるように床へ落とす。


唇がわずかに動いたが、

結局何も言えないまま、また固く閉じる。


「···そうか」


ヘレニアは目を細めた。

アイラが何かを隠している――それを直感で掴んだ。


その瞬間、

硬く尖っていた口調が、わずかに柔らかくなる。


「まず···

今回の試験場所の割り当ては、こちらの落ち度だ」


ヘレニアはゆっくり続けた。


「予想外の空間の揺らぎで、事故が起きた。

あの中で起きた騒動は確かに···

お前たちの責任じゃない」


机に手を置き、

落ち着いたまま、だが断固として言い切る。


「謝る。

お前たちは望まない事態に巻き込まれ、

今も混乱しているだろう」


「だが···」


彼女の視線が、再び鋭くなる。


「今回の件で、

必ず整理しておかなければならないことがある」


「···!」


アイラの肩がびくりと跳ねた。


「仲間を大切にしているのは分かる。

だがこれは···」


「“人間”という種の生存が、

懸かっているかもしれない問題だ」


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