70. 人の皮を被った何か (ひとのかわをかぶったなにか)
「ヘレニア様!」
周辺界へ到着した学校側の別動隊。
彼らが最初に向かったのは、複数の生体反応の中でも最も濃く、はっきりとした魔力が感じられる地点だった。
だが到着した瞬間、全員が言葉を失った。
目の前に広がっていたのは、
すでに息が途絶えた冒険者たちの死体の群れ。
沼の粘つく泥が衣の裾にまとわりつき、生臭い匂いが鼻を刺す。
血は固まって黒く変色し、その上を蠅のような小さなものが這い回っていた。
「···遅かったか」
ヘレニアの声が低く落ちた。
別動隊員たちは本能的に周囲を見回す。
ここは死体だけが転がる場所じゃない。
そのうちの一人が慎重に近づき、死体の状態を確認しようと身を屈めた。
「······ん?」
ドサ。カタ。グルル···
死んでいるはずだった死体のうち、数体がゆっくりと身体を起こした。
首が不自然に折れ、瞳は生気なく虚空を漂う。
「ゾンビ···!?」
次の瞬間。
複数の方向から突っ込んでくる死体たち。
「くっ···!!」
想定外の奇襲だった。
別動隊員たちは反射的に後退したが、泥のせいで足が遅れる。
手にした武器が角度を作る前に、腐った手が顔へ伸びてきた。
その時、背後から炎の魔力矢が立て続けに飛び込んだ。
シュッ! パッ! パッ!
正確に。
死体一体一体の中心を貫いた。
そしてすぐに――
ボワァッ!!
炎が死体を包み、一気に焼き尽くす。
腐った肉が焼ける匂いが広がり、黒い煙が立ちのぼった。
その煙の中でゾンビたちはよろめき、そのまま崩れ落ちた。
「はぁ···はぁ···!」
驚いて尻餅をついた隊員が、荒い息のまま顔を上げる。
「ヘレニア様···申し訳ありません···あまりにも急で···油断を···」
「無事ならそれでいい」
ヘレニアはきっぱりと言った。
視線はすでに次を見ている。
「まず拠点を確保。すぐ周辺探索を開始して」
「はい! 了解です!」
その言葉が終わるより先に、少し離れた場所で、くっきりした魔力反応が捉えられた。
指先で点を打つような、異様なほど鮮明な反応。
ヘレニアは即座に顔を向け、その方向を見据えた。
「···あっちだ」
命令が落ちると、五名の別動隊員は作業を止め、全力で移動を開始した。
◇
「エレイン···もう···限界に近い···」
リリアの声には、薄く痛みが滲んでいた。
肩が少しずつ落ちていく。
前で奮闘するエレイン。
そのすぐ後ろで魔法を乱射するセリン。
二人を同時に支援する時間が長くなるほど、リリアの姿勢は崩れていった。
後方では格闘家レンが、じりじりと近づくスケルトンの群れを必死に食い止めていた。
砕いても、砕いても、沼がまた骨を引き上げる。
息が詰まる戦い。
魔力は底をつき、体力は限界に迫る。
その瞬間。
ドォォォン!!
一気に押し寄せる、圧倒的な魔力。
セリンとリリアが同時に反応した。
空気の質が変わる。
沼を覆う臭気が一瞬で押し流された。
そして続いたのは――
凄烈に燃え上がる炎。
無数の骨がパチパチと音を立てて焼け落ちた。
ただ砕くのではなく、最後まで燃やして消す炎。
「···!!」
その炎は、ただの火ではない。
相手が完全に消えるまで燃え続ける火。
ヘレニアの代表魔法、インフェルナ。
それを察したリンクフォースの面々は、一斉にある一人へ視線を向けた。
「ヘレニア様!」
リリアが崩れた姿勢のまま座り込み、彼女の名を呼ぶ。
「よく耐えたね」
ヘレニアはゆっくり近づきながら言った。
その目には安堵と、揺るがない硬さが同居していた。
「みんな、怪我はない?」
「はい···なんとか···」
リリアはようやく息を整え、苦しげに答えた。
指先は震えていたが、視線だけは乱れまいとしている。
隣でセリンが息を吐いて言った。
「さすがヘレニア様です。
あれだけ再生してた骸骨たちが···」
「跡形もなく燃えちゃうなんて···」
炎はまだ残っていた。
その中にあるのは灰になった残滓だけが、風に散っていく光景だった。
「まず···すまない」
ヘレニアが静かに口を開く。
「学校側の手違いで、君たちをこんな場所へ送ってしまった。
詳しい話は戻ってからだ」
その表情に、ほんの一瞬だけ罪悪感がよぎる。
「ここは人間が軽々しく足を踏み入れていい場所じゃない」
その言葉が終わると、同行してきた別動隊員たちは即座に帰還魔法の準備へ入った。
その時。
レンが急に顔を上げ、叫んだ。
「あっ!! そうだ!
モネロ兄さんの一行が···あっちへ行っちゃったんです!」
「何だって!?」
エレインを含め、全員が一斉にレンを見た。
エレインが眉をひそめる。
「おい、止めなかったのか!?」
「···ごめん。あまりにも一瞬で···」
レンは頭を下げ、小さく言った。
自責が喉に引っかかっているようだった。
ヘレニアがすぐ問う。
「ミカ。近辺の生体反応は?」
ミカは即座にスクロールを広げ、確認した。
「はい!
この場所を除いて、生体反応は···合計三名です!」
ヘレニアは一度、軽く顎を引いた。
息をひとつ整え、決断する。
「ミカ。私を除いて全員、学校へ帰還」
「えっ!? 何をおっしゃって···!
ではヘレニア様は···?」
「気にするな。
とにかく一刻も早くここを離れろ。
さあ、帰還魔法を開始して」
混乱が走ったが、別動隊員たちは結局頷いた。
迷えば危険が増すだけだと、全員わかっている。
ヘレニアは俯いたレンの前まで歩み寄った。
「レン。君は悪くない」
レンが驚いたように彼女を見上げる。
「だから気に病むな。
残った者たちは···私が必ず安全に連れ戻す」
ヘレニアの声は硬い。
レンの瞳が、ようやく少し揺れた。
ほどなくミカが、彼女へ二つのアイテムを差し出した。
「これは生体反応を追えるスクロールです。
それと、最も近い人間界へ戻れる帰還石です」
「···ああ。助かる」
ヘレニアはそれらを受け取り、懐へ収めて頷いた。
「では、開始」
ミカを含む別動隊員たちが魔法陣の中心に立つ。
定められた順で詠唱が続き、光が広がっていく。
魔法陣が完成し、空間に裂け目が生まれた。
そしてヘレニアを残したまま、学校側別動隊は周辺界から消えた。
◇
ヘレニアは静まり返った沼の真ん中に、ひとり立っていた。
ふぅ···
短く息を吐き、生体反応追跡スクロールを広げる。
スクロールの上に小さな灯りが浮かんだ。
その光は一定の方向へ微細に揺れ、反応がある位置を示している。
「···あっちだ」
ヘレニアは迷わず、その方向へ歩き出した。
しばらくして辿り着いた場所。
白い煙が、もわもわと漂っていた。
「···!」
ヘレニアは一瞬で察する。
ただの煙じゃない。
「骨竜の毒気···!」
彼女は懐から防毒マスクを取り出し、素早く装着した。
同時に指先で魔法陣を組む。
「クリア・ミアズマ(Clear Miasma)」
浄化の魔法が周囲を包み、毒気を押し返す薄い防護膜が形成される。
完全には消えないが、呼吸できる隙が生まれた。
「凄まじい毒気ね···」
ヘレニアは歯を食いしばり、前を覆う毒気をゆっくり割って進む。
足元はぬかるみ、視界は白く濁った。
だが、ある瞬間。
空気がふっと静まった。
台風の目みたいに。
その中心には、毒気がきれいに退いた空間が開いていた。
そしてそこに、巨大な影。
歪んだ骨が寄り集まって形作った、鱗のない竜の姿。
骨竜。
その怪物の前には倒れた二人。
そして二人を背にし、骨竜と向き合う一人。
ライネル。
ヘレニアは自然と足を止めた。
骨竜に相対する、たった一人。
その姿に、彼女の瞳へ本能的な興味が灯る。
「···ひとりで?」
ヘレニアは息を殺した。
今は飛び込むより、まず確かめるべきだ。
この少年が何をできるのか。
骨竜が巨大な尾を振り抜いた。
風を裂くような轟音とともに、尾が一直線に叩き落とされる。
だが――
ライネルの身体が、ふわりと跳ね上がった。
まるで重力を拒むみたいに、沼の上へ浮かぶ。
ゆっくり腕を伸ばし、下を指す。
ドン!!
骨竜の頭が、凄まじい衝撃音とともに地面へ叩きつけられた。
骨片が飛び、泥が爆ぜるように跳ねる。
しかし次の瞬間、散った骨が不気味な動きで、また互いへ吸い寄せられる。
「···自己修復?」
ヘレニアの目が細くなる。
続けて骨竜が身体を引き上げ、空中へ飛び掛かるように前方へ突進した。
骨の口が大きく開き、ライネルを丸ごと呑み込む。
静寂。
そして――
ドォォォン!!
骨竜の口内で爆発音が鳴った。
顎が粉々に砕け、飛び散る骨片の隙間から、一人の影が現れる。
ライネル。
彼は息ひとつ乱さぬ顔で、静かに手を下ろした。
ズン!!!
骨竜の胴体が、見えない重みに押し潰されるように泥へ叩き込まれた。
沼が激しく波打ち、巨大な骨の塊の半分以上が沈み込む。
ヘレニアは息を呑んだ。
「···これは···」
ただ倒すのではない。
まるで空から巨大な圧が降りて押し潰すような威圧。
それを生んでいるのは、ただ一人。
ライネル。
「初めて見る戦い方だわ」
その時だった。
ライネルの袖から何かが飛び出した。
「···魔法スクロール?」
光を帯びたスクロールが、プシュッと音を立てて空中で開く。
瞬く間に空の上へ巨大な岩が生成された。
ライネルの指先がすっと動くと、岩が流星のように落下する。
ドォン! ドォォン!!
骨が砕け、骨竜の身体が粉々になっていく。
ヘレニアは一瞬、終わったと思った。
だが。
四方から上がる咆哮。
泥に半ば埋もれていた骨竜が再び形を取り戻し、別方向からもう一体の骨竜が姿を現した。
「二体···!?」
ヘレニアの表情が硬くなる。
二体の骨竜が同時に顎を持ち上げた。
口内で暗黒の気配がうねる。
ガリ···ガリ···
そして、吐き出すように放たれた暗黒のブレス。
死の匂いが戦場を覆う。
その瞬間。
「···何?」
ヘレニアは目を細めた。
確かに死を孕んだブレスなのに、戦場の中心を避けるように外縁へ流された。
防壁ではない。押し退ける気流。
その中心にライネルが立っている。
直撃は免れた。だが状況はさらに悪い。
二体の骨竜が翼を打ち、同時に距離を詰めてくる。
ドン···ドン···ドン···
ヘレニアは本能的に後方を確認した。
倒れているアイラとモネロ。
「まずあの二人だけでも退避させないと···」
彼女は飛び込む準備をした。
だが動く前に、骨竜の一体が進路を変えた。
ライネルをかすめるように通り過ぎ、まっすぐ別方向へ。
「···!」
その骨竜が向かった先。
アイラとモネロ。
ライネルの顔に一瞬、表情が走った。
「ダメだ···!」
彼は即座に飛行魔法を発動し、空へ跳ね上がる。
「フライ(Fly)!」
だがすでに間隔が開いていた。
沼が足を取り、空気は重い。
その瞬間だった。
ドォン!!
地面が揺れ、巨大な土の壁がせり上がった。
骨竜がその壁へ頭から突っ込み、骨がまとめて砕け散る。
ライネルは壁の向こうを見ようとしたが、視界が遮られた。
術者は見えない。
ヘレニアは壁の陰で息を潜め、指先を引き締めた。
今は、気配を悟らせるわけにはいかない。
ライネルの動きが、ふっと止まる。
そして間もなく、彼の全身から蒼いマナが荒々しく噴き出した。
不吉で、奇妙な気配。
沼の毒気とは別の質。
冷たく、それでいて鮮烈に。
ヘレニアも、その魔力をはっきり感じ取った。
「···これは···?」
次の瞬間、嵐のような魔力の波動が戦場を震わせた。
骨を削るような鋭い気流が空気を切り裂く。
ヘレニアは素早く動いた。
意識が戻らないアイラとモネロを、より安全な遮蔽物の裏へ引きずり込む。
泥が足首を掴んでも、腕に力を込めて無理やり運んだ。
「···よし」
息を整え、土壁の隙間から顔を出す。
「出る時が来たわね」
そしてその瞬間、ヘレニアの視界に入った背中。
蒼い魔力の残光が揺らめき、黒いシルエットを包んでいた。
人間なのに、どこか人間らしくない。
同じ少年のはずなのに、質が変わったような異様さ。
ヘレニアは目を逸らせなかった。
「···さっきの少年じゃない」




