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69. 救出開始 (きゅうしゅつかいし)

その時刻、冒険者学校の会議室。


ヘレニアを基準に長い机を挟み、複数の学校関係者が向かい合って座っていた。

机の上には地域別の状況ボード、派遣人員名簿、魔力反応記録表が幾重にも重なっている。


「試験は順調に進んでいますか?」


ヘレニアが静かに問うた。

声は低いが、ただの確認ではない。

彼女はすでに数枚の報告書を目で追っていた。


「はい、もちろんです。

現在三十のチームがそれぞれの場所へ移動し、生存試験に臨んでおります」


「各地域には学校関係者を派遣し待機させています。危険事態が発生した場合は即座に介入できる準備も整っております」


「派遣人員の位置確認は?」


「正常です。

生存反応も概ね安定しています」


「そう」


ヘレニアは頷いた。

彼女の前へ、紙が一枚、慎重に滑らせられる。


試験場所リスト。


ヘレニアはそれを受け取り、上から下へゆっくり目を通した。

ページをめくる速度は一定だった。

だが、ある一行で指先が止まる。


「···ん」


ヘレニアの表情が硬くなった。

彼女はその行を読み返す。

そしてもう一度、さらにゆっくり読む。


「···この場所は···」


顔を上げた瞬間、会議室の空気が変わった。


「この場所は、誰が割り当てたのですか?」


近くに座っていた関係者の顔から血の気が引いた。

唇が動いたが、言葉にならない。


「そ、それは···」


ヘレニアが静かに息を吸う。


ドン!


机を両手で叩きつけた。

重い衝撃音が会議室に刺さる。


「誰が試験場所を周辺界に割り当てたのですか?!」


会議室が一気にざわめいた。

視線が交差し、紙がめくられ、メモを確かめる手が増える。

だが誰も「私です」とは言えない。


「···ヘレニア様」


一人が不安げに、恐る恐る口を開いた。


「周辺界へ送られた冒険者たちは大丈夫でしょうか。

C級程度で···あそこに長く留まれるとは···」


ヘレニアは最後まで聞かなかった。

椅子を押しのけるように立ち上がり、背に掛けていたマントを掴む。

動きは速く、端正で、迷いがない。


「直ちに救出準備をします」


彼女の視線が会議室を一度なぞった。


「何をしているのです。

早く準備しなさい」


ヘレニアが扉を開けて出ていくと、ようやく室内に溜まっていた息が漏れた。

椅子が引かれ、書類がくしゃりと握られ、慌ただしい足音が絡み合う。


その時。


会議室の片隅、静かに座っていた男。

彼は騒ぎの中でも余裕のまま、机の一点を眺め、独り言を零した。


「···やっぱり人間は、面白い」


口角がほんの少し上がった。


男はゆっくり立ち上がり、

そして突然、声を張った。


「さあ! 早く救出に行かねば!

急ぎましょう!」


その一声で、人々はさらに慌ただしく動き出す。

会議室は瞬く間に空になっていった。


廊下を速足で進むヘレニア。

左右に副官たちが付く。

足音が硬い。


「ペトロ」


ヘレニアは息を整える暇もなく言った。


「今すぐ派遣部隊を編成して。

今すぐよ」


「はい」


ペトロが即座に頭を下げる。


傍の別の副官が不安げに問う。


「ヘレニア様、では他の場所で試験を受けている者たちはどうしますか?」


ヘレニアは歩みを止めない。


「周辺界に配置された人員を除き、日程は通常通り進行させる」


「了解しました」


ペトロは廊下の途中で方向を変え、反対側へ駆けていった。


ヘレニアはすぐ別の副官を見る。


「ミカ」


「はい、ヘレニア様」


「周辺界の座標と生存反応を捕捉する道具を全て用意して。

発信主体まで追跡できる装置も含めて」


「···直ちに出発します」


ミカは即座に身を翻した。



王国冒険者学校の一角。


ヘレニアを含む五名で構成された別動隊が集結していた。

周囲には王国でも名の知れた魔術師たちが配置され、転移準備に集中している。


床には銀と金の魔法陣が幾重にも描かれた。

ルーンが一つ、また一つと浮かび、光を帯びる。

空気が少しずつ締め付けられていくようだった。


「開始します」


四人の魔術師が同時に詠唱し、魔力の流れを整列させていく。

互いの呼吸を合わせるように、一拍も狂わない。


その時。


廊下の向こうから慌ただしい足音。


「ヘレニア様!!」


ヘレニアが振り向いた。


息を切らして駆け込んできたのは副官ペトロ。

膝に手をつき身を屈めたまま、急いで報告する。


「迷宮側の試験官から、死傷者が出たという報告が入りました!」


その言葉を聞いた瞬間、ヘレニアの目つきが鋭く変わった。

唇が固く結ばれる。

床の魔法陣が、さらに速く光を集めた。


転移魔法を主導する魔術師が最後の句を吐く。


「ゲートバインド・インヴォケーション・オブ・インターレルム・トランジット!!」


空間が裂けるように開いた。

光のトンネルが形成される。


ヘレニアを含む五名の別動隊は、瞬きの間にその場から消えた。



周辺界。


粘つく空気と腐った泥。

霧は肌に張り付くほど濃く、息を吸うたび喉がざらついた。


アンデッドの攻勢は先ほどより、明らかに激しい。


「ホーリーアロー!」


「マレヌス!」


リンクフォースの神官リリアと魔法使いセリンが詠唱し、魔法を放つ。

聖光が沼の上をなぞり、水属性の波動が地面を押し流す。


だが倒しても、倒しても。


沼は残骸を呑み込み、また吐き出す。

砕けた骨はすぐ形を取り戻し、再び這い上がる。

消耗するのは戦う側だけだった。


「全然数が減らないじゃないか!!」


リンクフォースのリーダー、エレインが堪え切れず叫んだ。

剣を振るう腕が重い。

息を吸うたび肺が熱くなる。


「リリア! どれくらい持つ?!」


「まだ···もう少し···」


リリアは息を整えながら両手から聖なる光を放つ。

その光がエレインの身体を包み、回復が付与される。

だが、彼女の肩も少しずつ落ちていた。


傍でセリンは泥の上に無理やり水の流れを作り、骸骨が寄れないよう押し戻す。

地面が濡れ、沼が揺れる。


「···魔力が···このままだと、持たない···」


セリンの声が細くなった。

額に汗が滲み、指先が震える。

無理に詠唱を繋ぐ顔だった。


その時だった。


沼の端。


静かに横たわっていたアイラが目を開けた。


「······ん」


上体を起こした彼女は肩をぱっぱと払って伸びをする。

まだ寝ぼけた顔で周囲を一度見渡す。


モネロが安堵したように、慌てて駆け寄った。


「アイラ! 意識は戻ったか?! どこか痛む?!」


アイラは目をこすり、大きくあくびをした。


「はぁ···

なんでこんな···うるさいの···」


「···アイラ!! 今そんなこと言ってる場合じゃない!!」


四方からの怪声。

這い上がる骸骨。

沼の奥から押し寄せる腐った気配。


状況が入った瞬間、アイラの顔が歪んだ。


「ぎゃっ!! 骸骨!!」


悲鳴は跳ねたが、目つきはすぐ切り替わる。


格闘家レンが静かに立ち上がった。


「僕も前に出て力を貸します」


彼はモネロとアイラを見て言う。


「お二人も態勢を整えて、戦線へ。

このままだと望みがない」


モネロはレンを一瞬見て、ゆっくり頷いた。


「···ああ」


アイラは両手で頭をぐしゃぐしゃと掻きむしった。


「ああ···

夢じゃなかった···」


目尻が濡れそうになる。

唇が震えた。


「ほんと···嫌!!」


その叫びには恐怖だけじゃない。

苛立ちと怒りが混ざっていた。


「気持ち悪い骸骨ども···

全部、壊してやる!!」


アイラは歯を食いしばり、前方へ駆け出した。


モネロは唇を噛み、低く呟く。


「···このまま終わりか···」


「···俺はただ、胸を張れる冒険者になって···認められたかっただけなのに···」


声が沈み、沼に吸われるみたいだった。


その瞬間。


遠くない場所で、赤い瞬き。


そしてその光とともに、魔力の嵐が一瞬で吹き荒れた。


ドォォォン!!


湿地帯全域に圧倒的な力が広がる。

骸骨の群れが衝撃に呑まれ、大量に砕け散った。


モネロはその魔力の癖を掴む。


「···これは···」


目が大きく見開かれる。


「ライネルが消えた時と···似てる」


モネロはすぐアイラを見る。


「アイラ、ライネルが···!」


アイラは即座に理解したように、無言で頷いた。


二人は同時に、赤い光が走った方へ駆け出す。


「アイラ! モネロ!」


レンの叫びが背後から飛ぶ。

だが泥の中からまた骸骨が這い出し、道を塞いだ。

レンは歯を食いしばり、前を押さえるしかない。


その間に、アイラとモネロの姿は霧の中へ消えた。


「無事で···本当によかった」


アイラはライネルを抱きしめ、安堵の息を吐いた。

泥と血の匂いが鼻を刺す。だが、そんなことはどうでもよかった。


「うっ···」


ライネルは頭痛に、頭をきつく抱えていた。

額を押さえ、俯く。

息を整えようとしても、うまくいかない顔。


モネロも隣で荒く息をしながら、ライネルを確かめるように見た。


「···ライネル」


ライネルがようやく顔を上げる。

だがまだ意識がはっきりせず、返事が遅い。


しかし。


安堵は長く続かなかった。


「···!!」


三人の視線が自然と一点へ吸い寄せられる。


遠く。


骨と骨が幾重にも絡み合った、奇形の塊。

本物の竜でもない。生前の名すら持たぬ存在たちの残滓が、

生きているかのように蠢いていた。


鱗もなく、血もない。

だが形は確かに「竜」を模した何か。


歪んだ頭蓋。

ねじれた肋骨が幾重にも編まれ、気味の悪い翼と尾を形作る。

全身のあちこちから骨片が突き出し、動くたびに擦れ合う音が鳴った。


無数の死者が互いの骨を継ぎ、積み、補い、

竜に見えるよう作り上げた怪物。


骨竜。


「動き出した···!」


モネロの声が切羽詰まる。


「逃げるぞ!!」


三人は身体を起こし、必死に動こうとした。

だが沼が足を奪う。

泥が足を呑み、膝が折れそうなほど重い。


そして。


「···ありえない···」


骨竜はすでに、目の前まで来ていた。


退路が塞がる。


「···くそ」


アイラは息を荒く吐いた。

モネロは歯を食いしばる。


残った魔力も、残った力もない。

続く戦いで全身が限界だった。

指が震え、呼吸が喉に引っかかる。


モネロがライネルを見て、歯を食いしばって言った。


「ライネル···お前だけでも···

行って援軍を呼べ···!


十秒でも、俺らが時間を稼ぐ」


アイラが苦しそうに笑う。


「モネロ、格好つけすぎ。

···私もやる。


じゃあ十五秒は持つよね?」


淡々と言ったが、声の端が震えた。

それでも視線は逸らさない。


「ライネル、早く!!」


モネロがもう一度叫ぶ。


だが。


ライネルは動かなかった。


「ライネル!!」


モネロの叫びに対しても、ライネルの視線は一点に固定されている。


骨竜の、赤く燃える眼。


「···お前···まさか···」


アイラがライネルを見て息を呑んだ。


「ライネル、強いのは分かってる。

でもあれは今までと違う!」


モネロの声が裂ける。


「本物の化け物だ!

すぐに骸骨もまた集まってくる!


早く···行け···!」


その瞬間。


ライネルが動いた。


だが、一行が望んだ方向ではない。


ライネルの足は、骨竜へ向かっていた。


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