59. 圧倒的な力 ( あっとうてきなちから )
「ライネルは……無事かな?」
アイラは閉じていた目を細めた。
赤い炎の中。
風も、音もない。
静寂がゆっくり降りてきた。
火が鎮まりはじめると、中心にシルエットが浮かび上がった。
その中でライネルは、なお無表情のまま立っていた。
そして彼の周囲。
透明な膜のように、光の軌跡が円を描いて流れている。
念動力。
その力でファイアボールの熱と衝撃を、ガラス壁のように遮断したのだ。
「ライネル……」
アイラの声に驚きが混じる。
「だって……とんでもない威力の魔法だったのに」
モネロも驚いたように、思わず息を吐いた。
その瞬間。
ライネルの指先が、ほんのわずかに動いた。
「……!」
停止していたネストが、後ろへ弾かれるように飛ばされた。
軽く弾いたように見えたが、衝撃は違う。
ネストは一回転し、床を転がってようやく止まった。
そしてカリンの目つきが変わった。
額に冷や汗がにじむ。
残った魔力を引き上げるためか、顎が固く結ばれる。
「……これがC級冒険者だって?」
カリンの片手が本能的にローブの内側――胸元をなぞるように動いた。
指先に触れたのは、硬い感触。
B級冒険者のバッジ。
ほんの一瞬、指先に留まったそのバッジが、
この訓練場の中では妙に小さく、軽く感じられた。
三人とも、その場で止まった。
呼吸の音すら薄れる静寂が、訓練場を呑み込む。
先に動いたのはライネルだった。
彼は静かに手を伸ばし、腰元から小さな魔法のスクロールを一枚取り出した。
ゆっくり持ち上げたそれが光を含み、裂けるように消える。
その場に魔法陣が浮かび上がった。
赤い線が交差し、魔力の波が揺らぎ、虚空に巨大な岩塊が形を現す。
ライネルの指先が、正面へ軽く揺れた。
「……飛べ」
同時に岩塊が回転し、ネストへ向かって飛んだ。
速度も、重量も、軌道も、ただの直線。
だが、その単純さが圧倒的な重みとなって押し潰しにくる。
「バーティカル・スラッシュ!」
ネストは目を細め、剣を高く振り上げた。
気合とともに刃が叩き込まれる。
バキン。
岩塊は正確に二つに割れた。
破裂音が訓練場に響き、二つの塊がネストの両脇をかすめていく。
一瞬、ネストの口元がわずかに上がった。
だが、その表情はすぐに固まった。
ライネルの手が、再び握り込まれる。
「……引け」
割れた岩片が空中で止まり、向きを変えた。
磁石に引かれるように、ネストの背後へ戻ってくる。
「くそ……厄介だ!」
ネストは身を低くして転がり、回避した。
避けはしたが、余裕はない。顔に苛立ちと緊張が同時に浮かぶ。
その間、後方のカリン。
魔力が急激に跳ね上がった。
片手の先で赤い魔法陣が幾重にも重なって回転する。
巨大な魔力球が圧縮され、空気の熱が生き物みたいに膨らむ。
「エクスプロージョン!」
球体がライネルへ飛来する。
ライネルは岩片を念動力で引き寄せ、前方へ幾重にも配置した。
盾を立てるように、隙間を塞ぐように。
ドォン!!!
爆発とともに熱と衝撃波が訓練場を揺さぶった。
床がうなり、壁が震える。煙と粉塵が四方へ舞い散る。
階段上で見守っていたウルスは眉をひそめ、一歩前へ出た。
額の皺が深く刻まれる。
(……今、介入すべきか)
だが、ウルスはすぐに足を止めた。
唇を固く結び、視線を据える。
(……まだだ。まだだ)
「ネスト!」
カリンの短い呼び声。
ネストが即座に姿勢を低くした。
「ファントム・ドライブ」
高速機動。
動きが重なり、残像が裂ける。
実体は一つ。
だが追いつけない視界は、二人いると錯覚するほど揺らいだ。
同時に、カリンの詠唱が続く。
両手に、それぞれ魔法陣が完成する。
左手に朱の光――エクスプロージョン。
右手に赤の光――ファイアボール。
通常の魔術師なら一つで手一杯のはず。
だがカリンは揺れない。
むしろ更に深く踏み込む。もっと大きく爆ぜさせる、という顔だ。
「……覚悟しろ。今度は違う!」
二つの魔法が同時に放たれる。
空中で重なり、炎と爆発が混ざり合い、より荒々しい波動が生まれた。
ドォォォン!!!!
巨大な火焔が訓練場を呑み込んだ。
天井が鳴り、床が割れる。衝撃波が四方へ走る。
窓の外。
「ひゃっ……!」
アイラは眩しさに反射で目を覆った。
モネロは黙ったまま視線を固定し、唇をきつく結んだ。
しばらくして。
炎が消え、残熱と粉塵だけが漂う場所。
その中心に、ひとつの影がくっきり浮かび上がった。
「……どうして……」
カリンが息を呑む。
ライネル。
彼はまだ、そこに立っていた。
周囲には、念動力で精密に固定された細かな石片が浮かんでいる。
透明な盾のように、角度まで計算された配置。
その内側のライネルは、呼吸ひとつ乱れていない。
「……あり得ない……」
ネストの瞳が揺れた。
その瞬間。
ライネルの指先が、ごくわずかに動いた。
ウィン。
粉のように砕けた欠片がふわりと浮く。
続けて数十の小石が、蜂の群れのようにネストとカリンへ降り注いだ。
カリンは唇を噛んだ。
(……そんな)
だが、小石が届く直前。
動きが止まった。
静寂の中、ウルスが訓練場の中央へ歩み出る。
彼は何も言わず、右手を軽く持ち上げた。
サラサラ……。
ライネルが手を下ろすのと同時に、石片が床へ落ちた。
そこに絡んでいた魔力も、いっしょに消える。
「もう、ここまでにしましょう」
ウルスの声は断固としていた。
ライネルは短く頭を下げ、黙って一歩後ろへ退いた。
ウルスは静かに彼を見つめる。
口元に細い笑みが浮かぶ。
「手合わせは……この程度で十分です」
そしてネストとカリンを交互に見て言った。
「……これで、納得できたか?」
カリンは何も言えなかった。
指先にはまだ魔力が残っている。だが、続けられないと自分でも分かっていた。
「……これは、何……」
唇だけがかすかに動く。
自尊心ではなく、根元から揺さぶられる敗北感が彼女を押し潰した。
ネストは淡々と俯き、壁のほうを見ていた。
諦めが早いというより……差を受け入れた顔だ。
そして、そのとき。
ネストの視線が窓の向こうへ向いた。
目が合った。
アイラと、モネロ。
「う……うぇっ?!」
アイラは慌てて窓の下へ身を沈めた。
「ば……バレた? バレたよね?!
どう見てもこれ、内緒の手合わせだったじゃん……!」
床に手をつき、囁く。
「ね、モネロ! 早く屈んで! 何してんの!」
だがモネロは黙って窓の前に立ったままだった。
目も、顎も、動かない。
やがて。
彼は一言もなく身を翻した。
そして静かに屋敷の奥へ歩いていく。
「……モネロ? どうしたの急に。
私置いてどこ行くの?!」
アイラが低い声で追った。
それでもモネロは振り向かなかった。
◇
「今日は時間を取ってくださり、ありがとうございました。きっと大きな助けになったはずです」
訓練場の中。
ウルスがライネルへ穏やかに言った。
表情は笑っているのに、瞳には真剣な光が宿っていた。
ライネルは静かに頭を下げる。
「はい。それでは失礼します」
礼儀正しい挨拶。
迷いのない足取りで、ライネルは訓練場を後にした。
◇
「モネロ! いったいどうしたの!」
苛立つアイラの声が廊下に響く。
モネロは答えもせず部屋に入った。
何かを探すように引き出しを漁り、黒い紐を一本つかむ。
「……モネロ?」
彼は無言でその紐を頭に乗せ、きつく締めた。
そしてゆっくり振り向く。
目つきが変わっていた。
冗談も、軽口もない。
「……俺も、強くなりたい」
アイラは瞬きをした。
「そりゃ……当たり前じゃない?」
モネロは首を振る。
「違う。ふわっとした話じゃない」
拳を握る。
声が震えた。
「俺、何をしたらいいのか分からない。
このまま学校に行ったら……また足手まといになるのが目に見えてる」
言葉が途切れた。
肩が小さく震える。
「……もう、ほんとに変わりたいんだ」
アイラは額を押さえて息を吐いた。
戸惑いより先に、心配が上がってくる。
「モネロ。気持ちは分かる。
でも世の中には“段階”ってものがある」
視線を一度逸らして、また目を合わせた。
「焦ったって全部が上手くいくわけじゃない。
そんな簡単なら、みんな欲しいもの全部手にしてる」
モネロの瞳が揺れた。
アイラは続ける。
「落ち着いて。ライネルが強いのは……あなたも分かってたでしょ。
刺激を受けたのは分かるけど、焦っちゃだめ」
忠告。
同時に、引き止める言葉。
モネロは俯いて、その場に座り込んだ。
丸まった肩が重く落ちる。
「……バカみたいだ……」
「……え?」
聞き間違いかと思って問い返す。
モネロは床に拳を強く押しつけた。
「バカみたいだって!」
泣きそうな叫び。
アイラはびくっとして一歩引き、慌てて手を振った。
「……分かった。冗談言わない」
息を整え、アイラは彼の隣に静かに座った。
目線を合わせて言う。
「あなたらしくないよ、モネロ。
いつも笑って誤魔化すじゃん。だから余計びっくりした」
一拍置く。
「少しずつ積もう。
私たちって……特別な才能があるって言い切れるわけじゃない。だからこそ、土台を固めないと」
モネロは唇を結び、俯いたまま。
アイラは言葉を押さえて締める。
「欲しいからって力任せに掴んだら、結局壊れる」
「……欲張りは、災いになることもある」
最後にうなずく。
「学校がある。
そこで鍛えて、実力者として認められればいい。
私たちができることを、ちゃんとやろう」
モネロの目がゆっくり上がった。
さっきより、ずっとはっきりした光が入っている。
その目を見て、アイラは小さく笑った。
「……うん。その目なら十分」
立ち上がりながら言う。
「行こう。訓練は、ここからだよ」
モネロは静かにうなずいた。
小さく、でも確かな一歩。
彼は廊下へ踏み出した。




