58. 特訓 ( とっくん )
正午を少し過ぎたころ。
ライネルは屋敷へ戻り、疲れた様子で息を吐いた。
「ライネル様、まだお食事の用意が整っておりません。
もう少々お待ちくださいませ」
丁寧に頭を下げる老執事。
「……お気遣い、ありがとうございます」
ライネルはうなずき、ゆっくりと周囲を見回した。
「仲間は……?」
「お二方とも、屋内の訓練場で鍛錬中でございます」
「……あいつらが?」
ライネルが笑いながら首をかしげると、老執事は意味ありげに微笑んだ。
◇
屋内訓練場の前。
扉が閉まっているのに、中から気合と魔力の波動がはっきり漏れてくる。
「ハァッ!!」
続く鈍い衝突音。
風を裂く鋭い流れ。
ライネルは慎重に扉を少し開けた。
隙間から見えたのは、稽古というより、ほとんど戦闘に近い手合わせの真っただ中。
領主の傭兵が二人。
そして、その二人と向き合うアイラとモネロ。
呼吸が長く続かない。
一度吸って、すぐ吐き、また途切れる。
目の前で互いを「相手」として捉える感覚が鮮明だった。
「ナイフ・スラッシャー!」
剣士の叫びと同時に、鋭い剣気が宙を裂き、アイラへ飛ぶ。
すると、即座に。
「今だ、アイラ!」
「うん! ウィンド・アーマー!」
モネロの号令に合わせ、アイラはためらいなく指先から魔力を放った。
淡い黄緑の風の防護膜が、モネロの身体を伝って滑らかに広がる。
ドンッ!!
剣気はモネロの防御に阻まれ、空中へ弾かれた。
破片のように散った風が床をかすめて走る。
「よし」
モネロは姿勢を低くし、床を蹴って前へ突進した。
「気功弾!!」
拳から圧縮された気が爆ぜ、砲弾のように敵へ飛ぶ。
ドォンッ!!
圧力とともに床がひび割れ、粉塵が訓練場全体を吞み込んだ。
「やったか!?」
モネロが叫ぶ。
判断が一拍早い。
粉塵の中から、影がぬっと飛び出した。
剣士だ。
「パスギョク!」
両手で柄を握り、モネロの腹へ容赦なく叩き下ろす。
ズンッ!!
「ぐっ……!」
正面から受けたモネロは息を呑み、膝をついた。
腰を折り、両手で床を支える。
肩が一度、大きく上下した。
「モネロ!!」
アイラが驚いて叫びかけた、その瞬間。
シュン。
背後。
粉塵と残留魔力に紛れた死角。
滑るように近づく影が一つ。
傭兵の魔術師だった。
アイラは正面に意識を固定していた。
魔術師は隙間を縫うように、一歩、二歩、そして最後の一歩。
杖の先が、彼女の頭上に触れる。
「……あ」
身体が先に固まった。
息が喉で詰まる。
「……降参です」
短く、断固とした宣言。
アイラは力が抜けるように膝をついた。
指先が床を探ったが、踏ん張れる場所がない。
そのとき、扉が開いた。
カチャ。
ゆっくりとした拍手が訓練場に響いた。
パチ。パチ。
「良い連携でした」
ウルスだった。
その後ろから、ライネルが入ってくる。
「……ライネル!」
アイラが顔を上げて叫び、モネロも荒い息を整えながらそちらを見た。
ウルスはゆっくり周囲を見回した。
視線は整っている。称賛も指摘も用意された目だ。
「結果としては敗北ですが、中盤までの連携は印象的でした」
モネロとアイラを交互に見て続ける。
「ウィンド・アーマーと気功弾の相乗。
そしてタイミングの調整。二人でなければできません」
「……でも、結局は抜かれたよ」
アイラが唇を噛み、悔しそうに言った。
「それは継続的な鍛錬が必要な部分です」
ウルスは柔らかく、それでいて揺るがずに言う。
「戦いはタイミングと視野。
一瞬の油断で流れが崩れます」
モネロが立ち上がり、苦笑した。
「俺が浮かれてた」
アイラは黙ってうなずいた。
「でもさ」
モネロは額の汗を拭い、笑う。
「それでも、できたじゃん。
今の連携……ほんと、ぴったり噛み合った」
アイラは視線を少しそらし、口元を上げた。
力尽きた顔なのに、その一瞬だけは確かに誇らしげだった。
ライネルは二人を見て、静かに微笑んだ。
そしてその日、ライネルの目に映った戦いの記録は、
ただの稽古ではなかった。
(この二人……きちんと噛み合わせれば、かなり強くなる)
視線を少し落とし、自分にもそっと問いかける。
(俺は……どこに立てるんだろう)
◇
老執事が訓練場の扉を開けて入ってきた。
「お食事の用意が整いました」
その言葉に、真っ先に反応したのはモネロだった。
「あ、ちょうど腹減ってた! 助かった!」
元気が戻ったのか、表情がすぐ明るくなる。
「はぁ……久々に力使ったら、すっきりしたな?」
肩を回し、床に散った練習用の装備を軽く整える。
対照的に、アイラはその場にへたり込み、脚をぶらぶらさせていた。
「……脚、力抜けた……ふぅ……」
泣きそうな顔。
目尻も下がり、頬は赤く火照っている。
その様子を見て、ライネルとモネロが目を合わせた。
言葉はいらない。
モネロはさっと視線を逸らし、そのまま食堂のほうへ向きを変えた。
「腹減った〜腹減った〜、飯からだ〜!」
口では歌のように口ずさみながら、足取りは無駄に速い。
誰が見ても「逃げ」だった。
ライネルは短く息を吐いた。
「……はあ」
そして静かに指先を持ち上げる。
ヒュイン。
見えない力がアイラの身体をやさしく包み、ゆっくり宙へ浮かせた。
「うええ……!」
アイラはもがき、腕をばたつかせる。
「もうっ、ほんと! ライネル!
荷物みたいに持ち上げないでって言ったでしょ?!」
脚は宙でばたばた、手はバランスも取れず揺れる。
頬は真っ赤で、ほとんど独り言みたいにぼやいた。
「……恥ずかしくて死にそう……」
そうして二人は訓練場を出た。
一人はぷかぷか浮かび、もう一人は静かに後をついて。
◇
静かになった室内。
残ったのはウルスと、その直属の傭兵二人。
ウルスが低く重い声で問う。
「ネスト。今の手合わせ、どう評価する?」
剣を持つ男、ネストが一歩前に出た。
整った姿勢。目は揺れない。
「単なるC等級の冒険者です」
短く、明確な第一声。
「連携技を使う程度には呼吸が合っているようですが……
戦闘技術そのものは、特筆するほどではありませんでした」
「そうか」
ウルスがうなずくと、後ろにいた女――カリンが続けた。
「私は、ただの一方的な訓練だったと思います」
両腕を軽く組み、視線を窓の外へ投げる。
「わざわざ、あの二人ともう一度手合わせする理由は……正直、ないです」
傲慢というより、冷静な結論に近い口調だった。
そこからカリンの視線がウルスへ戻る。
「でも、ウルス様」
「……?」
「ライネルという方は。
実力は……どれほどなんです?」
ウルスはしばらく黙っていた。
短く息を吐き、断じる。
「圧倒的だ」
「……!」
反応は即座だった。
言葉少なだったネストでさえ、一瞬だけ目を細めた。
「……団長が、そこまで言われるとは思いませんでした」
カリンも腕を解き、視線を向ける。
「見た目じゃ……さっきの二人と、大差ないように見えましたけど」
ウルスは答えない。
唇を結び、ゆっくり目を閉じた。
◇
食堂には温かな匂いが満ち、短いながら穏やかな空気が漂っていた。
「ふぅ〜、生き返る……」
モネロは箸を持ったまま、満足そうに息を吐く。
アイラは水を何度も飲み、頬を赤くしたまま汗を拭いている。
その間、静かに入ってくる一人。
ウルスだった。
彼はライネルのほうへ近づき、軽く頭を下げて耳元で囁いた。
「……」
短い数言。
言い終えた瞬間、ライネルの表情が一気に固まった。
目の温度が落ち、唇が細く閉じる。
だがすぐ、ひと息整え、黙ってうなずく。
それを見ていたアイラとモネロは、互いに視線を交わした。
「……何だ?」
アイラが口を開くより先に、ライネルがゆっくり立ち上がった。
残りの食事を手早く片づけ、器を戻し、そのまま出口へ向かう。
「ライネル!」
背後からアイラの声。
「何かあったの?」
ライネルはむしろ明るい顔で振り返った。
小さく首を振って笑ってみせる。
「何でもない。ちょっと手伝うことがあってさ。
二人はゆっくり食べて、少し休んで」
短い返事。
彼は再び背を向け、扉の外へ消えた。
食堂の中央に、アイラとモネロだけが残る。
遠ざかるライネルの背中。
アイラは唇を結び、低く言った。
「……訓練場、行こう」
二人は急いで食事を終えた。
そして慎重に食堂を抜け、訓練場の裏手へ回り込む。
「静かに……静かに歩いてよ!」
「俺のほうが静かだろ?」
小声で言い合いながら、二人は訓練場の脇の窓から顔を覗かせた。
中ではすでに、ライネルと領主の傭兵二人が向かい合っていた。
「さっきの二人だ」
モネロが低い声で言う。
剣士ネスト。魔術師カリン。
短い静寂が落ちた瞬間、モネロがそっと言った。
「アイラ、これ……ライネルを試してるんだよな?」
「うん……今の状況だと、それしかない」
「でもさ……」
モネロは言葉を切り、意味ありげにアイラを見る。
「お前、ライネルが本気で戦うの、見たことあるか?」
「え、あるよ!……あ、待って」
アイラは自分でも戸惑ったように目を泳がせる。
「この前、ゴブリンの群れと戦ったときとか、森の魔物数匹とか……」
「いや、それは準備運動みたいなもんだろ」
モネロがきっぱり切る。
「じゃあお前は見たのか?」
「……山脈の稜線で、盗賊と睨み合ったときに、あいつが片づけるのを見た。
でもな……」
モネロは窓の向こうを見つめ、低く呟く。
「終わるのが……早すぎた。
何かあったのかって思うくらい」
「……」
「一緒に冒険してたのに、俺たち、ライネルの実力をちゃんと見たことがなかったって……
変じゃないか?」
アイラは黙ってうなずいた。
そのとき、中で動きがあった。
二人の傭兵が同時に頭を下げる。
ライネルも静かに礼を返す。
「始まるな」
アイラは息を呑んだ。
唇を少し噛み、窓越しにライネルを見据える。
モネロも同じ目で言った。
「……ああ。ようやく、はっきり見える」
先に動いたのは剣士ネストだった。
短い予備動作。
そして次の瞬間、爆ぜるような直線の突進。
爪先が床を抉り、全身が一本の刃みたいに伸びる。
「……速い」
モネロが小さく呟いた。
同時に後方でカリンが静かに詠唱を始める。
赤い魔力が指先で形を結び、ネストの動きに合わせて切り込んだ。
物理と魔法の二重圧。
「……私たちとやったときは、あの二人、あんな連携してなかったのに……!」
アイラが囁き、両手で窓枠を強く掴む。
速度、角度、威力。
全部が実戦だった。
なのにライネルは、まだその場に立っていた。
一歩も動かずに。
「ライネル……何してるの。どうして避けないの……」
モネロの声に、本能的な不安が滲む。
そして、その瞬間。
ネストの剣が勢いを乗せてライネルの肩へ落ち、
それに合わせてカリンの巨大なファイアボールが側面へ飛び込む。
肉体と魔法の同時打撃。
圧倒的な合わせ。
だが――
ライネルの目が、静かに光を帯び始めた。
青い流れ。
瞳の内にゆっくり満ちていく、異質な力。
そして、剣を振り下ろそうとしたネストの身体が、
空中で押さえつけられたように、わずかに止まった。
「……止まった?」
モネロが息を殺して呟く。
停止というより、「動きが押し潰された」感覚。
剣が落ち切らず、震えている。
「これが……ライネルの力……?」
アイラは息もできないまま見つめた。
その瞬間、背後から飛来した巨大なファイアボールが、ライネルの全身を呑み込んだ。
ドォォォン!!
爆発音。
赤い炎が一瞬で視界を埋めた。
窓越しでも熱が押し寄せるほど、火焔が渦巻く。
「ライネル!!」




