57. 漆黒の歌 ( しっこくのうた )
ステイラーは軽く笑ってうなずいた。
「大したことではありません。冒険者というのは、ときどき……別のことに気を取られてしまうものです。
とくに新しい街ではなおさらでしょう。王都は情報も多いし、誘惑も多い。細かなところを落としやすいのです」
余裕のある口調で付け加える。
「王都に滞在している間は、そういう部分はこちらで手助けします。心配なさらずに」
「……はい。改めてありがとうございます」
ライネルは頭を下げたが、胸の内は一瞬だけ複雑に揺れた。
――学校はどうして、俺たちがここにいるって分かったんだ?
疑問が膨らみかけた、そのとき。ウルスが静かに口を開いた。
「ステイラー様。少しの間、ライネル殿と王都のギルドへ行ってもよろしいでしょうか」
「そうしてください」
ステイラーは短く答え、手をひらりと振った。
ウルスが横に視線を向ける。
「ライネル殿。少し、私と一緒に来てください」
「……どこへ?」
戸惑って問い返すと、ウルスは短く笑って手招きした。
「まずはついて来てください。
ご同行の方々のことは心配いりません。私の部下が代わりに訓練を手伝う予定です」
ライネルはちらりと背後を振り返った。
椅子にもたれてこくこくと舟を漕ぐモネロ。
そして、少し前に食堂へ消えていったアイラ。
「……分かりました」
ライネルは黙って先を歩くウルスの後を追い、屋敷の外へ踏み出した。
◇
朝の光が街に降りはじめたころ。
二人は王都の通りを並んで歩いていた。
少し離れた距離。
その隙間に、気まずい沈黙が落ちた。
ライネルは意味もなく指先をいじり、視線を落とす。
そのとき、ウルスが静かに言った。
「昨日お渡しした地図に、ギルドの位置も記してありましたよね。……まさか、行っていませんか」
「行こうとはしてたんですけど……。仲間に引っ張られて歩いてるうちに、肝心なことを忘れてました」
ライネルの言葉に、ウルスがくすりと笑う。
「はは。そうだろうと思いました。ずいぶん愉快な方々でしたから。忘れても無理はありません」
少し沈黙が流れ、ウルスがまた静かに尋ねた。
「ライネル殿が使う力……どこで身につけたのですか」
ライネルは一度、目を伏せた。
「……さあ。どこかで教わった、というよりは……」
言葉が途切れる。
ウルスはそれ以上、踏み込まなかった。
「不快でしたら、言わなくて結構です。いずれ分かるでしょうから」
「……どういう意味です?」
ウルスは前を見たまま、揺らぎなく言った。
「ライネル殿。王都では……『不思議な力』を使うというだけで、余計な注目を集めることがあります」
「……前に会ったパイルグさんも、似たようなことを言ってました」
ウルスがうなずく。
「念動力。今の魔法体系から外れた力です。
似たものを真似する者はいますが、大半は歩き始めた程度。なにより、その力は術者の魔力を大きく消耗します。
一般的な人間の魔力量では……まともに扱うのは難しい」
ウルスはちらりとライネルを見た。
その眼差しには、心配と警戒が重なっていた。
「私は各地を回り、傭兵として働いてきました。今はステイラー様のもとに落ち着いていますが」
空を見上げ、淡々と続ける。
「先日の手合わせで……その力は、実に驚異的でした」
そのとき、遠くに巨大な石造りの建物が見えてきた。
王都冒険者ギルド。
近づくほどに威容が際立つ。
太い柱、高い天井、壁一面の紋章とレリーフ。
王国の中心がどこかを、目で示しているようだった。
ライネルは思わず漏らした。
「……すごい」
ウルスが満足げに笑う。
「さあ、入りましょう」
入口をくぐると、空気が一変した。
ざわめき。
幾つもの会話が重なり、ひとつの波になって押し寄せる。
装備を点検する戦士。
依頼板の前で声を荒げる魔術師。
新米の空気を隠せない見習いまでいる。
職も、事情も、ばらばら。
それらが一つの空間に混ざり合っていた。
「王都学校の件は代行で受理しましたが、冒険者ギルドは本人が来て登録する必要があります」
ウルスの説明に、ライネルはうなずいた。
二人はまっすぐ受付へ向かう。
カウンターに座っていた受付が、ウルスを見るなり立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
「いらっしゃいませ、ウルス様」
旧知のように自然な応対。
ウルスは短く会釈した。
「紹介したい方がいまして」
「承知しました。こちらの方が……」
ライネルが丁重に頭を下げる。
「はじめまして。ライネルと申します」
「ようこそ、ライネル様。王都は初めてですか?」
「はい。数日前に到着しました」
「冒険者証を拝見しても?」
ライネルは懐からC等級のバッジを取り出し、慎重に置いた。
受付は確認し、素早く記録をめくる。
「ボブレ村で発行されたものですね。王都までお越しになるのは大変だったでしょう」
「はい、ありがとうございます」
「途中、ポエン村でC等級依頼も受けていますね。それ以外の記録は特に確認できませんが……」
ライネルは少し迷ってから、うなずいた。
「……ポエンの後も色々ありましたが、正式な依頼じゃなかったので」
そして控えめに付け足す。
「あ、ポエン村の依頼は途中で取り消しになったんですが……」
受付は笑顔で答えた。
「依頼人側の取り消しは完了扱いになります。ご安心ください」
記録を続けながら尋ねる。
「ところで、チーム名は?」
「……まだ決めていません」
ライネルは気まずそうに笑った。
受付はうなずき、丁寧に説明する。
「ではひとまず『ボブレの冒険者』という仮チーム名で登録します。後で正式名が決まったら、いつでも変更できますよ」
「はい。ありがとうございます」
受付は封筒を差し出した。
「こちらは冒険者学校入学に関する案内書類です。入学登録の履歴が確認できた方へ、事前配布しているものになります」
ライネルは封筒を受け取り、頭を下げた。
ギルド内の休憩スペース。
向かい合って座る二人。
しばらく沈黙が落ちてから、ライネルがそっと口を開いた。
「ウルス様」
「はい」
「王都では……俺の力をむやみに使うな、と」
「その通りです」
「……じゃあ、試験のとき不利になりませんか」
ウルスは少し考え、落ち着いて答えた。
「そうなる可能性はあります。ただ、手がないわけではない」
「手ですか?」
「ライネル殿は物体を遠隔で扱い、圧縮して放つ戦闘型でしょう?」
「……はい」
「なら簡単です」
ウルスは指を折りながら言った。
「石や水のように質量のあるものをスクロールで瞬時に召喚し、それを念動力で操る。そういう形にするのです」
ライネルの目が輝いた。
「目くらましが利くんですね……」
「ええ。
しかも一度召喚した物体を回収して再利用すれば、スクロールの消費も抑えられます」
「……本当に、できそうです」
ウルスが肩をすくめて笑う。
「実力の割に、ずいぶん素直ですね。ライネル殿」
「え……そう言われたの、初めてです」
ウルスは立ち上がり、服を整えた。
「では私は必要なスクロールをいくつか買いに行きます。馴染みの店がありましてね。少し距離がある」
「戻り道は……大丈夫ですか」
ライネルがうなずく。
「はい。魔力を少し流して、目印を残しておきました。それを辿れば迷いません」
ウルスは軽く微笑んだ。
「結構。
王都に来たついでに、他の冒険者と顔をつなぐのも良い経験になります」
そう言い残し、ウルスはギルドを出ていった。
ライネルは忙しなく動くホールをもう一度見回した。
尽きない会話、汗の匂い、その奥にある競争心。
「冒険」という名の熱が、空間を満たしていた。
「……はあ」
こめかみを軽く押さえ、ゆっくり外へ出る。
「やっぱり、こういう騒がしい場所は……俺には合わないな」
目印を残した路地が見える。
ライネルはそちらへ向きを変えた。
そのとき。
遠くから歌声が聞こえた。
「おお〜、哀れな少年よ〜」
「……?!」
ライネルが反射的に振り向く。
どこか粘つくような、異質な声。
「運命のくびきを抜けて、
新たな光へ一歩近づかん〜!」
きびきびと腰を折る青年。
銀の髪が陽を受けて柔らかく光る。
片手には小さなリュートが抱えられていた。
「あなたのお名前は〜?」
「……ライネルです」
「おお!その高貴なる名を教えてくださり感謝!
ロイネルさん〜!」
「……ライネルです」
困って訂正しても、青年は気にしない。
「運命とは、こういうことを言うのでしょうか〜?」
「……どういう意味です?」
「あなたから漂うこの妙な気配……
まさか魔族の血でも流れているのですか〜?」
「……」
ライネルの顔に戸惑いが走った。
青年はすぐに大きく笑って手を振る。
「ははは!冗談です〜。
あまりに高潔な雰囲気で、ついそんな想像をしてしまいました〜」
そこへ、明るい声が割り込んだ。
「はいはい、変なこと言うのやめてください!」
二人の少女が青年の両腕を掴み、引っ張った。
「リビエン、道行く人つかまえて何してるのよ?」
「すみません……うちのリーダー、ちょっと調子に乗るところがあって……」
一人の少女が頭を下げて謝る。
「いえ……大丈夫です」
ライネルは無理に笑って手を振った。
少女たちはよく似た顔立ちで、軽快な装い。
そのうち一人が、もじもじしながら小さく言った。
「その……失礼しました……」
彼女は正面を見られず、視線を逸らした。
「……ピア、どうしたの?具合悪い?」
「う……ううん……そんなこと……」
ピアと呼ばれた少女は、顔を赤くして小さく答える。
もう一人が手早くまとめるように言った。
「忙しい冒険者さんだし、邪魔しないで行こう。
気にしないでください」
その間もリビエンはリュートをつま弾き、歌を継いだ。
「嗚呼、かよわき乙女たちが運命の壁を立てる〜
我は哀れよ〜、哀れよ〜」
ライネルは額を押さえた。
「……王都にいたら……気力から先に死にそうだ」
これ以上関わりたくなくて、足を速めた。
少し離れた路地。
リビエンが二人の少女へ声を落とした。
「ピナ、ピア。どうだい?何か感じた?」
青いリボンの少女、ピナが肩をすくめる。
「うーん……あなたが言ってた『ぞっとする気配』は、正直よく分かんなかったけど?」
「ピアは?」
ピアはうつむいたまま言った。
「……かっこよかった」
「……は?」
「かっこよかった……」
ピナが力の抜けた溜息をつく。
「そうじゃなくて。
あいつから、何か感じたのかって聞いてるの」
ピアはもっと小さくつぶやいた。
「……分かんない……ただ……」
リビエンは口元をゆっくり上げた。
「乙女よ〜、恋に落ちたことを恥じるでない〜
次に会えば愛の苦杯を……」
「黙って、リビエン!」
ピナがリビエンの口を塞いだ。
「怪しい気配がするって言うから、わざわざ来たのに……
変な詩みたいなの吟じてるだけじゃない」
ピアは最後までどこかを見つめていて、ひどく小さく言った。
「……また会えたら、いいな……」
誰にも届かないほど小さな声。
けれどリビエンは、横でピアを静かに見ていた。
唇の端に、興味深そうな笑みが浮かんでいた。




