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57. 漆黒の歌 ( しっこくのうた )

ステイラーは軽く笑ってうなずいた。


「大したことではありません。冒険者というのは、ときどき……別のことに気を取られてしまうものです。


とくに新しい街ではなおさらでしょう。王都は情報も多いし、誘惑も多い。細かなところを落としやすいのです」


余裕のある口調で付け加える。


「王都に滞在している間は、そういう部分はこちらで手助けします。心配なさらずに」


「……はい。改めてありがとうございます」


ライネルは頭を下げたが、胸の内は一瞬だけ複雑に揺れた。

――学校はどうして、俺たちがここにいるって分かったんだ?

疑問が膨らみかけた、そのとき。ウルスが静かに口を開いた。


「ステイラー様。少しの間、ライネル殿と王都のギルドへ行ってもよろしいでしょうか」


「そうしてください」


ステイラーは短く答え、手をひらりと振った。


ウルスが横に視線を向ける。


「ライネル殿。少し、私と一緒に来てください」


「……どこへ?」


戸惑って問い返すと、ウルスは短く笑って手招きした。


「まずはついて来てください。


ご同行の方々のことは心配いりません。私の部下が代わりに訓練を手伝う予定です」


ライネルはちらりと背後を振り返った。

椅子にもたれてこくこくと舟を漕ぐモネロ。

そして、少し前に食堂へ消えていったアイラ。


「……分かりました」


ライネルは黙って先を歩くウルスの後を追い、屋敷の外へ踏み出した。



朝の光が街に降りはじめたころ。

二人は王都の通りを並んで歩いていた。


少し離れた距離。

その隙間に、気まずい沈黙が落ちた。


ライネルは意味もなく指先をいじり、視線を落とす。

そのとき、ウルスが静かに言った。


「昨日お渡しした地図に、ギルドの位置も記してありましたよね。……まさか、行っていませんか」


「行こうとはしてたんですけど……。仲間に引っ張られて歩いてるうちに、肝心なことを忘れてました」


ライネルの言葉に、ウルスがくすりと笑う。


「はは。そうだろうと思いました。ずいぶん愉快な方々でしたから。忘れても無理はありません」


少し沈黙が流れ、ウルスがまた静かに尋ねた。


「ライネル殿が使う力……どこで身につけたのですか」


ライネルは一度、目を伏せた。


「……さあ。どこかで教わった、というよりは……」


言葉が途切れる。

ウルスはそれ以上、踏み込まなかった。


「不快でしたら、言わなくて結構です。いずれ分かるでしょうから」


「……どういう意味です?」


ウルスは前を見たまま、揺らぎなく言った。


「ライネル殿。王都では……『不思議な力』を使うというだけで、余計な注目を集めることがあります」


「……前に会ったパイルグさんも、似たようなことを言ってました」


ウルスがうなずく。


「念動力。今の魔法体系から外れた力です。


似たものを真似する者はいますが、大半は歩き始めた程度。なにより、その力は術者の魔力を大きく消耗します。


一般的な人間の魔力量では……まともに扱うのは難しい」


ウルスはちらりとライネルを見た。

その眼差しには、心配と警戒が重なっていた。


「私は各地を回り、傭兵として働いてきました。今はステイラー様のもとに落ち着いていますが」


空を見上げ、淡々と続ける。


「先日の手合わせで……その力は、実に驚異的でした」


そのとき、遠くに巨大な石造りの建物が見えてきた。

王都冒険者ギルド。


近づくほどに威容が際立つ。

太い柱、高い天井、壁一面の紋章とレリーフ。

王国の中心がどこかを、目で示しているようだった。


ライネルは思わず漏らした。


「……すごい」


ウルスが満足げに笑う。


「さあ、入りましょう」


入口をくぐると、空気が一変した。


ざわめき。

幾つもの会話が重なり、ひとつの波になって押し寄せる。


装備を点検する戦士。

依頼板の前で声を荒げる魔術師。

新米の空気を隠せない見習いまでいる。


職も、事情も、ばらばら。

それらが一つの空間に混ざり合っていた。


「王都学校の件は代行で受理しましたが、冒険者ギルドは本人が来て登録する必要があります」


ウルスの説明に、ライネルはうなずいた。

二人はまっすぐ受付へ向かう。


カウンターに座っていた受付が、ウルスを見るなり立ち上がり、丁寧に頭を下げた。


「いらっしゃいませ、ウルス様」


旧知のように自然な応対。

ウルスは短く会釈した。


「紹介したい方がいまして」


「承知しました。こちらの方が……」


ライネルが丁重に頭を下げる。


「はじめまして。ライネルと申します」


「ようこそ、ライネル様。王都は初めてですか?」


「はい。数日前に到着しました」


「冒険者証を拝見しても?」


ライネルは懐からC等級のバッジを取り出し、慎重に置いた。

受付は確認し、素早く記録をめくる。


「ボブレ村で発行されたものですね。王都までお越しになるのは大変だったでしょう」


「はい、ありがとうございます」


「途中、ポエン村でC等級依頼も受けていますね。それ以外の記録は特に確認できませんが……」


ライネルは少し迷ってから、うなずいた。


「……ポエンの後も色々ありましたが、正式な依頼じゃなかったので」


そして控えめに付け足す。


「あ、ポエン村の依頼は途中で取り消しになったんですが……」


受付は笑顔で答えた。


「依頼人側の取り消しは完了扱いになります。ご安心ください」


記録を続けながら尋ねる。


「ところで、チーム名は?」


「……まだ決めていません」


ライネルは気まずそうに笑った。

受付はうなずき、丁寧に説明する。


「ではひとまず『ボブレの冒険者』という仮チーム名で登録します。後で正式名が決まったら、いつでも変更できますよ」


「はい。ありがとうございます」


受付は封筒を差し出した。


「こちらは冒険者学校入学に関する案内書類です。入学登録の履歴が確認できた方へ、事前配布しているものになります」


ライネルは封筒を受け取り、頭を下げた。


ギルド内の休憩スペース。

向かい合って座る二人。


しばらく沈黙が落ちてから、ライネルがそっと口を開いた。


「ウルス様」


「はい」


「王都では……俺の力をむやみに使うな、と」


「その通りです」


「……じゃあ、試験のとき不利になりませんか」


ウルスは少し考え、落ち着いて答えた。


「そうなる可能性はあります。ただ、手がないわけではない」


「手ですか?」


「ライネル殿は物体を遠隔で扱い、圧縮して放つ戦闘型でしょう?」


「……はい」


「なら簡単です」


ウルスは指を折りながら言った。


「石や水のように質量のあるものをスクロールで瞬時に召喚し、それを念動力で操る。そういう形にするのです」


ライネルの目が輝いた。


「目くらましが利くんですね……」


「ええ。

しかも一度召喚した物体を回収して再利用すれば、スクロールの消費も抑えられます」


「……本当に、できそうです」


ウルスが肩をすくめて笑う。


「実力の割に、ずいぶん素直ですね。ライネル殿」


「え……そう言われたの、初めてです」


ウルスは立ち上がり、服を整えた。


「では私は必要なスクロールをいくつか買いに行きます。馴染みの店がありましてね。少し距離がある」


「戻り道は……大丈夫ですか」


ライネルがうなずく。


「はい。魔力を少し流して、目印を残しておきました。それを辿れば迷いません」


ウルスは軽く微笑んだ。


「結構。

王都に来たついでに、他の冒険者と顔をつなぐのも良い経験になります」


そう言い残し、ウルスはギルドを出ていった。


ライネルは忙しなく動くホールをもう一度見回した。

尽きない会話、汗の匂い、その奥にある競争心。

「冒険」という名の熱が、空間を満たしていた。


「……はあ」


こめかみを軽く押さえ、ゆっくり外へ出る。


「やっぱり、こういう騒がしい場所は……俺には合わないな」


目印を残した路地が見える。

ライネルはそちらへ向きを変えた。


そのとき。


遠くから歌声が聞こえた。


「おお〜、哀れな少年よ〜」


「……?!」


ライネルが反射的に振り向く。

どこか粘つくような、異質な声。


「運命のくびきを抜けて、

新たな光へ一歩近づかん〜!」


きびきびと腰を折る青年。

銀の髪が陽を受けて柔らかく光る。

片手には小さなリュートが抱えられていた。


「あなたのお名前は〜?」


「……ライネルです」


「おお!その高貴なる名を教えてくださり感謝!

ロイネルさん〜!」


「……ライネルです」


困って訂正しても、青年は気にしない。


「運命とは、こういうことを言うのでしょうか〜?」


「……どういう意味です?」


「あなたから漂うこの妙な気配……

まさか魔族の血でも流れているのですか〜?」


「……」


ライネルの顔に戸惑いが走った。

青年はすぐに大きく笑って手を振る。


「ははは!冗談です〜。

あまりに高潔な雰囲気で、ついそんな想像をしてしまいました〜」


そこへ、明るい声が割り込んだ。


「はいはい、変なこと言うのやめてください!」


二人の少女が青年の両腕を掴み、引っ張った。


「リビエン、道行く人つかまえて何してるのよ?」


「すみません……うちのリーダー、ちょっと調子に乗るところがあって……」


一人の少女が頭を下げて謝る。


「いえ……大丈夫です」


ライネルは無理に笑って手を振った。


少女たちはよく似た顔立ちで、軽快な装い。

そのうち一人が、もじもじしながら小さく言った。


「その……失礼しました……」


彼女は正面を見られず、視線を逸らした。


「……ピア、どうしたの?具合悪い?」


「う……ううん……そんなこと……」


ピアと呼ばれた少女は、顔を赤くして小さく答える。


もう一人が手早くまとめるように言った。


「忙しい冒険者さんだし、邪魔しないで行こう。

気にしないでください」


その間もリビエンはリュートをつま弾き、歌を継いだ。


「嗚呼、かよわき乙女たちが運命の壁を立てる〜

我は哀れよ〜、哀れよ〜」


ライネルは額を押さえた。


「……王都にいたら……気力から先に死にそうだ」


これ以上関わりたくなくて、足を速めた。


少し離れた路地。


リビエンが二人の少女へ声を落とした。


「ピナ、ピア。どうだい?何か感じた?」


青いリボンの少女、ピナが肩をすくめる。


「うーん……あなたが言ってた『ぞっとする気配』は、正直よく分かんなかったけど?」


「ピアは?」


ピアはうつむいたまま言った。


「……かっこよかった」


「……は?」


「かっこよかった……」


ピナが力の抜けた溜息をつく。


「そうじゃなくて。

あいつから、何か感じたのかって聞いてるの」


ピアはもっと小さくつぶやいた。


「……分かんない……ただ……」


リビエンは口元をゆっくり上げた。


「乙女よ〜、恋に落ちたことを恥じるでない〜

次に会えば愛の苦杯を……」


「黙って、リビエン!」


ピナがリビエンの口を塞いだ。


「怪しい気配がするって言うから、わざわざ来たのに……

変な詩みたいなの吟じてるだけじゃない」


ピアは最後までどこかを見つめていて、ひどく小さく言った。


「……また会えたら、いいな……」


誰にも届かないほど小さな声。

けれどリビエンは、横でピアを静かに見ていた。


唇の端に、興味深そうな笑みが浮かんでいた。


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