56. チーム ( ちーむ )
そよ風が枝を撫でて通り過ぎた。
赤い陽射しは、夕暮れの縁へ向かってゆっくり傾いていく。
庭の片隅。
古びたベンチに座ったモネロは、頭を深く垂れたまま、指先で枯れ枝を転がしていた。
静かに近づく足音。
ライネルがモネロのそばへ来た。
ぴったり隣ではなく、少し離れた場所に、そっと腰を下ろす。
言葉もなく流れる時間。
「……モネロ。
さっき広場からずっと……ちょっと変だ」
ライネルが慎重に声をかけた。
モネロは答えない。
ただ、さらに深く俯いたまま――しばらくして、口を開いた。
「……なあ、ライネル」
「……うん?」
「前に……王都にいたことがあるって言っただろ」
「うん。
ラケンさんも、そう言ってた」
モネロは一度、空を見上げた。
赤い光が、どこか――自分が取りこぼした何かを思い出させる。
そしてまた俯き、低く囁いた。
「……実はさ。
俺、王都から……逃げてきたんだ」
「……逃げた?」
思いがけない言葉に、ライネルの瞳がわずかに揺れた。
モネロは続ける。
「ライネルから見て……俺の実力って、正直どうだ?」
予想外の問い。
ライネルは少し戸惑いながらも、真っ直ぐ答えた。
「自信があって、
いつも先頭に立って片付けようとするだろ」
「だから正直……俺も、かなり頼ってた」
「……それに、明るくて、場を回すのも上手い」
モネロは短く笑った。
けれど、その笑いはどこか空っぽだった。
「……やっぱり、話をそらすんだな。
実力の話になると、みんなそう言う」
「違う、そうじゃ……」
ライネルが慌てて手を振り、首を振る。
「チームってそういうものだろ。
それぞれの役割が大事で、
モネロはそれを十分やれてる」
「俺は本気でそう思ってる」
それでもモネロの目は、どこか虚ろだった。
「……俺さ。
自分は結構、特別だって思ってた」
「自信だけで何でもなれるって思って……
実際、うまくいってた」
「ラケン兄貴と任務も上手く回って、
Cランクもすぐ取れて……
周りも俺を認めてくれた」
そこでモネロの声が、もう一段落ちる。
「……でも、全部ラケン兄貴のおかげだった」
「兄貴がBランクで先に卒業してから……
残った俺は、何もできなかった」
「任務じゃミスばかりで、
一緒に動いてたチームからは脱退を勧められた」
「……腹が立って自分から抜けたけど、
結局、逃げたんだ」
ライネルは黙って隣にいた。
モネロはさらに頭を落としたまま、言葉を続ける。
「故郷に戻ってからは……
もっと騒いで、もっと笑ってた」
「失敗の話なんてしなかったから。
みんな、俺をすごい奴だと思ってた」
「……だから、お前たちに初めて会った時も
妙に強がってたんだ」
「……先に圧かけてやろう、とか」
短い笑い。
だがそれは、自分を笑うみたいな苦さが混じっていた。
「結局、逆に恥かいただけだったな」
ライネルもそこで、ようやく小さく笑った。
モネロは肩をすくめる。
「でも今日、広場で会った奴、いただろ。
レン」
「……昔は、俺の後ろをついて回ってた」
「Eランクだったのに……
今はCランクで、名前まで上がってた」
「逃げた俺はここで、
踏ん張ったあいつはあっちにいる」
ライネルが静かに頷く。
「言いたいこと、分かる。
昔はお前が引っ張ってた相手が、今は人前で称えられてる」
「……でも、それがそこまで問題か?」
穏やかな言葉。
だがモネロは、弾かれたみたいに顔を上げた。
「問題じゃないだと!?」
「これは……男のプライドが懸かってんだよ!」
ライネルは一瞬言葉を止め、低く言った。
「……プライド、大事だ」
「でも、それで終わりじゃないだろ」
「今のお前は、やり直してる最中だ。モネロ」
「過去は消せない。
でも、そこに閉じこもる必要もない」
「……これからどう歩くかが大事だ」
ライネルは静かに笑った。
「一緒にやろう。
俺たち、ここからやり直そう」
モネロは目を閉じて、少しして、小さく頷いた。
「……ありがとう、ライネル」
その一言で、胸の奥の何かが一枚、崩れ落ちた気がした。
その時、聞き慣れた声が響く。
「二人とも〜、なにしてるの〜?」
庭の端からアイラが現れた。
腕を組み、にやっと笑いながら歩いてくる。
「私だけ仲間外れにして、男二人で秘密の恋愛でもしてたの〜?」
「うわっ! アイラ! びっくりしただろ!!」
モネロが勢いよく顔を上げる。
「気配くらい出して来い!!」
アイラは口元を上げた。
「でもさ〜、
二人があんまり真剣に話してたから〜
途中で入っちゃいけない気がして〜」
「だから、こっそり聞いてたの〜」
「……は? 聞いてたの!?」
モネロが青ざめた。
「ん〜、リンクフォースに知り合いがいる〜、くらい?」
「その先は……声が小さくて、よく聞こえなかった〜」
「……ふぅ」
安堵の息が、モネロの口から漏れた。
ライネルは慣れたように軽く笑い、頷く。
「え〜なになに〜? それ、余計気になるじゃん!」
「精霊石、つけとけば良かった〜。
気遣って損した〜」
ライネルは気まずそうに笑う。
「今回は見逃してくれ、アイラ」
「はぁ……
ライネルって、困ったことがあるとすぐ笑って流すよね」
「ほんと〜、一発ちゃんと殴ってやりたいんだけど?」
そう言いながら、くるりと背を向けた。
「ほら、早く入ろ。
風が冷たい〜。肌が荒れるんだから〜」
ライネルが先に立ち上がった。
だがモネロは、まだベンチに座っていた。
「モネロ〜、何してんの?
椅子と体、くっついたの〜?」
アイラが振り返って叫ぶ。
モネロはゆっくり顔を向ける。
「……ちょっとだけ。
もう少しだけ、ここにいる」
「なにそれ〜。今日ほんと怪しい〜」
ライネルは黙って、アイラに首を横に振った。
「……アイラ、先に入ろう」
「ふん、分かった。
モネロ! 後でちゃんと話してよね〜?」
「しんどいことがあったら!
このアイラ様がぜ〜んぶ助けてあげるんだから!」
得意げなポーズ。
その背中を見送りながら、モネロは小さく呟いた。
「……仲間、か」
口元に笑みが浮かんだ。
胸の奥に積もっていた石が、少しだけ消えたような感覚。
「……今度こそ、ちゃんとやる」
「失敗しない。
信じてくれた奴らを、がっかりさせない」
両手を高く上げ、気合いみたいに叫ぶ。
「うおおおおおお!!」
扉を閉めかけていたライネルが、そっと振り返って笑った。
「……モネロ」
隣のアイラは目を丸くする。
「なになに!?
モネロ、さっき蜜パイ食べ間違えた!?」
庭の風が、もう一度吹いた。
そして今、この小さな誓いと笑い、勘違いと慰めが、
『仲間』という名前で、互いを少しずつ強く結びつけていた。
◇
翌朝。
赤い黎明が少しずつ屋敷を照らし始める頃。
「ライネル! アイラ! いつまで寝てんだ!」
廊下に響く威勢のいい声。
モネロだった。
「修練だ! 訓練だ! 早く出てこい!」
「うぅ……なに……誰、こんなうるさ……」
目をこすりながら扉を開けるアイラ。
ぼさぼさの髪のままモネロを睨みつける。
「ちょ、なによモネロ。
あんたも私と同じ寝坊虫科じゃなかった?」
「朝っぱらから人を叩き起こすとか、ひどくない……」
大あくびを吐きながら身体を揺らす。
その時、廊下の向こう。
ライネルが片手にマグカップを持ち、静かに歩いてきた。
既に整った服装。
髪もきちんとまとめられている。
瞳には眠気の抜けた澄んだ光が残っていた。
「……え。ライネル、もう起きてるの?」
アイラが目を見開く。
「二人ともどうしたの?
王都に来たら急に、何か刺激でも受けた?」
ライネルは静かにアイラへ視線を向け、言った。
「俺はいつもこの時間に起きる」
「起きるのが遅いのは、お前だ」
「今日は……モネロも珍しく早起きだけど」
「……ほんと、私が寝てる間に何があったのよ」
「私はまだ寝るから、後で起こして」
「アイラさん!!」
モネロがいきなり、アイラの名の後ろに「さん」を付けて叫んだ。
「うわ、びっくりした!!
なんで急に『さん』付け!? 気持ち悪い!」
モネロは目に力を入れ、腕を上げて強調する。
「我々がこんなにのんびりしている時ではない!」
「己の不足を把握し、入学までに準備を整えるのだ!」
「……なに言ってんの、ほんと」
アイラは顔をしかめて身体を半分背けた。
「モネロ、似合わない口調に過剰なやる気って……最悪」
ライネルが少し笑って言った。
「アイラ、せっかくだ。今日はモネロに協力しよう」
そしてそっと、アイラの耳元に手を添える。
「……たぶん、長くは続かない」
その言葉と一緒に、小さな笑い。
「……はぁ」
アイラは呆れたように首を振った。
「じゃあ……しばらくの間だけ、特別に付き合ってあげる。モネロ」
そして独り言みたいに付け足す。
「……三日、持つかな」
「準備して出てくる。待ってて」
アイラは部屋へ戻った。
数分後。
扉が再び開き、アイラは額を押さえながら出てきた。
「……はぁ、もう」
「三日どころか……三分かも」
廊下の隅の椅子。
燃えていたはずのモネロは、もう首をこくこく揺らして居眠りしていた。
「……おい、モネ……」
アイラが近づいて起こそうとした、その時。
ライネルが静かに首を振り、手で合図した。――放っとけ、ということだった。
「……やる気過多、単純一直線」
短く言い捨てたアイラは腕をだらりと下げ、廊下の反対側へ向き直る。
「早起きしたんだし……おやつでも食べよ〜」
「今日のおやつ、何かな〜?」
朝っぱらから甘いものを求める彼女は、口笛を吹きながら食堂のほうへ消えた。
廊下の向こうから、一人の男が近づいてくる。
整った身なり、落ち着いた声。
「ライネル様」
ウルスだった。
「あ、おはようございます。ウルス様」
ライネルはマグを少し持ち上げて挨拶する。
薄い微笑。
ウルスは静かに言葉を続けた。
「入学日が、もうすぐですね」
「はい。そうですね。
新しい冒険者たちが一堂に会すると思うと……期待もしますし、緊張もします」
ウルスは軽く頷く。
「冒険者学校については……どこまでご存じですか?」
「ええと……正直、ほとんど知りません」
「……教えていただけるなら、助かります」
その時、廊下の奥から大きな声が響いた。
「協力! 協同! チームワーク!!」
モネロの寝言だった。
夢の中でも訓練しているらしい。
ウルスは視線を移し、その方向を静かに見る。
ライネルはマグを口元に当て、小さく笑った。
そこへ老執事が静かに近づき、ライネルとウルスの間にそっと入った。
「ライネル様、書状が届いております」
彼の手には封印された封筒。
封印には見覚えのある文言が押されていた。
王立冒険者学校。
ライネルは眉をわずかに寄せ、封筒を受け取る。
老執事は頭を下げたまま、静かに付け加えた。
「お開けくださいませ、ライネル様」
ライネルは慎重に封を解き、手紙を広げた。
ウルスは隣で黙って彼を見ている。
ライネルの視線が、書面をゆっくりとなぞる。
『三日後、入学試験のための招集を行う。』
『志願する冒険者は、正午に王都広場へ集合し、簡単な登録手続きを済ませた後、試験会場へ移動すること。』
『遅刻した場合、試験参加が制限される恐れがあるため留意せよ。』
短いが、容赦のない文面だった。
読み終えたライネルは、首を傾げて呟く。
「……変だな。
俺たちがここにいるって、学校はどうやって知ったんだ?」
そしてすぐ、何か思い当たったように顔をしかめた。
「先に……王都の冒険者ギルドに寄って登録しろって言われてたのに」
快適な屋敷暮らしに慣れてしまい、
肝心の登録を自分で済ませていないことを思い出したのだ。
その時、ウルスが静かに口を開く。
「パイールグ様の書状を受け、
ステイラー様が皆様の居所を代理で登録されました」
ライネルは驚いて振り向く。
「それに……アルゼン様の推薦状も所持されていると確認しました」
「……推薦状まで?」
ライネルが戸惑った、その瞬間。
聞き慣れた笑い声が廊下の奥から届いた。
「ははは、忘れていたようだね」
ステイラー子爵が余裕の足取りで近づいてくる。
手を背に回し、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。
「アルゼン氏が、ちょうどこの近くにしばらく滞在していてね。
本人が席を外す場合に備えて、推薦状を代筆できるよう、前もって君たちに持たせていたらしい」
「だが当の本人がここに滞在しているとなると、
それを使う必要もなかったわけだ」
ライネルは手紙を見下ろし、深く息を吐いた。
「……うっかりしてた。登録……」




