53. 王都 ( おうと )
「王都って……こんな場所なんだ」
アイラは窓辺にもたれ、目をきらきらさせた。
「私、このままここで暮らしたくなるかも」
やわらかい陽射しが降り注ぐ。
大きな窓の向こうには、きれいに手入れされた花壇と庭園が広がっていた。
ライネルは静かに茶を一口含み、
モネロは黙って菓子を一つ摘まむ。
「そんなにいいのか?」
モネロが口元に薄い笑みを浮かべて聞いた。
「いいに決まってる! 窓の外は花、手元にはお茶菓子、口の中は甘い……完璧」
アイラは菓子を口に入れて目を閉じた。
「これは……幸せそのもの」
扉が静かに開いた。
見慣れた老執事が頭を下げて姿を現す。
「失礼いたします。まもなくステイラー様がご到着なさいます」
「お?」
アイラは驚いて身を起こした。
「午後くらいって言ってなかった?」
「早く戻られたんだろうね」
ライネルもカップを置き、頷く。
「じゃあ、挨拶に行かないとな」
モネロはすでに腰に手を当てて立ち上がっていた。
三人は身なりを整え、屋敷の正門へ向かってゆっくり歩き出す。
途中でアイラが、囁くように聞いた。
「ステイラー様って、どんな人かな?
私、なんか……格好いい王子様みたいなの想像しちゃった!」
ライネルが小さく笑う。
「パイルグさんの親戚なら……わりと気さくな感じじゃない?」
「いや、違う」
モネロが首を振って言い切った。
「この規模の屋敷を持ってるなら、相当うるさい貴族だろ」
「はぁ〜二人とも、夢もロマンもない」
アイラはぶつぶつ言いながら階段を降りた。
正門前に着くと、遠くから大きな馬車がゆっくり近づいてくる。
使用人たちが素早く整列し、馬車が止まると一斉に頭を下げた。
その空気に押されるように、三人も慎重に頭を下げる。
小さな足音が、馬車から降りて近づいてきた。
コツ。コツ。コツ。
老執事が顔を上げ、挨拶を添える。
「お帰りなさいませ。書状でお伝えしていた、パイルグ様のお客様でございます」
ライネルが先に顔を上げた。
「……ライネルです。パイルグさんの紹介で参りました」
「私はアイラです! よろしくお願いします!」
「モネロ。……ただの同行者です」
三人が同時に顔を上げる。
そして……
目の前の人物を見て、言葉を失った。
「…………え?」
「え……えぇ?」
「……なんだよ、子どもじゃん!?」
そこにいたのは、せいぜい十歳くらいに見える、貴公子風の少年だった。
きっちり撫でつけた金髪。
上質なコート。
いたずらっぽい笑み。
少年はにこっと笑って言った。
「ようこそ! お話はたくさん聞いてますよ」
アイラが独り言みたいに呟く。
「……こ、この子が……ステイラー様?」
モネロも戸惑ったように横目で見た。
その時、背後から低く深い声がした。
「皆さま、はじめまして。
ステイラー・ディポルセ・ダイマルでございます」
三人は同時に振り返った。
屋敷の門の奥、花道をゆっくり歩いてきた人物。
色褪せた灰色の髪、穏やかな微笑。
眼差しに品があり、言葉には余裕があった。
彼が立ち止まると、老執事が柔らかく付け加える。
「こちらはステイラー子爵様のご子息、カイエル様でございます」
「あ……」
ライネルは小さく息を漏らし、頷いた。
アイラもほっと息を吐き、静かに言う。
「この年で……すごくしっかりしてる……」
モネロも視線を落として続けた。
「確かに……貴族の子息って感じだった」
ステイラーは軽く手を振って笑う。
「ようこそ。遠路お疲れさまでした」
彼は事情を詳しく知らずとも、まず礼を尽くして迎えた。
「話はゆっくり伺いましょう。
ひとまず中へ」
その言葉に、三人は自然と彼の後を追った。
◇
「わあああ〜!」
澄んだ笑い声とともに、廊下を駆け抜ける子どもの足音。
追いかけるメイドたちが慌てて叫ぶ。
「坊ちゃま! 廊下は走ってはいけません!」
わいわいとした騒ぎの一方で、
応接室は正反対だった。
静けさの満ちた室内。
ステイラー子爵は書類をめくりながら口を開く。
「皆さまのお話は、書状である程度把握しております」
視線を上げないまま、落ち着いて続けた。
「王国冒険者学校へ入学される、と」
ライネルが素早く頷く。
「はい、そうです」
その瞬間、部屋の空気がわずかに沈む。
モネロとアイラは気まずそうに目を合わせ、姿勢を正した。
何を言われるのか分からず、緊張が顔に出ていた。
「……何か問題でも?」
ライネルが慎重に尋ねる。
そこでようやく、ステイラーがゆっくり顔を上げた。
「いいえ。心配には及びません」
彼は頷き、淡々と続ける。
「ディポルセ家としては、皆さまが入学されるまでの間、滞在を全面的に支援する予定です。
生活に必要なものは、すべて用意いたします」
応接室を、安堵の息が通り過ぎた。
「入学までは、これまで通りこの屋敷でお過ごしください」
ステイラーが最後に頷いて言葉を結ぶと、
モネロが小声で漏らした。
「ふぅ……よかった。追い出されるのかと思った……」
「ほんと。顔が真剣すぎて、心臓に悪いって」
アイラも肩を一度すくめて笑う。
三人は身支度を整え、静かに立ち上がった。
「では、私たちは……」
ライネルが頭を下げ、部屋を出ようとした、その時。
「ライネルさん」
ステイラーの声が彼を呼び止めた。
「少し、お時間よろしいでしょうか」
ライネルは足を止め、振り返る。
迷いの色が浮かぶ。だが、すぐに頷いた。
「はい。大丈夫です」
ステイラーは黙って先に立ち、廊下を歩く。
静かな足音だけが長く続いた。
やがて足を止めたのは、
屋敷の片隅にある広い屋内の稽古場だった。
ステイラーがゆっくり口を開く。
「パイルグさんの書状によれば……念動力をお使いだとか」
ライネルが小さく頷く。
「……はい」
ステイラーはその仕草を逃さず、興味深げに見つめる。
「王都でいくつか研究をしているうちに、自然と関心が湧きましてね」
柔らかな笑みには似合わない光が、一瞬だけ瞳を過った。
好奇心。――そして、確かめるような執着。
ライネルは軽く息を吸った。
「……分かりました。
ですが、どういう形で……確認されるおつもりですか?」
その時、ステイラーが短く二度、手を打った。
パン、パン。
扉の向こうから、重い足音が響く。
屈強な体格の男が静かに稽古場へ入ってきた。
ステイラーが紹介する。
「ウルスさんです。
王都でも名の知れた魔法使いですよ」
そして穏やかな口調で続けた。
「この方と軽く手合わせするところを見せていただきたい。
特に……ライネルさんの念動力で対応していただければ」
ステイラーが静かに問う。
「ライネルさんは……特別な装備などはお使いになりませんか?」
純粋な質問に聞こえるが、どこか刃があった。
ライネルは一度、自分の掌を見る。
それから視線を上げ、ステイラーに答えた。
「はい。装備は必要ありません」
ステイラーは満足そうに小さく頷く。
「結構です」
視線をウルスへ移す。
「怪我のない程度に。どうか、ご配慮を」
ウルスは無言でライネルに一礼した。
無表情だが、構えは手練れだった。
ライネルもゆっくり頭を下げる。
二人の間に、妙な緊張が広がった。
ステイラーは一歩退き、告げる。
「では、始めてください」
シュッ……!
ウルスの全身から金色のオーラが揺らめいた。
次の瞬間。
ヒュッ!
「……速い!」
ライネルの視界が閃き、ウルスが踏み込んできた。
強い回転を乗せた回し蹴り。
首筋へ向けて、そのまま振り抜かれる。
つま先には凝縮された魔力が金属みたいに光っていた。
「くっ……!」
すう……。
ライネルの目に青い光が滲む。
視線と同時に、周囲の感覚が切り替わった。
(まずは、防御だ)
バシュッ――!
青い魔力で形作られた念動の壁が、
身体を中心に円を描くように広がった。
ガン!
鉄がぶつかったような音。
ウルスの足が壁に弾かれ、稽古場の床が小さく震える。
トン――
ウルスは着地と同時に姿勢を低くした。
「続けます」
――タッ。
両手を後ろへ引き、
火花みたいに燃える魔力を一気に集める。
ボウッ――!
次の瞬間、両手から巨大な炎の拳弾が二つ放たれた。
「……っ!」
ライネルは壁を保ったまま、指先にさらに力を込めた。
ドン――!!
念動の壁と炎がぶつかり、轟音が響く。
稽古場に煙が広がった。
(視界が……)
ドスン!
「……っ!?」
煙の下から、突然飛び出したウルスの拳が
ライネルの腹部を打ち抜いた。
ゴッ――!
「ぐっ……!」
ライネルの身体が宙に浮く。
地面の下に潜ませた魔力を、読み切れなかった。
タッ――!
ウルスが追い、巨体の跳躍で上に来る。
空中で身をひねり、さらに叩き込もうとする構え。
だが、その瞬間。
ライネルの目が、もう一度鋭く光った。
「……弾け」
ずるり……。
薄く透明な念動の膜が、広く、速く広がる。
バァン――!
ウルスは巨大な壁にぶつかったように、
空中で弾き飛ばされた。
ドン!
体勢を崩し、そのまま床へ落ちるウルス。
ライネルは手を下へ向けた。
「……押さえろ」
二つ目の命令とともに、
見えない力が圧へ変わり、ウルスを叩きつけた。
ズン――!
「ぐ……っ!」
床が抉れ、砂埃が跳ねる。
ウルスは両腕を上げ、必死に耐えた。
「……はっ!」
両手に魔力を集めて押し返そうとするが――
ぐ、ぐぐ……
さらに深く、さらに重い。
見えない手で背中を押し潰されるみたいに、圧が増した。
「……っ、重い……!」
ウルスの膝が落ちかけた、その時。
カチン。
稽古場の一角で、ステイラーが指を軽く鳴らした。
「そこまで。十分です」
スッ――
ライネルの目に滲んでいた青が消え、
張り詰めた気配も静かに落ち着く。
宙に浮いていたライネルの体が
ゆっくり降り、つま先が床を捉えた。
トン。
音ひとつ乱れない着地。
その瞬間、ステイラーが静かに拍手を始めた。
パン、パン、パン。
「見事です」
感嘆を含んだ声だった。
「精緻で、強く、無駄な動作もない。
何より……念動力の運用が非常に印象的でした」
ライネルは短く息を吐いた。
「ありがとうございます」
「謙遜なさる必要はありません」
ステイラーは深い眼差しでライネルを見つめ、付け加える。
「今の一幕だけでも、この力がどれほど大きな可能性を持つか、十分に感じられました。
王都で、良い経験をなさるでしょう」
その時、ウルスがゆっくり近づいてきた。
服についた埃を払いつつ、ライネルの前に立ち、静かに頭を下げる。
「見事でした」
短いが、真心のこもった礼だった。
「念動力……想像以上です」
彼は腕をさすり、小さく笑う。
「やはり王都には強者が多い。
こうして直に味わえて、来てよかったと思いました」
ライネルは少し驚いたように目を上げ、すぐ頷いた。
「ウルスさんこそ、強かったです。
少しでも遅れていたら……危なかった」
ウルスは苦笑する。
「まだまだ学ぶことだらけです。
今日の手合わせ、俺にも貴重でした」
言い終えると、ウルスは静かに下がった。
短い時間だったが、互いの実力を認め合う視線が、一度だけ交差した。




