52. 王都へ向かう道 ( おうとへむかうみち )
「……あれ、あの馬車か?」
馬車が村の入口へ静かに入ってきた。
ライネルの声に、アイラとモネロが目を丸くする。
「うわ……こんなに大きいなんて思わなかった!」
「早く入ってみよ〜」
アイラは期待に顔を輝かせ、先に馬車へ飛び乗った。
モネロは馬車の周りを一周しながらぼそりと呟く。
「依頼料も払えないって言ってたのに、こんな馬車呼ぶとか……何なんだよ、この状況」
気になったのか中も覗き込み、それから馬車に上がる。
ライネルはパイルグに頭を下げ、丁寧に礼を言った。
「本当にありがとうございました。おかげで王都まで楽に行けます」
パイルグは手を差し出し、握手を求める。
「王都に着いたら、俺の従兄弟のステイラーが迎える。
短い間だったが、色々助けてくれて感謝してる」
「パイルグさんは、ここに残るんですか?」
「ああ、しばらくはな。まだ完全に終わったわけじゃない。
それに、俺が自分で探さなきゃいけない薬草も残ってる」
彼は懐から慎重にスクロールを数枚取り出して渡した。
「それと……これは、前に頼まれてたやつだ」
ライネルは両手で受け取り、改めて頭を下げる。
「ありがとうございます。ステイラーさんに、必ず伝えます」
二人は、重みのある握手を交わした。
その瞬間、馬車の窓が開き、アイラが満面の笑みで呼ぶ。
「ライネル〜! 乗らないの? 先行くよ〜!」
ライネルは振り向いて手を振る。
「分かった、今行く!」
彼が馬車に乗り込むと、パイルグは御者に近づき、静かに封筒を一つ手渡した。
「この方たちを……王都まで、よろしく頼みます」
御者が頭を下げ、パイルグも軽く会釈する。
蹄が土を蹴り、馬車は走り出した。
パイルグは遠ざかる馬車の方をしばらく見送り、ゆっくりと踵を返す。
すると、離れていく馬車の方から、聞き慣れた声が飛んできた。
「パイルグさん! ありがとう〜! また来るね〜!」
パイルグはぱっと笑って両腕を上げ、振り返す。
「おう! 元気でな!
立派な冒険者になって……また必ず会おう!」
馬車が小さくなっていくにつれ、パイルグの表情に穏やかな心配が滲む。
「……ステイラー、あいつが厄介なんだよな……まぁ、何とかするだろ」
彼の視線は、馬車の残した土埃の筋に長く留まっていた。
◇
勢いよく走る馬車の中。
ライネルは手にしたスクロールを、黙って見つめていた。
モネロがその指先をちらりと見て、尋ねる。
「ライネル、それ何のスクロール? ちょっと開けてもいい?」
ライネルは困った顔で首を振った。
「だめ。王都で使う大事なものなんだ。
ここじゃ開けられない」
するとアイラが、期待に満ちた顔でぽんと言った。
「もしかして……パイルグさんが王都の恋人に送る、内緒のラブレターとかじゃない?」
表情は無邪気で、妄想は全開だった。
でもライネルはきっぱり切る。
「違う。そういうのじゃない。
これは……俺の力に関わるものだ。必要で受け取った」
「え〜冗談なのに、そんな真面目になる?
ライネルってほんとロマンがないんだから」
アイラは口を尖らせて顔を背けた。
モネロが続ける。
「てかさ……俺たち、結局どこ行くんだっけ?」
「パイルグさんの従兄弟の家じゃない?
名前が……何だっけ、ステイラー?
そこに世話になるって話だったけど」
アイラは肩を揺らして、曖昧に誤魔化す。
その様子にライネルは小さく笑った。
「何だよ、ライネル。今、俺たち見て笑った?」
モネロが悪戯っぽい目で覗き込む。
「ライネルの笑いのツボって、ほんと謎だよな」
「ごめん。なんか……
お前らといると退屈しないからさ」
ライネルの素直な言葉に、アイラが口元を上げた。
「ふーん? 今さら私たちの魅力に落ちたって?
がっかりだよ、ライネル」
その時、ライネルがふと思い出したように鞄を探り、弁当を三つ取り出した。
「あ、そうだ。パイルグさんが弁当も持たせてくれた」
途端に、アイラとモネロの顔が一気に曇った。
「……ねえ、それって……私たちに食べろって?」
アイラは毒でも見たみたいに身を引き、
モネロも顔色が青ざめる。
「う……あれ、絶対食わなきゃだめ?
俺、もう……飢える方がいい……」
ライネルは目を丸くして聞き返した。
「じゃあ俺が全部食べてもいい?」
二人は同時に大きく頷く。
「もちろん! 全部食べて!」
声を揃える二人。
ライネルは淡々と蓋を開けた。
中には艶のある肉料理。
香ばしい香辛料の匂い。
添えられた新鮮な果物が数切れ。
両手を合わせて箸を取ろうとした、その瞬間――
「ちょっと待って!!」
アイラとモネロが同時に叫んだ。
「……え、これ、本当にパイルグさんが用意したの?」
「そうだよ。草がない。
あの……緑が……溢れてない」
ライネルはふっと笑う。
「ああ。俺が肉好きだって言ったら、知らなかったって頷いてた」
「はぁぁ!?」
「それ、どういうことだよ……」
平然としたライネルに、
二人は揃って地獄みたいな顔で見つめ合った。
「……これ、やられたな」
「……わざとだ。絶対」
しばらくして。
三人はぐっすり眠り、
馬車は規則正しく揺れながら走っていた。
そこへ、馬車の扉が静かに開く。
「皆さま、到着いたしました。お起きくださいませ」
低く落ち着いた声。
年配の男の、丁寧な物言いだった。
アイラが目をこすりながら、ゆっくり体を起こす。
「……え? 甘いおやつが用意されてるって……?」
寝ぼけた顔で何か呟くアイラ。
隣でモネロが、ため息混じりに笑った。
ライネルは一番早く意識を取り戻し、外へ顔を出す。
太陽はすでに沈み、
夕闇の中で屋敷が姿を現していた。
「……これが、パイルグさんの従兄弟の家?」
最初に声を出したのはモネロだった。
巨大な門。高い塀。
精巧な彫刻で飾られた柱と窓。
馬車を降りる彼らの頭上で、屋敷は城みたいに見えた。
「たぶん……でも、この規模は……」
ライネルも戸惑ったように瞬きをする。
御者は屋敷の入口へ行き、管理人と何言か交わしたあと、
懐から手紙を一通取り出して渡した。
それから軽く頭を下げ、馬とともにゆっくり馬車を走らせ、屋敷を去っていく。
しばらくして。
「ようこそお越しくださいました。パイルグ様のご友人でいらっしゃいますね」
低く響く声。
正門前に立っていた老執事が、頭を下げて言った。
髪は白いが背筋はまっすぐで、歩みにも品がある。
「こちらへご案内いたします。どうぞおついてくださいませ」
「うわ……中も宮殿みたい……」
アイラは目を丸くして、きょろきょろしながら歩いた。
廊下には赤い絨毯が長く敷かれ、
壁には大きな肖像画と古風な燭台が並んでいる。
天井はガラス張りで、
夕空の赤が淡く差し込んでいた。
モネロが小声で呟く。
「従兄弟って言ってたよな……?
これ、貴族じゃないと説明つかねぇって……」
執事は静かに足を止め、
柔らかな笑みを浮かべて言った。
「普段はステイラー様が直々にお迎えなさるのですが、
本日は急な外出がございまして、明朝あたりにお戻りの予定でございます」
ライネルが頷いた。
「……そうなんですね」
「それまでは、どうぞお荷物を解いてお休みください。
夕食もまもなく整います」
それを聞いた途端、モネロの目がきらりと光る。
「夕食も……出るんですか? 飯も?」
老執事は口元をわずかに上げ、頷いた。
「もちろんでございます。
それにパイルグ様のご友人と伺っておりますので、
最大限丁重におもてなしするよう申し付かっております」
その言葉にアイラがくすっと笑う。
「へぇ〜パイルグさん、意外と顔が広いんだ?」
モネロは宝でも貰ったみたいに肩をすくめた。
「じゃあ、安心して食って寝ていいってことだな。最高」
執事は黙って向き直り、柔らかく手で促す。
「ではお部屋へご案内いたします。
ひとまずお休みいただき、夕食をお召し上がりいただけるよう整えます」
三人は執事に案内され、廊下を抜けて部屋へ入った。
上質な室内。
柔らかな寝台、温かな湯を張った浴槽。
窓の外には王都の夕空が少しだけ広がっていた。
部屋に入るなり、アイラはベッドに倒れ込むように寝転ぶ。
「あぁ〜これが貴族の暮らしってやつ……
私、このまま住み着いちゃうかも」
ライネルはふっと笑い、荷を解きながら呟く。
「もう住み着く気?」
「だって仕方ないでしょ。
このベッド、ふわふわ……反則だよ……」
その時、モネロがゆっくり窓辺へ寄った。
窓を開けると、王都の夜の空気が入り込む。
その目には、郷愁と緊張が混じっていた。
「……何年ぶりだ。こんな景色」
アイラが驚いた顔で彼を見る。
「そうだ、モネロって王都に来たことあるって言ってたね?」
「ああ。あの時は……逃げるみたいに出ていったけどな」
「……逃げた?」
部屋の空気が一瞬だけ沈む。
だがアイラが大きく手を広げて叫んだ。
「はいはい! 今それ考えるとこじゃない!
王都だよ、王都! 美味しいのも、楽しいのも、見どころも山ほどの王都!」
「どこからその元気出てくんだよ……」
ライネルが笑って首を振る。
アイラが身を起こして尋ねる。
「でもライネル、正直ちょっとワクワクしない?
初めてでしょ、ここ」
「……うん。実は……すごく楽しみだ」
ライネルはゆっくり頷き、窓の外の夕空を見て静かに言った。
「ここから何かが始まる気がする。
だから少し怖くて……でも、すごく胸が躍る」
モネロはその言葉を噛みしめて、小さく笑う。
「その感じ……分かる」
三人は言葉を止め、窓の外を眺めた。
ひとつ、またひとつ。
王都の灯りが点き、彼らを待つみたいに温かく揺れていた。
しばらくして、窓の向こうに馬車や人影、屋台の灯が増えていく。
王都の名にふさわしく街は活気に満ち、
夜だというのに、あちこちから鐘の音や笑い声が聞こえた。
「お〜夜市みたいなの、やってんのか?」
アイラが窓の外を見て、弾んだ声を上げた。
「こうなるなら外に出られるように、服ちゃんと持ってくればよかった」
「まだ遅い時間じゃないだろ。夕食のあと、出てみようぜ」
モネロは淡々と言いながらも、どこか期待した目だった。
「大丈夫かな……」
ライネルが慎重に口を開く。
「王都は初めてだから……
変な目で見られたりしないかなって」
「だからこそ、出るんだよ」
アイラが胸を張って腰に手を当てた。
「こういう時、一回くらい目立ってみなきゃ。
私たち、冒険者でしょ?」
ライネルは小さく笑った。
この二人と一緒なら、何が来ても重くなりすぎない気がした。
その時、扉の向こうからノックがした。
「失礼いたします。夕食の用意が整いました」
聞き覚えのある老執事の声。
「食堂は一階右手、庭を望む側にございます。
ごゆっくりお越しくださいませ」
「ごはんだ〜!」
アイラが勢いよく立ち上がり、満面の笑みを浮かべた。
「王都での初ごはん、楽しみ!」
モネロも平然を装いながら、さりげなく髪を整える。
ライネルは小さく息を吐いて、支度を終えた。
新しい街、新しい始まり。
そしてここで起きるであろう数々の出会いと事件。
それを思うと、胸の奥が小さく鳴った。
ライネルは心の中で静かに誓う。
『……ここからが、本当の始まりだ』
三人は屋敷の廊下を進み、食堂へ向かった。
王都での最初の夜は、そうしてゆっくり更けていった。




