47. 輪の花(ひゃくりんのはな)
「ま、百輪の位置さえ分かればいいんですよね。
目立つ場所はモネロと薬草師さんに任せて、
私とライネルは魔力で処理すれば、どうにでもなります。
住民が寝てる時間に、こっそり――ってやつですね〜」
アイラは指をくるりと回し、ふざけた調子で言った。
けれど、その中にはちゃんと計算がある。
パイルグは眉をわずかにひそめ、
すぐに表情を緩めて小さく頷いた。
「……協力すると言ってくれて助かる。
だが、お前ら。この村にいつまでいられる?」
ライネルが落ち着いた声で答える。
「二月の中旬までには、王都に着かないといけません」
それを聞いたパイルグが、鼻で笑うように言った。
「なら、この件を引き受けてくれる代わりに、
王都へ行く近道を教えてやる。
馬車も用意できるし、王都で泊まれる宿も一軒紹介してやる」
そして言い淀みながら付け足した。
「悪いが……金の報酬は出せない。
それでもやれるか?」
アイラがすぐ答えた。
「もちろんです。ね? 二人とも」
ライネルが頷く。
「うん。……遅れなければ、それでいい」
パイルグは彼らを見て、ふと尋ねた。
「で……お前ら、王都には何しに行く?」
アイラが笑って言う。
「冒険者学校に行くんですよ〜」
パイルグは目を細め、頷いた。
「ふうん……そこへ行くってことは、C級くらいか。
だがあそこは、誰でも受け入れる場所じゃない。
入学試験で落ちる奴も多い」
その瞬間、モネロの顔がぴたりと固まった。
アイラはそんなモネロを見て、くすくす笑う。
「どうしたの、モネロ? トイレ行きたいの〜?」
「違う。何でもない。気にすんな」
ライネルが真剣に訊いた。
「その試験……どんなものなんですか?」
パイルグは呆れたように笑った。
「お前ら、それも知らずに行くのか?
珍しいくらい純粋な冒険者だな」
ライネルがモネロを見る。
「……モネロ、知ってたのか?」
モネロは腕を組み、頷いた。
「当たり前だろ。まさか……
その証票一つで、何も調べずに行くつもりだったのか?」
アイラが目を丸くする。
「え、私知らなかったんだけど?」
パイルグが首を傾げた。
「待て。証票? 何の証票だ?」
「最初に冒険者を始めた時です。
ボブレ村のギルドでもらった証票があります」
ライネルはそう言って、首にかけていた革紐から証票を取り出した。
つるつるに擦り切れた銅の札。
彼はそれを丁寧にパイルグへ差し出した。
「ちょっと……貸せ」
パイルグは証票を手に取り、しばらく見つめた。
指先で縁をなぞりながら、眉をわずかに寄せる。
「……これ、誰にもらった?」
「アルジェンという魔法使いです。
魔法協会所属の調査官だって自己紹介してました」
パイルグの目がわずかに大きくなる。
「本当に……アルジェン様が、お前らにこれを?」
それにアイラがぱっと身を乗り出す。
「なになに? 何がそんなに驚きなんですか?」
パイルグはもう一度証票を見て、静かに訊いた。
「それで……これだけか? 他には?」
ライネルが鞄を探りながら言った。
「推薦状もあります」
彼は巻物を一つ取り出したが、開かずに両手で大事そうに示した。
「王都ギルドの関係者に見せろって言われました。
アルジェンさんが直接書いたものです」
パイルグは短く息を吐き、
証票を握ったまま低い声で呟いた。
「……本当に実力で手に入れたのか、
それとも……コネでどうにかしたのか」
その言葉に、アイラが目を輝かせて耳をそばだてる。
「え? 小さくて聞こえなかったです〜」
耳に手まで当てて、わざとらしくからかうように言った。
パイルグは苦笑して首を振る。
「いや、いい。
まあ……見なくても、嘘じゃなさそうだ」
そう言って証票を返し、小さく付け足した。
「アルジェンなら……人を見る目は確かだ」
椅子に体を預け、続ける。
「とにかく、少し休んだら……夕方にまた出るぞ。
飯は簡単に出す。食って寝ろ。
こう見えて料理はけっこうやる。期待していい」
自信満々の口調で、パイルグは奥へ引っ込んだ。
しばらくして、
小さな卓に食事が並んだ。
だが目の前の光景は――
「……草?」
モネロが箸を持ったまま、ぼんやり膳を見下ろす。
「いや、これ……全部草じゃねえか。
牛になった気分だ。モ〜」
膳の上には、薬草の和え物、茹でた野草、乾かした葉の漬け物。
肉どころか、出汁の匂いすらしない。
パイルグはむしろ不思議そうに首を傾げた。
「何だ?
うまいだろ。口にもいいし、身体にもいい。
足りなければもっと出すぞ」
そして腕を組み、付け足す。
「それに言っとくが、冬にこんな草を集めるのがどれだけ大変か分かるか?
俺が薬草師だから、この時期でも食えるように用意できたんだ」
その言葉に、三人とも返す言葉が詰まった。
「……まあ、そうなんだけど……」
アイラは箸を持ったまま迷い、
無理やりでも口に運んだ。
ライネルは黙々と噛み、
静かに頷く。
モネロは相変わらずしょんぼりした顔で
草の一本を眺め、ぼそりと呟いた。
「……期待が……デカかったか」
好意で出された食事を、
三人は黙ってゆっくり食べた。
草の味が口に広がるたび、
彼らは「冒険」とは何かを思い出していた。
「はぁ……眠い……」
アイラはあくびをして目をこすり、
のろのろと扉を開けて外へ出た。
それを見たライネルが小さく呟く。
「初めての夜間任務だからかな……力が抜けた。
さっさと終わらせて戻って、寝よう」
夜が更けた。
月明かりが淡く村を照らしている。
しばらくして、パイルグが出てきて静かに言った。
「みんな準備はいいな?
あ、そうだ。これ、ひとつずつ持て」
小さな魔道具を一つずつ渡した。
かすかに光る水晶の欠片。
「弱い光を出す魔道具だ。
赤い花を見分けるには十分だろう」
そして巻物を取り出し、広げた。
地図にはピアラの位置が細かく記されている。
「ここ。俺が把握した八十輪の場所だ。
お前らは外の人間だ。見つからないように動け」
一行は疲れを抱えながらも、慎重に扉を開け、
真夜中の路地へ身を滑り込ませた。
「私とモネロは目立つ場所からもう一度確認する。
追加がないかも見る。
ライネル、アイラ。お前らは魔力使いだ。
人があまり入らない区画を頼む」
「じゃあ……動こう」
路地をゆっくり進んでいると、
ライネルが口を開いた。
「でも……“目立たない場所”って、具体的にはどこですか?」
アイラが肩をすくめる。
「人が入りづらいとこってことじゃない?
うぅ、眠い……目立つ場所のほうを担当すればよかった……」
その時だった。
「待って、あそこ」
ライネルが隣のアイラを指でつつき、
反対の手でどこかを指した。
月明かりの向こう、村の外れ。
一本の木の前に、誰かが立っていた。
肩を震わせ、何かを呟いている。
背は丸く、気配が薄い。
ライネルとアイラは息を殺して、その人影を見つめた。
「村の人……だよな?」
ライネルが低く訊く。
アイラが小さく頷く。
「たぶんね……
でも、この時間にあそこにいる理由が……」
ライネルは男の足元の木を、じっと見据えて呟いた。
「あの木……怪しい。
花の本体かもしれない」
「うん。とりあえず……
この時間に出てきてる時点で怪しいよね。
……まあ、私たちもだけど」
二人は小さく笑った。
だが視線は外さない。
「近づいて声をかける?」
ライネルが訊くと、アイラは首を振った。
「もう少し見てよう。
なんか……まだありそう」
ライネルが頷く。
「精霊石で、あの男が何を言ってるか分かる?」
「もちろん〜」
アイラは首飾りのように下げた精霊石に手を当てた。
淡い緑の魔力が、彼女の身体から柔らかく広がる。
その魔力は風のように染み込み、
月の下に立つ男へ届いた。
「……もう少しだけ……待てば……また会える……」
木の前に立つ男の声は震えていた。
「……モディア……俺の愛しいモディア……
俺たち……また一緒になれる……」
名を繰り返し呼び、すすり泣く背中。
崖っぷちの人間の切実さが、そのまま滲んでいた。
アイラは精霊石から流れてくる声を聞き、
目の色をゆっくり落とした。
ライネルが低く訊く。
「何て……言ってる?」
アイラは木と男を静かに見つめた。
「悲しんでる。
誰か……本当に大切だった人を取り戻したいって言ってた」
ライネルは視線を落とし、呟く。
「あの木……
その人にとって、特別な何かが残ってるのかもしれないな」
「うん……そんな感じ。
モディアって名前を、あんなに必死に呼んでた……」
アイラは一度そっと目を閉じ、また開いた。
ライネルが言う。
「とりあえず……覚えておこう。
あとで合流したら話そう」
「うん。そうしよ。
まずは赤い花を探そ」
二人は静かに歩き出した。
木の前の男だけが、まだそこに残っている。
そして少し経つと、
彼は祈るように、また木に向かって口を開いた。
「ピアラを使えば……
俺たちは、また会える……」
その声には、盲目的な確信が混じっていた。
「村の連中なんて……どうなってもいい。
お前さえ……お前さえいれば、
この世界は明るく……温かく満ちる……」
木の皮をそっと撫でながら、
彼は低く囁いた。
「必ず……お前を蘇らせる。
もう少しだけ……待っててくれ、モディア……」
◇
「そこにもあるぞ、ライネル」
「うん。待って、ここに魔力を少し残す」
ライネルは慎重に手を地面へついた。
魔力が柔らかく染み込み、そこにかすかな痕が残る。
目立たないが、確かな印だ。
「よし。次は……あっちの路地」
アイラと一緒に村の外れを回る間に、
ピアラの花をさらに十五輪見つけた。
二人は見つけた位置を小さな村の地図に書き込みながら、
静かにパイルグの家へ戻った。
家の前に着くと、
モネロが先に気づいて手を振る。
「おい! こっち! 何輪見つけた?」
「十五。
うち五輪は村の外れだった。
見えにくい場所で、探すのに少し時間がかかった。
なんか……隠れてる感じがした」
ライネルの言葉にモネロが頷く。
「別のとこに入り込んでるってわけか。ますます怪しいな」
その時、パイルグが家から出て地図を広げた。
「いい。俺も、元の八十に加えて四輪見つけた」
アイラがぱっと笑う。
「じゃあ今、合計九十九輪?!
あと一輪見つけたら終わりじゃん!」
ライネルも小さく笑って頷く。
「今夜でここまでなら、かなり上出来だ」
機嫌がよくなったアイラがライネルに寄って訊いた。
「じゃあ……もう寝ていい? ね?」
ライネルが笑って小さく頷くと、
パイルグも気の抜けた声で言った。
「そうだな。今日はここまでだ。
最後の一輪は……明日の朝には手がかりくらい掴めるだろう」
その時、ライネルがふと思い出したように顔を上げた。
「……あ、そうだ」
全員の視線が彼に集まる。
「村を回ってる途中、外れで……男を見ました。
木の前に一人で立っていて。
気配が変で……そのまま通り過ぎられなかった」
パイルグの表情が硬くなる。
「……見つかったのか?」
ライネルはすぐに首を振った。
「いえ。遠くから、アイラの精霊石で様子を見ただけです。
何を言ってるかも聞けました。
近づいてはいません。邪魔になると思って」
アイラも頷いて続ける。
「モディア……って名前をずっと呼んでた。
誰かを恋しがってる声だった。
悲しそうだった。ほんとに」
短い沈黙。
パイルグは考え込むように俯き、
低く呟いた。
「……やっぱり、あいつか」
ライネルが訊く。
「知ってる人なんですか?」
「確かじゃない。
だが……あの男、前から少し変なところがあった」
三人は静かに互いの顔を見た。
この村のどこかに、
花に絡むもっと深い事情が隠れている。
もう否定しづらかった。
パイルグが低く言う。
「とりあえず……今日はここまでだ。
みんな疲れてるだろ。
残りの話と計画は、明日の朝まとめよう」
三人は静かに頷いた。
一日は長かった。
身体は重く、頭の中はもっと重い。
そして、
その夜、村はまた静かに眠りへ沈んだ。




