46. ピアベルの紅い花(ぴあべるのあかいはな)
「ふぅ……間に合いそうだな」
モネロがマフラーを緩め、息を整えた。
白い吐息が冷たい空気の中へ、すうっと溶けていく。
「ほら。ピアベルの村だ」
王都の近く、ロレル子爵領に属する農村。
入口は凍てた老木の陰から、慎重に姿を覗かせていた。
小さくて、静かだ。
煙突には煙ひとつ上がっていない。
「……人、住んでるのか?」
アイラが足を止め、ぽつりと呟いた。
「この時間なら、煙くらい上がってそうなのに……どの煙突も静かね」
その時だった。
ふと視線を巡らせた瞬間、塀の向こうで赤い何かがちらりとよぎった。
「……待って」
ライネルが塀のほうへ大股で寄る。
「花じゃないか?」
残雪の上に顔を出した、赤い花が一輪。
雪原の真ん中で、やけに鮮やかに咲いていた。
「冬が終わるには、まだ少しあるのに……」
モネロが静かに言った。
村の入口を抜け、数歩も歩かないうちに。
遠くないところから騒がしい声が聞こえてきた。
「だから、俺の話を聞いてくれって!」
「今すぐ全部、片づけなきゃ駄目なんだ!」
男が声を荒げ、何かを撤去しろと強く主張している。
向かいに立つのは村の管理役らしい中年の男。
困った顔で、何度も首を振った。
「だから、むやみに触れるもんじゃないって何度も言っただろう……」
説得でも喧嘩でもない、半端な押し問答が続く。
結局、声を張り上げていた男は疲れたように、
管理役が去った場所へそのまま座り込んだ。
唇をきつく結び、虚空をぼんやり見つめて。
少し様子をうかがっていたライネルたちが、そっと近づいた。
「すみません……この村で、何かあったんですか?」
男は顔だけ少し向けたが、目を合わせない。
短い沈黙。
それから重く口を開いた。
「……村の中のことだ。外の人間に用はない」
言葉には疲れと、もう話したくないという固さが混じっていた。
気にはなったが、
一行はいったん村の宿に荷を置いた。
それから外に出て、ゆっくり通りを歩く。
雪に覆われた路地。
その隙間から、赤い花が一輪ずつ、ぽつぽつと顔を出している。
点々と咲く花は確かに美しい。
だがどこか不自然で、異質な感覚がまとわりついた。
白い冬の中に立つ赤が、
妙に視線を引き寄せる。
その時だった。
前から歩いてきた中年の女性が、ふらりとよろけて倒れた。
「っ、おばさん……!」
モネロが慌てて駆け寄り、女性を支えた。
「大丈夫ですか? どうしたん――」
その瞬間、背後からゆっくり足音が近づいた。
「この村に……いつまでいるつもりだ?」
低く落ちた声。
振り向くと、
さっき入口で言い合っていたあの男が立っていた。
モネロが少し驚いたように言う。
「入口で……揉めてた人か」
男の目は焦点を失ったように空っぽだった。
「できるなら……この村を出ろ」
「でないと危なくなるかもしれない」
「……どういう意味です?」
「この村は呪われてる」
「外の人間は通り過ぎてくれ」
言葉の端に力がこもる。
「どうあれ、この村は自分たちで呪いを越えるしかない」
その言葉にアイラが眉を上げ、一歩前に出た。
「ねえ、そう言わずに教えてくださいよ」
「私たち、こう見えて冒険者なんです」
そして、語尾に付け足す。
「もちろん、タダじゃないですけどね〜」
男は目を細めた。
「……いい」
短くそれだけ言い、背を向けかけた。
その瞬間。
「この赤い花、ですか?」
ライネルが静かに声をかけた。
男の足が、ぴくりと止まる。
首だけ少し、後ろへ回った。
「……続けろ」
ライネルは近くに咲く赤い花へ寄り、
慎重に膝をついて見つめた。
「冬に咲く花がまったくないわけじゃない」
「でも……ここまで色が濃くて、生気があるのは少しおかしいです」
手は伸ばさず、ゆっくり言葉を続ける。
「それに……全部、一定の間隔で咲いている」
「一輪ずつ、きっちり。誰かが意図して植えたみたいに」
男の瞳がわずかに揺れた。
固かった表情が少し緩み、目つきに妙に柔らかい色が差す。
「……ピアラだ」
「ピアラ?」
ライネルが聞き返す。聞き慣れない言葉だった。
その時。
さっき倒れていた中年の女性が、ゆっくり起き上がった。
「おばさん、大丈夫ですか?」
アイラが驚いて駆け寄ったが、
女性は首をかしげて言った。
「……え? 何かあったの?」
そして何事もなかったように、
雪道を静かに歩き去っていく。
ふらつきも、よろめきもない。
ライネルたちは理解できない顔で、
遠ざかる背中を見送るしかなかった。
「……はぁ」
低く漏れた溜息。
三人の視線が同時に、その声の主へ向く。
「……ちょっと、場所を変える」
路地の突き当たりの家。
男は黙って扉を開け、手招きして中へ入れた。
扉が閉まると、
男はどさりと椅子に座る。
「去年の冬の入り口からだ」
「妙なことが、少しずつ起き始めた」
額を指で揉みながら続ける。
「村の連中はただ……疲れてるだけだって言う」
「だが実際は違う。みんな気づいてない」
一度、こちらを見る。
「俺はパイルグ。薬草師だ」
目を細めたまま、低い声で付け加えた。
「お前たちも、さっき見ただろ」
「この村じゃ、たまに人が気絶する」
「最初は……仕事が増えて疲れてるだけだと思った」
顔に苦さがよぎる。
「この花の名を知るまでは……」
「俺もただの奇妙な現象だとしか思ってなかった」
アイラが口を挟む。
「ピアラって花が……そんなに危ないんですか?」
「見た目は魅力的でしたけど」
「冬で静かな村に、ああいう花が何輪か咲いてたら……むしろ綺麗じゃないですか」
パイルグは長く息を吐いた。
「……あの花は、人の生命力を吸って咲く」
「だが村の連中は……」
「お前みたいに雰囲気がどうとか、感性がどうとか、そんな話ばかりだ」
苦々しく続ける。
「自分の身体から力が抜けていくのも知らずに」
「いくら警告しても、赤い花が綺麗だとしか言わない」
ライネルが静かに問う。
「だから……今日の言い合いは、花を取り除こうとしてたんですね」
パイルグは立ち上がり、本棚の前へ行った。
「そうだ」
本を一冊取り出し、開いて言う。
「村の連中は騙されてる」
「花がただ良いものだと信じ込まされてる」
「俺のほうが馬鹿扱いだ」
ページをめくっていた手が、ある箇所で止まった。
「ここを見ろ」
本には『ピアラ』の項目があった。
パイルグは指で行をなぞる。
冬に咲く赤い花。
周囲の生物の生気を吸うほど、さらに鮮烈な赤へ変わる。
人が生きている場合、
夢の中で“その者が恋い慕う姿”として現れ、
花に関する『偽の記憶』を作り出す。
そうして数年かけて村に潜伏する。
「それから……ここだ」
パイルグが次の段落へ指を移す。
一定時間が経ち、十分な生気を吸った花は、
根で繋がった『本体』である樹と結合し、
巨大な怪物へ変質する。
怪物は村へ降りて最後の捕食を行い、
次の村へ移動する。
「……赤い花がここまで咲いてるなら」
「怪物が出るまで、もう時間は残ってないってことだ」
短い沈黙。
アイラが頷き、手を合わせる。
「だから私たちに、出て行けって言ったんですね」
「巻き込まれるなって」
パイルグは答えず、首を少し傾けると、
咳払いを二度した。
「俺が言っても誰も聞かない」
「この村の連中は……馬鹿なのか、純粋なのか」
「結局、意地のせいで」
「自分たちに食い尽くされる」
モネロが肩をすくめ、軽く言った。
「でもさ。本体の木を見つけて引っこ抜けばいいんじゃないの?」
パイルグは首を振る。
「そうしたい。だが問題は……」
「この大量の木の中で、どれが本体か見分けがつかない」
モネロが舌打ちする。
「……」
ライネルがすぐ続けた。
「なら、花を一輪だけ慎重に抜いて……」
「根を辿るのはどうです?」
パイルグは長く息を吐いた。
「それもやった」
「だが根は途中で切れる」
「四方へ散って、繋がってる。追えない」
「……じゃあ手がないじゃん」
モネロが小さくぼやく。
パイルグは本を開き直し、指で示した。
「赤い花は最大で百輪まで増える」
「そして一度抜かれても……五分ほどでまた生えるとある」
「……五分?」
アイラが眉をしかめた。
「じゃあ、村じゅうで同時に全部抜けばいいんですね」
パイルグが頷く。
「そうだ」
「生気を吸えなかった本体は、すぐに力を失う」
「すぐ枯れ木みたいに萎む。見れば分かる」
「その時に除去すればいい」
「要するに……」
アイラが額を押さえ、低く言った。
「村の人を説得できなきゃ、花は増え続ける」
「生命力を吸う機会も増える」
ライネルがゆっくり頷く。
「それに……外から人を呼ぶのも難しいでしょうね」
パイルグが肩をすくめる。
「そうだ」
「ここは小さく見えても子爵領の村だ」
「外の人間が勝手に介入すれば……」
「正式な許可のない話になって、余計こじれる」
アイラが鼻で笑う。
「じゃあ、その偉い子爵様に村の人の説得を頼めばいいじゃないですか」
「命がかかってるんだから、責任持って動いてもらわないと〜」
パイルグは疲れた目で彼女を見て、低く呟いた。
「……だから外の人間は通り過ぎろって言ったんだ」
そしてきっぱり続ける。
「よく聞け」
「事情がどうあれ、解決法は一つしかない」
「花がまた生える前に」
「五分ほどの間に、百輪全部を抜く」
「それだけだ」
ライネルがゆっくり立ち上がって問う。
「では……残り時間は?」
パイルグがページをめくりながら答えた。
「本によれば……」
「怪物化までは、およそ二週間ってところだ」
ライネルが頷く。言葉は途切れない。
「結局、肝は……」
「全ての花の位置を把握して」
「同時に除去する手段を用意すること」
「位置は……」
パイルグは言い淀み、本を閉じた。
「八十輪ほどは把握してある」
「だが残り二十輪……」
「まだ見つけられてない」
部屋が静かになった。
皆、しばらく黙って考え込む。
「結局……俺に疑似宝探ししろってことかよ」
モネロが頭を掻き、ぶつぶつ言う。
「モンスター一体復活させて殴り倒すじゃ駄目か?」
半分冗談めいた目でパイルグを見て、付け足した。
パイルグは白けたように首を振る。
「その前に村人が干からびるかもしれん」
「……はぁ、厄介だな」
短い沈黙のあと、
パイルグが顔を向け、アイラをちらりと見た。
「そこのハーフエルフの嬢ちゃん」
「さっきは随分自信ありそうだったが……」
「本当に解決できそうか?」
アイラは気まずそうに笑って手を振った。
「ははは、ちょっと難しいですけど……」
「でも、やればいけますよ。私たち、結構やるんで〜」
それから両手をパン、と叩いた。
「よし」
「じゃ、作戦会議――始めましょうか?」




