45. 帰るべき場所(かえるべきばしょ)
「……そうか。言ってみろ」
盗掘団のリーダーは顔を上げた。
乱れた髪の隙間で、額の汗が凍りついている。
呼吸を整え、低く言った。
「最初は……ここまでするつもりじゃなかった」
モネロが眉をひそめる。
「それが言い訳になるのか?」
リーダーは短く笑った。
「いや。言い訳じゃない。事情だ」
彼はゆっくり手を上げた。
ライネルは警戒したが、リーダーの指先は冷たく固まっていた。
モネロが目を細める。
ライネルは黙って視線を据え、沈黙のまま聞いていた。
「最初は単なる報告だった。
上の命令が妙だと思って……裏で何か隠してる匂いがした」
リーダーは深く息を吸う。
「だから内部規定に従って、俺たちで状況を集めた。
最初は証拠もあったし、自信もあった」
彼は鼻で笑う。
「だが笑えることに、俺たちが告発した相手が……
組合の高位幹部の一人だった」
モネロの眉が、わずかに揺れた。
「その後は……全部が一瞬だった」
リーダーは小さく呟く。
「あり得ない容疑で起訴して、濡れ衣を着せた。
証拠は捏造、記録は改竄だ」
視線を落とす。
「組合は内側の腐った部分を守るために、
俺たちみたいな名もない冒険者を何人か、切り捨てた」
「だから……」
モネロが低く言った。
「組合を離れたのか」
「……離れたんじゃない」
リーダーは言葉を一度飲み込む。
「追い出されたんだ」
しばらく、リーダーは口を閉じた。
吐息が空に散る。
「俺たちを覚えてる奴は誰もいなかった。
昔は組合の印を一つ見せるだけで歓迎されたのに……」
苦い笑み。
「今じゃボロい服で門の前に立つだけで、
『泥棒みたいだ』って目を向けられる」
モネロは黙って聞いていた。
視線がほんの少しだけ横へ逸れる。
「俺たちはな……」
リーダーはゆっくり続けた。
「暖かい場所で、
背中に刃を突き立てられず、
ちゃんと眠りたかっただけだ」
声は低いのに、奥まで沈む。
「それに何より……
ついてきた奴らがいるだろ。
あいつらは全部、俺が責任持つって連れて出た連中だ」
モネロは一度、目を閉じた。
唇を軽く噛む。
リーダーは顔を上げた。
目が少し赤い。
「あの石像が一つあれば、
しばらくは食っていけた。
それだけだった」
ゆっくり視線を落とす。
「誰かを傷つけるつもりもなかった。
ただ……寒すぎて、疲れすぎてた」
モネロはその言葉に、しばらく目を伏せた。
冷静でいるべきだと分かっていても、胸の奥でざらつく感覚がせり上がる。
顔を背け、低く言った。
「……少し、気の毒だな」
その瞬間。
ドン。
柔らかく、地面が揺れた。
ライネルが静かに手を上げる。
雪原の雪が流れ落ちるようにせり上がり、リーダーの脚に絡みついた。
腕と胴へも、固まる雪が一気に這い上がる。
首の下まで雪が迫り、動けなくなった。
「……ライネル?」
モネロが驚いた目で聞く。
「やる気がない感じじゃなかったのか?」
ライネルは静かに言った。
「雪が教えてくれた」
「……雪?」
「そうだ」
ライネルはつま先で雪を静かに踏みしめた。
「この雪原の上じゃ、動きがそのまま伝わる。
身体のバランス、体重の乗せ方、わずかな震えまで」
リーダーを睨み、付け加える。
「嘘をつく奴は足先が不安定になる。
今、お前の重心が少しずつ後ろに逃げた。
逃げる準備をしてたな」
リーダーの表情が固まった。
「……やれやれ。バレたか」
ライネルは腕を下ろす。
雪塊がさらにせり上がり、リーダーの腰を完全に締め上げた。
「その手の小細工は通じない」
モネロが口の端を上げる。
「なんだよ、それか。
俺も騙されるとこだった」
リーダーは嘲るように笑みを作り、
肩をすくめた。腰が雪に縛られていても平然としている。
「魔法使いってのは、どいつもこいつも面倒だ……
真実を見抜く目を持ってやがる」
目を細め、続ける。
「だからこそ、信用できない」
視線がまた鋭く光った。
縛られたままでも、まだ何かを狙う者の目だ。
そして、短く――しかしはっきりと言った。
「……俺たちは、ただの始まりに過ぎない」
雪の中に冷たい沈黙が流れた。
その静けさを裂き、遠くから鋭い叫びが響く。
「何があった!」
先頭の男が斧を握り、雪原を裂いて駆けてくる。
松明を持った村人たちが、その後ろから急いだ。
「そこだ……あいつらか……!?」
誰かが雪の上に倒れた盗掘屋の一団を指差した。
短い混乱のあと、人々の手が忙しく動いた。
盗掘屋たちは次々と縛られ、用意された橇へ載せられていく。
盗掘団のリーダーは無表情のままだったが、
手足は雪原より冷たく縛られていた。
戦いは終わり、雪もやがて弱まった。
モネロが残雪を払って、ゆっくり立ち上がる。
手には、縮小した石像を包んだ魔法の風呂敷があった。
彼は黙ってその風呂敷を持ち上げ、ライネルへ差し出す。
「ライネル、村長に直接渡してくれ」
短く、淡々とした言葉。
だがその中には、いくつもの意味が詰まっていた。
ライネルは風呂敷を見下ろした。
それはただの石ではない。
崩れた時間、歪んだ記憶、そして村の矜持が押し込められた象徴だった。
しばらく沈黙して、ゆっくり頷く。
「……元の場所へ戻さないとな」
石像を中心に、雪がゆっくりと落ち着いていく。
ライネルの腕輪からも、もう光は漏れていなかった。
すべてが一度、息を潜めたように静かだった。
やがて村は平穏を取り戻した。
盗掘屋たちは裁きのために連行され、
ドラゴンの石像は元の場所へ、しっかりと固定された。
そして。
アイラは完全に回復した。
赤く上気した頬に生気が戻り、
彼女は雪原を小走りで駆け回って、友だちとふざけ合っていた。
「雪、当てた! はい、もう君は氷の怪物だよ!」
「えー、アイラ姉ちゃん、また速い!」
笑い声が弾け、子どもたちの足跡が雪の上にびっしり刻まれていく。
村の大人たちは少し離れたところからその様子を見守り、
一人、また一人と安堵の息を吐いた。
モネロが静かに言った。
「アイラ……完全に元に戻ったな」
ライネルは頷く。
「うん。これで、ひとまず安心していいだろ」
二人はしばらく黙って子どもたちを眺めた。
アイラはにこっと笑い、雪玉を抱え込む。
その笑顔が、長い冬を押しのける陽射しみたいに広がった。
◇
数日後、早朝。
雪が弱まり道が開けると、
ライネルとモネロは村を発つ支度を整えた。
村はずれ。
子どもたちが列を作り、手を振っている。
その前にはアイラもいた。
明るい笑顔、健康な顔。
手袋をした両手を、温かそうに握り合わせていた。
「本当に行っちゃうの?」
末っ子が聞いた。
ライネルは膝をついて、子どもの目線に合わせる。
「そうだ。でも……」
柔らかく笑って、子どもの手を包む。
「いつか、また来るかもしれない」
「じゃあ……そのとき新しい冒険の話、してくれる?」
「もちろん」
ライネルは頷いた。
「それと、そのときは……君の話も聞きたい」
「ぼ、僕の話を?」
「うん。
この村で育つ誰かが、
また別の伝説の主人公になるかもしれないだろ」
子どもの目が丸くなる。
周りの子どもたちも息を潜めて見つめた。
そのとき、聞き慣れた声がした。
「ライネル」
振り向くと、あの老人が歩いてきていた。
手には古い本が一冊。
「村長から聞いた。お前の腕輪のことだ」
ライネルが目を見開く。
老人はその本をそっと差し出した。
「昔、わしが冒険者だった頃、
いろんな村を回って聞いた赤い宝石の伝承を書き留めた本だ」
表紙は擦り切れていたが、背は固く綴じられている。
ライネルは慎重に受け取った。
「これを……どうして俺に?」
老人が頷いて笑う。
「村長が言ってた。
お前の腕輪はただの魔道具じゃない。
もっと深い話を抱えてるはずだ、と」
ライネルはページをそっとめくった。
手書きの文字がびっしり。
古い話、忘れられた伝説、そして見知らぬ名前。
「ここには、わしが実際に見たこともあるし、
酒の席で拾った話もある。
真実と嘘が混ざってるだろうが……その中に手がかりがあるはずだ」
老人は目を細めて言った。
「こういう話を信じて読める奴、
そして繋げられる奴。
それは、お前みたいな若い者だと思ってな」
ライネルはもう一度、本を見下ろした。
そしてゆっくり頭を下げる。
「……必ず、意味を見つけます」
「そうだ」
老人が背を軽く叩いた。
「次の話を書いてくれ。
この村の子どもたちに、な」
その言葉に、子どもたちがわっと駆け寄りライネルを囲む。
「本の中身、分かったら私たちにも話して!」
「冒険の話、もっと聞きたい!」
「兄ちゃん、兄ちゃんも伝説の主人公になるの?」
モネロが笑った。
「今さら、もうなってるだろ」
ライネルは静かに頭を下げた。
「……ありがとうございます。本当に」
子どもたちは手を振って叫ぶ。
「またね、ライネル兄ちゃん!」
「絶対また来て!」
「そのときは僕の冒険の話、聞いてね!」
ライネルは笑って頷く。
「うん。約束だ」
そう言うと、長兄分のキリエムが指を差し出した。
「約束は……指切りしないと」
ライネルはそっと手袋を外し、子どもの小指に自分の小指を絡めた。
「必ず、また来る」
ほかの子どもたちも一斉に小指を差し出す。
「僕も!」
「私も!」
「兄ちゃんとみんな、約束した!」
モネロが横で吹き出す。
「これ、村の子ども全員と契約結んだようなもんじゃないか?」
「契約者は多いほうがいい」
ライネルが微笑む。
モネロが片目をつぶる。
「いいね。その契約、ちゃんと守れよ」
老人はその様子を静かに見てから言った。
「雪はすべてを覆うが、記憶は残る。
この別れも、いつか別の出会いになるだろう」
雪が静かに舞っていた。
ライネルは深く息を吸い、
子どもたち一人ひとりを見て言う。
「いつか、お前たちの中の誰かが伝説を始める。
ドラゴンの足跡を探して、森を越えて、空を飛んで」
子どもたちの目が輝く。
「そのときは、
俺にもその話を聞かせてくれ」
手を振って、雪原へ一歩踏み出す。
子どもたちは雪の中で、いつまでも手を振り続けた。
赤い宝石は光らなかった。
だがその中には、次の物語を待つ火種が静かに残っていた。
◇
暖炉の火が揺れる部屋。
子どもたちは焚き火のそばに集まり、物語の本を開いた。
その中の一人が、そっと聞く。
「お母さん、ドラゴンって本当にいたの?」
女は静かに窓の外を見た。
空――ドラゴンが消えた、あの方向。
「……いたのよ。
そしていつか、また来るかもしれないわ」
子どもたちは黙って窓の外を見上げた。
そのとき、遠い山の稜線の上。
白い雪を裂き、赤い影が空をかすめるように通り過ぎた。
まるで、まだ終わっていない伝説みたいに。
雪はすべてを覆うが、記憶は残る。




