44. 雪中の盗掘者(せっちゅうのとうくつしゃ)
「ライネル様!」
扉が乱暴に開いた。
雪を全身にまとった青年が、息を切らしながら部屋へ飛び込んでくる。
「村長がよこしました!
ドラゴンの涙から……強い光が噴き出したそうです!」
ライネルはゆっくり顔を上げた。
「光が……噴き出した?」
「それだけじゃありません。
村長が、何か起きたんじゃないかと心配して、俺に山裾の石像を確認しろって……」
青年は唾を飲み込み、続けた。
「石像が……消えてました。
跡形もなく、きれいさっぱりです」
モネロが眉をひそめて呟く。
「……そろそろ休めると思ったのに。面倒な話だな」
ぶつぶつ言いながらも、もう腰のベルトを締めていた。
文句は口だけで、手はとっくに装備を揃えている。
ライネルは静かに青年を見た。
「……なんで俺のところへ?」
青年は深く頭を下げた。
「村長の話では……
あの石像はごく微量でも、ずっと魔力を放っているそうです。
それに、石像に触れた魔力使いなら、残留魔力を辿って位置を追えるはずだと」
切実な目で訴える。
「ライネル様なら、必ずできます。
村には魔法使いがいません。どうか……助けてください」
ライネルは黙って腕輪に目を落とした。
赤い宝石の中で魔力が静かに揺らぎ、
その力が腕を伝って広がるみたいに、微かな圧を与えてくる。
見えない糸に手首を引かれる感覚。
「……引いてる」
その言葉にモネロが眉を上げた。
「マジで?」
「この腕輪、石像と共鳴してるみたいだ。
北東へ続いてる。糸みたいに細く、薄く」
二人はすぐに事情を伝え、家を出た。
雪はもう膝まで積もり、太陽は完全に沈んで闇が降りている。
◇
「兄貴……ずっと何かおかしいです」
盗掘屋の一人が、恐る恐る口を開いた。
彼は風呂敷をちらりと見下ろす。
「……元からこうだったか?」
リーダーが低く問う。
「いいえ。盗み出したときは何の反応もありませんでした」
吹雪はますます強くなる。
雪が顔を叩くたび、冷えが骨まで染みた。
「誰かに……俺たちの居場所を知らせてるんじゃないですか?」
後ろの盗掘屋が不安げに言った。
「黙れ。不吉なこと言うな」
リーダーは言い切って、歩みを早める。
「速度を上げろ。
今止まったら……方向を失う」
だがそのとき、
別の盗掘屋が、はっとして立ち止まった。
「リーダー……この木、さっき見ませんでしたか?」
「今その話をするな」
「本当です。
あの瘤と、上に跳ねた枝。
俺たち、確実に一度通った場所ですよ」
語尾には確信があった。
足が沈む雪の感触、
遠くに見えては消える岩の形。
全部が、見覚えのあるものだった。
「……俺たちを縛りつけてるのか」
三人目が低く呟いた。
リーダーは唇を強く噛んだ。
風呂敷の中の石像は、まだ赤い光を点滅させている。
チカ。
チカ。
まるで誰かと合図を交わしているみたいに。
◇
ライネルが足を止めた。
腕輪が一瞬、ぴんと張って、それからすぐ静まった。
「……止まった」
彼は低く言う。
「石像、同じ場所をぐるぐる回ってるみたいだ」
モネロが目を細める。
「雪の中で迷ったのか?」
ライネルは腕輪に触れながら静かに答えた。
「違う。
流れがずっと歪んでる。方向が変わってる。まるで……」
言葉を整え、北東へ視線を固定する。
「誰かが……わざとその場に縛りつけてるみたいだ」
ライネルは息を吸う。
「奴ら、雪のどこかに閉じ込められてる。
まだ逃げ切れてない」
今が、最後のチャンスだった。
雪が荒れる。
ライネルが軽く手を上げ、前方を指した。
「待て」
二人が足を止める。
雪の上に伸びる長い影が揺れた。
リーダーはぼんやり二人を見て、ふっと笑う。
「なんだ……ガキじゃねえか?」
瞳に警戒はない。
「雪の中で道でも迷ったか?」
顎を撫でた。
「悪いが、今は誰かを送り届ける余裕がない。
村は反対だ。凍え死ぬ前に帰れ」
モネロが鼻で笑い、前へ出た。
「盗っ人が誰を心配してんだよ?」
そのまま盗掘屋の群れへ突っ込む。
手下の一人がぎくりとしてリーダーへ向き直った。
「兄貴、あいつ……俺たち捕まえに村が寄こしたんじゃ……!」
リーダーが短く息を吐いた。
「……なら、話が通じる相手じゃないな」
両手を軽く広げる。
「幻術」
瞬間、左右に同じシルエットが滲む。
雪の上から影が立ち上がるように、二人の“リーダー”が並んだ。
「荷はお前たちに任せる」
リーダーは落ち着いて言う。
「お前ら二人、今すぐ下りろ。
時間は俺が稼ぐ」
「はい!」
手下たちは素早く動いた。
両手でそれぞれ荷を掴み、雪の中へ身を投げる。
その荷のひとつ、
固く結ばれた風呂敷の中には、縮小されたドラゴンの石像が静かにうずくまっていた。
リーダーは荷が確実に渡ったのを見届け、頷く。
「モネロ」
ライネルが短く呼ぶ。
「荷を持った二人、任せる」
「了解」
モネロは一言だけ返し、すぐに方向を変えた。
雪原を裂き、二人の盗掘屋へ矢のように突進する。
その瞬間、
リーダーが低く呟いた。
「甘いな」
手を伸ばすと、左右に広がっていた幻影の一つが飛び出した。
形だけを模した分身が短剣を握り、斜めからモネロの背へ駆ける。
だがライネルの視線が鋭く光った。
目元から青い気配が滲み、雪を巻き込む。
「上がれ」
短い一言。
空へ跳ね上がった雪塊が連なって降り注ぎ、
一瞬でその場に高く積み上がった。
純白の壁が腰を越えるほどに立ち上がる。
短剣を持って突っ込んだ幻影は雪にぶつかり軌道を失い、
形を歪めて押し戻された。
「……雪をあそこまで積むのか」
リーダーが目を細めて呟く。
「……雪を扱う力、か」
幻影が砕けると、リーダーは半歩引いた。
影みたいに静かな動き。
ライネルは答えない。
目元の青い気配が広がり、足元の雪がゆっくり膨らみはじめた。
「なら……」
リーダーの身体が一瞬、ぼやけた。
「もう少し腕前を見せてやる」
瞬く間に六つ。
リーダーのシルエットが増え、雪原を占めた。
多重幻術。
それぞれ別方向から、短剣を構えた幻が一斉に突進する。
ライネルは視線を落とさない。
指先をほんの少し動かしただけだった。
「縛れ」
雪が渦を巻いた。
積もった雪塊が迷わず走り、幻影へ襲いかかる。
幻が雪の中へ吸い込まれるように突き刺さった。
一歩、遅れて。
本物のリーダーが背後へ潜り込む。
シュッ。
風を裂き、短剣がうなじへ伸びる。
だが。
「二度も騙されない」
ライネルの声と同時に、
身体が半回転し、腕を伸ばした。
バキッ!
雪塊が左右から突き上がる。
リーダーは弾かれるように跳ね退いた。
「……反応は悪くないな」
リーダーは空中で姿勢を整え、
滑る雪の上へ軽く着地して短剣を握り直した。
息は荒いのに、目はまだ余裕を残す。
手振り一つ。
別の幻が脇腹から飛び出す。今度は直線。
ライネルは掌を空へ向けた。
「押さえろ」
木の上に積もっていた雪が、重みを得た鈍い塊にまとまった。
ドンッ!
幻影の一つが雪塊に押し潰され、砕けた。
その瞬間、
リーダーがまた現れた。
前、足元、側面。
「本物はどれだ?」
ライネルは一度、目を閉じた。
そして。
「ここだ」
指が伸びると同時に、リーダーの足元の雪が突き上がった。
バッ!
足を絡め取る雪の筋が姿勢を崩す。
リーダーは辛うじて踏ん張ったが、短剣を落とした。
カン。
雪に当たる金属音。
リーダーは荒く息を吐いた。
それでも口元は上がっていた。
「思ったより、簡単には終わらねぇな」
後ろへ下がる。
同時に雪の上へ、また幻の影が広がった。
一つ、二つ、三つ、四つ。
今度は数が多い。
動きはさらに鋭く、速い。
吹雪の中で輪郭が溶け、真と偽が混ざり合う。
ライネルは片手に魔力を集中した。
雪が旋風みたいに身体を包み、足元に深い跡が刻まれる。
「無駄な数は消す」
ドン。ドン。ドン。
雪を裂く力。
幻影が三つ、瞬く間に砕けた。
だが。
「本物は」
誰かが背後で囁いた。
「ここだろ」
シュッ!
短剣がもう一度、突き込まれる。
今度は近すぎた。気配がない。
ザクッ。
脇腹が深く裂けた。
ライネルが息を吸う。
血が跳ねた。
即座に念動で身体を押し退ける。
雪に赤い跡が刻まれた。
リーダーは短剣で血を一度なぞり、口元を歪める。
「ただ石像盗んで逃げるだけの連中だと思ったか?」
「ちょっと驚いた顔してるな」
ライネルは黙って傷口を押さえた。
勢いは折れない。むしろ、輪郭がさらに鮮明になる。
リーダーがまた手を上げた。
多重幻術。
八つ。
影のように動き、一斉に迫る。
ライネルは手を下ろした。
そして一言。
「一つずつ防ぐ必要はない」
地面に手をつく。
瞬間、足元の雪が縮むように集まり、四方へ噴き上がった。
ゴォォン!
巨大な雪塊が回転し、猛吹雪を生む。
視界が消えた。音も薄れた。
「本物が分からないなら……」
ライネルの目が青く光る。
「全部まとめて、流せばいい」
吹雪がすべてを飲み込んだ。
白い塊が回転し、足音すら断ち切る。
リーダーは姿勢を低くした。
一息に身を投げ、雪塊の陰へ潜る。
サッ。
音すら殺して側面へ入り込む。影のように。
プシュッ!
短剣が空を裂いて伸びた。
だが今度は。
ドンッ!
手首が掴まれた。
冷たく硬い雪が、糸みたいに絡みつく。
「……もう見える」
ライネルが低く呟いた。
リーダーの表情が一瞬歪む。
「くっ……!」
雪が手首を締め上げる。
同時にリーダーの周囲へ雪柱が突き上がった。
バキッ!
リーダーは雪へ叩き込まれ、辛うじて片足を抜いて踏ん張った。
だが動きが鈍る。
その刹那。
ドドン!
モネロが雪を裂いて現れた。
口元を斜めに上げ、残雪を払う。
「終わったかと思ったけど、
ちょうど面白くなるタイミングだな」
そのままライネルの横へ自然に並ぶ。
「荷を持った二人は俺が捕まえた。
石像は……この魔法の風呂敷の中に、縮んだまま入ってたぞ」
リーダーは荒く息を吐き、ふらつく脚を無理やり支えた。
「……くそ。こんな展開になるとはな」
それでも雪の中で笑っていた。
疲れ笑いじゃない。計算の笑い。
「だから厄介事は嫌いなんだ」
ライネルが手を上げる。
魔力の圧が再び立ち、周囲の雪がぐっと盛り上がってリーダーを締めた。
そのとき、リーダーが顔を上げた。
「待て」
雪の向こうから、その視線がライネルを正確に突き刺す。
「ここまでやったんだ……俺にも話す資格くらいあるだろ?」
ライネルとモネロが目を合わせた。
短く、硬い沈黙。
ライネルが低く問う。
「石像以外に、持ち出したものがあるな」
リーダーが肩をすくめる。
「資格証みたいなもん? 古いブローチ?
あんなのは飾りだ。俺たちは腹が減ってて、金が要った。それだけ」
「嘘だ」
モネロが一言で切った。
リーダーは笑いを無理に飲み込む。
「そうかもな。嘘かもしれねぇ」
「でも、お前らも分かってるだろ。世の中はいつもそうだ」
ライネルは腕輪を一度握った。
赤い宝石が、ごく微かに震えた。
「その風呂敷」
「中で……何かが目を覚ましかけてる」
リーダーの眉が、ほんの少しだけ揺れた。
一瞬だけだ。
「目を覚ます?」
聞き返し、平静を装って顎を上げる。
「ならなおさら、さっさと渡して終わりにしようぜ」
ライネルが一歩詰めた。
「お前らが石像に手を出した瞬間から、
これは盗みで終わる話じゃない」
吹雪の中で、風呂敷の内側が一度、微かに震えた。
コツ。
中で、ほんの小さな亀裂がもう一つ開いたみたいに。
モネロが短く息を呑む。
「……おい。今、風呂敷が動いた」
リーダーの笑みが少し固まった。
ライネルは視線を逸らさない。
「言え」
「お前らが石像に何をした」
リーダーはゆっくり舌先で唇を湿らせ、低く言った。
「俺たちは……被せて、縮めて、持っただけだ」
「それ以上は本当にしてねぇ」
「なら、もっと悪い」
ライネルが静かに言う。
「触れちゃいけないものを……ただ持ち出したってことだ」
ライネルが手を上げる。
雪がまた動き始めた。
「話は終わりだ」
モネロが前に出る。
「縛って、村へ連れて帰る」
リーダーが小さく笑った。
「いいだろ。なら……」
視線が風呂敷へ滑る。
「お前らがそれを持ってる限り、
先に終わるのがどっちか、試してみようぜ」
その言葉と同時に。
風呂敷の中から、
赤い光が一度、大きく弾けた。




