37. 鉱山の主(こうざんのあるじ)
「ここ···合ってるよな?」
モネロが、昨日残しておいた樹皮の紋を覗き込んだ。
古びた樹皮の上には、精霊の気配を含んだ印がくっきり残っている。
「うん。私が刻んだの」
アイラが静かに答えた。
その隣で、クルスターが顔を上げて口を開く。
「皆、集まってくれ」
彼は枝で地面に簡単な地形を描きながら言った。
「現時点の把握では、
この廃坑の入口はここ一つだけだ。
ゴブリン関連の依頼を進めている他パーティの記録も、すべて同じ」
短く息を整え、続ける。
「昨日はあれだけ見張っていたゴブリンが、
今日は影も見えない。怪しいと言えば怪しい」
「自然な状況じゃないですね」
ミダースが低く受けた。
「来るのを分かってたのか?」
ナミアも唇を固く結ぶ。
ネニャは周囲を一度見回し、小さく息を吐いた。
「私たちを誘ってるのかな···?」
「罠の可能性も考えておくべきだな」
ライネルが静かに言う。
「それでも、止まれない」
クルスターは断固として言い切った。
「俺たちはこの廃坑探索の依頼を受けた。成果を持ち帰らなきゃならない」
全員を見回し、念を押すように続ける。
「今回の作戦は、前回同様『探索』に重点を置く。
だが何が起きるか分からない。
退路は必ず確保する」
一行は黙って頷いた。
クルスターが手を上げ、隊を二つに分ける。
「探索は、銀月の盾の四人全員。
俺、ナミア、ミダース、ネニャ。
それにライネルを加えた五人が中へ入る」
「残りの二人は入口で待機」
視線がアイラとモネロへ向いた。
「精霊防御と回復ができるアイラ。
奇襲対応が速いモネロ。
二人は外で頼む」
「了解」
モネロが短く答えた。
「外から来るやつがいりゃ、すぐぶっ飛ばす」
アイラも頷く。
「精霊の感覚を借りて、周囲をちゃんと見ておくね」
クルスターが言い切った。
「では、探索班。これより侵入開始」
無言で頷いたナミアが先に身を低くし、廃坑の闇へ足を踏み入れた。
続いてクルスター、ミダース、ネニャ、そしてライネルが、静かに暗がりへ消えていく。
廃坑の内部は、思った以上に深かった。
足元には湿った土が踏み固められ、
左右の壁には古いつるはし跡が筋になって走っている。
床には小石が転がり、足を運ぶたび音が出そうで出ない。
先頭のナミアが手を上げ、一行を止めた。
「待って」
短い沈黙。
「やっぱり、おかしい」
ナミアは身を低くして囁く。
「気配がない。奥から返ってくる反響もない」
クルスターが低く言った。
「この中に何かがいる。そして、俺たちを待って···」
その時だった。
すっ···
「今、音した?」
ネニャが周囲を見回しながら囁く。
「した」
ミダースが短く答える。
そして、唐突に。
赤い火の玉が一つ、闇を裂いて飛んできた。
「避けろ!!」
ナミアが叫ぶより早く、
火球が通路の中央に落ちた。
ドンッ!!
爆発。
短い炎。熱い空気。跳ねる煙。
一瞬で坑道が赤く染まる。
「ナミア、下がれ!!」
クルスターが盾を上げて前を塞ぎ、ナミアを背後へ押しやった。
「セットアップ・ガード」
ミダースが素早く呟く。
銀色の防護膜が、一行を包むように立ち上がった。
「来るぞ、もう一発!」
ネニャが叫ぶ。
二つ目の火球。
だが今度は、ただの火の塊じゃなかった。
赤い発煙弾みたいに、
空気に絡みつく濃い煙の粉が弾ける。
「くっ···!」
視界が消えた。
「前が···見えない!」
その瞬間、ライネルの目が蒼く染まり、静かに手を払った。
パァァァッ···
念動の力が広がり、煙の粉を一息で押し流す。
目の前の靄が剥がれ、視界が戻った。
だが···
見えるのは、ネニャだけだった。
「え?」
ライネルが振り返る。
クルスターも、ナミアも、ミダースも···消えていた。
坑道の入口は、鈍い石柱のようなものに完全に塞がれている。
最初から道なんてなかったみたいに。
ライネルが断定するように呟いた。
「意図的に分断したんだな」
「うん。私もそう思う」
ネニャも息を荒くしながら言う。
前方。
暗い通路の奥で、赤い灯りが一つ、また一つと瞬いた。
「とりあえず、前へ行こう」
ライネルが静かに言う。
彼は迷いなく歩き出し、
ネニャも一瞬の揺れのあと、その背中を追った。
通路は赤い鉱石の反射で、
妙に温い光を吐いていた。
壁のあちこちに、赤い鉱石が薄く食い込んでいる。
そして辿り着いた空間。
丸みを帯びた採掘場の内部だった。
天井は高く、
壁面には赤い壁画が描かれていた。
「これは···」
ネニャが目を見開く。
壁画は四つの場面。
つるはしを持って鉱石を掘る者。
コウモリの翼を持つ存在へ鉱石を手渡す場面。
赤い鉱石が宝石へ変わる瞬間。
そしてその宝石を手にした者が、天にかかる何かを見上げる絵。
「誰が描いたんだろ···」
ネニャが小さく呟いた。
その時だった。
古びたローブをまとった存在が、ゆっくり壁画へ近づいてきた。
「よく辿り着いたな」
ゴブリン。
だが皮膚には老いが滲み、
眼差しは濃く、重い。
「待っていた」
ネニャが静かに一歩退く。
ライネルは目を細め、隙を作らない。
「お前は、何だ?」
「この廃坑の主だと言えば、分かりやすいか?」
ゴブリンは壁画を指した。
「そして···あの絵が示す力の継承者でもある」
「継承者···?」
ネニャが小さく呟き、ゴブリンの長を睨みつける。
長は壁画へ近づき、手を伸ばした。
指先が最初の絵をなぞる。鉱石を掘る者。
「最初にこの地を掘り起こしたのは人間だった。
欲に塗れた人間たちが、
自分でも知らぬままに、この力を掘り当てた」
長は次の絵へ、順に指を滑らせる。
「やがて奴らは知った。
この鉱石が、
『魔力』を持つ存在と強く反応するとな」
赤い宝石が手の上に浮かぶ最後の絵。
長はそこを凝視した。
「奴らは互いを実験し、失敗し、
結局、互いを壊した」
「そんな力を、ゴブリンが扱えるって言うのか」
ライネルが短く問う。
長は頷き、言った。
「我らは人間とは違う。
人間は魔力を得るため鉱石を貪ったが、
我らはその本質に同化している」
目がぎらりと光る。
「それでも効率よく魔力を吸い上げるには、人間が必要だ。
中でも、魔力を扱う者たちがな」
「なぜ?」
ネニャが唇を噛んで問う。
「鉱石は、自ら反応しない」
長が低く笑う。
「魔力は···魔族の力から始まった力だ。
それを模倣する人間は、共鳴させるのに都合がいい」
視線がライネルとネニャを交互に撫でるように落ちる。
「それで、どうするつもり」
ネニャが言った。
「その力を得て、何をするの?」
ゴブリンの長は答えた。
「人間の村を滅ぼす」
その言葉に、ネニャが一歩前へ出た。
「そんなの、ありえない!
力を使ってそんな目的を果たすなんて、絶対に許せない」
長は嘲るように口角を上げた。
「許す?
我らはお前の許可をもらいに来たのではない、人間」
足を向け直し、ネニャを正面から見据える。
「我らの部族が、何度人間に踏みにじられたか知っているか?
我らは常に『討伐対象』だった。
隠れて生きねばならず、
言葉をかける前に首を落とされた」
「それは···」
ネニャが言いかけ、言葉を失う。
「お前が言った『絶対に許せない』という言葉。
我らからすれば、何百回も聞いてきた言葉だ。
人間が、我らに向けてな」
一拍、沈黙。
ネニャの指がわずかに震えた。
ライネルが静かに言った。
「なら、その報いとして同じように血を流すつもりか」
長は答える。
「正確には、均衡を取るのだ」
ネニャが歯を食いしばって叫んだ。
「それでもそんな使い方は···
それはただ、憎しみをまた作るだけだ!」
長は首を横に振る。
「憎しみではない。交換だ。
力は常に代価を伴う。
我らはそれを払っているだけだ」
ライネルは長を見つめたまま、短く結論を出した。
「話は十分聞いた」
口調は揺るがない。
「お前たちゴブリンと人間が共存できないってことは、
今の会話だけで十分分かった」
長が軽く笑う。
「察しのいい人間は楽だな。
余計な言葉がいらん」
手を上げると、
背後の闇で気配が動いた。
ゴブリンの息づかい、足音、
そして金属を引っ掻く音が···近づいてくる。
「では、話はここまでだ」
その瞬間、長が手を振り下ろした。
「全員、かかれ」
ネニャが魔法陣を展開しようと手を上げ、
ライネルはすでに目を閉じ、気流の動きを読んでいた。
ゴブリンの足音が坑道を満たす。
短く速く、そして同時に、統制された動き。
「数が···けっこういるね」
ネニャが短く息を吐き、手を構える。
指先に小さな赤い炎が灯った。
「炎魔法を使う。少しだけ時間を稼いで」
「待て」
ライネルが静かに言った。
「まだ魔力は温存しろ」
言い終えると同時に、
先頭のゴブリンが身を投げるように突っ込んできた。
「キキィィッ!」
瞬間、ライネルが手をすっと下ろす。
ドンッ!
見えない力が、
ゴブリンの体をそのまま床へ叩きつけた。
バキッ!
ゴブリンは血を吐き、崩れ落ちる。
続く二、三体も、
近づいただけだったのに――
宙に浮かされ、坑道の壁へ叩きつけられた。
ゴン。
バン。
ゴン。
血が散る。
だがライネルの表情は動かない。
「ただの数じゃ通らない」
その時だった。
ドン。ドン。
もっと重い足音が近づく。
通路の奥から、
逞しい塊が影を落とした。
巨大な頭蓋骨を頭にかぶったゴブリン。
両腕は筋肉が盛り上がり、
手には人の背丈ほどある棍棒を握っている。
「何、あれ」
ネニャが目を細めた。
ゴブリンの長が前へ出た。
「我らの部族が持つ···力の一つだ」
長は棍棒を持つ戦士へ、ゆっくり手を上げる。
「見せてみろ。
この赤い鉱石が持つ可能性を」
戦士ゴブリンは無言のまま地を蹴り、跳び上がった。
「気をつけて!」
ネニャが叫ぶ。
巨大な棍棒が空から落ち、
ライネルの頭へ叩き込まれる――
だが、
ぴたり。
棍棒が止まった。
空中で、
まるで抵抗すらないはずの動きが、
何かに引っかかったように静止している。
ライネルは動かない。
ただ右手を、ほんの少し上げているだけだ。
「お前」
彼が静かに言った。
「思ったより重いな」
次の瞬間、棍棒が弾き飛ばされ、ゴブリンの手を離れた。
棍棒が飛ぶ。
空中で回転し、ドンと床に突き刺さった。
戦士ゴブリンが驚愕して目を見開く。
ライネルはその隙を逃さない。
手を伸ばし、もう一度、下ろした。
ブシュ···
見えない力が、
ゴブリンの全身を押し潰した。
「グッ···グルル···!」
戦士ゴブリンは抵抗する。
筋が浮き、全身が震える。
だが次第に、
膝が折れていく。
ライネルは息を吸い、
棍棒をそのまま空中へ引き上げた。
「今度は、俺の番だ」
棍棒が一直線に空を裂き、
戦士ゴブリンの腹へ突き刺さるように飛んだ。
ドンッ!!
凄まじい衝撃。
戦士ゴブリンは通路の壁に叩きつけられ、
石粉と血を一緒に吐き出した。
ネニャが目を大きく見開く。
「ありえない···こんなの···」
ライネルは振り返らない。
目元に滲む蒼い気配が、静かに揺れていた。
ゴブリンの長が歯を食いしばる。
「蒼い···魔力?」
表情に初めて『驚き』が走った。
「なら、今度は···」
ゴブリンの長が言った。
「より濃縮された鉱石の力を見せてやろう」
長はマントの内側から、何かを取り出す。
小さく研がれた赤い宝石が、いくつも。
形は不揃いだが、強い気配が溢れている。
「これは我らが直接掘り、錬成したものだ」
長はそのうち一、二個を手に取り、静かに唱える。
「心臓の下、さらに奥まで届く魔力。
血を流しても、生かし続ける力」
そして躊躇なく、
宝石を何個も口に入れて飲み込んだ。
「···!」
短い沈黙。
直後、長の全身から赤い気配が噴き上がった。
皮膚の下を走る、鮮紅の筋。
血管が浮き、呼吸は荒くうねる。
長がゆっくり顔を上げて言った。
「ようやく、準備が整った」
瞳の奥深く、
鮮明な赤い文様が、ほのかに光っていた。




