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36. 探索(たんさく)

「ネニャ、準備はいいか?」


クルスターの低く硬い声。

ネニャは静かに頷いた。


彼女の指先に、熱を含んだ火が立ち上る。

赤い魔法陣が宙に浮かび、脈打った。


短く締まった詠唱が、口からこぼれる。


「イグニッション・バースト(Ignition Burst)」


ドンッ!!


爆音。

指先から放たれた火球が疾風のように森を裂き、飛ぶ。

次の瞬間、ゴブリンの群れの真ん中へ落ちた。


「グァアアァァッ!!」


悲鳴、炎、鼻を刺す焦げ臭さ。

火が一気に広がり、何体ものゴブリンを呑み込む。

よろめいて倒れていく死体。

残ったのは、黒く焼けた骨片だけだった。


「全員待機! 残敵確認!」


クルスターが盾を上げて叫ぶ。

ネニャは息を荒くしながら、指先に残る熱を冷ました。


「終わったか···」


モネロが喘ぎながら呟いた、そのとき。

ナミアが急に叫んだ。


「後ろ! まだいる!」


森の奥から飛び出した六つの影。

気配を殺して寄ってきた奇襲。


「俺が行く!」


モネロは躊躇なく飛び込んだ。

先頭のゴブリンの頭へ、渾身の強打。


「インファイト・ブロウ!(Infight Blow)」


ドガッ!!


「ギギィィッ!」


ゴブリンはそのまま木に叩きつけられ、力なく崩れた。


モネロはすぐに腰を落とし、

続く連中へ向けて拳を握り直す。


「ライネル!!」


その声が届く前に、反応はもう始まっていた。

ライネルは目を閉じていた。


そして静かに、目を開ける。


両眼に青い光が差した。

その瞬間、周囲の石ころや落ち葉、枝が、空へ浮き上がるように持ち上がった。


ブゥン···


不自然なほど静かな浮遊。

まるで時間が止まったみたいに、あらゆる残骸が宙で凝縮していく。


ライネルが手を伸ばすと――


ガァンッ!

パパパパッ!!


投げ放たれた破片が、

一瞬でゴブリンの体を貫き、砕いた。


誰も悲鳴を上げる暇がない。

残ったのは、血に濡れた木の葉だけだった。


「右に弓が一体!」


アイラは落ち葉を踏まないように体を運ぶ。

精霊石に指先を置き、柔らかく囁いた。


「風よ、裂け。

ウィンド・エッジ!(Wind Edge)」


ピィン!


薄く鋭い風が、森を切り裂くように走った。

ゴブリンの弓手は矢を放つ前に、喉を貫かれて地面へ倒れる。


「ひとまず、こっちは···」


アイラが小さく息を吐く。


その瞬間、

ライネルが最後にもう一度、指先を動かした。


残っていた三体のゴブリン。

不自然な力に引かれるように、瞬く間に木の上へ弾き上げられる。


トク。

トク。

トク。


三つの衝撃音。

そして静寂。


「···これは···」


ミダースが眉をひそめ、呟いた。


「魔法ではあるんだが···何か、違うな」


銀月の盾の四人が、黙ってライネルを見た。


詠唱もない。魔法陣もない。

なのに、確かに『何か』が発現した。


ネニャが慎重に口を開く。


「今の···もしかして···」


その言葉を継ぐように、

ミダースがゆっくり頷きながら言った。


「念動術か?」


ミダースは眼鏡越しにライネルを見て、低く言う。

「今の人間が使えない古代魔法。

効率が悪すぎて廃れ、忘れられた系統だ」


ナミアが小さく息を呑んだ。


「それを···今、使ったって?」


「ありえない」


ネニャが息を殺して呟く。


「念動術は記録でしか見たことがない。

理論だけ残ってて、最近の行使例はないって聞いてたのに···」


ライネルは黙って息を整え、視線を逸らした。

説明も、弁明もない。

ただ行動だけで、すべてを語っている。


それは『魔法』だった。

だが、今まで知っているやり方とはまるで違う。

まるで本質そのものが別物みたいに感じる魔法。


そしてその魔法は今、

戦場の中心で、絶対的な沈黙を作り出していた。


しばらく、長く感じられる静けさが森を包んで流れた。


その静けさの中で、

アイラは目を細め、慎重に周囲の気流を探った。


アイラが眉をひそめて囁く。


「風が、内側に吸い込まれる感じ」


彼女は精霊石をぎゅっと握り、付け足した。


「まるで、中で誰かが息を吸ってるみたい」


モネロが反射的に聞き返す。


「何が?」


そのときだった。


先を行っていたナミアが、急に手を上げた。


「待って」


全員が足を止める。

彼女は身を低くして、葉をそっと払った。


背後に崩れた岩の山と、闇が見えた。

片側の壁面は風に削られたみたいに、妙に滑らかだった。


「廃坑だ」


ナミアが低い声で言う。


「入口は崩れてるけど、中の空間は生きてるはず」


その言葉を聞いた瞬間、ライネルは静かに目を閉じた。

そして、ごく微細に震える気流を感じ取る。


「···中に、何かいる」


息を吸うほどに、

中から引っ張られるような圧があった。

空気が重く沈んでいく。


アイラは指先で精霊石を握った。

体が小さく震える。

風の流れが途切れる。


精霊は言葉を発しない。

けれど、はっきりと警戒していた。


クルスターは唇をきゅっと結び、

赤く染まった空を見上げた。


「···日が落ちる」


夕映えが葉の間に広がった。

彼は短く息を吐き、振り返る。


「今の状態で入るのは無理だ。

中の構造も分からないし、視界も取れない。

それに俺たちは、さっき戦闘を終えたばかりだ」


口調は断固としていた。

そこには確かな責任があった。


モネロが歯を噛み、口元を歪める。


「せっかく、派手にやれそうだったのにな。

残念だ、マジで」


ナミアはモネロを横目に見て、静かに頷いた。


「今は引くのが正しい」


彼女は廃坑の入口近くの樹皮を慎重に剥がした。

指先で小さく、目立たない印を刻み込む。


アイラはその上に精霊の紋を重ね、そっと囁いた。


「少しだけ···見張ってるね」


風がかすかに揺れた。

精霊が反応したのだ。


だが、その感情ははっきりしていた。


入りたくない。


気流が細く震えた。

頬をかすめていく風に、

まるで幼い獣が目の前の闇を避けて後ずさるような、不安な気配が混じる。


精霊でさえ、

その奥に潜む何かを恐れていた。


一行は何も言わなかった。

誰も、この感覚を口にしない。


ただ頷き、

重く踵を返した。


森を抜けていく背中に、

風が一本だけ、別れを告げるみたいに柔らかく触れていった。



ギルドは相変わらず慌ただしかった。


日が完全に沈んだあと、

戻ってきた冒険者たちで廊下は賑わい、

受付の灯りは夜を照らすように活気よく瞬いていた。


剣と鎧。疲労と安堵の息。

それが混じった空気の中で、誰かは一日を終え、

誰かは次の依頼へ向けて準備している。


暮らしは続き、

冒険も続いていく。


クルスターが討伐証明用の革袋を取り出し、

受付台の上に静かに置いた。


「今日の討伐分です。

ゴブリンの耳はここに」


職員が手慣れた動きで袋を開ける。

中には血の乾いたゴブリンの耳束が詰まっていた。

この世界では、それが討伐の証になった。


「確認しました。お疲れさまでした」


「この程度なら、今日一日、悪くなかったな」


クルスターが振り返り、皆に言った。


「よければ、食事でも一緒にどうです?」


「最高! 腹減って死ぬかと思った!」


モネロが手を勢いよく上げて叫ぶ。

その声にアイラがくすっと笑った。


「ほんと。ゴブリンの匂いで頭いっぱいで、食事のこと忘れてた」


一行は近くの食堂へ向かった。

遅い時間でも中は暖かく、灯りの下に軽い話し声が広がっている。


並んで席につき、注文を終えると、

料理が少しずつ運ばれてきた。

緊張がほどけ、表情も柔らかくなっていく。


クルスターが杯を持ち上げた。


「今日もみんな、お疲れさま。

廃坑は明日、中に入って確認しよう」


その言葉に、銀月の盾の四人だけでなく、ライネルたちも頷いた。


「入口の構造、けっこう奥がありそう」


「ゴブリンが見張ってるってことは、奥に何か隠してるんでしょうね」


ナミアが付け足す。


「精霊が感じたものも、たぶん同じ」


アイラが言った。


ナミアは考え込むように頷く。


「いずれにしても、慎重に」


「基本の準備はうちがやります」


ミダースが淡々と言った。


「物資、回復薬、魔導具まで。全部そろえてます。足りないものはないはずです」


「さすが、ベテランチーム」


アイラが頷いて笑う。


「三人でやると、あれこれ無理だったかも。助かる」


「はは、頼りになるでしょう?」


クルスターが杯を軽く揺らして笑った。


そのとき、モネロが待ってましたと言わんばかりに拳を握りしめた。


「なあ!

今日の俺のパンチ見ただろ? 綺麗に吹っ飛んだよな!」


モネロが肩をすくめて自慢すると、

アイラはくすっと笑い、彼の腕を軽く叩いた。


「見た見た。

はいはい、すごいすごい。とっても立派でした」


「んん···なんか、馬鹿にされてない?」


モネロは咳払いして顔を背けた。


「俺の一発ならさ···

ライネルでも耐えられないって」


その言葉に、アイラは頬杖をついてのんびり返す。


「ほんと?

じゃあモネロ、今日ライネルが飛ばした石とか、尖った欠片とか···

全部食らっても立ってられる?」


「それは···え、えへん」


モネロは目を逸らし、水をぐっと飲み込んだ。


周りに小さな笑いが広がった。

緊張がほどけると、言葉も少しずつ軽くなる。


ライネルは顔を向け、クルスターを見た。


「銀月の盾、連携がすごかった。

戦闘中、四人が一人みたいに動いてた」


クルスターは淡く笑う。


「もう一年以上、一緒ですから」


杯を置き、穏やかに言った。


「自然と合ってくる。

最初はぎこちなかったけど···今は目つきだけで動きが読める」


アイラが目を輝かせる。


「すごい。

私たちも···いつか、そうなれるかな?」


視線が、慎重にライネルへ向いた。


ライネルは少しだけ無言で彼女を見て、

杯をわずかに持ち上げた。


そして、ゆっくり頷く。


やがて話は、もっと軽い日常へ流れていった。

そこでネニャが、慎重に口を開く。


「ねえ···一つ、聞いてもいい?」


全員の視線が彼女へ向く。


「ライネルとアイラ、二人は···何サークル?」


アイラは首を傾げた。


「私たち?」


ネニャは小さく頷く。


「うーん···分からないかも」


ライネルが答えた。


「そういうの、正式に検査したことがなくて」


「私も同じ」


アイラが付け足す。


「前に一緒に動いてた仲間がいてね。

その子が言うには、ライネルはたぶん三サークルくらいだろうって」


モネロが頷く。


「詳しくは知らんけど、強いってのは分かるな」


ネニャは俯いて、唇だけをほとんど動かした。


「違う。そんなの···三サークルなわけがない」


ネニャは少し俯いたまま、声をさらに落とす。


「四サークルどころか···

見間違いじゃなければ、五サークルも超えるかもしれない」


あまりに小さくて、誰にも届かない程度だった。


「え? 今、何て言った、ネニャ?」


アイラが目を細めて尋ねる。


ネニャはびくっと肩を揺らした。


「あ、ううん。

ただ···私も三サークルだって」


アイラは瞬きをして笑った。


「うわ、じゃあネニャもすごく強いんだね?」


「そう、だね」


ネニャはか細い声で答えた。


その眼差しは静かだったが、

そこに何かが、薄く隠れていた。


アイラはそれを感じたが、深くは聞かなかった。

ライネルも視線を外さず、黙って杯を上げる。


そのとき、クルスターが空気を整えるように言った。


「明日は、今日より大事な日になります。

無理はしない。準備は徹底して」


ライネルは静かに頷いた。


「今日みたいに、必ず無事に戻って。

明日も···みんなで夕飯を食べよう」


「うん。明日も、みんなで!」


アイラも杯を上げた。


ネニャがようやく、少しだけ笑う。


その夜。

短く穏やかな食事は、互いの距離をほんの少し近づけた。


灯りの下で交わした静かな笑いと、あたたかな言葉。

それだけで、皆は十分だった。


明日がどんな一日になるのか。

誰にも分からない。

けれど、この瞬間だけは、ただ落ち着いていた。


冒険者の一日は、そうして、

小さな安堵の息の中でゆっくり暮れていった。


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