34. 焼き尽くされた村(やきつくされたむら)
「あー……足が痛い。
ちょっとだけ休んで行こうよ」
アイラがつま先をずるずる引きずりながらぶつぶつ言った。
何時間も歩きっぱなしだったせいで、肩までぐったり落ちて見える。
ライネルが静かに立ち止まる。
「そうだな。
けっこう歩いたし……軽く腹でも満たすか?」
その言葉に、アイラは目を輝かせて鞄を漁った。
「じゃじゃーん!」
取り出したのは、風呂敷に丁寧に包まれた小さな包み。
ほどくと、丸くて香ばしい匂いのするクッキーが顔を出した。
「ボブレ村で一番おいしいパン屋のおばちゃんが包んでくれたクッキーだよ!」
アイラはクッキーを取り出し、ライネルとモネロにひとつずつ手渡した。
モネロはすぐにひと口かじる。
「……!」
目を丸くして、短く感嘆の息を漏らした。
「お。ボブレ名物の『クリック・クッキー』、持ってきたんだな?」
「え?
クリック……クッキー? これが名前だったの?」
アイラがきょとんとして聞き返す。
「それも知らなかったのか?
ほんとにどっか監禁されてたのかよ」
モネロの冗談に、アイラは肩をすくめた。
「うーん……どこかで聞いたことある言い方。
私もたまに、そんな気分になるんだよね」
隣でクッキーを噛んでいたライネルも、小さく笑った。
モネロは飲み込んで、顎をしゃくる。
「ライネルとアイラ、お前ら二人……たまに見てると変なんだよな。
本気で世間のこと知らない感じっていうか」
「はは……まあ。
そういう気もするし、しない気もする」
アイラは尖った耳の前に垂れた金髪を、指でくるくる巻いた。
しばらく三人とも黙ってクッキーをもぐもぐした。
移動中でも、甘さは確かに力になる。
先に口を開いたのはモネロだった。
「もう少し行けばポエン村だ。
日が暮れる前には着くだろ」
鞄から地図を取り出して広げる。
「今日は地図に印があるこの道じゃなくて、迂回して行こう」
ライネルが眉をひそめた。
「え?
ここ、森道でまっすぐ行った方が早くないか?」
「早いのは早いけど……今日はそっちはやめとけ」
「なんで?」
ライネルが首を傾げる。
モネロがため息をついた。
「ったく……お前ら、村の外の噂とか全然興味ないのか?」
声を落とす。
「ボブレを出る数日前に聞いたんだが。
地図にあるあの村、事故があって火事で全焼した」
「火事?」
「全焼……?」
ライネルとアイラが同時に聞き返す。
「そう。ゴブリンの群れが襲ったらしい。
で……」
モネロは周囲を一度見回し、続きを言った。
「ゴブリンの死体も、一緒に焼けた状態で見つかったんだと」
アイラの表情が少し硬くなる。
「じゃあ誰かが、
村人もゴブリンも両方殺して、燃やしたってこと?」
「それが一番ありそうだな。
どっちが先に死んだかは分からんが、村もゴブリンも全部燃えてたって話だ」
ライネルはクッキーを包んでいた布を丁寧に畳みながら、黙って考え込んだ。
モネロが顔をしかめて付け足す。
「気分も悪いし、怪しいだろ」
「私も……。だから、わざわざ行く必要ないよね」
アイラも頷いた。
だがライネルが、静かに周囲を見渡しながら言った。
「それでも一度くらいは……
行って確かめた方がいいんじゃないか?」
モネロは呆れたように瞬きをした。
「……俺の話、ひとつも聞いてなかったのか?」
「名目上は冒険者だろ。
変な噂がある場所なら、むしろ行く価値がある」
ライネルの目には、妙な好奇心が宿っていた。
「はぁ……」
モネロは額を押さえる。
「ほんと……
こいつもこいつも。ここでまともなの俺だけかよ」
大きく息を吐いて口を開く。
「いいか。俺たちは王都に向かう途中で――」
「ごめん、考え変わった~」
アイラが軽い声で割り込んだ。
「モネロ、来ないなら置いてくよ~。
道はライネルが読めるし、問題ないでしょ!」
「……ちょっと待て。俺の話まだ終わって――」
「行こ、ライネル!」
アイラが先に歩き出し、ライネルもそれに続く。
モネロは立ち尽くして、しばらく虚空を見た。
「……ほんと、やってらんねぇ」
ぶつぶつ言いながら足を引きずる。
「分かったよ。分かったって!」
結局、三人は進路を変え、
問題の村があった森道へ向かった。
◇
森は思った以上に深かった。
日差しもまともに届かず、足元はじめじめと湿っている。
木々は密に絡み合い、空を覆い隠していた。
しばらく歩くと、
木々の隙間から黒く焦げた何かが見え始める。
「……ここか」
モネロが呟いた。
そこには、
形も分からないほど焼け落ちた村の残骸があった。
何本かの柱だけが骨みたいに残り、
ここに人が暮らしていたことを、かろうじて証明している。
「……うわ」
アイラは口を閉じられなかった。
「想像してたより、ずっとひどいね」
「だから言っただろ。
こんなとこ来ても気分悪くなるだけだって」
モネロは深くため息をつき、周囲を見回した。
そのとき、ライネルの足が止まる。
「待って」
目を細め、地面を凝視した。
「これ……何だ?」
「ん? 何が?」
モネロが聞き返す。
ライネルは数歩進み、
足先に引っかかった小さな欠片を拾い上げた。
骨片みたいな、
小さく尖った白い破片だった。
「……骨、か?」
アイラも近づいて、その欠片を見る。
そして、焼けた地面の上で似たような欠片をもうひとつ見つけた。
彼女は慎重に引き抜く。
「こんな武器……あったっけ?」
欠片は錐みたいな形で、
先端は、わざわざ削ったみたいに滑らかだった。
モネロが、なるべく平然とした声で言う。
「ただの残骸だろ。
焼け残った動物の骨とかさ」
だがライネルは、まだ妙な顔で欠片を見つめていた。
アイラがちらりとライネルを見て聞く。
「どうしたの。何か感じる?」
「……いや。
ただ……ちょっと、見覚えがある気がして」
モネロが呆れたように首を振る。
「はぁ……やっぱりお前ら、どっか監禁されてたのか?」
アイラがけらけら笑った。
「それ、今日だけでもう何回目~」
モネロは片手で額を擦った。
「はいはい、もういい。
こんなとこで長居する意味ないだろ」
地図と方位磁針をまた取り出しながら言う。
「詳しいことはポエン村のギルドで聞こう。
ここで見たって、何も出てきやしねぇ」
ライネルは最後にもう一度、焼けた村を振り返った。
「……分かった」
頷いて、ゆっくり歩き出す。
◇
ポエン村は小さいが整っていた。
埃ひとつない石畳。
白い煙を吐く煙突。
静かに開閉される店の扉。
「わぁ、やっぱり人が住んでる所は違うね」
アイラが両腕を伸ばして言った。
「だろ。
ここはまだ文明の匂いがする」
モネロもようやく余裕が戻ったのか、鼻先で息を吸った。
ライネルが周囲を確認しながら言う。
「まずはこの村のギルドに行こう」
「うん。思ったより日が落ちるの早そうだし」
路地を抜けて歩くと、
建物の間に少し大きな、看板のかかった建物が見えた。
丸い盾の標章。
その下に小さく「ポエン冒険者ギルド」と書かれている。
「ここだな」
三人は並んで扉を開き、中へ入った。
ギルド内部は落ち着いていた。
朝の時間帯なのか人はまばらで、
受付カウンターには短い茶髪の女性が座っている。
彼女は顔を上げ、柔らかく挨拶した。
「いらっしゃいませ。ポエン冒険者ギルドです」
ライネルが近づき、軽く頭を下げた。
「最近この近辺であった火災について、話を聞けますか?」
受付の眉がわずかに動く。
「あ……それは……」
すぐに表情を整え、慎重に言った。
「申し訳ありませんが、情報閲覧の前に冒険者等級の確認が必要です。
該当資料はC等級以上の方のみ閲覧可能となっております」
三人は黙って、それぞれ装備の方へ手を伸ばした。
モネロはマントの端を少し持ち上げる。
内側で金色の円形バッジがきらりと光った。
アイラは腰紐に付けたバッジを指で示す。
光を受けて一度だけ瞬く。
ライネルは胸元の内側を探り、
小さなバッジを取り出してゆっくり見せた。
三つとも中央に「C」の文字が刻まれた、銀縁の円形印。
受付は慎重に視線を動かしながら、ひとつずつ確認した。
やがて頷く。
「確認いたしました。
皆さま、C等級でいらっしゃいますね」
彼女はカウンター下の小さなベルを鳴らした。
澄んだ音がギルド内に広がる。
しばらくして、奥から整った服装の職員が出てくる。
軽く会釈し、穏やかに言った。
「情報閲覧は私がご案内いたします。
こちらへどうぞ」
三人は案内に従い、静かな小会議室へ入った。
仄暗い照明の部屋。
机の上には書類が用意され、
椅子は思ったより柔らかい。
三人が腰を下ろすと、職員は扉を閉めて口を開いた。
「三日前。
ポエン村外縁に位置する小さな村が、全焼しました」
書類をめくりながら続ける。
「当初は単なる火災事故として報告されました。
ですが、状況が不自然だったのです」
短い沈黙。
「遺体の中に、ゴブリンの痕跡もありました」
アイラの眉がわずかに震える。
モネロは腕を組み、低く呟いた。
「やっぱり……」
職員は慎重に言葉を継いだ。
「ゴブリンの襲撃により、村の住民が被害を受けたのは事実だと見られています」
一度息を整え、さらに低く言った。
「しかし同時に……」
職員は書類の一行を指で示した。
「ゴブリンたちもまた、
何者かに身体を切断されたり、
胴を貫かれた痕跡を残したまま、全て死亡していたのです」
言葉を止めて、付け足す。
「大半は住民と同様、焼け焦げていました」
小会議室が一瞬、静まり返る。
ライネルが静かに問いかけた。
「つまり、ゴブリンも村人も……
全員、死んだ状態だったと」
「はい」
職員が頷く。
「現在も調査中で、
正確な加害者は判明しておりません」
職員は書類を一枚めくった。
紙の擦れる音が短く響く。
「……焼けた村で、
生存者は確認されませんでした」
アイラが恐る恐る聞き返す。
「一人も……救助されなかったんですか?」
「ええ」
職員は頷いた。
「初動で現場を捜索した冒険者がいましたが、
見つかったのは灰と……十三体の遺体だけです」
ライネルが眉を寄せる。
「記録上、その村には何人住んでいましたか?」
「合計十四名です」
書類を確認しながら答える。
「大人が八人、子どもが六人。
しかし遺体は十三体しか確認されていません」
モネロが低く言った。
「つまり……一人は行方不明ってことか」
職員は静かに書類を閉じた。
「最年少の少女。
その子だけが、最後まで見つかりませんでした」
アイラは唇をきゅっと結んでから、慎重に言う。
「もしかして……
焼けて、身元が確認できなかったとか……」
職員は一瞬、視線を落とした。
「もちろん可能性はあります。
ですが……」
顔を上げる。
「回収に当たった者の一人が、奇妙な記録を残しています」
三人の視線が一斉に職員へ集まった。
「村の最奥。
灰の山から少し離れた場所で……」
言葉を選ぶように、ゆっくり続ける。
「小さな足跡が、かすかに確認されたそうです」
ライネルが低く言った。
「じゃあ……
火災の後も、誰かが生きていたってことじゃないですか」
職員はゆっくり首を振った。
「断定はできません。
足跡は非常に薄く……
数日経ってからの収拾でしたので、
誰のものかは分かりませんでした」
短い沈黙。
ライネルが小さく呟く。
「それでも……
行方不明のその子の可能性は高い、ってことだ」
職員はまとめるように言った。
「こちらで把握している情報は以上です」
言葉を整え、付け足す。
「この件は、正式な調査人員がすでに撤収しています。
これ以上進展がなければ……
近いうちに『未解決事件』として扱われる予定です」
会議室の中に、しばらく沈黙が落ちた。
三人は言葉もなく、互いの顔を見た。




