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32. 三つの影(みっつのかげ)

ライネルとアイラは、しばらく互いを見つめ合った。

まだ実感が湧かないのか、手の中のCランクバッジをそっと見下ろしていた、そのとき。


アルゼンが静かに口を開いた。


「そういうわけで···」


視線がゆっくりとライネルへ向く。


「以前渡した王国冒険者協会のバッジ、まだ持っているか?」


ライネルは頷いた。


「はい。持っています」


アルゼンは微笑み、書類を取り出して広げた。


「なら、これを渡そう。

王都の学園入学のための推薦状だ。君たち二人の名前が記されている」


その言葉に、アイラが目を見開く。


「ちょっと待ってください!

私、そのバッジ受け取ってないんですけど!」


アルゼンは頷いて説明した。


「一行のうち一人が所持していればいい。

同伴推薦の場合、代表者のバッジだけ確認する仕組みでね」


アイラは困ったように頭を掻いたあと、結局小さく笑った。


「なんか悔しいけど···楽ではありますね」


短い笑いが、部屋の空気を少し軽くした。

緊張で始まった席だったが、終わりは意外にも柔らかい。


ギルドマスターが軽く手を叩いた。


「よし、それじゃ解散!

王都までの旅、楽しみにしてるぞ!」


いつもの調子のいい笑みを浮かべ、彼が先に扉を開けた。


アルゼンも静かに立ち上がる。


「準備の途中で疑問が出たら、いつでもギルド経由で連絡してくれ。

王都でまた会えることを願っている」


二人は軽く挨拶を交わし、会議室を出た。


扉が閉まって、ようやく

室内には静かな息遣いだけが残る。


推薦状を手にしたアイラは、ふと顔を上げた。

その瞬間、どこかにいるはずのイヴェラの顔がよぎる。


アイラは立ち上がった。


「イヴェラにも···この話、伝えに行かなきゃ」


その言葉に、ラケンがしばらく黙り込み、首を振った。


「必要ない。

イヴェラは···もう断った」


アイラは信じられない、というふうに目を大きくした。


「断っ···た? なんで···?」


ライネルも顔を向け、静かに問い返す。


ラケンは短く息を吐いた。


「それは···本人から聞いたほうがいい」


そう言って、彼が静かに身体を向け、扉へ歩こうとした瞬間。


ギルド本部の玄関が、そっと開いた。

あたたかな陽射しの中に、黒いマントの裾がゆっくり姿を見せる。


イヴェラだった。


アイラが反射的に息を呑む。


「イヴェラ···」


ギルドの中の空気は正午みたいに澄んで乾いていたのに、

三人の間には別の温度が、静かに流れていた。


イヴェラは壁に背を預け、少し沈黙した。

指先には、まだ手紙が一通握られている。


「···ジークの手紙。君たちも知ってるよね」


アイラがゆっくり口を開く。


「その中に···何が書いてあったの?」


イヴェラは一度目を閉じ、また開いた。


「そこには···

シェルタンの裏切りと、レジドの死の経緯が書かれてた」


「···そんなはずない」


ライネルが低く呟く。


イヴェラは静かに手を上げ、手紙の端を軽く叩いた。


「ジークは最後まで、組織を守りたかったんだと思う。

でも同時に、君たちにもこの任務がどれだけ危険か···

その先に何があるのか、知らせたかった」


イヴェラは、手紙をじっと見下ろした。


「最後まで迷ってたみたいだけど、結局決めたんだろうね。

手紙には···君たちが傷つかないように、って言葉もあった」


声は低く、静かだった。

それでも、一つ一つの言葉が重く残る。


「それと、もう一つ」


イヴェラの語尾が少し硬くなる。


「神殿調査の最初の書簡には『注意しろ』ってあった。

リスクが大きいから、接近は最大限慎重に――そういう内容。

レジドらしい、用心深い言い回しだった」


ライネルがゆっくり頷く。


イヴェラは続けた。


「でも次に来た二通目の書簡は、まるで違った。

今度は『積極的に調査しろ』って指示で、

まるで全部わかってるみたいな口調だった」


アイラが眉を寄せる。


「それが···シェルタンが送ったってこと?」


イヴェラは静かに頷いた。


「ジークの手紙を読んで、確信した。

一通目はレジドが送ったもので間違いない。

でもそれを送った直後···レジドは殺されて、

シェルタンがその座に座った」


イヴェラは一度息を整え、言い切った。


「二通目。

あれはシェルタンがレジドを装って送って、

私たちを危険な神殿へ引きずり込んだんだ」


「···」


「それに、あいつの正体はそれだけじゃない」


イヴェラの声に、押さえ込んでいた怒りが薄く混じった。


「『慈善神殿』の上にいる、本当の黒幕の下部組織。

シェルタンはその手先だった」


歯を噛み締めるように一度言葉を止め、また吐き出す。


「奴らはキメラ製造の材料を流して、

それで実験して···

私たちを何も知らない駒みたいに転がした」


目が冷える。


「何も言わずに。

利用して、用が済んだら捨てるつもりだったんでしょ」


黙って聞いていたライネルの表情が固まった。

瞳の奥で何かが、ゆっくりと持ち上がってくる。


「···俺たちを餌にしたってことか」


声は低く、飲み込んでいた怒りがはっきり滲む。


「危険だってわかってて隠したなら···

裏で実験結果を眺めてたってことだろ」


彼は歯を噛み、俯いた。


「···笑えない」


その隣で、アイラは両手をきつく握りしめた。

小さな手の甲に血管がうっすら浮く。


誰も言葉を継げず、短い時間が過ぎた。

窓の外を抜ける風が、やけに冷たく感じる。


ライネルがゆっくり顔を上げた。


「それで···お前はこれからどうするんだ?」


その問いに、イヴェラは一瞬視線を落とした。

短い迷い。

そして、顔を上げる。


「···私はここに残る。

組織を立て直すつもり」


アイラは息を止めた。


イヴェラは静かに続ける。


「外じゃ評判の良くない組織だけど、

私にとっては···生きる意味で、支えだった」


短い呼吸が漏れる。


「だから、まだここでやることがある。

それに···君たちとの冒険は、ここまで」


静かな言葉だった。けれど、揺らぎはない。


アイラは唇を動かしたが、結局何も言えなかった。

視線が一瞬揺れて、静かに落ちる。


ライネルも視線を下げ、ゆっくり息を吐いた。

その溜め息が、言葉にできない感情を代わりに運んだ。


そのとき。


イヴェラが、柔らかく――本当に初めて、笑った。


「···一緒で楽しかった」


どこか馴染みがあるようで、

今まで一度も見たことのない顔。


そっと心を下ろした人の笑み。

それがあまりに珍しくて、逆に強く焼きついた。


ライネルとアイラは同時に息を呑んだ。


イヴェラがそうやって笑うのを見たのは···初めてだった。


アイラは目元を軽く拭う。


「···私も楽しかった。

影の組織のことは、まだよくわからないけど···」


慎重だけど、真っ直ぐな言葉。

アイラは小さく笑って、付け足した。


「でもね。

イヴェラ、あなたは本当にいい仲間だった」


ライネルも静かに頷く。


「旅の途中で、たまに···手紙出す。

お前もちゃんと読んで、返事してくれ」


イヴェラはしばらく彼を見つめた。

言葉にしない感情が、瞳に残っている。


静かに、でも確かに。

彼女は頷いた。


約束という言葉がなくても、その頷きで十分だった。


短いけれど、確かな別れ。


イヴェラはそこに残り、

ライネルとアイラは黙って踵を返した。


ギルド本部の扉が、静かに閉じる。

外へ出た二人の襟元を、穏やかな風が撫でた。


言わなくてもわかった。

心のどこかで、一枚が静かに閉じた。



翌朝。


空は高く、澄み切っていた。

空気はやわらかく冷たく、冬の入り口みたいな風が襟をくすぐる。


ライネルとアイラは村外れで、見慣れた人々に別れの挨拶をしていた。


「気をつけて行けよ」

「王都でも名前売ってこい!」

「都会の飯も食ってこいよ〜」


言葉はぶっきらぼうでも、情がある。

アイラは手を振って明るく笑い、

ライネルも静かに頭を下げて応えた。


そのとき、聞き慣れた声がした。


「まだいたか。ちょうどいい」


ギルドマスターだった。


いつもののんびりした顔で、折りたたんだ地図を持って近づく。


「王都までの道を説明もせずに送り出すわけにゃいかん」


ギルドマスターは慣れた手つきで地図を広げ、

二人はその前に並んだ。


指先がゆっくり地図をなぞる。


「ここから休まず真っ直ぐ歩けば···一か月ってところだ」


「一か月?!」


アイラが目を丸くして聞き返す。


「そうだ。結構かかる。

だが今は十一月だろ。王都の学園は、二月末から本格的に動く。

つまり、三か月くらい余裕があるってことだ」


地図の端を指で軽く叩き、付け足す。


「ただ、気をつける場所もある。

ここ、キネボン雪山の南側。

十二月中旬からは雪が強くなる。通るなら防寒をしっかりな」


「うげ···」


アイラが肩をすくめて呟く。


「都会に行くのも簡単じゃないね、ほんと」


ギルドマスターは笑って頷いた。


「途中に村もいくつかあるし、依頼所も点在してる。

無理せず一日二日休みながら、依頼も受けて旅費も稼げ。

ゆっくり進むのがいい」


ライネルは地図を静かに見つめ、頷いた。


「そのほうが良さそうですね。

移動しながら経験も積めますし」


「そうだ」


ギルドマスターはニヤリと笑い、軽く手を叩いた。


「何事も計画が大事ってわけよ」


その瞬間、

背後から見慣れた気配が近づいてきた。


「旅に仲間が一人くらい必要じゃないか?」


ラケンだった。


「ラケン?」


ライネルが振り向く。


ラケンは頷き、顎で自分の後ろを示した。


「だから連れてきた」


後ろから、小さく、もじもじした足音。

やがて、がっしりした肩と疲れの残る顔が見えた。


日に焼けた肌、鍛えられた体格。

典型的なモンク系の冒険者。

緩い袖口の下から太い腕が覗き、

ぎこちない歩き方の奥にも、鍛錬の重みがあった。


ライネルは目を細めて、短く溜め息をつく。


「なんだ。今日も絡みに来たのか?」


モネロはびくっとして目を逸らした。


「そ、その時は俺がガキだったっていうか···とにかく、悪かった」


気まずそうに頭を深く下げる。


その言葉を受けて、ラケンが代わりに説明した。


「お前らが神殿の件を片づけたのを見て、結構ショックだったらしい。

自分より低いランクのやつらがあれだけやるのが···悔しくもあったってな」


モネロが慌てて顔を上げた。


「ほんとだ。

だから俺も···もう一回、ちゃんとやってみたくなった」


ライネルは片手で額を押さえた。


その隣で、アイラが笑いながら言う。


「ねえ、ライネル。

神殿で怪我した時、背負って出たの···モネロだったよ」


ライネルの眉が少し上がる。


「···は?」


アイラは頷いた。


「ほんと。

口は悪いのに、意外と面倒見いいっていうか」


ライネルはしばらくモネロを見た。

もじもじ立っているその姿は、確かに前とは違って見える。


ラケンも付け足した。


「こいつ、昔王都に長くいた。

王都はお前らにはまだ未知だろ。生活でも依頼でも、助けになる」


ライネルは目を細め、もう一度溜め息を吐いた。

そして肩を少しすくめて呟く。


「···わかった。一回だけ信じる」


モネロは目を丸くして、何度も勢いよく頷いた。


「ほんと?! 俺、マジで頑張る!」


こうして、思いがけない仲間が増えた。


三人は地図を一枚広げ、

小さく笑いながら荷を背負う。


次の村は遠くない。

新しい依頼、新しい旅。


冬の入り口の風が、三人の襟をそっと揺らした。


道の上、

三つの影が並んで長く伸びていく。


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