30 終焉の残響(しゅうえんのざんきょう)
ゴォォォォォン!!
爆発的な魔力の残滓を撒き散らし、巨大な影が空を裂いた。
赤い夕陽の下、血に濡れたシルエットがそのまま大地を踏み潰す。
ドン!!
翼の裂けた獣みたいに、アルガスは廃坑近くの荒野へ乱暴に着地した。
地面がえぐれ、土煙が遅れて舞い上がる。
全身は血まみれだった。
肉の隙間からせり上がる鉄片みたいな皮膚が、腕と胸で歪んでいる。
背に半分だけ広げていた昆虫型の翼は、透明に震えたあと、だらりと垂れた。
息を吸うたび、吐息に火花みたいな破片が混じって散る。
痛みが、呼吸に絡んで漏れた。
「···う、うぅ···」
アルガスは片膝をつき、地面へ手を突いた。
指先から漏れた魔力が土を割り、亀裂が四方へ走る。
ここは神殿とはまるで違う。
荒れ果てた廃水域。かつて鉱山として使われ、捨てられた——今は誰も寄りつかない死んだ土地。
そして、誰かが意図的に魔力波動を沈めておいた場所。
「···俺が··· なぜ、ここ···」
言葉は滑らかにならない。
記憶が途切れたみたいに、輪郭が薄い。
赤い目。
血に濡れた手。
切断された神殿の内部。
そして···
サッ。
風もない闇の中で、何かがごく僅かに揺れた。
音はない。
それでもアルガスは感じた。誰かがいる。
「···誰だ」
声が低く割れる。声そのものが鉄片を引っ掻くように荒い。
その瞬間。
「おい、落ち着け。血も乾かないうちに、また誰か殺す気か?」
能天気な声。
影の間から、一人の男がのんびり歩み出た。
人の歩みにしては妙なほど静かで、闇が彼を包んでいるようだった。
黒いマント。
肩には乾ききった血痕。
そして胸元から覗く、赤い金属のペンダント。
蛇が剣を巻き付けた意匠。
“影の組織”の長を示す金属印。
男は乱れた髪を掻き上げ、笑うように言った。
「いやぁ··· こんな近くで見るのは初めてだな」
その目に恐れはない。むしろ興味が先に立っている。
「お前、アルガス。そうだろ?」
その名に、アルガスの視線が鋭く光った。
「···誰だ」
男が肩をすくめる。
「シェルタン。シェルタン・ヴォルフェストってとこだ」
彼はペンダントを指の間でくるりと回した。
「お前を呼び出したあの気味悪い実験室より··· 俺はもう少し“面白い”仕事をしてる」
アルガスが僅かに身を起こそうとすると、シェルタンは掌を見せた。
「おいおい。今ここで飛びかかったら、お前も損だろ。
今の状態、分かってんだろ?」
「···黙れ」
「そう、その顔。ちょうどそれ」
シェルタンは笑いを飲み込むように、口元だけ上げる。
「これからのお前の動き、結構楽しみなんだよ」
彼は肩越しに首だけ振った。
「じゃ、またな」
言い終えると、シェルタンの輪郭が影へ溶けた。
最初からそこにいなかったみたいに。
残ったのは、短く漂う——毒みたいな魔力の残滓だけ。
アルガスはしばらく、その場を見つめた。
そして、ごく小さく呟く。
「···シェルタン」
バキッ。
指先で、また不安定な魔力が弾けた。だが今度は無理やり押さえ込んで止めた。
瞳が揺れる。
身体のどこかで、何かが“流れている”感覚がせり上がってきた。
◇
「爆発だったって?」
「らしい。神殿の一部が完全に崩れたってさ」
「魔力暴走だとか··· 本当か? あんな規模で?」
村のあちこちで、低く抑えた声が広がった。
語尾には不安が絡んでいる。
その不安を押し潰そうとする声も、すぐ続いた。
「今回の事故は、神殿内部で発生した“魔力不均衡反応”による崩壊です」
ギルドの広報が、魔法拡声陣を通して淡々と言い放つ。
「原因は古代魔法陣の不安定な構造。神殿側とギルドは既に復旧手続きを進めています」
息も切らさず、言葉が続く。
「民間人の被害はありません。
ご心配なさらず、各自の日常を維持してください」
だが村人の視線は、簡単にはほどけなかった。
「民間人の被害がなくても、神殿が丸ごと壊れたんだぞ?」
「何か隠してる。単なる事故じゃないはずだ」
囁きは収まらない。
子を抱く女も、酒場の前にしゃがむ商人も、
説明できない違和感を、はっきり感じていた。
◇
ラケンは報告のため、ギルド本部へ向かった後だった。
その穴を埋めるように、瓦礫を見つめていたアイラが静かに言う。
「ギルドは静かに蓋をするだろうね。真実が広まったら村がひっくり返る」
イヴェラは唇をきつく結んだ。
彼女も分かっている。今必要なのは真実より“安定”だと。
だが——
「この規模で··· 逆に何もない方が不自然」
イヴェラは独り言みたいに呟き、崩れた廊下の奥を見据えた。
アイラが不安げに周囲を探る。
「まさか··· 神殿の中に、まだ何か残ってるとか?」
短い沈黙が落ちる。
イヴェラはゆっくり頷いた。
「···可能性は十分ある」
そのとき。
神殿の外、薄い風を切って空の縁からフクロウが一羽降りてきた。
羽毛は灰色の霞みたいに淡く、瞳は印章みたいに銀色に光る。
フクロウは正確にイヴェラの頭上を旋回し、静かに舞い降りた。
イヴェラは迷わず手を伸ばし、書簡を受け取った。
紙を開いた瞬間、表情が固まる。
瞳が揺れ、唇が薄く引き結ばれた。
「この件··· 影の組織と関係してるかもしれない」
アイラが息を呑む。
「え? まじで? 確かなの?」
イヴェラは答えず、もう一度書簡を見下ろした。
手の中の紙は、もう半分くしゃっと潰れている。
「···組織が妙に動いてる。私が直接確かめる」
「一人で?」
アイラの声に、押し殺した怒りが混じる。
「私たち三人で動くのが原則じゃなかった?」
「分かってる」
イヴェラの視線は揺れない。
「ライネルは、あなたに任せる」
アイラが息を詰めた。
「そんな言い方したら··· もう二度と会えないみたいじゃん」
イヴェラは一瞬、口を閉ざした。
それから一歩近づき、アイラの肩に手を置く。
「帰ってくる」
短い言葉。だが指先に力が込もっていた。
その瞬間、神殿の深い方から魔法陣の微細な震動が鳴った。
アイラが反射的に顔を向けた時、
イヴェラはすでに書簡に仕込まれた転移魔法陣を発動していた。
白い閃光。
イヴェラの輪郭が、一瞬で空間から消える。
アイラはその場をしばらく見つめ、唇を噛んだ。
「···何でも一人で背負う。あの性格、いつ直すの」
◇
神殿深部、南西通路の突き当たり。
床には微かな金属粉が散り、その上に薄い足跡が残っていた。
空気が、薄く震える。
誰かが、ついさっきまでそこにいた痕。
アイラは崩れた柱の脇にそっと膝をついた。
倒れたライネルの身体へ手をかざす。
指先からエメラルド色が静かに滲んだ。
回復魔法が少年の傷へ、ゆっくり染み込む。
ライネルの呼吸は一定。
額には冷や汗が粒になっている。
「大丈夫··· もう少しだけ我慢して」
アイラは絡んだ髪をそっと払って、
ごく低く言った。
「今は··· 私が支える」
その時だった。
「おい」
濃い影の間から、低く荒い声がした。
アイラが顔を上げる。
「あなた··· モネロ?」
無言で近づいたモネロは、倒れたライネルをしばらく見つめ、ゆっくり膝をついた。
そして慎重に少年の身体を抱え上げる。
「とりあえず、ここから出るぞ」
口調は荒く無愛想。
なのに手つきは妙に丁寧だった。
アイラがそれを見て、小さく笑い混じりの息を吐く。
「···意外」
モネロは振り向きもせず返す。
「雑に扱える状況じゃない」
「それはそう。けど言い方は荒いのに、動きが真逆で驚く」
「口を動かし続けるなら、ほんとに置いてくぞ」
「ほんとに?」
「そうだ。床に」
アイラがくすっと笑う。
「分かった。大人しくついてく」
モネロは黙って先に立った。
崩れた廊下を一歩ずつ慎重に抜け、神殿の外へ向かう。
その短い間が過ぎた頃、神殿の奥でまた微細な震動が鳴った。
◇
神殿の外、崩れた外壁の近く。
倒れた柱と散った破片の間で、ギルドの後続隊が慌ただしく動いていた。
「回廊の封鎖完了。瓦礫撤去も半分以上終わりました」
「魔法陣の復旧は?」
「···全損です。回路が溶けて、中心刻印は完全に崩壊してます」
「は··· 予想通りだな」
ラケンは額の血を手の甲で拭った。
現場を走査する視線は、一瞬も緩まない。
不完全な刻印。
弾けた回路線。
壁の奥まで食い込む燃焼痕。
そのとき。
バキッ。
空中に魔法印が展開し、空間が裂けるように割れた。
蒼白い灰色の魔法陣の中から、一人の人物がゆっくり姿を現す。
白いローブ。
肩と袖に沿って赤い魔力刻印。
腰元には王国魔術師協会の紋章が整然と下がっていた。
王国魔術師協会・高位調査官。
アルゼン・アスマイル・ポニテ。
アルゼンは崩壊現場を見回し、淡々と言う。
「報告は受けた。
この地域で異例の波動が観測され、同時に記録にない構造の魔法痕が残っている、と」
言い終えたアルゼンがラケンへ手を差し出した。
「久しぶりだな、ラケン君」
ラケンも無言でその手を握り返す。
王都の頃。短いが、剣と魔法を並べて構えた日々が、握手の向こうでかすめた。
ラケンが崩れた外壁の奥を指す。
「魔法陣と魔導具は、ほぼ破壊状態です。
中心回路は溶け、魔力残滓は一定しません」
アルゼンは頷き、床の刻印の残骸へ視線を落とした。
「外形は魔力増幅装置に近いが··· 波動の流れが単方向ではないな」
彼は指先を開き、空気中に漂う魔力残滓をゆっくり集めた。
荒れ狂うエネルギーはない。
代わりに濁って揺れ、押し付くように残っている。
アルゼンはその中で最も濃い波動を掴むように握り、静かに分解して散らした。
「···事故で片付けるには、筋が通り過ぎている」
崩れた回廊を一瞥し、低く付け足す。
「協会上級会議に即時上げる。単純な調査では終わらない可能性が高い」
そしてラケンへ向き直った。
「その前に、ここへ派遣された人員と神殿関係者の名簿。全部押さえてくれ」
ラケンは一度息を整え、頷く。
「···ライネル」
短い一言。
だがその名の重さが、ラケンの眼差しに濃く残っていた。




