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3.ライネル

「このままじゃ、制御を失うのも時間の問題だ」


教団長は無表情のまま、彼を見下ろした。


白い寝台の上に、オルタが横たわっている。

気を失った状態で、装備はすべて外されていた。


副教団長が、慎重に口を開く。


「廃棄···なさいますか?」


教団長は視線を逸らさぬまま、低く答えた。


「言ったはずだ。これは失敗作ではない。

使えるなら···壊れたままでも、最後まで使い切る」


教団長の指が軽く弾かれた。


タッ。


その音と同時に、重い鉄扉がゆっくりと開く。


黒いローブをまとった教団技術者たちが、無言で姿を現した。

彼らが押してきた台車の上には、新しい魔導具一式が静かに載せられていた。


以前のものよりはるかに大きい。

義手を嵌めるように、身体へ直接“移植”する方式で設計された装備だった。


コアは半透明の魔力結晶。

金属のフレームはそれを中心に精密に組まれ、

表面には目視できないほど微細な制御刻印が、隙間なく刻まれている。


赤い魔力は一定の流れに従わなかった。

生きた神経のように不規則に揺らめきながら、機構の内側を循環していた。


その中のひとつ。

オルタの首に装着される制御具は、禁呪級魔法――『洗脳』が刻まれた装備だった。


装置の表面には、古い魔法言語の文字が、淡く光っている。


意志抹消

記憶封鎖

感情抑制


ただ命令を流し込む道具じゃない。

存在の根から削り落とすための装置。


副教団長が小さく息を呑む。

教団長は揺るがず言った。


「これからこの子は、

『自我』という厄介な障害物なしで動く」


魔法陣が静かに光り始めた。

赤い刻印がゆっくり回転し、

オルタの首に装着された制御具と接続される。


冷たく滑らかな金属が皮膚に触れた瞬間、

彼の呼吸が、ほんのわずかに揺れた。


意識はない。

だが、身体の奥に残っていた感情の残滓が、

拒絶反応みたいに波立ち始めた。


その瞬間、

洗脳の魔法が、体内の深部へ注入されていく。


ヒイィン···


寝台の下に敷かれた魔法陣が、鋭く鳴り始めた。


定められた順に収まるはずの刻印が震え、ズレ始める。

赤い線が絡み、捻じれていく。

中心部では小さな閃光が、何度も瞬いた。


「刻印が揺れてます!」

「計測が合わない! 中から何かが跳ね返してる!」


制御魔力の注入は続いていた。

だが逆方向から、

オルタの内側で溢れた感情の欠片が、無意識にぶつかり合っていた。


空間が押し潰され、

術式が割れる。


魔力の均衡が崩れていく。


そして――その時。


赤い火花みたいに弾けた魔力がひとつ、中心部の刻印を引き裂いた。


「なんだ!」


赤い閃光が炸裂した。

空気が裂け、魔力が暴走する。


中心から広がった力が、壁も装備も粉々に吹き飛ばした。


悲鳴は――

口を開くより先に途切れた。


肉体は裂け、

不安定な魔法陣は、歪んだ音を残して崩れ落ちる。


すべては···

たった十秒足らずで終わった。


砕けた祭壇。

崩れた壁。

血と魔力の痕だけが残っていた。


その中心、白い寝台の上。


静かに倒れている、小さな子。


オルタは···

何事もなかったみたいに眠っていた。



どれほど時間が経ったのか。


廃墟は、まだ沈黙のままだった。

崩れた祭壇へ、埃がゆっくり降り積もり、

煤けた壁面は冷えきっている。


暴走した魔力は収まっていたが、

空気の中には、まだ残留魔力が漂っていた。

少年の暴走が残した痕跡だ。


その時、

森の向こうから落ち葉を踏む足音が聞こえた。

気配を隠した、慎重な動き。


誰かが、廃墟へ近づいてきている。


「ここだ。報告の位置と一致する」

「さっきの魔力反応、想定より強かった。しかも···爆発があったみたいだな」


鬱蒼とした森を抜け、

黒いマントを羽織った四つの影が、廃墟の前に現れた。

王国南部に配置されていた、熟練の冒険者たちだった。


少し前、

『黒太陽教団が子どもを生贄にした』という通報が入った。

そして生き残りがいるという話に、

王国は即座に派遣隊を動かした。


剣士が手を上げると、

後方の魔法使いが探索魔法を展開した。


「生命反応···二箇所。

ひとつは北東の通路の奥。

もうひとつは、祭壇側の中心部だ」


彼らは通路の奥、監禁区画の扉をこじ開けた。


埃と血の匂いが混じる暗い空間。

三人の子どもが、身を縮めて震えていた。


意識はある。だが言葉はない。

子どもたちは小さく頷くだけで反応した。


「通報じゃ、この三人で全部だった。

なら···祭壇の方にいる一人は誰だ?」


彼らは祭壇へ向かって、慎重に足を進めた。

そしてすぐ、一人の子を見つける。


崩れた祭壇の真ん中。

粉々になった装備の隙間で、

静かに横たわる、小さな身体。


白い髪。青白い肌。

周囲には、引き裂かれた拘束魔導具の破片が散っていた。


「···この子は···」


魔力抑制装備の痕が、雑に残っている。

白い髪と青白い顔は、他の生存者とは明らかに違った。


「···一人で祭壇の中心にいた。

拘束の痕もあるし···生贄にするつもりだった証拠だろ」


「それで魔法が暴走して···術者が全滅?」

「狂った教団め。子どもを捕まえて召喚儀式をやって、失敗しただけだ」


冒険者の一人が拳を握り、低く言う。


「結局、自分らがやった生贄儀式で、自分らの手で死んだってわけか。

残ったのは···生贄にされかけた子が一人。たったそれだけ」


別の冒険者が、周囲に散った魔導具の破片を覗き込んだ。


砕けた金属片には、赤い制御文字が裂けたまま残り、

片側には焼けた跡が黒くこびりついていた。


赤い線は不規則に歪み、

絡んだ形は、切れた神経みたいに複雑にねじれている。


「···この魔法装置、暴走したってことでいいんだよな?」


彼は破片を置き、首を振った。


「とにかく救出が先だ。確認は後にしよう」


冒険者たちは頷いた。

四人の子どもは慎重に抱え上げられ、廃墟の闇から連れ出された。


現場に残っていた教団の残党とは交戦の末、全員排除。

現場封鎖。

その後、本拠へ帰還した。



数日後。


子どもたちは、サンティア王国南部にある施設へ移送された。

名は『セレン・リアン保育院』。


静かで、人里離れた丘の上。

素朴な石塀と、古い木の屋根。


ここは数十年にわたり、戦争や魔力災害で居場所を失った子どもを

保護してきた民間の治療施設だった。


外から見ればただの保育院。

だが実際は、強制実験や魔法儀式、生体実験など――

極端な状況から救出された子どもが、時折ここへ送られてきた。


運営は、地域の名家が担っていた。


高い塀と広い庭。

外壁の色は褪せていたが内側は整えられ、

窓ごとに白いカーテンが、風に柔らかく揺れていた。


子どもたちの多くは口数が少ない。

決まった時間に食事をし、

昼は作業療法や静かな遊びで感情を落ち着かせた。


そこは静かな安息の場であり、同時に

『傷ついた子どもたちの最後の停留所』でもあった。


オルタも、抵抗なくその流れに混ざっていた。

身体は弱く、意識は曖昧で、

武器や魔法の痕は残っていない。


「この子···他の子より、ずっと静かですね」

「どんな目に遭ったのかしら···胸が痛いわ」


彼がどんな過去を持つのか、知る者はいない。

オルタはただ、呼吸している子どもの一人にしか見えなかった。


保育院は静かだった。

田舎の村の片隅、古びているが温かい場所。


オルタは救出された子どもたちの中で、何も言わずに日々を過ごした。


見知らぬ天井。見知らぬ布団。見知らぬ匂い。

自分がどこにいるのかも尋ねず、

ただ息をしているだけだった。


そこで彼は初めて、

『待つ』という感覚を知った。


白い天井を見上げながら、

心の中で、とても静かに思う。


『···俺は、何をすればいい?』


その問いは、胸の奥で小さく――それでもしつこく鳴り続けた。


時間は静かに流れた。



そんなある日、

彼はふと、空腹を覚えた。


その感覚は見慣れなく、ぎこちなかった。

記憶の底に薄く残っていたものかもしれないし、

あるいは···生まれて初めて味わう感情にも思えた。


身体が重い。

腹の中が空っぽだ。

何かが抜け落ちたまま、長く放置されたみたいな感覚。


そして初めて、

『何かを食べたい』という考えが浮かんだ。


以前は、そんな必要がなかった。

オルタの身体は、魔力によって他者の生体エネルギーを吸い上げ、維持されていたからだ。


だが今は違う。


そのやり方は、もう存在しない。

彼の身体はただの子どもの肉体として、

ゆっくりと――人間らしく反応し始めていた。


オルタは静かに食堂へ向かった。

裸足で廊下を渡り、

隅のテーブルに腰を下ろす。


トレーの上には、パンとスープが残っていた。

他の子どもたちは、もう食事を終えて席を立った後だ。


その瞬間、

胸の奥から、何かがこみ上げた。


感情だった。

ひどく本能的な渇望。


食べたい。

生きたい。


彼は手も拭かぬままパンを掴み、

夢中で口に運び始めた。


食堂を片付けていた職員が、黙って彼を見てから、

小さな声で言った。


「···すごく、お腹が空いてたのね」



数日後。

食事の時間の合間に、ひとりの子が訊いた。


「ねえ、名前は?」


軽くて無邪気な問いかけだった。

だがオルタは答えられなかった。


口にした瞬間、

何かが壊れる気がする。

理由のわからない恐怖が、胸の奥から湧いた。


オルタは何も言わず、静かに顔を背けた。


数日後。


保育院の院長が、トレーを片付けながら、

そっと彼の隣に腰を下ろした。


手には小さな紙片がある。


彼女は少し笑って、それを差し出した。


「あなたが言わないからね。

私たちでひとつ、考えてみたの。気に入ったら使っていいよ」


紙には、整った字で書かれていた。


『ライネル』


オルタは、その文字を黙って見つめた。


すると院長が、柔らかく説明する。


「『ライネル』は古い言葉で、“細い光”っていう意味なの。

闇の中でも、最後まで残る···

かすかな希望」


一拍置いて、彼女は最後に付け足した。


「どんな過去があっても、

今ここでは···

あなたも、あなた自身として生きていいのよ」


オルタはゆっくり、紙を握った。


瞳が一瞬だけ、かすかに揺れる。


そして、口を開いた。


「···ライネル···」


外へこぼれた声は小さく静かだった。

けれど確かに、それは自分で吐き出した最初の名だった。


少年にとって『オルタ』は、

誰かに押しつけられた烙印だった。


でも『ライネル』は···

初めて、

自分に“渡された”ものだった。


彼は思う。


今この瞬間、

俺は、誰として生きるんだろう。



数日が過ぎた。


ライネルは相変わらず口数が少なかったが、

他の子どもたちと一緒に、外の遊び場へ出て座るようになった。


ボールを投げ合ったり、

パンを分けたり。

その程度なら、慎重にできるようになった。


けれど時々、

ふいに脳裏をよぎる光景があった。


小さく温かい手。

光を含んだ柔らかな髪。

そして最後に、こちらを見ていた瞳。


それが掠めるたび、

胸のどこかが静かに崩れていく。


その感情に、どんな名前があるのか。

彼にはわからない。


ただ、耐えられないほど

息苦しくて、痛かった。


その日の夕方。


食事を終えたライネルは、小さな勇気を出して、

院長室の前に立った。


そっと手を上げ、ノックする。


トン、トン。


中から柔らかな声が返ってくる。


「入っておいで」


ライネルはゆっくり扉を開け、中へ入った。


部屋の中は静かだった。

まだ少し光の残る窓辺。

机の前に、一人の女性が座っている。


柔らかな微笑み。

穏やかな眼差し。


保育院の院長が顔を上げ、

彼を見て温かく問いかけた。


「どうしたの、ライネル?」


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