28. 最強のキメラ(さいきょうのきめら)
青い魔法陣の上。
巨大な石棺が、静かに割れた。
その中から姿を現した存在は、たしかに人の形をしていた。
だが
決して人間とは呼べなかった。
青白く光る皮膚は金属のようになめらかで冷たく、
筋骨隆々の肉体は荒い息を吐きながら、かろうじて均衡を保って立っている。
その動きは「生きている」というより、「稼働している」に近かった。
最初、目は空っぽだった。
しかし、やがて青い光がゆっくりと滲み、
その奥に、かすかな生気が宿りはじめる。
「···目覚めたか」
高位司祭が息を殺して呟いた。
そして石棺へ手を伸ばし、断固として言い放つ。
「アルガスよ。
お前の力を試す。
目の前の少年、ライネルを制圧しろ!」
だが。
アルガスは動かなかった。
彼はゆっくりと眼球を巡らせ、魔法陣の周囲を見渡した。
その視線が向いた先は、ライネルではない。
配置されたキメラの群れ。
「···命令を無視するだと?」
高位司祭の声が、一拍遅れて震えた。
シュッ。
その瞬間、一体のキメラの首が飛んだ。
同時にアルガスの身体が影のように滑り込む。
時間が途切れたかのような戦場で、二体、三体。
キメラたちが、砲撃を受けたみたいに順番に粉砕された。
腕が裂け、甲殻が砕け、内臓が飛び散る。
残酷なほど正確な殺戮。
「···何だ。なぜ制御が···」
高位司祭が歯を食いしばる。
「止まれ! やめろ!」
アルガスは振り返らない。
血をまとったまま、次の標的を探すように首を回した。
その視線が向いたのは、
実験空間の隅、隠された構造壁。
下位司祭の一人が目を見開いた。
「···魔力中継石? まさか···!」
ドン!
アルガスが突進した。
巨大な拳が壁を貫く。魔法装置が鼓膜を裂く音とともに崩れ落ちた。
クァアアアン!!
中核の中継機。
キメラ再生システムの心臓部が、一瞬で叩き潰された。
クァン!!
まるで心臓が止まったみたいに、空間が短く沈黙した。
高位司祭が低く吐き捨てる。
「···こいつは、ただの実験体じゃない」
その瞬間。
上層の魔力蓄積石の一つが、粉々に砕け散った。
パチパチッ!
空間全体の魔法回路が揺らぎ、次々とエラー音を吐き出しはじめる。
ウィイィン···
ピィィッ!
精製された流れが、歪みはじめていた。
『魔力流動エラー検知。再生回路一部停止。』
静寂。
血の滴を含んだアルガスが首を回す。
その視線の先には、血まみれのまま床に倒れた少年がいた。
ライネル。
「···お前も、目障りだ」
声は、古い鉄板を引っ掻くみたいにざらついていた。
感情は乗っていない。冷たく、ただ「判定」だけが下される。
ライネルはまだ身体を起こせず、荒い息を吐く。
だが指先だけは、先に動いた。
『念動—浮遊』
青い光が指先から広がる。
砕けていた感覚が噛み合い、途切れていた呼吸が少しずつ繋がる。
シィィッ···
波動が体内を貫き、均衡が戻っていく。
「···よし」
ライネルが歯を食いしばった。
「まだ戦える」
彼はゆっくりと身体を起こした。
瞳に恐れはない。残っているのは、戦う覚悟だけだった。
アルガスが近づいてくる。
無音の足取り。
巨大な肉体が一歩踏み出すたび、床がかすかに震えた。
ライネルは腕を伸ばした。
その瞬間、実験場の床に散った残骸が震え、浮かび上がる。
金属片。
砕けたキメラの骨片。
鋭く折れた刃。
すべての残骸が、ライネルを中心に回転しはじめた。
ヒュイィン··· ヒュイィン···
『念動—配列』
空中の残骸が形を持ちはじめる。
金属片は剣となり、骨片は槍となり、鋭い破片は斧のように角を立てた。
異なる殺傷武器がライネルの周囲を巡り、陣形を組む。
「行く」
ライネルが短く吐き、腕を振り下ろした。
シュッ!
数十の念動武器が一斉にアルガスへ撃ち出される。
クァン! ドン! ドン!
空を裂く連続の爆音。
鋭く正確に、一切の迷いもなく。
だが。
ガン!
ガン!!
ガン!!!
すべて弾かれた。
アルガスは微動だにせず、素手で攻撃をいなす。
一つを掴み取ると、そのまま握り潰した。
「···くそ」
ライネルが歯を食いしばる。
もう一度破片を再配置しようとした、その瞬間。
クァン!!
アルガスが突進した。
一瞬で間合いを詰め、巨大な腕をライネルの腹へ叩き込む。
ライネルの身体が反射的に折れた。
『念動—排斥』
ブォォォン!!
空気が揺らぎ、エネルギーが拡散する。
衝撃の一部を逃がした。だが、それだけでは足りない。
バキッ!
ライネルの身体が後方へ飛び、実験場の壁に叩きつけられた。
視界が揺れた。
息が、一気に抜ける。
それでも。
「···まだだ」
ライネルが血を飲み込み、身体を起こした。
「終わってない」
震える指先。
再び破片が浮かび上がる。
『念動—配列』
今度は、もっと速く、もっと冷たく。
シュッ!
破片の一つが形を変え、飛び込んだ。
ブスッ。
アルガスの肩を貫いた。
血が跳ねた。
ライネルの視線が、ほんの少し揺れる。
「当たった。初めて···」
だがアルガスは止まらない。
腕を振って破片を弾き飛ばし、再び突進した。
クァン!!
ライネルは念動で身体を捻り、ぎりぎりでかわす。
床が鳴った。胸の奥が揺れた。
「···はぁ··· はぁ···」
瞳はなお、青く光っている。
そのとき。
上層から高位司祭の叫びが降ってきた。
「何をしている!
早く除去しろ!」
ライネルの眉がわずかに動いた。
上から、誰かが「操作」している——その確信が刺さる。
『念動—拘束』
空気中に見えない実線がアルガスへ伸びる。
拘束、結束、圧縮。
シュシュシュ!!
腕、脚、胴。
全方位から実線が絡みついた。
「う··· あ···!」
アルガスが抗うと、実線が震えた。
バキッ!
一本が切れる。
だが。
ライネルはもう次の手を打っていた。
『念動—投擲』
シュウゥゥン!!
破片の一つが、正確にアルガスの腹を貫いた。
血が散る。
「今だ」
『念動—放出』
クァン!!
巨大な衝撃波。
アルガスがそのまま壁へ弾き飛ばされた。
壁に亀裂が走り、上層の回路が揺れた。
アルガスが身体を起こす。
スッ。
腹の傷がゆっくり、だが確実に塞がりはじめる。
銀色の魔力が染み込み、まるで「縫合」するように肉と金属の境目を繋げていく。
「···再生するのか」
ライネルが息を吐きながら言う。
『念動—配列』
今度は網の形。
戦闘中に漂う粒子、残骸の欠片、伝導した魔力を編み、
一つの格子構造にする。
『念動—拘束』
シュシュシュ!!
空中で網が閉じる。
アルガスが掛かった。張り詰めた魔力の糸。
『圧縮—強化』
一本一本に魔力が乗り、締め上げられる。
機械が軋むような摩擦音。
バキッ!
左腕を縛っていた糸が切れた。
だが。
もう遅い。
ライネルは散らばったキメラの破片を集め、巨大な塊へ圧縮した。
シュッ!
一直線に飛んだ塊が、そのままアルガスの身体を貫いた。
バキッ!!
銀色の魔力が逆流し、火花が散った。
その直後。
『念動—放出』
クァアアアン!!
実験場が再び揺れた。
ライネルは衝撃に押され、壁へ弾き飛ばされる。
息が切れそうだった。
血を吐き、彼は膝をついた。
全身が悲鳴を上げ、視界は徐々に滲む。
(···身体が、ついてこない)
それでも彼は目を閉じ、また開いた。
まだ、魔力が残っていた。
「···もう一回だけ」
アルガスはのろく近づいてくる。
無表情な顔。
血に濡れた腕。
ドスン、ドスン。
大地がその重みで震える。
ライネルの前で立ち止まったアルガスが腕を上げた。
「···死ね」
その瞬間。
パッ。
ライネルの手首に嵌まった赤い腕輪が、強烈な光を放った。
赤い光が広がり、周囲の空気がゆっくりと染まっていく。
「···何だ」
アルガスの瞳が揺れた。
動きが、ほんの一瞬止まる。
上層で司祭たちの叫びが弾けた。
「何が起きた!?」
「投影石の反応が急変! 信号不明!」
赤い腕輪の光が「心臓」みたいに脈打つ。
そして。
ゴン。
赤い気配がアルガスの額に触れた瞬間、全身が固まった。
「···この感覚は···」
頭の中へ、見知らぬ形が押し寄せた。
白いローブの女。
腰まで届く髪。
澄んで落ち着いた瞳。
彼女が手を伸ばす。
次の瞬間。
「ぐあああああああっ!!」
アルガスが叫んだ。
頭を抱え、よろめいて後退する。
クァン!!
実験場の壁が砕けた。
下位司祭が悲鳴を吐く。
「実験体の精神が崩壊しています!」
【波動不安定】
【神経接続崩壊検知】
高位司祭が歯を食いしばった。
「···これは、想定外だ」
ライネルは赤い腕輪を見下ろした。
赤く光る表面。
手首を伝ってくる妙な熱。
(···この腕輪が、俺を守ったのか?)
ライネルが顔を上げる。
アルガスはまだ、精神を繋ぎ止められないままふらついていた。
その瞬間。
ライネルの瞳に青い光が閃いた。
「···好機だ」
アルガスが咆哮し、魔力を噴き上げた。
バキッ!!
床が割れ、実験場が揺れる。
だが中心が崩れていた。
腹の傷は完全には塞がっていない。
銀色の魔力が逆流している。
ライネルは呼吸を整え、手を上げた。
『念動—圧縮』
空中の破片をすべて集める。
石片、鉄片、骨片。
一つに圧縮した重い塊。
「今だ!」
シュッ!!
放つ。
狙いは正確に、アルガスの傷口。
クァン!!
直撃。
パチパチッ!!
内部回路が火花を散らして暴走した。
魔力が絡まり、再生回路が崩壊しはじめる。
「ぐっ、ああああああ!!」
アルガスが身を震わせ、後ろへよろめいた。
赤い腕輪は、まだ光っていた。
クァン!!
アルガスの身体がぐらつく。
腹から血とともに銀色の魔力が噴き出した。
投影石が激しく揺れた。
上層では警告音が鳴り響く。
【魔力反応急上昇】
【再生回路—完全損傷】
【エネルギー逆流警告】
下位司祭が叫ぶ。
「実験体、魔力制御不能です!」
高位司祭の眉がぴくりと動いた。
「···実験場そのものが危険になる」
ライネルは破片の上に立ったまま、赤い腕輪をもう一度見下ろした。
微かな熱が、まだ残っている。
(···今しかない。ここで終わらせる)
バキッ!!
アルガスが再び顔を上げた。
目は澄んでいない。
理性の欠片もない。
獣みたいに口を開け、荒い息を吐く。
腕が上がり、
クァアアアン!!
両手が床を叩いた。
実験場全体が鳴り、揺れた。
壁が割れ、床のあちこちで青い光が噴き上がる。
【魔力循環崩壊】
【全回路—過熱】
【ゲート揺動検知】
下位司祭が悲鳴を上げた。
「空間が開いたら、私たちも巻き込まれます!」
ライネルが歯を食いしばる。
「···このままじゃ、終わらない」
彼は再び手を上げた。
空中の魔力粒子が集まってくる。
『念動—集束』
無数の破片とエネルギー残滓が、彼の周囲へ渦のように集まった。
その中心で、ライネルが息を吐く。
「···一撃で終わらせる」
アルガスが身体を投げ出した。
今度は迷いもない。
クァアアアン!!
空気を裂いて突進し、爆ぜる寸前の爆弾みたいに全身から魔力が噴き上がる。
ライネルは周囲の破片を編み上げた。
網のように絡んだ魔力構造が、瞬く間にアルガスへ飛ぶ。
バキッ!
破片が刺さり、魔力が散る。
だがアルガスは止まらない。
腕を振って攻撃を砕き、前へ進んだ。
短い静寂。
残骸が空中からゆっくり落ちる。
魔力の震えが収まり、息遣いだけが残った。
その隙を逃さず、上層の高位司祭が叫ぶ。
「何をしている!
攻撃しろ! 本来の力を解放しろ!!」
そこでようやく、アルガスが首を回した。
赤く充血した目。
吐息のたび、軋む金属音。
その視線にあるのは、理性でも従順でもない。
「···お前の命令なんぞ」
低いうなりが漏れた。
そして。
バキッ!!
床を蹴って跳び上がった。
暴走した魔力とともに、アルガスの身体が一直線に実験空間を切り裂き、上層へ向かって突進する。
「何だ!? 止まれ、止ま——!」
絶叫。
アルガスの口から噴き出した狂気の叫びとともに、巨大な身体が壁を裂いて飛び込んだ。
クァアアアアン!!
天井も壁も回路板も粉々に砕け散った。
司祭二人が弾き飛ばされ、投影石が割れて光が消えた。




