22. 怪しい石像(あやしいせきぞう)
ボブレ・ギルドの受付窓口前。
短い沈黙が漂った。
受付嬢が慎重に口を開く。
「Eランク依頼。神殿外縁の危険要素探索……
神殿側から許可が下りました」
「思ったより早いですね?」
ライネルは意外そうに首を傾げた。
受付嬢は書類を差し出し、付け加える。
「普通なら最低でも三日はかかるんですが。
今回は半日も経たずに連絡が来ました」
イヴェラは書類を流し読みし、低く呟く。
「速すぎる。堂々としてるのか」
「神殿は神聖な場所です」
受付嬢は小さくため息を混ぜた。
「中での言動には特に注意してください」
ライネルは頷き、イヴェラは無言で署名を済ませた。
ギルドの扉を出た、その瞬間。
薄暗い路地の端から、誰かが姿を現した。
片脚を壁に預け、腕を組んだまま、妙な表情をしている男。
ラケンだった。
彼はしばらく彼らを見つめ、低く呟く。
「……堂々と入る気か。
これはほとんど宣戦布告だな」
ライネルが近づく。
「依頼を出してくれてありがとうございます。とにかく通りました」
ラケンは鼻で笑った。
「面白い発想だ。公式依頼で潜り込むとはな。
……ずいぶん大胆な連中だ」
イヴェラは無表情のまま言う。
「確かめるなら、現場に行くしかない」
「……その通りだ」
ラケンは視線を逸らした。
「俺は俺で動く。神殿もこっちの動きには気づいたはずだ」
「分かりました」
ライネルは短く答え、先を急いだ。
ラケンの視線が再び神殿の方へ向く。
(神殿の連中……何を企んでる)
彼は静かに影へ身を沈めた。
しばらくして、ライネルたちは神殿の入口に着いた。
壮麗な石段の上に、静かな緊張が乗っている。
「皆さま、ようこそ」
白いローブの青年が柔らかな声で迎えた。
見覚えのある顔。優しい目元。表向きは親切で穏やかな神殿の書記。
ジークだ。
公式には神殿の書記であり祭壇補佐。
だがイヴェラは知っていた。
彼が影の組織から神殿へ送り込まれた潜入要員だということを。
情報収集、内部動向の把握、必要なら介入。
任務は明確だったが、ジークは単なる命令実行者ではない。
神殿という敏感な構造の中で、彼は自分で判断できる権限を持つ。
組織内でも彼を全面的に信頼してはいない。
二重任務、あるいは独断で動く可能性。
イヴェラはそこを警戒していた。
イヴェラが直球で問う。
「許可がそんなに早く下りたって聞いた。事前に話がついてたの?」
ジークは一瞬迷い、口を開いた。
「実は……私も正確な理由は分かりません。
本来こういう探索依頼は、最低でも数日は調整が必要です。
ですが今回は、異例と言えるほどすぐ許可が下りました」
アイラは目を細めた。
「誰かが、わざと私たちを中に入れたがってるんじゃない?」
ジークは笑みを崩さないようにして、手で促した。
「いずれにせよ、許可された範囲内でのみ行動してください。
私は書記として同行し、案内します」
彼は石段の上を指す。
「では、参りましょう」
神殿の扉が開いた瞬間、冷たい空気が肌を刺した。
内部は外観より遥かに広く、音が押し潰されている。
礼拝堂。
巨大な天窓から朝の光が差し込んでいた。
だが、その光は妙に薄い。
ライネルが周囲の気流を感じ、呟く。
「変だ。光が広がらない……」
ジークが振り返る。
「神殿内は特定の魔法結界で調整されています。
来訪者の動きもすべて記録されます」
イヴェラがすぐ反応する。
「記録?」
「はい。出入りの時間、移動経路。
会話の一部の音声まで」
「監視されてる、ってことか」
ライネルの言葉に、ジークは一瞬口を閉ざした。
書庫と祭儀保管室。
一行は慎重に周囲を見て、区画の構造と配置を一つずつ記録していく。
その途中、ライネルがある壁の前で足を止めた。
「……この壁」
イヴェラもすぐ近づく。
「厚すぎる。内側に何か隠してる可能性がある」
ジークは気まずそうに肩をすくめた。
「そこは古い補修区画で……記録がありません」
その時、廊下の奥で妙な光が立ち上った。
青い光。
石像が光を含むように、やわらかく脈打った。
「……あれは?」
ライネルが顔を上げる。
確かに。
その光は、自分の動きに反応しているように見えた。
ジークが息を呑む。
「こんな反応は……私も初めてです」
アイラが一歩引いた。
「私たちに反応したの?」
ジークは沈黙を破り、言う。
「原因は断定できませんが……近づくのは許可範囲外です。
あの件は上に報告します」
イヴェラは返さなかった。
代わりに手にしたメモへ、静かに一行書き足す。
【私たちの誰かに反応する青い光】
神殿の中は静かなのに、妙に気配がある。
祭儀保管室を出て廊下を歩いていた時、アイラがふと足を止めた。
「……何かある」
囁くように呟くと、振り返りもせず一本の通路へ向かった。
廊下は次第に狭くなり、壁は古い石造特有の湿り気を含んでいた。
気配は微弱だが確かにある。
ただの魔力ではなく、意識のある残響に近い。
「……人の足がほとんど入ってない場所ね」
半開きの小さな扉。
アイラは息を整え、そっと押した。
「……!」
巨大な石像が視界を埋めた。
獅子の頭。ゴリラの胴。鷲の下半身。蝙蝠の翼。
現実にあり得ない組み合わせ。
威圧的なのに、妙に目を引く。
アイラは無言で息を吸う。
「……気味悪いのに。変に目が離せない」
その時、背後から低く断固とした声が響いた。
「冒険者の方ですか?」
驚いて振り向いたアイラの前に、高位司祭が立っていた。
光の届かぬ暗がりでも、その視線は冷たい。
「この区画は立ち入り禁止です」
アイラは素早く表情を整え、調子よく笑ってみせる。
「あっ……すみません。廊下を辿ってたら、つい……」
高位司祭は表情を変えないまま近づき、扉を閉めた。
「神殿内には機微な区画が多い。
以後、案内なしの単独行動は控えてください」
「はい。分かりました」
アイラは丁寧に頭を下げたが、胸の内はざらついた。
祭儀保管室の内側。
「……アイラがいない」
イヴェラの目が鋭くなる。
ライネルがすぐ身を翻す。
「探してくる」
彼は廊下を辿り、高位司祭と一緒にいるアイラを見つけた。
「……何があったんです?」
アイラは短く手を振った。
「大丈夫。道を間違えただけ」
高位司祭が二人を見て言う。
「できるだけ案内者に従ってください」
ライネルは司祭の背後、さっき閉じた扉を一瞬見た。
ぞっとする冷たさがあった。
ほどなくジークが来た。
笑みは同じだが、口調が変わっている。
「案内できる区画は以上です。
外部の方が立ち入れる時間がまもなく終了します。準備を」
イヴェラはその変化を見逃さなかった。
だが問い詰めない。
頷き、メモに最後の一行を書き足した。
【ジーク、急な態度の変化】
神殿の扉が再び開く。
一行は無言のまま外へ出た。
言葉はなくても、感情は同じだった。
ライネルが神殿を振り返り、ゆっくり言う。
「中に何か隠してるのは間違いない」
イヴェラが低く呟く。
「問題は……次、どうやって入るかだ」
青白い陽の下、神殿の塔は黙って立っていた。
中の“何か”はまだ姿を見せない。
だが気配は生きている。
◇
宿に戻る頃、日はもう西へ傾いていた。
ジークの案内で終えた調査だったが、全員の顔に疲れが乗っている。
アイラはベッドへどさりと座り、両手で頭を抱えた。
「……変に気が抜けた。歩いただけなのに」
イヴェラは椅子に座り、メモを広げ直す。
数行を追ってから、ライネルを見る。
「神殿の構造、覚えてる?」
「だいたいは。礼拝堂が中心。書庫は東側。祭儀保管室は南側」
「それ以外は?」
ライネルは目を細めた。
「閉ざされた通路がいくつか。あと、閉じた扉が一つ」
「そう。案内されなかった空間が明確にある」
アイラが額を押さえたまま呟く。
「あの石像……すごく変だった。なのに……戻ったらぼやける。記憶が」
イヴェラの視線が鋭く跳ねた。
「何?」
「見た時は強烈だったのに……今は頭の中で潰れてる」
ライネルも目を閉じ、開く。
「記憶封印。あるいは魔力で混乱を誘導してる可能性はある」
「石像自体が監視や封印の一部かもしれない」
アイラはゆっくり頷いた。
「高位司祭も……変だった。言葉は丁寧なのに、目が冷たくて」
その時、組織から連絡が届いた。
短い暗号文。
『当該神殿は我々もすでに監視中。
お前たちの偽装任務も、その布石である。
直接介入は時期尚早。監視を継続せよ。』
イヴェラが短く息を吐く。
「……やっぱり監視対象だった」
ライネルが戸口にもたれ、腕を組む。
「結局、俺たちをこの村に送った理由は、神殿の情報収集か」
イヴェラは文の下段を開いた。
短い一文がさらにあった。
『最近の確保情報:神殿の奥で夕刻ごとに泣き声が聞こえる。
正体不明の儀式、または生命体の可能性あり。』
そして最後の行。
『参考:慈善神殿と影の組織は実質的に敵対関係。
情報共有は暗号化の上、限定的に。
追加情報:双方が互いにスパイを潜入させていることを確認。』
部屋の空気が沈む。
ライネルが静かに呟いた。
「……じゃあ、ジークは?」
「所属は組織側でも」
イヴェラが断言する。
「態度が確定していない」
窓の外は濃い闇。
その闇の中で神殿の塔が静かにそびえている。
ライネルは視線を戻し、言う。
「……もう一度入る手はないかな」
イヴェラが短く頷く。
「方法は一つ」
「結局、神殿がこちらへ依頼を出すよう誘導するしかない」
◇
ボブレ村の夕刻。
陽が完全に傾く頃、ライネルたちはギルドの会議室に集まった。
机の上には調査記録と構造メモが散らばり、
イヴェラは壁にもたれて立っている。
神殿の外で別に動き、状況を探っていたラケンも姿を現した。
「公開区画は一通り見た。……青い気配を吐いてた石像が一体くらいか」
ライネルの言葉に、ラケンが頷く。
「それと、立ち入り禁止だったが」
ライネルは続けた。
「隠された扉の奥が、ただの部屋とは思えませんでした。
地下へ繋がる感じがした。確信はないが、下へ降りる通路みたいでした」
その時、窓の隙間からフクロウが一羽、音もなく入り込んだ。
イヴェラが手を差し出すと、フクロウは慣れた様子で腕に止まる。
ラケンが低く問う。
「また組織から連絡か?」




